第五夜 メリーさん 2

「君、かわいいね。メリーちゃんっていうの? 本名じゃないよね? ずいぶん若く見えるけど、未成年じゃないよね? どこ住んでるの? 昼職はなにしてるの? なんでデリヘルなんてやってるの?」


 行為が終わった後、オッサンに腕枕されながらぼうっと天井を見つめる『メリーさん』に質問攻めがきた。めんどくさいオッサンである。


「私は『怪異』、『メリーさん』なの! デリヘル嬢じゃないの!! そんな『怪異』をいきなり襲うなんて、あなたの方がよっぽどこわいの!! おかしいの!!」


 『メリーさん』はぷんすか怒りながらオッサンの質問に答えた。はじめはよくわからない顔をしていたオッサンだったが、『よくわからない』ことを受け入れたのか、へらへらと笑いながら『メリーさん』の頭を撫でる。


「そうか、『怪異』かぁ。無職の僕とは違って、君はずいぶん大変そうだねぇ」


「そうなの!! それなのに、ダメニートに襲われるなんて……! 屈辱なの!!」


「へえ、屈辱だったんだ。なんか興奮してきちゃったな」


「この変態!! なの!!」


 ぽかぽかとオッサンを叩くと、オッサンは痛い痛いと痛くなさそうな声音を上げて笑った。


「『怪異』だろうとなんだろうと、久々のひとのぬくもりだった……満たされた。ありがとうね、メリーちゃん」


「さんをつけろよデコ助野郎なの!!」


 憤懣やるかたない『メリーさん』は、万年床から立ち上がると急いで服を着始めた。


「……もう帰っちゃうの?」


 捨てられた子犬のようなまなざしで言われると、『メリーさん』は、うっ、とたじろいだ。


 所詮ただの獲物だったオッサンだ、次行こ次、となるはずだったが、こんなにひとにやさしくされたのは初めてだった。誰もが皆、『メリーさん』をおそれ、遠ざけ、忌避する。なのに、オッサンは『怪異』だとわかっていてなお、『メリーさん』を求めているのだ。


 『メリーさん』自身、もう少しここにいたい気持ちもある。


 しかし、いきなり押し倒されたという事実は変わらない。


 早く帰って傷ついた『怪異』としてのプライドを癒さなくては。


 服を着終えた『メリーさん』は、ふん!と鼻息荒く言った。


「帰るの!!」


 きびすを返してオッサンの前から去ろうとしたときだった。


 がしっ、とその青白く細い手首がつかまれる。有無を言わせぬちからだ。


 見れば、うつろな目をしたオッサンが『メリーさん』の手を摑まえながらぶつぶつとなにかつぶやいている。


「……帰らないで……ここにいて……」


「そっ、そんなこと言われたって困るの!! 帰るの!!」


「……帰らないで……帰ったら、死ぬ……」


「ぴっ……!?」


 いきなり死ぬと来た。この病んだ目を見れば、本当に死にかねないと思ってしまう。もともと脅かすつもりで来た『メリーさん』も、押し倒された挙句自殺されてしまっては目覚めが悪い。


 なおも『帰ったら死んじゃう』とつぶやいているオッサンを、『メリーさん』は必死で説得した。


「そんなことないの! 私が帰ってもあなたは大丈夫なの!」


「……大丈夫じゃない……僕なんて、生きていたって……君がいなくなったら死んじゃう……」


「私だって困るの! 早く帰りたいし、けどあなたには死んでほしくないし……!」


 なんだって『怪異』であるはずの自分が自殺志願者の説得をしなければならないのだ。ほとほと呆れかえった状況に、『メリーさん』はこっそりとため息をついた。


 しかし、文字通り死ぬほど求められるのも悪くない気分だ。もうちょっとこのオッサンに付き合ってあげてもいいかな……


 そう仏心を出しかけた『メリーさん』の手をぐいっと引っ張って、オッサンは急にそばにあったビニールテープでその両手を後ろ手にぐるぐる巻きにし始めた。


「ちょっ、なにするの!?」


「……そうだ、こうすればいいんだ……」


 足もぐるぐる巻きにされて、簀巻き状態の『メリーさん』を、オッサンはひょいと抱き上げた。


 そして別室へ連れて行くと、置いてあった椅子に『メリーさん』を座らせ、どこからともなく取り出した手錠で手足を完全に椅子に拘束した。


「やだっ! やめてなの!!」


「大丈夫、安心して。ここから出なければ、危険なことはなにもないから。この手錠も落ち着くまでの間だけだよ」


 がたがたと椅子を鳴らしながら抵抗する『メリーさん』の青白い頬を撫で、うっとりとオッサンがささやく。


「落ち着いたら、何不自由ない生活をさせてあげる。退屈させないよ。ご飯だって作ってあげる。セックスは君がいいって言うときだけしかしない。外は危ないから、ここで僕が守ってあげるね」


「……うひっ……!」


 病的な色を帯びた声音でそう言われ、『メリーさん』は思わずすくみ上ってしまった。


 いつの世も、一番怖いのは『怪異』ではなく『人間』なのだ。それを身をもって実感してしまった。


 『メリーさん』の頬を撫でながら、オッサンは自分に言い聞かせるようにつぶやき続ける。


「安心して。ふたりだけで暮らそう。こわいことなんて何もない。ふたりっきりで、楽しく暮らしていこう」


「冗談じゃないの!!」


 なおも椅子の上で暴れる『メリーさん』に、しかしオッサンは手を上げたりはしなかった。ただただ、やさしく病んだささやきを吹き込むばかりだ。


 これは一番タチが悪い。完全に自分の中の妄想や思い込みで突っ走っている状態だ。外部から何を言っても無駄。


 ひとしきり暴れたあと、『メリーさん』は一回クールダウンしようとした。


 落ち着け。今は従うフリをして、あとでこっそり逃げ出そう。


 このオッサンはヒキコモリニートらしいが、それにしたって食料くらい調達に行だろう。そこを狙って、監視の目が緩んだ隙に逃走してやる。


 動きを止めてうつむいた『メリーさん』を見て、従う気になったと思ってしまったオッサンは、うれしそうに頭を撫でた。


「そう、そう。イイコだねぇ……もう少し落ち着いたら手錠も外してあげるから、この部屋の中だけでおとなしくしてるんだよ?」


 こくり、『メリーさん』がうなずく。


 オッサンは目を細めて、


「うれしいなぁ……誰かとこんな風に生活できるなんて……もうひとりじゃないんだ……」


 陶酔したような目でそうこぼした。


 どうやらこのオッサン、ひとりぼっちに耐え切れず病んでしまってこんな凶行に走ったらしい。『メリーさん』は一瞬同情しかけたが、ふるふると首を横に振った。


 いくら病んでしまったからといって、これはおかしすぎる。まさしく狂気じみた執着だった。


 こんなオッサンのところからはとっとと逃げるに限る。


 四六時中いっしょにいるつもりらしいが、少しでも隙を見つけてオサラバだ。


 そんな『メリーさん』の考えも知らず、オッサンはひたすらうれしそうに『メリーさん』の頭を撫で続けていた。

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