第二夜 怪人アンサー 3

 また別のある日のことだった。


 その日は一日中雨が降り続いていた。夜になってもやむ気配はなく、『怪人アンサー』は今日は天才少女は来ないものだと思っていた。


 しかしあの公園のブランコへ向かうのが日課になってしまっていて、『怪異』ゆえ傘もささずに公園へ出向いた。


 街灯がきらきらと雨に反射している公園の中、ブランコには天才少女が座っていた。


 しかも、傘もささずだ。


「ちょ、君、なにやってるの!?」


 思わず最初の質問も忘れて駆け寄る。『怪異』である自分はいい。が、いくら天才であろうともからだはただの人間である天才少女は、こんな雨の中傘もささずにいたら風邪を引くだろう。


 駆け寄った先の天才少女のくちびるはすでに紫味を帯びており、白い肌がさらに白くなっていた。春先の雨だ、震えているのもうなずける。


「風邪引いちゃうよ!」


 『怪人アンサー』は急いでインバネスを脱ぐと、天才少女の頭からかぶせた。これで少しは雨がしのげるといいのだが。


 しかし天才少女はインバネスを突き返し、


「いいのです。これは実験ですから」


「実験?」


 また天才特有の意味の分からないことを言い出した。半ばいきどおりを感じながら問い返す『怪人アンサー』。


「はい。バカは風邪を引かないと言われますが、天才たる私がこの状態で風邪を引かなければ、私は天才という名の狂人ということになります。そういう実験です」


 言われてもぴんと来なかった。どういう実験なのかさっぱりわからなかった。


 要するに、天才少女は自分が天才なのか狂人なのかわかりかねているということだ。


「……なにかあったの?」


 突き返されたインバネスを受け取り、隣のブランコに座りながら尋ねた。


「……いえ、なにも」


「ウソだ」


 濡れた髪から滴が伝う横顔を眺め、『怪人アンサー』は断言した。いろいろと話してきたが、天才少女は天才の割にウソがヘタクソなのだ。そこはちゃんと小学三年生だった。


 雨音がスタッカートを打つ長い沈黙を、『怪人アンサー』は辛抱強く待った。


 やがて、あきらめたようにため息をついて、天才少女が口を開く。


「……親に、お前は頭がおかしい、と言われました」


 いつものように、ただ観測した事実を述べる淡々とした口調だった。


 親というものを持たない『怪異』たる自分にもわかった。それが異常なことであると。


 通常、親は子を守り、いつくしみ、愛情を持ち、当然子も親にそれを期待するものだ。それなにの、『頭がおかしい』だなんて。


 親が子に言っていい言葉ではない。


 天才少女は親とも疎遠だと言っていたが、まさかこんな罵言を浴びせられるような関係だったとは。


 親に見放された天才少女はどこに救いを求めればいい? 友達もいない、他に頼れるものもいない、他者との関係は希薄。これは天才ゆえの孤高かもしれなかったが、あまりにもさみしすぎる。


「おかしくないよ!!」


 気が付いたらそう叫んでいた。


 そうだ、自分がいる。風邪を引くかどうかの実験で、わざわざこのブランコへとやってきた天才少女は、きっと『怪人アンサー』に無言のSOSを発信しているのだ。救難信号を聞きつけた『怪人アンサー』は反射的ににそれに答えた。


「なんだったら俺の方が頭おかしいよ!?」


 なんたって『怪異』だからね!と付け加えると、ブランコから立ち上がって天才少女の前でかがみ込み、更に言葉を継ぐ。


「だから、こんなかなしい実験しちゃダメだよ! 本当に頭がおかしくなっちゃうよ! 誰に何を言われようとも、君が傷つく必要はまったくない! 俗物は捨て置いていい! 天才なのにそんなこともわからないのか!?」


 強い口調でまくし立て、『怪人アンサー』は学校の先生のような気分になっていた。悪童を懲らしめるこわい先生だ。


 天才少女は、ぽかんとした表情で仮面の顔を見上げていた。街灯に照らされてきらめく雨粒が、ツインテールから滴り落ち続けている。


「……叱られるとは思いませんでした……」


 寝言のようなぼんやりした口調でつぶやいた天才少女に、『怪人アンサー』は改めて自分がなにを言ったのかを認識し、今度は慌てふためいた。


「あ、いや、叱ってるつもりはなくてね……?」


「いいんです」


 天才少女は首をゆっくりと横に振り、なぜか弱々しい微笑みを浮かべた。


「……初めての経験です……」


 それはそうだろう。まわりから天才ともてはやされ、今までの人生で叱られることなど一度もなかったに違いない。


 それとも、周りの大人が腫れ物扱いして叱らずにいたのか。


 おそらくは後者だろうな、と思いながら、『怪人アンサー』はブランコに座り直してもどかしげに頭をかきむしる。


「叱られて、どう思った?」


「それが今日の質問ですか?」


「じゃあ、そういうことにしよう」


 こういう質問は初めてのことだったので、もし天才少女が答えられなければ殺さなければならない。ひやひやしながら『怪人アンサー』は答えを待った。


「……悪い気分ではないです」


 雨音よりも静かな声音で天才少女がつぶやく。


「自分がまだ無力な子供であることを再認識しました。同時に、無力ゆえにもっとまわりの人間に頼ってもいいことも」


「それ、今まで考えたこともなかったの?」


「はい。私は完璧な人間で、欠点どない万能の存在だと思っていました」


 そこまでおごり高ぶっていたとは。これも天才特有の悪癖だな、と『怪人アンサー』は小さく笑った。


「そうだよ、君はまだ子供だ。もっと周りに頼っていいし、感情を表現したっていい。手のかかる子ほどかわいいって言うでしょ?」


「それはわかりかねます」


「要するに、人間はね、自分とは違う生き物を排除したがるの。自分と同じ過ちをまったく犯さない人間は異質だと考えて、攻撃する。賢すぎる君にはわからないかもしれないけど、みんな君がこわいんだ」


「やはり、私は……」


「ちょっと待って。けどそれって、君の在り方次第でどうにでもできることだよ。もっと自分の思いを主張して、ワガママ言って、子供らしく甘えたらいいんだよ。みんなと同じ間違いをして成長していけば、周りも異質だとは感じずに君をこわがらない」


「……あまえる……?」


「そうだよ。君、ひとに甘えたことないでしょ?」


 核心を突かれたせいか、天才少女の瞳が丸くなった。自分でも気づいていなかったらしい。


 天才少女はたしかに天才だ。しかし、妙なところで間が抜けている。


 それをいとしいと思い、『怪人アンサー』はくすりと笑った。


 しかし、天才少女の次の行動でそれも消える。


 天才少女はブランコから立ち上がると、隣のブランコに座っている『怪人アンサー』の前に立ち、その濡れそぼったからだを密着させて背中に腕を回した。


「……甘える、とは、こういうことで合っているでしょうか……?」


 『怪人アンサー』は凍り付いていた。深夜二時過ぎの雨の中、ふたりきりで抱き合う。それは、まるで……


 凍り付いた後、かっと顔に血が上った。仮面がなければ顔が真っ赤になっているのが丸わかりだっただろう。つくづく仮面があってよかったと思う。


 ともかく、『怪人アンサー』はいまだかつてない感情の高ぶりを覚えていた。胸がどきどきする。頭が真っ白になる。体温が上がる。


 この感情はなんだ?


 もしかすると、これは恋というのものでは……?


 自覚するとさらに顔が真っ赤になった。もうこれ以上赤くなる余地がないほどに。


「どうしましたか?」


 天才少女が不思議そうに顔を上げる前に、『怪人アンサー』は両手で天才少女のからだを引きはがした。


「だっ、ダメだよ!! 俺は怪人と書いてアヤシイヒトだよ!? 簡単にこんなことしちゃいけない!!」


「しかし、甘えてくれと言ったのはあなたでしょう」


「こういう甘え方はアヤシクないヒトにしてくれ!」


 つい悲鳴のような声が出てしまった。天才少女はなおもいぶかしげに『怪人アンサー』を見詰めると、おとなしく離れていった。


 くしゅん、くしゃみがひとつ出る。


 天才少女は鼻をぐずぐずさせながら、青ざめたままの顔で言った。


「たしかに、この実験は馬鹿げていました。反省します。なので、私はもう家に帰ります」


 そして、ぺこりと頭を下げる。


「ありがとうございました」


 その言葉だけでこころの中のつぼみがほころんだような気がした。


 恋ごころを自覚した『怪人アンサー』は天才少女から顔を背け、


「いいんだよ。そうやって試していけば。早く帰ってあったかくしな。もしかしたら、それで風邪を引かずに済むかも」


「わかりました」


 もう一度ぺこりと頭を下げ、天才少女は闇の向こう側へと走り去ってしまった。


「……あー、もう……なんだよ、俺ロリコンだったのか……」


 しかも自分は『怪異』だ。この恋が実る可能性はゼロに近い。


 なので、この気持ちは自分の胸の中に秘めておこう。天才少女には一切知らせることなく、この恋を終わりにしよう。


 そう決めて、『怪人アンサー』はブランコの上から雨が降りしきる黒い雲を見上げていた。

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