第三夜 口裂け女 2
しかしマスク男はその手首をがしっ!とつかんで、
「……マスク、よくお似合いですね」
据わった目でつぶやいた。
言えない。
とてもじゃないが、言えない。
無論マスクなど外せるわけがない。
外したらこっちが殺されそうな気さえする。
鬼気迫るマスク男の勢いに押されて、『口裂け女』は完全に固まってしまった。蛇に睨まれた蛙とはこのことか。
「マスクを愛する僕と、マスクが似合うあなた。これは運命の出会いです」
「は、はい……」
「ああ、天の声が聞こえる。『このひとと今すぐ連絡先を交換しなさい』と」
なにかを受信してしまっているマスク男は、『口裂け女』と否が応でも連絡先を交換したいらしい。
そんなのまっぴらだ。今すぐにでも逃げ出したいのに、連絡先など知られてしまってはたまったものではない。
「あ、あの、私、電波の届かないところに住んでまして……」
「Wi-Fiがあるでしょう!」
「ええと、それもなくて……」
「何なら、僕が手配しましょうか!?」
「いえ、そういうことじゃなくて……」
「僕だって、初対面で住んでいるところまで聞くほど無粋じゃありません! スマホ、持ってるでしょ?」
「は、はい、一応は……」
「今すぐlineをインストールしてください」
「……あ、う……」
怒涛の勢いで迫られて、『口裂け女』はつい自前のスマホを取り出してしまった。『怪異』とてスマホのひとつも持つ時代なのだ。
言われるがままにlineをインストールして、『口裂け女』は涙目で画面をマスク男に見せた。
「よくできましたね! 次はここをこうして……」
こうなってしまってはもうわけがわからない。思考停止に陥って、マスク男の言われるがままに登録を済ませる。
「ここまで来たらあとは簡単です。フリフリしましょう」
「……ふ、ふりふり?」
「lineの連絡先を交換するんです。こうやって……」
マスク男が自分のスマホを『口裂け女』のそれにかざして振ると、友達追加の通知が来た。『口裂け女』、初めてのline体験だった。
マスク男は満足げに笑い、
「よし! これで連絡先を交換できましたね! 今日はいい日だ!」
相変わらず、あ、だとか、う、だとか言葉にならないうめき声を上げ、『口裂け女』はこわくてこわくて目に涙を浮かべた。
対する男は至極達成感あふれる顔をして、
「これから毎日連絡しますからね! お友達から始めましょう!」
さわやかにそう言い放った。
「……オトモダチ……」
ついカタコトになってしまう『口裂け女』。お友達から始めるのならば、最終的にはなにになり果ててしまうのか。答えがこわくて聞けなかった。
「ほら、最初のメッセージを送ってみてください」
間近にいるのにスマホで会話するなど変な話だが、きちんと友達追加がされているかどうかマスク男は確認したいらしかった。ここで断ったらまた話がこじれそうだったので、『口裂け女』は言われるがままにメッセージを送る。
『こんばんは』
それだけ入力して、送信ボタンをタップする。
マスク男のスマホが鳴動し、画面が光った。
それを見てマスク男はにっこりと笑い、なにかを入力する。
今度は『口裂け女』のスマホが鳴った。
『こんばんは! これからよろしくお願いします』
適度に絵文字の入った、肩のちからが程よく抜けた文章だった。ついでに、なにかかわいらしい絵まで送られてくる。
「……あの、なんですか、これ……?」
初めてのスマホ教室に通うおばあちゃんの心境で問いかけると、男は自分のスマホの画面を見せ、
「スタンプっていって、いろんなところでもらえるんですよ。無料だったり、有料だったりしますけどね。まずは無料スタンプから始めてみてはどうですか?」
「……すたんぷ……」
到底自分には使いこなせそうもない。いくらスマホを持っていても連絡する相手がいなかったのだ。YouTubeを見たりネットサーフィンをしたり漫画を読んだりする以外で使うのはこれが初めてだったが、スマホのレーゾンデートル的には正しい使い方だった。
「大丈夫ですよ、少しずつ慣れていきましょう! とりあえず、僕は毎日lineしますんで、あなたは気が向いた時にでも返信してください」
もしかしたら、これが最適解なのかもしれない。連絡先だけ交換して、あとはトンズラするのだ。マスク男とはこれっきり音信不通。この場を丸く収めて逃げるにはそれしかなかった。
しかし、こくこくとうなずく『口裂け女』の考えを見透かしたかのように、マスク男はまた据わった目をしてつぶやく。
「あなたが返信しなくても、僕は送り続けますから。いつまでもいつまでも、送り続けますから」
ひ、と喉を鳴らした『口裂け女』は、スマホを抱きしめて後ずさった。
なんだ、このこわい男。
性癖の歪んだヤンデレとはこういう人間のことを指すのか。
かくかく震える『口裂け女』に、マスク男は再びにっこり笑いかけた。
「あなたは好きなペースで返信してください。慣れないうちは億劫かもしれませんけど、大丈夫です、そのうち生活の一部になりますよ」
マスク男は『口裂け女』の生活の一部になる気満々だ。
外堀からがっつり埋め立てられ、もう『口裂け女』の逃げ場はどこにもなかった。
「どうぞよろしくお願いします!」
頭を下げる男に、反射的にこちらも一礼を返した。
なんなんだ、この関係。
先が思いやられる……と内心頭を抱えて、『口裂け女』はがっくりと肩を落とした。
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