第三夜 口裂け女 3

 それからというもの、マスク男は宣言通り毎日毎日lineを送り続けてきた。


 内容は他愛のないものばかりで、『今から出勤です!』だとか、『今日のお昼はマックです!』だとか。『おはようございます』と『おやすみなさい』は必ず送られてきた。


 最初はおっかなびっくりだった『口裂け女』も、自分が返せそうな話題を見つけてラリーをしていくうちにlineでのコミュニケーションにも慣れてきた。そもそも『怪異』なのだから誰かとこうして会話をするという経験がほぼなかったのだ。


 意外にも、マスク男とのこうしたコミュニケーションは楽しかった。柄にもなくそわそわと、『口裂け女』は時折スマホの通知欄を覗くのだ。


 マスク男は話題が豊富で、気遣いもあり、こちらの返信にはプレッシャーにならない程度に熱心に反応してくれた。話をしていて飽きない。だれかとこうして話すのがこんなにも楽しいだなんて。


 しかし、マスク男はマスクに言及するときだけ超長文を送ってくる。スクロールしなければ読み切れない量の文章に、『口裂け女』は偏執狂じみた熱意を感じてだいぶ引いていた。


 それでも『おはようございます』から『おやすみなさい』まで会話は途切れず、マスク男は見事に『口裂け女』の日常になった。


 マスク男の言っていたスタンプとやらも試してみた。最初は無料のもので充分だったが、だんだんとのめり込んでいき、オススメされる有料のものまで購入してしまった。


 なにを浮かれているんだ……と自問する『口裂け女』。完全にその気になっているではないか。このままではマスク男の思う壺だ。


 しかし、通知音が鳴り響けばその警戒心も一瞬でほどけてしまう。今度はどうしたんだろう?とスマホを覗き込むと、


『仕事終わりましたー! これから帰って久々にビールでも飲もうかな』


 と、絵文字つきのマスク男からのメッセージを受信していた。


 あまり即座に返信するのもがっついているように見られそうでこわかったので、数分の間をあけてからメッセージを返す。


『お疲れ様です』


 語尾に絵文字をつけるのもお手の物だ。ふふん、と『口裂け女』は誰にともなく勝ち誇った。


『ありがとうございます! 近所に行きつけの焼き鳥屋があるんで、そこで一杯やってから帰りまーす!』


『お酒けっこう強いんですか?』


『いや、強くはないんですが好きですね。少ない量で酔っ払えてお得です』


『酔っ払うとどうなるんですか?』


『それはあなたが僕とお酒を飲むときまでのお楽しみということで』


 ものすごく気を持たせる返事だった。もう飲みに行くことは大前提らしい。浮ついていた『口裂け女』のこころに、その事実が重くのしかかる。


 今のところ、lineは楽しい。楽しいが、実際に会って話してみるのはこわい。なにせ自分はメンヘラちゃんだ、当然コミュ障で、話しかけられたら固まってしまうに違いない。


 それを考えると、デートにまで話が発展しそうなのは憂鬱以外の何物でもなかった。いくらlineでのやりとりに慣れつつあるとはいえ、リアルでのやりとりまでうまくいくとは思えない。


『なにか好きなお酒あるんですか?』


 困り切った『口裂け女』は話題を逸らすことにした。それを汲み取ってくれたのか、マスク男からの返信は、


『なんでもいけますよー。ビール日本酒ワイン……いろいろです』


 話題を変えてくれた。心底ほっとしながら、『口裂け女』は当たり障りのない返事を入力する。


 そうして夜まで途切れ途切れに会話をしながら、いつも通り『おやすみなさい』で終わるのだ。


 マスク男が眠ってしまってから、『口裂け女』はlineの履歴を見てため息をつく。


 いいひとはいいひとなんだろうけど、こうもぐいぐい来られるとな……


 当然のように『口裂け女』には恋愛経験などない。『好きになってもいい誰か』、などいなかった。


 それは『怪異』としては必定で、このまま誰とも関わらず『怪異』として消滅していくことが決まっていたのだ。


 しかし、想定外のアクシデントが起こってしまった。


 マスク男の登場だ。


 あの男のおかげで、『口裂け女』の運命は大きく狂ってしまった。


 『怪異』なのに誰かを好きになっていい、と気づいたのだ。おそらくマスク男は『口裂け女』にひとめぼれして、lineを通じてもっと好きになっているだろう。それは途切れることなく毎日送られてくるメッセージでよくわかった。


 まさしく、『好きになってもいい誰か』の出現だった。


 しかし、この恋には終わりがやってくることが決まっている。『きれいだ』と言われたら、マスクを外してその下のみにくい正体を現さなければならないのだ。自分が醜悪な『怪異』だと知ったマスク男はきっと逃げ出してしまう。他のみんなと同じように。


 それだけは避けたかった。もうみじめな思いはまっぴらだ。


 なので、『口裂け女』はいわゆる『両片思い』のこの状態を維持することを決めた。決定的な一言がなければ、『口裂け女』は安心して恋ができる。


 実らないことが決まっている不毛な恋。


 自分にはお似合いだな、と『口裂け女』は歪んだ口元をさらに歪めて自嘲した。


 それまでせいぜいこの両片思いを楽しもう。これは持久戦だ。マスク男に決定的な告白をされないように立ち回らなければならない。


 恋と言うにはあまりにも滑稽な役回りを演じながら、『口裂け女』はまたlineの履歴を読み返した。


 


 別のある日の夜。


 いつも通りマスク男とlineでの会話を楽しんでいると、


『あの、もしよかったらでいいんですけど』


 と、意味深なメッセージが送られてきた。イヤな予感がする。


『なんですか?』


 小刻みに震える指先でそう入力して送信すると、すぐさま返事が来た。


『通話してみませんか?』


 かわいいスタンプが続いていたが、そんなものにはまったく気づかず、『口裂け女』は頭を真っ白にしていた。


 通話。つまり、実際に会話をすることだ。lineにはそういう機能があると先日教わった。


 それを、今日やれと。


 このコミュ障メンヘラちゃんの自分に。


 文章でのやりとりと声でのやりとりは絶対的に違う。リアルでデートするよりはだいぶハードルが低かったが、それでも『口裂け女』はパニックに陥っていた。


 マトモに話せる気がしない。絶対に気まずい沈黙が流れる。


 『口裂け女』は冷や汗を流しながら、必死に返信をしようとした。


『すみません、それはちょっと』


 そこまで入力して、思い直す。


 待てよ。これはもしかしたら、コミュ障メンヘラちゃん克服のいいチャンスではないか?


 『怪異』らしくないと自分でも思い続けていたのは、ひとえにこの豆腐メンタルのせいだった。だから毎日びくびくしながらキャッチ活動を続けていたのだ。


 いっそのことここで通話をして、メンヘラちゃんを矯正してみる。


 いいアイデアだった。断って角が立つ心配もない。

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