第二夜 怪人アンサー 5

 また別のある日のこと。


 いつも通り天才少女の調子を聞くと、天才少女は隣のブランコに腰を下ろしながら、


「今日の質問はなんですか?」


 漕ぎながら問いかけてくるとはなかなか生意気な態度だ。今日は取って置きの難しい問題を出してやろう。


 ……その問題もあえなく即答され、いつもの通り雑談タイムが始まった。


「あーあ。俺は一生、君を殺すことはできないみたいだ」


 きいこきいことブランコを揺らしながらつぶやく『怪人アンサー』に、立ちこぎをしている天才少女は珍しくにやりと笑った。


「『怪異』の面目丸つぶれですね」


「まったく、その通りだよ……」


 『怪人アンサー』はとほほと肩を落とした。


「その面目を躍如しなければ怒るひとがいるのですか?」


「いや、それはいないよ。ただ、俺のアイデンティティが……これだとただの変質者だしね」


「いいじゃないですか、変質者」


「いやいや、良くはないよね?」


「クールでクレイジーですよ?」


「そういう方向性は求めてないから」


「だれにも怒られないのならそれもいいでしょう」


「だからね、俺のアイデンティティの問題なの」


「自己同一性となんの関係があるのですか?」


 きょとんとする天才少女。どうやら一から話さなければならないらしい。


 『怪人アンサー』は独白するようにつぶやいた。


「俺がこの世に生まれてきた意味ってさ、質問をして、答えられなければ殺す。これ以外にないんだよね」


「まるでPCのシステムのような考えですね」


「そうだね。けど、神様とやらが気まぐれにせよなんにせよ俺を生み出したのは、そのためだけなんだ。それ以外はなにも求められていない。逆に言うと、それをやらなきゃ俺は生まれてきた意味を見失う」


 白い手袋に覆われた自分の両手のひらを見詰めて、『怪人アンサー』は述懐した。


「君が答えられない問題を出して、君を殺さなきゃ、俺は生きる目的を達成できないんだ。残念なことに」


 深々とため息をつく。なんとも因果な生まれだ。


 しかし、天才少女は言った。


「ならば、好きなだけ好き勝手放題に生きられるじゃないですか」


「……へ?」


 また天才的な飛躍した発想で物事を見ているらしい。天才少女は続けた。


「なにをするにも、どこへ行くのも自由。なんのしがらみもなく、好きなようにやる。いろいろなしがらみにとらわれている人間にはできないことです。もし私を殺すことができなくても、あなたはなんにでもなれる。どこへだって行ける」


 考えたことがなかった。自分が『自由』だなんて。


 なんだか、目の前にさーっと道が開けたような気がした。


「怒るひとや困るひとがいるなら別問題ですが、そういうひとはいないのでしょう? ならば、自由に生きてください。私を殺したくなったら殺して、殺したくなかったら殺さなければいいのです。ずっとここで雑談を続けてもいい。それでなにかの問題が起こらないのならば、あなたはなにをしてもいいのです」


「……そういえば、そうだね」


 切々と語る天才少女に、『怪人アンサー』は脱帽の思いだった。


 さすが天才、発想からして違う。アイデンティティなどにこだわる自分がひどく矮小に感じられた。天才はその存在自体がアイデンティティなのだ。


「……じゃあ、将来何になりたいか考えてみるよ」


「私の学校でもそういった宿題が出ていました。『将来の夢』」


「はは、小学三年生と同レベルか、俺」


「小さいころから夢を抱くという行為を常習化させる目的で出された宿題なのでしょう」


「君が言うとなんだか陰謀くさいな……」


「そうですか?」


「君は何なの? 将来の夢」


「私は……ノーベル賞を取りたいです」


「ノーベル賞?」


「はい。天才はそれにふさわしい夢を持たなくてはなりません。夢はでっかく、ノーベル賞です」


「はは、応援してるよ」


 つらつらと話しながらブランコを漕ぐスピードを変え、誰もいない夜にふたりきりになる。まるで世界から取り残されてしまったかのような感覚を覚えた。


 このままずっと朝が来なければいいのに。『怪人アンサー』は『怪異』らしくもなくそんな夢物語を願った。明けることのない、ふたりきりの夜。


 しかし、夜は開ける。


 そして、恋も終わる。


 それは自然の摂理であって、いくら『怪異』といえど抗いようがなかった。


「そういえば君、苦手科目とかあるの? 天才だからないと思うけど」


 ただの世間話の一環でそんなことを口にすると、天才少女はブランコを漕ぐのをやめてうつむいてしまった。なにか気に障ることでも言っただろうか?


「……国語だけは苦手です」


「国語?」


 意外だった。天才少女にも苦手な科目があるだなんて。


「漢字は漢和辞書に載っているものならすべて覚えています。ことわざや四字熟語も辞書に載っているものは知っていますし、有名な和歌や序文なども暗記しています」


「だったらどうして?」


 気になって突っ込んでみると、天才少女は言いにくそうに口にした。


「……そのときの作者の心境や登場人物の心理がよくわからないのです」


「ああ、あるね、そういう問題」


 このときの主人公の気持ちを五十字以内で述べよ、とか、そういう問題だ。たしかにある。


「まわりのクラスメイトたちがすらすら答えていくのを見ると、このひとたちはエスパーなのではないかと思ってしまいます。それくらい、私はひとのこころを推し量るのが苦手なのです」


 弱点を露呈した天才少女は、珍しくしょぼんとしてつぶやいた。


「私は、ひとのこころがわからないのです。だから友達もいませんし、親にも『頭がおかしい』と言われるのです……おそらく、ひとに興味がないからだと思われます」


 つらつらと述べる天才少女はつらつらと語る。これは甘えられているのだろうか?と『怪人アンサー』は期待めいたものを抱いた。


「ひとに興味が持てない、ということは、ひとを好きになれない、ということです。誰にも好意を持てないし、いとしいという感覚を知ることもない。私はひとではないのでしょうか? 周りと同じ、人間ではないのでしょうか?」


 まさか『怪人アンサー』が質問される側になるとは思わなかった。見れば、天才少女は追いつめられたような真剣なまなざしで『怪人アンサー』を見詰めている。


 追いつめられているのはこちらも同じだった。


 違う。


 君は俺とは違って、きちんとした人間なんだ。


 だから、きっといつかひとを好きになれる。


 そう伝えたかったのだが、口からとっさに飛び出してきたのはまったく理性を欠いたものだった。

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