第二夜 怪人アンサー 1
夜道をふらふらと歩く人影があった。
その人影は黒いインバネスをまとい、にんまりと笑っているような仮面をつけ、夜道を徘徊していた。
不審者である。
……と、普通なら思うだろう。
しかし、男はれっきとした『怪異』、『怪人アンサー』であった。
そう、『怪異』だ。
発生源もあやふやな情報が人口に膾炙し、爆発的に膨れ上がる過程で明確なイメージを得、そしていつの間にかこの世界に実像となって顕現した『怪異』。それはひとびとの恐怖の具現化であり、ひとさじの好奇心という夢物語の受肉である。
偏在するロアの誕生だった。
男は『怪人アンサー』と呼ばれる都市伝説、それもインターネットのネットロアから派生した『怪異』である。夜道を歩いていると仮面の男が質問をしてくる。それに答えられれば逃げられるが、答えられなければ殺される。
そういう(おそらくは)架空の現代伝承から生まれた『怪人アンサー』は、今日も深夜徘徊をしているのだ。
「……誰もいないなぁ」
ひとりぼっちでふらふらしている『怪人アンサー』はため息交じりにつぶやいた。このご時世、深夜二時にひとりで出歩いている人間など稀だろう。しかし人間と出会わなければ、『怪異』としての使命を果たすことができない。
『怪人アンサー』は途方に暮れていた。
実は、まだ誰にも質問をしたことがないのだ。
生まれたての『怪異』である『怪人アンサー』にとって、最初の獲物は記念すべきトロフィーだ。あれこれ質問も用意してあるし、準備は万端のはずなのだが……
肝心の質問相手がいなくて、『怪人アンサー』は『怪異』デビューを果たしていないのだった。
「……どうしよ」
このままだとただの変質者だ。何とかしたいがこればかりはどうしようもない。
『怪人アンサー』は住宅街のまっただ中にある公園に向かい、ひと休みしようとした。
そして、見つけたのである。
……いた。
よろこぶよりも先に、『怪人アンサー』は怪訝に思った。
見つけたのは、小学校中学年くらいの少女だったからである。利発そうな整った顔をしており、長い髪をツインテールにしている。少女はブランコに乗って、きいきいとからだを揺らしていた。
……もしかして、別の『怪異』か?
人間でない可能性を考慮して、『怪人アンサー』は『怪異』らしからぬ恐怖を覚えた。
しかし、ものはためしだ。ちょっと声をかけてみよう。
「……あのぅ、」
おそるおそる近づいてみると、少女は顔を上げて『怪人アンサー』を見た。どこにも動揺したり驚愕したりするそぶりはない。ただ観察するように『怪人アンサー』に視線を向けている。
「なんですか?」
鈴の転がるような声音で答えると、少女は二の句を継ぐ。
「私、防犯ブザー持ってますよ。変質者の方でしたら他を当たってください。さもなくばブタ箱にぶち込んでもらいます」
「い、いやいやいやいやいや!! 変質者じゃないよ!?!? 俺はただの『怪異』だから!!」
「……『怪異』?」
それを聞いた少女はその瞳に興味の色を浮かべた。話を聞いてもらえそうだったので『怪人アンサー』はほっとする。
「そう、俺は『怪人アンサー』。今から君に質問をする。その質問に答えられなければ、君を殺してたましいを奪う」
ようやく名乗りを上げられて、『怪人アンサー』の胸中は達成感で満ち溢れていた。だが、問題はここからだ。
少女は相変わらずブランコを漕ぎながら、
「いいですよ。さあ、質問してください」
こともなげに現実を受け入れた。
こんなんでいいのか……?と、『怪人アンサー』の方が狼狽している始末だ。
何はともあれ、質問だ。『怪異』としての初仕事だった。
鼻息荒く『怪人アンサー』は質問をした。
「フェルマーの最終定理を簡潔に述べよ」
「nが3以上の整数の時、x^n+y^n=z^nを満たす自然数の組(x,y,z)は存在しない」
即答だった。とても小学三年生の口から出たとは思えない、パーフェクトな回答だった。
「なんなら、そこへ至る証明も解説しましょうか? おそらく聞いているうちに夜が明けるでしょうが」
「いっ、いや、けっこうです!!」
淡々と語る少女に、『怪人アンサー』はぶるぶると首を横に振った。
「もう終わりですか? だったら早く去ってください」
ひとりでブランコをこぎながら、少女は突き放すように言う。
ここで引いたら『怪異』の名が廃る。こうなったらヤケだ、『怪人アンサー』は難しい問題を次々と少女に向けて放った。
「ネモフィラの花言葉は!?」
「可憐、どこでも成功、あなたを許す」
「アンデス高地に分布するセンチュリープラントと呼ばれる植物の学名は!?」
「プヤ・ライモンディ」
「辞書に載っている中で一番長い英単語は!?」
「pneumonoultramicroscopicsilicovolcanoconiosis」
すべて即答された。
はあはあと息を乱しながら、考えうる限りの難問をことごとく解いてしまった少女に泣きそうな声で問いかける。
「……君、何者なの……?」
「ただの天才ですよ」
誇るでもおごるでもなく、少女はただ事実を述べた。
たしかに、天才だった。大人でもこんなにすらすらと答えが出てくることはないだろう。
そんな小学三年生の天才少女が、こんな午前二時のひとけのない公園で、なぜブランコをひとりきりでこいでいるのか?
初仕事に失敗した『怪人アンサー』は少女に興味を持った。
「それで、答えられなければ殺すと言いましたが、答えられればなにかくれるんですか?」
「……うち、そういうのやってないんで……」
「ならおしまいです。速やかにこの場を去ってください」
「ま、待って! 待って!!」
すげなく視線を逸らす天才少女に、『怪人アンサー』は必死ですがった。
うざったそうに視線を『怪人アンサー』に戻した少女は、
「今度はなんですか?」
「その、答えられたらなにかあげるとかじゃないけど、話し相手くらいにはなるよ!! ひとりで延々ブランコこいでても退屈でしょ!?」
『怪異』としての仕事は失敗したが、それでも『怪人アンサー』は天才少女にこだわり続けた。『怪異』が話し相手?笑わせる話だと自分でも思うが、どうしても天才少女と話がしたかった。
ここで出来た縁をなかったことにはしたくなかった。
それは『怪異』としては正しくない。
が、『怪人アンサー』はそんなことどうでもよかった。
あまりに切実に食らいつく『怪人アンサー』に、匙を投げたように天才少女はため息をついた。
「できる話なんてあまりありませんよ。つまらない話ばかりです」
「でも、君天才なんだろう? 俺はバカだから、いろいろ教えてほしい!」
「仕方ありませんね……」
それを許諾と受け取って、『怪人アンサー』は隣のブランコに腰を下ろした。きいこきいこと軽くブランコを揺らしながら、少女に話しかける。
「どうしてこんな時間にひとりで出歩いてるの?」
「ひとりになりたかったからです。雑音のない世界でひとりっきりに」
「それってさみしくないの?」
「あまり考えたことがありません。それはたぶん、『さみしくない』ということになりますね」
「じゃあ、もしかして俺、邪魔だった……?」
「もちろん邪魔です。ですが、こうなったからには付き合うしかないでしょう」
「ごめんね……」
「別にいいです」
口から出てくる言葉に反して、天才少女の声音はどこか浮ついていた。ふふん、と笑い、思い切りブランコを漕いでいる。
もしかしたら、この天才少女は天邪鬼なのかもしれない。
ますます興味を持って、『怪人アンサー』は夜が明けて別れるまで次々と少女に話しかけた。
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