第五夜 メリーさん 5
『今どこにいるの?』
その魔法の言葉は、今日もメリーさんにとっての開戦合図となった。
『私メリーさん。今××市の▲▲公園にいるの』
自動的にそう返信してから、『メリーさん』は本日の追いかけっこに備えて屈伸運動をする。
逃亡生活三日目。
さすがにオッサンも眠りはするらしく、夜明けから朝までは連絡が途切れた。『メリーさん』はその隙を突いて距離を稼ぎ、移動中は居場所を知らせないでいいというルールを利用して極力電車に乗っていることにした。
オールナイトで電車に乗ることはできないので、ありがたかった。そうして、昼間は山手線をぐるぐる回って過ごすのが最適だと気付いたのだ。
オッサンは来る。必ず来る。
今日も公園から山手線の始発に駆け込むまでが勝負だ。
「……よし、なの!」
準備運動を終えた『メリーさん』は、軽快な駆け足で山手線の最寄り駅を目指して走っていった。
結果として、その日は逃げ切ることができた。
あとはいつオッサンがこの仕組みに気付くかである。
昼間の山手線はそう混雑しているわけでもなく、一度座ればあとは楽だった。
毎度思うのだが、『メリーさん』の潜伏先にことごとく現れるオッサンはなにものなのだろうか? 同じ都内とはいえ、フットワークが軽すぎる。
いよいよ『こいつ『怪異』なんじゃないか……?』と『メリーさん』はこわくなった。
そしてまた、スマホの通知が来る。
うんざりしながらもlineの画面を開いて、オッサンの鬼lineを目で追った。移動中は居場所を知らせなくていい、という縛りがあるので、このタイミングで確認しておかなければならない。
『今どこにいるの?』『帰ってきて』『ひとりじゃ死んじゃう』。
その辺りが大量に散りばめられた禍々しいlineに辟易していると、ふとオッサンが自分語りを始めた。
『僕はね、幼いころに父親を亡くして、母親の手で育てられた。生きていくのが精いっぱいで構ってもらった記憶がない』
『学校でも友達はいたけど、いつも『なんか違うな』と思ってた。場違い感って言うのかな? そんなもの』
『高校を卒業してすぐ働き始めてね、けどそこはブラック企業だった。毎日叱責を受けて、殴る蹴るもたまにあった。いつも帰るのは深夜。休みなんてない。そんな毎日で、僕はこころを病んでしまった』
『仕事を辞めて、ずっとひとりでひきこもってた。そのうち母親は死んだ。天涯孤独で、細々と生きてきた。ひきこもってるとだんだんひとがこわくなってね。けど、ひとが恋しくなる。ヤマアラシのジレンマってやつかな。傷つきたくないけどぬくもりが欲しいなんて、虫のいい話だよね』
見る間にオッサンの半生が語られた。
どうやらオッサンは誰とも付き合いのないひとりぼっちの状態で引きこもっていたらしい。そんなの、病むなという方が酷だ。
無事精神をぶっ壊したオッサンは、病院に通いつつも社会復帰を果たそうと何度か挑戦し、挫折し、を繰り返してきたらしい。そしてすべてをあきらめ、あの部屋に閉じこもっていたそうだ。
しかし、ひとのぬくもりをあきらめきれなかった。だからマッチングサイトやデリヘルで女のひとを捕まえてはストーキングし、警察沙汰になることもままあったという。
オッサンの愛は重すぎたのだ。何度も逃げられ、それでもオッサンはひと肌のぬくもりを求めて悶々としていた。
そこへ『メリーさん』が現れた、というわけだ。
『勘違いだっていうのに、君は黙って僕に抱かれてくれた。そんなやさしい子、初めてだったんだ。この子にならぬくもりを求めてもいい、そう思った。実際、君は閉じ込められてる状態でも僕に反抗したりはしなかった。ただいっしょにいてくれて、それが本当にうれしかったんだ』
『メリーさん』としては、脱出の機会を虎視眈々と狙っていただけなのだが、オッサンはいっしょに生活してくれる『メリーさん』が女神のように見えたらしい。
ちょっと複雑な気分になりながら続きを読む。
『こんなロクでもない僕といっしょにいてくれる、僕の作ったご飯を食べて、いっしょに眠ってくれる。声をかけたら返事をしてくれて、ちゃんと会話ができる。当たり前のことだけど、僕にとって君はかけがえのない存在になった』
『君は嫌がるかもしれないけど、好きになったんだ。こころから愛してるんだ。『怪異』だろうとなんだろうと関係ない。僕らは出会うべくして出会ったんだ。運命論者じゃないけど、僕はその偶然にすべてを賭けようと思った』
文字通りオッサンはいのちがけらしい。だとしたら、あの驚異的なフットワークも、『帰ってきてくれなければ死ぬ』というのも納得できる。
迷惑な話だが、『メリーさん』はすっかりオッサンにロックオンされてしまったようだ。
そして今、一世一代の恋のターゲットとなった『メリーさん』は、執拗なストーキング行為から逃げ回っているわけだ。
人間ならば警察のお世話になっていただろう。しかし『メリーさん』は『怪異』だ、とても警察署などには駆け込めない。
それに、あんなに泣きながら『メリーさん』を求めていたオッサンを警察に突き出すのはかわいそうな気がした。
もちろん『メリーさん』に恋愛経験はない。だから、オッサンの気持ちに共感することは難しい。理解できるかどうかも怪しいところだった。
それでも、『メリーさん』はオッサンの抱えた恋ごころに興味を持った。どんな思いで自分を追いかけているのか、次に会ったときはどんな顔をするのだろうか。逃げるのは逃げるが、それでも少しだけオッサンに関心を抱いた。
『愛してるんだ』
『好きなんだ』
『お願いだから僕のもとに帰ってきて』
『おかえりなさい、って言わせて』
『なにもこわくないから』
『怒ってないから』
『前みたいにふたりでいっしょに暮らそう』
『きっと毎日楽しいよ』
『君が望むならなんだってする』
オッサンは何度も何度も何度も愛をささやいた。そのたびに、『メリーさん』の胸中に、鮮やかだが濁った色の感情が湧き出てくる。
こんなに求められるのは初めてのことだ。『怪異』という出生に疑問を感じたことも恨んだこともないが、誰かに好かれるということには無縁だと思っていた。そして、それでいいのだと思っていた。
しかし、オッサンと出会って、求められることのよろこびを知ってしまった。
生き死にに関わるほど必要とされているということは、まんざら悪い気がしなかった。それどころか、もっと求められたいとも思ってしまう。
欲張りで、残酷な感情だった。
オッサンが苦しめば苦しむほど、『メリーさん』の中のよろこびは増すのだから。
このグロテスクな感情に名前を付けるとしたら、いったいどういうものになるのだろう?
きっと『怪異』以上にバケモノじみた名前だ。
一瞬『帰ってやってもいいかもしれない』とも思ったが、首を横に振る。
もっと、もっとだ。
逃げ回って振り回して泣かせて、自分がいかに重大な存在なのかを思い知らせてやる。傷跡をもっと深く残して、もっと執着させて……
一種の『試し行為』は、自分でも反吐が出るほど気色の悪いものだったが、一度味を知ってしまった果実はもう手放せない。
とことんまで逃げ回ってやろう。
そうこころに決めた『メリーさん』の耳に、山手線終電のアナウンスが聞こえた。『メリーさん』は席を立ち、終点で電車を降りる。
夜はこれからだ、また長い追いかけっこが始まる。
人間の子供が鬼ごっこを楽しむ気持ちが少しわかった気がする。
いつしか『メリーさん』の口元には笑みが浮かんでいた。
さあ、これからが勝負だ。
改札を出るころにはいつもの魔法の言葉がlineで送られてきた。
『今どこにいるの?』
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