第五夜 メリーさん 8
「……やっと、やっとだ……! やっと君をつかまえた……!」
背中越しに聞くオッサンの声には涙が混じっていた。痛いくらいに締め付けられ、『メリーさん』はいかに自分が罪深いことをしたかを知った。
「もう逃げないで、置いていかないで……僕をひとりにしないで……君じゃなきゃダメなんだ……お願いだから……!」
「……つかまったからには、そうするしかないの」
『メリーさん』は澄ましてそんな風に言うが、オッサンは必死だった。
「もう何もかも君にあげるから……お金だって、愛情だって、いのちだって上げるから……! だから、そばにいてよ……!」
「わかった、わかったの」
肩に回された腕をぽんぽんと叩くと、オッサンはとうとう号泣してしまった。
自分は何をしていた?
かわいそうなオッサンを振り回して、自己満足に浸って。
つくづく悪いことをしたと反省する。
このオッサンは、『メリーさん』がいないとダメなのだ。こんなダメなオッサン、自分がなんとかしてやるしかない。
しかし、『メリーさん』だって『約束』が欲しかったのだ。
絶対に離れないという『約束』が。
こんなに求められることは初めてで、だからこそ不安になった。いつかそのこころが様変わりしてしまうのではないかと。自分を捨ててしまうのではないかと。
結局のところ、『メリーさん』もオッサンも似た者同士だったというわけだ。
ふたりとも、絶対に離れないという確証が欲しかったのだ。
永遠に続くふたりだけの『約束』された世界というやつが。
「ほら、そんなに泣かないでなの」
しゃくり上げるオッサンを振り返り、『メリーさん』はその頭を撫でた。
「じゃあ、約束してほしいの。今度は絶対に逃がさないって」
それは、事実上の『メリーさん』の降伏宣言だった。
オッサンは涙でぐちゃぐちゃになった顔を上げて、へらりと笑った。
「もちろん、約束するよ!」
「じゃあ、指切りげんまんなの」
『メリーさん』が差し出した小指に、オッサンも小指を絡め、小唄を歌う。
「指切りげんまん、ウソついたら錆びたノコギリで全身を寸刻みにするの、指切った!」
物騒に改変された小唄の終わりに指切りをする。
オッサンはなぜかその小指を口元に運ぶと、根元から歯でくわえた。
そして、ぶちぃっ、と音を立てて、自分の小指を噛み切ってしまったのだ。
「えへへ、指切った!」
口元を血まみれにしながら、痛みを感じていないかのような笑顔でオッサンが言う。『メリーさん』は目を丸くしてから、くすりと笑った。
「イカレてるの」
「褒め言葉だよ」
最高にイカレた、私だけのオッサン。
嚙み切った小指からは血がだくだくとあふれ出していたが、『メリーさん』はその肉の欠片を受け取って、大事にポケットにしまった。
こんな『約束』されたら、死ぬまで信じ抜くしかない。
『メリーさん』は追いかけっこの時には感じていなかった満足感を心底感じていた。これでお互いが離れられないようになった。
死が二人を分かつまで、まるでプロポーズだ。
『メリーさん』は、すすす、とオッサンの背後に回ると、後ろから腕を回して抱きしめた。
「わかったの、もう逃げないの」
「うん、うん!」
回した手に指を絡めるオッサンは、言葉にならないくらいの歓喜を感じていた。
「私はメリーさん。だから、いつもあなたの後ろにいるの」
こんな形で決め台詞を吐くことになるとは思わなかったが、それでもいい。
『メリーさん』が立つのは生涯、このオッサンただひとりになった。
いびつな関係のふたりを、春先の風がやさしくなでる。
いつまでも抱き合うふたりを、遅咲きの桜だけが見下ろしていた。
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