第9話 漂うのは昭和の香り
「おはよう。お兄ちゃん!」
俺が目を覚ますと、ルージュの顔が目の前にあった。
窓からは朝の明るい光が室内に入り込んでいる。
結局、帰宅した後、ルージュを自分のベッドに寝かせ、俺はソファで寝たのだ。
ルージュは一緒に寝ようと言ったが、とてもじゃないが同意できなかった。
俺からしたら、誰だか分からない女の子なのである。
テーブルの上には、目玉焼きとソーセージが並んでいた。
トースターがチンッ!と言う音を立てる。
ルージュは朝はパン♪パンパパン♪とリズムをとってトースターからパンを取り出すと、マーガリンを塗って俺の目の前に置いた。
「お兄ちゃんは何つけるの? ジャム?」
俺は蜂蜜派である。
ルージュは冷蔵庫を漁るとジャムがないのに気付いたらしい。
「あれージャムがないよ」
俺は冷蔵庫の前で困惑するルージュを尻目に戸棚から蜂蜜を取り出す。
「お兄ちゃん、蜂蜜派かー。あたしはマーマレード派なんだなこれが」
ルージュの好みなど誰も聞いていないのだが、彼女は自分のアピールに余念がないようだ。
「甘くて苦い♪ マーマレード♪ なんちて」
だから気になる。
こんな気持ちは何故?
まさに今の俺の気持ちを代弁するような一節だ。
2人暮らしをするには狭い部屋の中、テーブルにパンと料理を並べてルージュと肩を並べてソファに座る。
「いっただっきまーす♪」
呑気な声を出して朝食を食べ始めるルージュに、俺は時計を見て時間を確認する。
うむ。まだ時間に余裕がある。
問い
俺がパンに手を伸ばすと、彼女は俺の方を向いてまるで子供をしかる母親のように言った。
「お兄ちゃん、食べる時にはいただきますでしょ?」
「い、いただきます……」
あかん。ペースをルージュに握らせる訳にはいかない。
俺は大きく息を吸い込むと、強い決意を持って話を切り出した。
「さて聞こうか? お前はいったい何者だ?」
俺からの突然の問いかけに、ルージュはビクッと肩を震わせる。
「何言ってんの? あたしのこと、忘れちゃったの?」
「いや、忘れるとか以前に、俺はお前のことなんて知らないよ」
「ひどい! お兄ちゃんの薄情者ッ! このオタンコ!」
漂う昭和感。
あまりの言われように思わず絶句する俺。
「一体何が不満だって言うの? 皆、応援してくれてたじゃない!」
「本当に何も覚えてないんだよなぁ……」
※※※
結局、何を尋ねても知らぬ存ぜぬで通されてしまった。
知らぬ存ぜぬは俺の方なのに……。
どうしたものかと考えながら最寄りの駅までとぼとぼと歩いていると、後ろから元気な声をかけられた。
「おはようございます! 先輩」
後ろを振り向くと、そこには見慣れた顔があった。言うまでもない。
神崎セピアである。
「お、おう。神崎さんか。おはよう」
今まで朝から彼女と顔を合わせることはなかった。
いつから隣の部屋に住んでいたのか分からないが、一度くらいは顔を合わせていてもいいもののように思うが。
「それにしても、君まで休出しなくていいんだよ?」
「何言っているんですか。私は後輩です。いつだって先輩の仕事を手伝うのが役目です」
俺は結構惚れっぽい。
ここまで言われたら完全に落ちて、彼女に首ったけになるのだろうが、俺がそうなることはなかった。何故なら、あの鬼に襲われた件があるからだ。
彼女には何かある。
あの事件について彼女は誤魔化せていると考えているのかも知れないが、俺にはあの不思議な出来事が夢だとは思えなかった。
ただ、あまりにも
いや、普通は信じられんでしょ。
聖書とか昔話に出てくるような話なんか。
漫画やラノベで魔法少女になったりとか、異世界転生したりとかした主人公ってすぐ現実を受け入れるやろ?
何? 皆、厳しい現実から目を逸らさない程の強靭な精神を持ってるの?
そんなことを考えつつも、神崎さんと他愛もない会話をしながら駅に到着する。
そして、2人揃って電車に乗り込んだ。
今日は土曜日だけあって平日より空いており、座席に座る事ができた。
肩を並べて、電車に揺られることしばし。
俺が今日の仕事の内容について考えていると、しばらく黙っていた彼女が話しかけてきた。
「そう言えば、昨日誰かと一緒に帰って来られたようですが、一緒に住まれるんですか?」
「え? 音とかうるさかった? 実家から
「
こっちはこっちで訳が分からない。
俺は取り敢えず誤魔化しておいた。
質問してきた神崎さんはというとそう言ったきり黙りこんでしまった。
そのうちに会社の最寄り駅に到着したので電車から降りると、徒歩で会社へと向かう。会社へは駅から十分程度の距離だ。
彼女が何も話さないので、俺もずっと黙ったまま会社へと到着した。
基本的に俺は自分から話を振ることはほとんどない。
仕事に関することならいくらでも話すだろうが、こんなうら若い女性を満足させるトーク術など
カードキーで社内に入ると、電気をつける。
まだ誰も来ていなかったようだ。
この会社は土日祝日でも必ず誰かがいる。
交代勤務とかそう言ったものではなく、皆、自発的に出社しているのだ。
何故か上司クラスの人たちまでいる場合もある。
過去によく
俺は考えるのを止めた。
まぁ、単純作業みたいなもんだからハマるっちゃハマるけどな。
アレ。
俺は、席に座ってペットボトルのお茶を一口飲んでため息をつくと、神崎さんに今日の仕事を説明してから、自分の作業に取り掛かった。
仕事に集中し出すと、俺も彼女も話す事はない。
時々、彼女から質問が来る程度で、黙々と仕事に打ち込むのであった。
やがてお昼になり、俺たちは仕事を中断してコンビニで買ってきたパンを食べることにした。自分1人ならば食べながらでも仕事を進めるのだが、神崎さんがいるのでそう言う訳にもいかないだろう。
仕事の手を止めて黙々とパンを口に運ぶ。
しかし、いつまでも黙っているのも何だか気まずい気がして、俺は気になっていたことを思いきって聞いてみる事にした。
気が重い上に緊張で体が
それでもいつかは触れなきゃいかんでしょ。
また同じ様なことがあるかも知れない訳で。
「そう言えば、新歓の飲み会の時だけど」
俺がそう切り出すと、神崎さんはすぐ反応を返してくれた。
こちらを向いてキョトンとした顔で俺に問いかける。
何も心当たりなどないと言った顔だな。
「はい? どうかしましたか?」
「いや、あの日、変な化物に襲われたじゃない?」
「……化物? 確か前もおっしゃってましたよね。先輩、酔っぱらって夢でも見たんじゃないですか?」
「うーん。夢にしてはリアリティがありすぎるんだよなぁ……」
神崎さんは俺の方を向いていた顔をギギギと
「わ、私もリアルな夢をよく見ますよ。あるあるですよ、あるある」
気のせいか彼女の声が上ずっているような気がした。
それに挙動不審な感じになって、態度が露骨によそよそしい。
やはり何かある。
確信した俺は追撃を開始する。
「しかも、その化物が襲ってきた時、神崎さんが急に天使みたいな格好になって化物と戦い始めたんだよね」
「て、天使ですか? そんなメルヘンチックな存在……信じられません」
「まぁ確かにね。俺もびっくりしたよ」
心なしか彼女の顔が紅潮しているように見える。
顔に出るタイプか。
やっぱり何かあるんやんけ。
「しかも、
「へ、へぇ……」
彼女は両手で顔を覆ってしまった。
面白い。
彼女の反応がいちいち可愛くて面白かったので、ついつい色々と追及してしまった。気が付くと、買ったパンは全て食べ終わり、お昼の休憩時間も過ぎてしまっている。まぁ、
「また襲われることがあったら怖いな」
「きっと大丈夫ですよ。天使がいるなら神様だっています。先輩のような人を神様が見捨てる訳ありません」
彼女はドヤ顔でそう言った。
決してキメ顔ではない。
うーん。化物っぽい物語だな。
「そうだね。それじゃあ、もう一仕事しますか!」
俺はゴミを袋に入れてゴミ箱に捨てると、大きく伸びをして深呼吸を1つ。
恐らくまた何か起こるだろうから問い詰めるのはその時でいいだろう。
彼女も「はい!」と気持ちの良い返事をして俺たちは午後の仕事を再開したのであった。
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