第22.5章 大事なものは忌むべきものの中

「アイテル」


 恭一は起きていたアイテルに声をかける。天使にけしかけられた通り、ここで袂を別つつもりで来たが、振り向いた赤い瞳に見られると、判断が鈍った。


 彼女は相変わらず穏やかそうで、少し申し訳なさそうに微笑みながら恭一を待っていた。


 傍に行く足取りは重く、恭一は彼女に近づく。薬などが並べられたベッドの傍まで行くと、恭一は少し間を置いてから重い口を開いた。


「……具合悪いなら悪いって早く教えなよ。それとも、また負荷を背負いすぎてたの?余計なことすんの止めろって何回言わせるつもり?」


 素直に体を労ればいいものを、口に出す事に無駄なプライドが邪魔をし、かなり悪態のついた言い方をしたが、アイテルはごめんなさいと言いたげに眉尻を下げて、微かに弱々しく微笑みながら申し訳なさそうにしていた。


 その様子に、つい数時間前まで祭りで楽しそうにしていた姿を思い出し、もう少し柔らかく言ってあげれば良かったかと恭一は思ったが、ラミエルとの約束を思い出す。


 これ以上アイテルが苦しみを背負い、無理をすることもなく、全て自分で終わらせる。これ以上手を子招いてる時間はない。


彼女と一緒にいるつもりはもうない。もう…。


そう思い直して、胸に痛みを覚える中、恭一はアイテルに告げた。


「悪いけど、もう一緒にはいられない。あれの目星はつけたから、自分で片をつけに行く。君の助けはいらない」


「っ!?…!!」


 ダメだと言わんばかりにアイテルが恭一の腕を掴む。弱々しくも力の入った手を見て、恭一は一瞬躊躇したが、強く振り払う。アイテルはその勢いにベッドの上に倒れ、振り払われた手を見てから再び恭一を見上げる。



 見開いて驚いている赤い瞳に見られ、あの惨劇の中のトラウマに回帰した勢いで恭一はついに本音を言ってしまう。


「そのおぞましい色の目で、俺を見るな」


「っ…!?」


 強い拒絶の言葉をぶつけられたアイテルは、再び差し出した手を止め、やがてゆっくりと力なく下ろす。


「ずっと嫌いだったんだよその目。血の池を見てるみたいでぞっとする。なのにしつこく君は傍についてくるし、構うし、邪魔をしてくる」


「っ…」


「目障りなんだよ。他の女と同じで」


__違う。


「けたたましくて、弱い癖に口だけは一丁前に大きい。自分で何かを手にしたことも努力もしないくせに、他人を秤にかけてのし掛かることしか考えてないような連中と」


 違う。彼女は違う。

本当は違うと、恭一の胸の中で自分の言葉に反論していた。


 呪いで繋がっているからこそ、今まで出逢ってきた他の女とは違うと恭一は分かっていた。


 決められた運命に従って、何かを失い、裏切られ、義務と務めのために自分を殺してきた事を。この世界を統べる王となり、一なる者の器となり、彼女は自分の人生というものを生きるより、使命のために生かされている事も。


 それでも、ずっと薄ら寒い作り笑いと言葉を並べながら、一人耐えている。


自分と同じ。"孤独"を貫いている事を。


 つい言うつもりもなかった本音を、言っても仕方がない、ただ人を傷つけるだけの言葉を言ってしまった事に気がついた時にはもう遅かった。


右手の痛みから伝わるアイテルの耐え難い悲痛を、恭一はぐっと握り潰すように拒絶し、背を向けた。


「俺は行く。探さなくていい。君とはもう、これきりだ」


 最後のアイテルの顔はどんな表情だったのか。それを確認せずに、恭一は足早に部屋から出ていった。



___



 憂き世にこんな綺麗で、悲しそうで、寂しそうな顔をした人がいただろうか。

アイテルは出ていった恭一の背中を見送り、一人無念の内を想う。最初に一目見た時から、アイテルは不思議とそう思った。


"私がこの人を守ろう"と。


 何故そう思ったのかはアイテル自身でも分からなかった。

 ただ強く惹かれるものが彼にはあったのだ。 流星の如く落ちてきた体を、天使の羽のようなものに守られて落ちてきた彼に、常日頃何処かに落としたまま見つけられなかった片翼を見つけた気がしたのだ。


 それなのに、彼を怒らせて、失望させてしまった。私が、もっと強ければ。エバの所縁ゆかりの呪いなど、すぐに断ち切れていた。

 妖の王…エレボスとの戦いから、今も大半の力は失われたまま、龍脈との繋がりも子宮との繋がりも薄れてしまっている。


【お前に何が救えようか?自らも癒せぬ呪いを、己でかけておると言うのに】


 そう。自らにかせたまま、解けなくなってしまった。今度こそ、彼に出会って、救いたいと思った時こそ、エバによる導きと思ったのに。それなのに、自分は今でも、役立たずのままだ。


 …それはやはり、使命とは裏腹に、彼に対する気持ちが関わってしまっているからなのだろうか。


 アイテルは胸のペンダントに手を置き、恭一に言われたことを思い起こす。この目が、彼はずっと嫌いだった。そう、王家の墓所で感じた違和感は正しかった。彼は怖がっていた。この瞳を。


 確かに、怖いぐらい色鮮やかな赤い瞳。これを誰から受け継いだのか、アイテルにも分からない。妖の王エレボスも同じ赤い瞳をしていたが、この瞳を持つ者は、どういう所以ゆえんなのか。


 あの時からも、その前庭園で会った時からも、彼は私の事が嫌いだった。なのにずっと私に付き合ってくれていた。それもそれで、申し訳ない事をしてしまった。


 そう思い感情を押し込めようとしたが、おぞましいと言われた目からは、涙が溢れていた。


 彼を追いかけたいが、彼がそうしたいのなら、もういいのだろう。私は、己の使命を果たすのみ。…今日は、とても楽しかった。再び真王に戻る前に、久しぶりに外を自由に歩いて食べて、ただの一人の人間として、人並みの日常を見ることが出来たのだ。


 彼と一緒に。年相応に、好きな人と一緒に出掛けられることが出来ただけでも満足だ。まさか、彼から誘ってくれるとは思っていなかったけれど、嬉しかった。


 この想いが叶うものとは思っていない。私は既に、誰のものにもなれないのだと、アイテルが一人想う気持ちに、呪いは囁いた。



【そうだ。あの男を手放せ、子宮よ。あれは、ワタシのモノだ】


 苦痛が離れようとしていた。死に場所へと、自ら赴こうとする恭一を追いかけるべきか、手放すべきか。アイテルはどちらを選ぶにせよ、その選択は遮られた。



「陛下!!真王陛下!!お逃げください!!」


「…!」


 恭一が去り、部屋へ祈り柱が駆けつけてきた事により、神殿に何か危機が迫っていることを察知したアイテルは、布団から立ち上がる。そこからすぐに、事態は悪化したのだった。



_____



「……まさか、本当に言うとは………」


 天使ラミエルは、一人神殿から離れ、一人で暗い街道を歩く恭一を真上から眺めていた。幻想の守護天使の姿は、稀に高い霊力や直感を持つ人間にのみ視認できるが、基本的に宿主である恭一にしか認識されない。


 オレンジ色の丈の短いワンピースの裾をヒラヒラと風に揺らし、透明な思念の体と片方だけの翼を扇ぎ、恭一の後ろ姿を眺める。


 恭一はようやく神殿が見えなくなったところで立ち止まる。表情に感情は出なかったが、明らかに後悔をしていた。


 あんな風に出てきて良かったわけがない。傷つけたくはなかった。

 死ぬのは自分だけでいいのだ。もしも自分が自分でいられなくなり、アイテルや周りに被害が出れば元も子もない。たったそれだけだったのに。バカなプライドが邪魔をして、来た道を戻ることも出来ず、下唇を噛んでいた。


 …悲しい?寂しい?

 もうしつこく話し掛けてくることも、気に掛けてくれる誰かがいないこともない。今まで平気だったはずのものへの喪失。いつしか、忘れられた感情を抱いていた。


 天使はただ立ち尽くす恭一の姿を眺める。そして、感情のない無の表情のまま、ため息を吐いた。


「あー。まずったな。さすがに言うとは思ってなかったんだけど。言ってもなんか、丸く収まると思ってたんですけど。第一エバがいないと破壊は出来ないって、あんだけ言ってるのに忘れてるよあいつ。これは………えー、私のせい??よくやったと言うべきか、諭してやるべき、か」


 青く澄んだ瞳が見下ろし、片翼の羽を羽ばたかせ彼の元へ降りようとした時、天使は神殿の方角から何かを察知し、振り向いた。



 空中からよく見渡せる神殿から火の手が上がり、永久とこしえに沸き上がる悪意と憤怒を感知する。それは恭一も同じだった。右手の傷が開き、感応するかのように激痛が襲った。


 アイテルから離れてもう呪い傷が開いたかと、懐から出した護符で応急処置で抑えようとしていた恭一の目の前に、ラミエルが着地する。


「恭一!!戻りなさい!!すぐ!!」


「っ…何、言ってるの?今更戻れるわけないでしょ…俺は…」


「神殿が燃えています。多くの狂い火が見えた。呪いに引っ張られているのでしょう、アイテルが危ない」


 痛みに意識が引っ張られかけたところを一気に引き戻されて、鼻に焼け焦げた煙の臭いが漂って来ることに恭一は気がつく。

 自分が出ていってからそう時間は経っていない。たまたまその隙に奇襲を受けたのだろう。真王がここにいることを誰も知らないはずだ。何処から情報が漏れたのか。


 恭一は急いで風を振り切り、来た道を走って戻る。近づけば近づくほどに、腕輪がギリギリと熱を持って震える。呪いの重圧が重くなっていくのを感じた。


 目の前に火の手が上がる神殿の姿が見えた時、子供の時に見た燃える街の光景がフラッシュバックした。

ここまで伝わる熱気、石の壁が熱波によって暴発して崩れる。さっきまで静かに建っていた神聖な建物が、焼けていく。


 その前で、避難して出てきた聖職者達と、警備兵達が魔物と戦っている。どうやら魔物が襲撃してきたらしい。


「…『参れ、牛若丸』」


 言霊の後、恭一の手に日本刀が現れる。右腕にかける痛みも、蝕む呪いの忍び足も手に握る刀に籠めるかのように握り締めた。


【殺せ】


 闘争と殺人衝動を今この時の為に振るう。銃の玉さえ通さない魔物の強靭な体を、後ろから一刀両断に切り裂く。

 今まで満足できなかった欲求不満感が、満たされたように体は熱く高揚する。


 それは怒りか、憎しみか、喜びか。

聖職者達を襲っていた魔物達が、一斉に目を血張らせ、振り向く。依り代となった恭一の右手に宿る呪いに感化されるように。


【消せ。全てを。己の憎しみと、欲望のままに…】


 『ぜつ


 空蝉の如し、言霊の旋律と共に、襲い掛かってきた魔物に印を切り、牛若丸の刃を振るう。


一閃の振るいが、千の斬撃を生む。


大なり小なりの魔物の肉体が次々と切り裂かれ、赤黒い血を噴き出す。その肉体は、魔素の粒子へと還る。


恭一は残った理性で呪いを押し込める。燃え盛る神殿の前で自分を見て驚愕している人間を斬らないように、殺意を抑え込んだ。



「守護者殿!!」


 恭一の助太刀に驚きながらも駆け寄ってきたのは、手にオリハルコンの欠片が収められた杖を持ち、魔物から巫女や数名の祈り柱を守っていたマヤだった。



「ここにいたのですね!突然、魔物と乱心した者達が神殿に火をつけ、汚したのです!祈り柱の避難は間に合いましたが….」


「アイテルは…何処にいる」


「中へ近衛兵達が救出へ向かいましたが、まだ誰も…」


 誰も戻ってきていない。彼女は、ここにいない。それを聞いて、恭一はマヤの制止も聞かず、燃える神殿の中へと飛び込んだ。


「っ……」


 酸素が薄く、煙の中で恭一は胸の内でアイテルの名前を叫ぶ。この身にまだ繋がりがある限り、彼女は答えるはずだ。まだ彼女を感じる。死んではいない。


 アイテルの声を最後に聞いたのはいつだっただろう。失われてしまった声で、助けを呼ぶことも出来ずにいるのかもしれない。


 恭一は蝕む呪いをあえて受け入れた。忌むべきものに繋がりを見出だす為に。ただ、アイテルの名前を呼び、手繰り寄せる。


 疎ましいと思った会話でさえ、何を言っても笑って寄り添ってくれて、突き放してもけして離れようとせず、命を賭けても自分を助けようとしてくれていた。


 貴方は、優しい人だと。自分の弱さを見透かしたようなことを言われたのは気に食わないが、それでさえも、彼女になら委ねたいとさえ思ってしまった。

 今まで出会うことがなかった人に、自分はまた酷い事を言ってしまったものだ。


 花のアーチと大勢の男女ペアの中で、楽しそうに踊るアイテルの姿を思い出しながら、恭一はやけどを負いながらも炎の中を駆け回る。


会いたい。またもう一度だけでも、こんな自分に微笑みかけてくれる彼女に。この炎の中で、燃え尽きさせなどしない。あの日の、無力な自分の時のように。



__『恭一さん…』


「っ!!」


 繋がりを掴む。か細いアイテルの手が、恭一の手を一瞬掴んだように声が聞こえた。


 急いで手繰り寄せる。崩れ落ちていく神殿の中、既に廃墟となっていた奥の建物の外に、アイテルはいた。


 青みがかった長い黒髪を乱し、肌襦袢のまま息を切らし、疲弊していた。

 緑色がかった黒髪の長髪、ライドスーツのような身体の曲線の出る服装の女が手に携える日本刀の刃を向けられ、追い詰められている姿を目にし、恭一は、赤目の者の姿が、かつて母と慕った者の姿と重ね合わせた。



「君も…囚われているのか」


 恭一は炎に包まれる二人の前に姿を現す。二人の視線が恭一の方へ向いた。アイテルは恭一を見つけ、何か伝えようと口を動かすが、顔に差し向けられた刃がそれを邪魔した。



「…恭一坊っちゃん。邪魔をなさらないでください。貴方を、苦しみから解放します。それが、私がやり残してしまった、貴方に出来ることです」


「君こそ、アイテルに手を出すな。彼女は関係ない。俺が背負った呪いにも、過去にも」


 あの男に何を吹き込まれたのか知らないが、こんなことをするような人ではなかった。

目の前に立つのは、咲であっても咲ではない別の誰かなのだろう。


 それでも、手には似合わない刀を持ち、昔と変わらない憂いげで何処か凛々しくもある眼差しを恭一に向けている面影は、複製とは思えないほど本物に似ていた。



「…真の敵は、ゴーワンでも私でもありません。その方です。貴方の身にあるのは、エバの生み出した災厄。その系譜は、真王の身にも継がれている。貴方が本来討つべきは、その方なのです」


「アイテルを殺して、呪いが消えるのなら初めからそうしてる。…でもそうじゃないんだろう?…君達は、俺に何をさせるつもりだい」


「…」


彼女は答えなかった。それどころか、一歩も退く様子を見せず、向けた刃はアイテルから恭一へと移り変わった。



退がれ。咲」


「…坊っちゃん。貴方は、その方の為に私を斬るつもりなのですね。…そうですか。では、そうしてまた、強くなられてください」


 かつて守ろうとしたもの、守りたかったもの同士が立ち合う。燃え盛る炎の中、国一つが燃えたあの忌々しい時の一端。


 赤い瞳はただそれを茫然と眺めていた。

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