*序章 終 狐狼と天使
__「恭一坊っちゃんの具合は、どないですか?」
_「気でも触れたかと思ってたが、あれ以外はいつも通りや。怯えることも泣き出すことは一切せん、肝の据わった子だが、よく、妖怪みたいなもんが見えると」
_「…ほう。それはまた」
幼い日を過ごした自分の家に、妙な格好の男がよく来ていた事を、恭一は覚えていた。
陰陽師という職業の者は、現代では拝み屋か祈祷師のような存在で、恭一はいつもその者達を胡散臭いと嫌っていた。
だがある事件を境に、あり得ないものを認識出来るようになってからは、そういう職業の者がいても、おかしくはないのかもしれないと、いつも父親のいる部屋を庭からこっそり覗き見ては、黙ってその様子を伺っていた。
_「
_「なんやと?そないなものにはさせられるか」
_「言うと思うてはりましたわ。あのような事があってから…うちらは大忙しで。子供の手も借りたいと思ってたところで、言ってみただけです」
_「うちの跡取り息子は、恭一だけや。いつでも家を任しても良いようにしておきたい。時が経ってもあのままなら、知り合いの医師がおる病院に入れて無理やりにでもまともにさせたらええ」
_「お厳しい方や」
ケラケラと笑うその者は、恭一の気配にはいつも気がついていたようだ。結果的に、恭一はその男から様々な術を教わることになるのだが、あの飄々とした、何を考えているのか分からないところが不気味で嫌いだった事を思い出す。
ふと思い出した実家での記憶は、普段思い出すどころか、省みることのないものだった。
「君と出会ったのも、ちょうどこの辺りでしたね。近頃は思い出すことも拒んでいたのに、どうして今になって思い出そうと?」
あの日あの場所で見ていた光景から目を離し、背後に降りた気配に振り向く。
穏やかな風が吹き、音も記憶も消し去られるように消え、辺りは静寂に包まれた。
長い素足と、見えそうな程丈の短いオレンジ色のワンピースを着た金髪ショートカットの天使と呼ばれる存在は、海色の澄んだ瞳を恭一に向けて、ニヤリと笑う。
「どうです?久しぶりに実家に帰ってきた気分は?」
「別に」
「懐かしいとかの一言もないの?生まれてから青年期まで暮らした家だと言うのに、ほんっと、人らしい感情が欠けてる男だよ。でも、実家に縛られるのが嫌で、留学という名目でアメリカに飛んだのは、実に君らしい。でもイギリスのケンブリッジの方が、合った気がするけど」
この幻想の世界、恭一の記憶から切り取られた、由緒正しく、廃れていく日本の武家屋敷の広い屋敷の建物と、無駄なものがない自然の美しさを残した庭と、鯉の泳ぐ池。
ラミエルはそれを、気に入っていると言うが、恭一にとってこれは、大きな箱庭程度の認識しかない。
「別に馬鹿にはしてないよ。君は優秀だ。栄光と欲に縋る地獄行き連中の為に衰退する日本なんかに留まらず、世界に出ていった方が良いに決まってる。優秀な奴が腐った場所にいたら、腐るだけ、勿体無い」
ラミエルは褒め称えながらも何処か皮肉を言ってるような言葉に対して不満げに睨む恭一に、後ろで手を組み、つま先立ちで歩みを進めながら近づいた。
「彼女と、
「あのたぬきみたいなのがそうだというなら、そうだね」
「え?たぬき?」
「見えてるもの全て、スローで見えてるようなボケッとしたところが余計にそう見える。妙に馴れ馴れしくて、警戒心がない。甘やかされて育てられた、世間知らずな箱入りだろう」
「たぬきって言うとこからして、見た目で言ってるでしょう?」
ラミエルは両手人差し指を目の下につけ、くっと下に下げる。アイテルの特徴的なタレ目で大きな瞳を真似た。
「そんな真顔ではっきり酷いこと言うよね、恭一って。だから彼女出来ないんだよ」
「必要ない」
呆れたようにラミエルに指摘されても、自分に恋人は必要ないと言い切った恭一に、ラミエルはこう返した。
「どうしてそう一人で居たがるんです?孤独が苦にならないのは知ってるけど、好きで孤独でいるのとは違う気がしますが??」
「余計な気遣いもお節介も言いたくないし、言われたくもないから。ましてや面倒なだけだろう。人のやる事にいちいち口を出されて、毎日電話で話すか会わなければ、ぶちぶち文句を言う」
「面倒くさい性格してるのはぶっちゃけ君でしょ」
ラミエルははっきりそう告げてから口元を緩ませた。
「仏門にでも下るつもりですか?釈迦ですら結婚して子供までいるんですよ。自分のやりたいこと全てに足引っ張られるから?好き勝手生きたいから?それとも、誰かに甘えるのが恥ずかしい?」
「親みたく、将来の一族の跡継ぎを産ませるための相手探しの為に口を出しに来たなら、さっさと消えてくれる?」
ラミエルに顔を近づけて苛立ちを露にした恭一。言われたくないことを言われて表情が変わったことに、ラミエルは「ようやく人間らしさが見えた」と青い瞳を光らせた。
「一人の方が気楽だって気持ちはよく分かる。あえて孤独の道を行く人生、そこに障害があってはならない。…でも、どうせ君は、もうすぐ死ぬというわけです。一人で、孤独に」
「後悔していないさ、人は一人で死ぬ。孤独であることを恥じたことも、気にしたこともない。むしろそれで十分。それが出来ない弱虫じゃないんだよ」
「…原初の子宮、どういうエバか教えましょう。『生命の母』。そう呼ばれている」
この世の全ての命を、産み出した者。それが原初の子宮である。
世界の始まり、星に命を芽吹かせ、土や草、動物、虫、魚、微生物、人間に至るすべての生命を創り、この世に産み落とした存在。善も悪も産み、それらに等しく、母と呼ばれる者。
天使も悪魔も、そして恭一も、産まれる前に一度は会っている者。その子宮が、この定明の世界に干渉するのに器として選ぶのは、当然女性に限る。
恭一が知りうる者で、『聖母マリア』もその一人だったと、ラミエルは語った。
「君が愚かにも、たぬき程度の認識しか抱いていない聖母と呼ばれる者が、果たして君みたいな偏屈者を放っておくと思うかな?」
「聖母でもなんでも、俺の生き方を変える権利はない」
「自ら変えてしまうかもしれないとしたら?」
「…フンッ」
やれるものならやってみればいいと、恭一の顔は言っていたが、口には出さなかった。代わりに、「次は何かヒントでも持ってきてるの?」とラミエルに問い掛けた。
「簡潔に何処にあるかと聞かないの?」
「聞いても答えないだろう。それとも、無能だから知らないか」
「無能とは関係なく、場所についてまで私は把握できない。…でも、遺物が何処に行ったかの痕跡を知る者なら、近々会える」
その根拠のないアドバイスのような、予知のような言葉も、言われれば問い詰めたくなる。それは誰なのかを具体的に言えと言っても、ラミエルは首を傾げた。
「彼女と一緒にいればそのうち会えるよ。多分」
「君って、相変わらず役に立たないよね」
「助手じゃあるまいし。…あ、そうそう。それで思い出したけど、特別な計らいってやつで、部下は、助けておいた。適当に拾って」
「何?部下…?」
「じゃあ、頑張って」
パチンッ____指を鳴らす渇いた音が響き渡った。
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