間章 声にならない伝えるべきこと
「…なんですか、そんなに睨まないでよ」
ラミエルは幻想の世界へ戻ってきた恭一を膝の上に肘を乗せて座った状態で迎え入れた。
何もない世界で、恭一はラミエルを静かに見つめた後、口を開いた。
「全然顔も出さないで呑気なものだね」
「…悪かったですよ」
「珍しく素直に謝るね」
「いつも謝ってないみたいな言い方ですね」
いつも飄々としている天使は、何故か拗ねて落ち込んでいるような様子に見えた。恭一はそれに気づきながらも話を続ける。
「君、知ってたの?」
「知ってた、とは?」
「遺物が最近のエバの物だとは、言ってなかったよね」
「………あぁ、だって初めからあれこれ説明したって、エバが何であるのか、分からなかったでしょう?」
悪びれもなくすぐに答えたラミエルに、恭一はムッと顔を強張らせて睨んだ。
「一なる者の事を洗いざらい説明するのは長いよ。飽きるでしょ、絶対」
「だる絡みしてる暇は十分あったくせに、それを説明する時間はなかったと?」
「この世界でのエバがどういう存在なのか、認識してもらう必要があったんですよ。普段いるところでは分からないからね」
世界の歴史から消えた者。もしくは、あえて存在を隠した者。人の時代によってエバは形も姿も変えてこの世に干渉しているが、誰もそれがエバであることを知らない。だから、存在を認識しているこの世界で見た方が理解できるだろうと思ったと、ラミエルは説明した。
「で?私を召喚するより、真王の事を考えたのは何故?」
「それ関係ある?」
「ありますよ。てっきり君は、私を呼んでくれるものかと思っていたんだけど。まさか、アイテルの方を強く願うなんてね」
なんでだろうな~なんでだろうな~と繰り返しながら、にやけているラミエルの顔を見て、ますます苛立ちを募らせて恭一は否定する。
「君を
「いい加減覚えてほしいね。私には、恭一の考えてることが何でもお見通しなのを。なんでしょうね~どんなことをよく思い出すのか、初めてエロい事考えたときの事とか、よく覚えていますよ」
「考えてない。真面目に答えな」
知っていることを教えないなら、デリカシーに欠ける誤解を招くような事を口から出した罰を受けてもらうと強気で天使に威圧をかける恭一に、ラミエルは観念したように息を吐いて、白い睫毛の下に暗く光る青い瞳を灯した。
「私が知っていることは、最初の時に全て話した。この遺物を産んだエバが今も生きているのかはわからない。でも、器になった者は、簡単には死なないからね。…死なせてもらえないという方が正しいと思いますが。そんなこと聞いてどうするの?まさか、今更復讐でも考えてる?」
「産み出した本人が生きているなら、本人に解いて貰うことも出来る」
「無理だね。それだけの憎悪の塊を産み出す者が、何とかしてくれると思う?相当人間を憎たらしく思ってなきゃ作らないでしょ」
「アイテルはどうなる」
「……あれあれ。心配してないくせに、
首をかしげて、何処か
「確かに、エバの子宮でもノーダメージではいかない。なんとか本体の遺物にたどり着いたとしても、簡単には破壊できないよう細工がされているでしょう。彼女はそれも、分かった上で動いている」
ラミエルは片翼を広げて恭一の前に降りると、恭一の顎から顔に触れ、灰色の瞳を持つ鋭い目元までを緩やかに撫でた。
「君はそれが面白くない。女に助けられるのがそんなに嫌?また、咲と同じことになると思っているんでしょう。自分が生きる道に、女の死体を埋めて歩くような事にはなりたくないって」
「知ったような口を利くな」
ラミエルの手を振り払い、強く叩かれた手をラミエルはじっと眺めた後、ふと笑って恭一に告げた。
「…君が類いまれな力を持ち、天使である私と話せるようになった意味を探しているなんて理由で隠す必要も、ないんじゃないの?探してるんだろう。故郷を焼き、母親になってくれた人を殺した
赤い瞳を持つ者。理由は何であれ、史上最悪の災厄をもたらした存在を。
「心配しなくても、きっとまた会えますよ恭一。君と赤い瞳の由縁が繋がったように、今もまだ、繋がっている。この先に待つ運命に従って辿り着いた時、思う存分、殺してやるがいいさ」
そこまで言って天使は、「でもね、恭一」と、今は背も高くなってしまった恭一を、まだ幼い子供の背丈だった時のように少し屈んでみせて、青い瞳に恭一の顔を見据えて言った。
「この前みたいに、怒りに囚われすぎてはいけないよ。君は幸運が見えていないだけだ。心配されて、気に掛けられるのが鬱陶しいと思っているようだけど、そんなのして貰えるだけ有り難い事なのですよ?」
「君、最近そんな話ばかりするね」
「…恭一。人はね、誰にも認識されなくなった時が一番しんどいんだ。下の名前を、呼ばれなくなるぐらいに、孤独を味わった時が。今は平気でも、いつかはしんどくなる」
そんなの、勿体無いじゃありませんか。ラミエルがそう語る表情は、何故か悲しそうなものだった。
「君は、そうならない未来の入り口にいるんだよ。アイテルは、君が見えているよ。君も、アイテルを見てあげるといい。…その胸のモヤモヤも、晴れるはずさ」
天使はそう告げて、渇いた音で指を鳴らした。
____
恭一はミツキと共に一夜漬けの叩き込み講義を受けた後、手渡された分厚い資料の束を手に、あくびをしながら部屋へと帰る。
ミツキは馬鹿正直に資料とジュドーの言葉を必死で頭に叩き込んでいたが、恭一は半分寝ていた。
ジュドーは恭一とミツキにアイテルを任せることを相当不満に思っていることが端から見てよく分かった。
しかしソドムに彼が行くことによって停滞している状態が、少しでも早まる事にはなるだろう。真王になる前からのアイテルを外敵から守り抜き、一人で支え続けてきたほどに有能であることは間違いないのだから。
ミツキと違って、資料をパラパラめくった後すぐに居眠りし始めた恭一は、ジュドーに追い出され部屋に戻るわけだが、戻る途中通った中庭で、再びアイテルの姿を見掛けた。
一度も切ったことがなさそうな長く量の多い髪を下ろし、寝間着にカーディガンを羽織った彼女は一人、ベンチに座って空を眺めていた。星のない空、海の底の闇を。
あぁして夢の中でも空を眺めていたが、特にやることもないのに寝もしないで、なんで起きているのか。
命を狙われるような立場なのに一人でいようとするアイテルに気になった恭一は渡り廊下から外れて庭に出ると、彼女も恭一の存在に気づく。
アイテルは恭一を見て手招きをし、隣に座るよう、隣の席を軽く叩いて促していた。
本当に声を失ってしまっている彼女に、恭一は夢の中で赤い瞳の者に言われた言葉を思い出させる。
憎悪を生む、呪いの産物。これは憎悪であるのか、それが何故アイテルの声を取ったのか。
恭一は分からなかった。天使も現れず、答えを示してはくれなかった。唯一その答えを知るのは、目の前で変わらない態度をとるアイテルだった。
少し間を開けて隣に腰掛けると、恭一はアイテルに話しかけた。
「寝ないの?」
「…」
アイテルは首を振る。その反応に、再び恭一は聞く。
「風邪引いても知らないよ」
「…」
アイテルは恭一の腕の辺りを、くすぐったく指でなぞる。文字を書いて何か伝えようとしているのが分かり、恭一はじっとしていたが、書く言葉が自分の知るものではなく、分からないと告げる。
すると、アイテルは側に落ちていた木の棒を取り、地面の上に絵を描き始めた。
二人の人が座り、上を見上げている絵。空と思わしき場所に、点をつけて何かを示す。
「…星?」
「!」
アイテルは頷いて上を見上げる。恭一もつられて上を見上げたが、闇ばかりが続く淀んだ空が広がっている。松明の明かりがなければ、この世界は本当に闇に沈んでいるのだろうと思わせる。
「星なんか見えないけど」
「…」
「…見たいの?」
再び彼女は頷いて、地面の絵に丸い絵を空に付け足した。どうやら、月の事も言っているようだ。
「…そう」
当たり前のように浮かんでる月にも星にも、特に気に止めたことがなかった恭一だったが、言われてみれば、ここには当たり前のようにそれがないことを思い出す。
ここは深海の奥底に存在するウラノスと呼ばれる不可視の領域。彼女はその世界の頂点の王、真王としてずっとこの世界にいた。それら二つの当たり前のものを見たことがなかったのだ。
「見えないって分かってるのにどうして見ようとするの?」
「…?……」
アイテルは、なんででしょう?とでも言いたいような表情で頭を傾げる。
「…声、本当に出ないんだね」
「…」
答えは返ってこないのに、アイテルは恭一が話しかけて来たことを嬉しく感じているような微笑みを浮かべていた。
恭一は疑問を募らせる。あれだけ喧しいと思っていたのに、いざ喋らなくなると物足りなさを感じる。
「解く方法は本当にあるのかい?」
「…」
アイテルは頷く。声を取り戻す方法を彼女はやはり知っている事を恭一は確認する。
「知ってるなら、なんで俺達に教えない?」
「…」
「なんで」
首を振って教えることを拒否しているアイテルの顔を覗こうとすると、顔を手で遮られて拒否され、そっぽを向く。その手をぐっと掴んでどかすも、アイテルは恭一の方に顔を向けようとはしなかった。
「…何考えてるの」
どうして何も教えてくれようとしない?さっきまで微笑みかけてたくせに、どうして今顔を逸らす?アイテルの心情が全く分からない。
「その調子で誤魔化してなんの意味があるの?本当は解き方を知らないんじゃない?」
「!っ…!!」
アイテルは首を振って否定した。一瞬だけ見えた顔は、赤くなっているようにも見えた。そして何処か、もどかしそうにしているようにも。
掴まれていない方の手で再び棒を持って、地面に何か書こうとしたが、手が止まっている。
アイテルの目が一瞬だけチラッと恭一の方を見る。恐る恐ると言った感じで、恭一には読めない言語のようなものを書いた。
なんて書いてあるのかは分からないが、それを書いてすぐに足で消し去ってしまう。
声のないアイテルに意味を聞いても、答えは当然返って来るはずがない。
「…君って、ほんっとぐずぐずしてるよね。頭の悪さがが目に見えるよ」
どっち付かずの態度に少し苛立ちを覚えた恭一がそう呟くと、ハッとした表情を浮かべた後、ムッと頬を膨らませ、それは怒ってるのかと聞きたいぐらい怖くもない怒り顔を見せられる。
「っむ~…むっ~…」
「何、そのフグみたいな顔。怖がらせてるつもりかい?」
「っ…むーー」
頑張って喉の奥から絞り出してるような声を出して唇を尖らせ、自分の顔と恭一の顔を今後に指差して何か訴えている。
「…俺の顔?」
「っ!っ!」
恭一の顔を真似してるんだと言いたいようだ。俺はそんな顔じゃないと言い、恭一はアイテルの右頬をつねった。
「バカにするのもいい加減にしなよ。一生そのままでいたいの?」
「っ……」
「で?どうしたら元に戻るの?絵でもなんでもいいから、答えて」
「………」
再び拗ねたように顔を背けたアイテルが再び棒を取ることはない。本当に何も教えたくないようだ。
「君が喋れないと困る」
「…?」
「まだ、答えを聞いてない」
簡単に命をかけないと答えた理由を、俺はまだ聞いていない。
そう言いながら、手袋に隠している右手を見下ろす恭一を、顔がほんのりと赤くなっているアイテルは目を丸くして見つめた。
「
「……」
「実際、呪いが別の誰かにかけられていたとしたら、俺もそうしてた。連鎖的な呪いはろくなものがない。例えば、狐や蛇の呪い、あれは子孫に至るまで祟り続ける。本人が死んでどうなっても、その血を絶やすまで、親兄弟も関係なく果てまで続く」
これは、人がいる限り続く呪いだ。…俺が死んで、解決するものでもないとは思うけど、実際、こうして生き永らえているよりマシだろう。
恭一の話を聞いて、アイテルは恭一の右手の上に手を乗せて力強く握った。
そんなことを言わないで欲しい。そんな事を訴える表情を見せて。
「…どのみちそうだよ。俺の家の血も、俺の代で終わるだろうし。普通じゃないことに関わってきた分、寿命も削られてる」
「…!!」
アイテルは横に強く首を振る。
「君に、何が分かるの?」
「っ…」
「呪いが解けても、この先、いつまで生きていられるかも分からない。その時は、潔く死ねる覚悟は出来てる。そうやって俺は生きてきた。君に、そんな覚悟ないでしょ。最初から手厚く護られて、特別ってだけで真王って言われて崇められていて、世間知らずの君には。…命をかけられるような覚悟なんか、ないでしょ」
「………」
アイテルは握っていた恭一の手を持ち上げ、自分の胸の上へと持っていく。ひんやりして硬いペンダントの鉱石と、女性の膨らんでいる胸の熱と柔らかさ、そして心臓の鼓動が手のひらから脳に伝わり、体が痺れるような反応を見せる。
何を思ってこんなことをしているのかと、手から昇る熱を感じながら、アイテルは口をパクパク動かして、何か伝えようとする。その口の動きを注意深く見ていると、彼女が言おうとしていることの一部が分かった。
『あなたはわたしがたすける。ころさない』
だから、そんなことを言わないで。
優しく諭すかのように口パクをして閉じた彼女の胸から、恭一の脳裏に突然共鳴するかのように一部のビジョンが見えた。
『アイテル、お前はいずれ死なねばならぬ』
『偉大なる者を語る
『母と呼ばれながらも子を死に貶めていく真王か。大した聖母だとは思わないか?アイテル王』
『陛下、王とは、君主となり、犠牲となるものです。…どうか、子をお産み下さい。その子は必ず、貴方様の力となりますでしょう』
苦痛と後悔と悲しみの声の中に、アイテルを苦しめた様々な声が飛び交い、最後は顔を抑えて、その場に崩れ落ちるアイテルの姿で閉じる。
ビジョンを見た恭一は、憂う表情でじっと、胸に乗せた恭一の手を撫でるアイテルを見つめた。
今のは、彼女の過去か?繋がりを持った呪いを辿り、彼女が見せた幻なのだろうか。
「…君…」
アイテルは顔をあげて、赤い瞳を悲しげに向けていた。その頬に触れようと自然にあげていた手が、触れる直前で察知した気配に邪魔をされた。
恭一の直感が何か不穏な気配を感じ取り、感じ取った方向を振り返りながら立ち上がる。
アイテルは恭一の陰に庇われる。しばらく警戒していると、ふと、感じていた気配が霧のようになくなり、消えていった。
「……?」
「今の…」
ジュドーでもミツキでも、ハルクマンや弁慶とも違う。影か
もう誰もいないが、今までこうしていた自分達を観察していたのだろう。何故今まで何も気がつかなかったのか。
「戻るよ」
「…!」
恭一はアイテルをベンチから抱き上げた。驚いた顔で恭一を見たアイテルだったが、さっさと部屋まで連れていこうとする恭一が咄嗟に取った行動で、軽々と建物の中まで連れていかれる。
恭一は気がついていなかったが、恭一の首の下、胸の辺りに顔を寄せていたアイテルは、ほのかに嬉しそうに身を寄せていたのだった。
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