第11章 苦行に優しさを見つけて
「ねぇ、執事」
「なんだ」
もう八時間近く二人は無言のまま岩屋の前で待機しており、不審な気配がないか気を張り巡らせていることに集中していたが、やがてふと思い出したように恭一の方から沈黙を破った。
「ずいぶん長くない?筆頭柱の見立てと言うのはこんなに長い時間かけるのかい」
「筆頭柱は、その者が世界を担う一柱となりナーガラージャと一体となるのに時間がかかる。アイテル様がより力を発揮されるのには必要なことだ。これでも、アイテル様がおられるようになってから儀式の時間は短くなっている」
長くても文句を言うんじゃないと恭一を咎める。これが終わらなくては、呪いの解決にも関わることだとも告げて。
アイテルのエバとしての力は弱体化している。戦争でいくつもの竜脈を汚されてしまい、疲弊した事もあるが、最初からエバの恩恵が受けづらくなってしまっているらしい。
星の状態が悪いのだと、ジュドーは言う。人が進化を重ね、自然への尊厳から離れていった事が関わっているのだと。
「…真王がたてられたのはずいぶん久しぶりだと聞いた。彼女は地上からこの世界に来たと、俺と同じように。君は、それ以前からあの子に遣えていたのかい?」
「エバとなられた頃から遣えている」
「地上にいた頃からエバだったのかい」
「それをお前に話す義理はない」
以前の記憶がまるでないと言ったアイテルは、いくら知ろうとしてもジュドーは何も教えてくれなかったと言う。それを覚えていた恭一は本人に直接追及するが、ジュドーは表情を変えず、ただじっと前を向いたまま、回答を避けていた。
頑なに話したくない何かがあるのだろう。恭一はそんな彼に、この話題を出した。
「昔、俺の故郷の国が、壊滅一歩手前まで火の海にされたことがある。うちは自然災害が多いから、各地の活火山が一斉に異常な活動をしたということで片付けられているが、どう考えてもそんな事じゃないことは明らかなのに、そういう事になっている」
「まるでポンペイみたいなシナリオだなそれは」
「戦争は一切してこなかった国だ。武器も核も戦う者もいない。いつ誰が侵攻してきてもおかしくはなかった国だけど、あの時はまさにその時だった。抵抗する手段のない人間が何百と殺されて、一方的に、焼き付くされた。…思い出したことがある。赤い瞳を持った人間。それが、あの時の首謀者だ」
その話を聞き、ジュドーは目線だけを恭一に動かし、じっと黙って彼を見つめる。
赤い瞳を持つ者は限られている。だがまさにアイテルの瞳の色も形も、同じものだったことをはっきり覚えていた。
そして思い出した。その者が、どんな災いを率いて日本にまでやって来たのかも。
「それが、アイテル様だとでも言いたいのか?」
「俺が子供の頃の話だ。彼女がその時の赤目だとは思ってない。でも、あまりにも似ている。覚えている容姿も、目の色も…彼女と関係があるんじゃないかと思ってね」
「…どうしてお前は、災害だとは思わなかった?」
「さあね。でも、思わなかった人間は俺だけでもない。家の知り合いに退魔師や神職がいてね、その家系の何人かは気がついていたよ。俺みたいにはっきりとまではいかなくても」
結局自分は、目の前であの姿を見たにも関わらず元の記憶があり助かったのは、天使のお陰であったのかもしれない。
自分を守った咲を亡くし、一人傷ついた体のままその影を追っていた時に、天使は背後に現れた。
__『君は、私が何に見える?』
その存在に気がついて振り向き、天使ラミエルは自分を見下ろしてそう聞いた。
白い金髪に揺れる髪が太陽に焼かれて神々しく、青い瞳を恭一に向けて。
あの時からずっと、そういう存在を認識出来るようにもなってしまった。あの赤い瞳の者に、縛られながらも。
「仮にそれがアイテル様であったとして、お前はどうするつもりだ?復讐するか?」
「今更復讐までするつもりはないよ。ただ、知りたいだけ。どうしてあの時、俺だけ見逃したのか。今までなかった力を俺に与えたのは、あの赤目なのか」
「…残念ながら、俺はその事について何も知らないし、アイテル様の過去とは一切関係がないとだけは言える。しかし、お前は運良くエバの傍にいる。求め続けていればいつか答えは得られるだろう。この世界に呼ばれたと言うことは、エバはお前を膝元に置いたと言うことだ」
「じゃあ、あれもエバと呼ばれる者だったと?」
「軍隊も何もなく、国一つ容易に滅ぼすことが出来るとしたら、その存在しか俺は知らないからな」
意味の分からない殺戮を起こしたとしても、ジュドーのエバに対する忠誠は変わらないものだ。それが、一なる存在が決めた事ならば、我々は従うべきであると。
妄信的でやはり理解が及ばないことだと恭一は思っていると、岩屋の奥から祈り柱が慌てた様子で着物の裾を引きながら出てきたことで会話は中断した。
「こちらに御越しください配下殿、真王陛下が…」
「!何があった?」
「祭事は滞りなく終わりましたが、お戻りになる際、倒れられて…」
「何!?アイテル様!!」
祈り柱の言葉を聞き、ジュドーは岩屋の中へ駆け出していった。続いて恭一が追いかけようとすると、祈り柱に制されて止められた。
「守護者殿はこちらでお待ちください。穢れを奥まで持ち込まれては困ります」
そう告げられ足が止まる。確かに聖域の奥にまで自分が入るわけにもいかないだろう。
恭一は外で二人が出てくるのを待つ。やがて、ジュドーはアイテルを抱えて出てきた。着ている服は濡れ、彼女が掛けていたマントで体が覆われており、ぐったりと長い髪と共に力なく気絶している。
心配した祈り柱達がジュドーの後ろをついてきていたが、岩屋を出ると足が止まった。
「どうしたの?」
「力を酷使したせいだ。呪いの影響もある。寝殿へ行くぞ。竜師を呼べ!」
近くにいた者にジュドーは言い放つと、恭一と共にアイテルを一時滞在する為の宮殿へと連れていく。真王が倒れたという話はすぐに回り、彼女が寝かされた宮殿には何人もの宮廷医師が集まってきたが、ジュドーはただの一人もアイテルに近づくことを許さなかった。
呪いの事もあり、容易に人を入れるわけにもいかなかったからだ。
ジュドーが外で竜師と話をしている間、恭一は寝台に横たわるアイテルの傍についていた。
ズキズキと、自分の右手に痛みが戻ってくる事が分かる。以前常にあった呪いによる痛みが戻ってきたことを感じると、アイテルはやはり無理をして余計な分まで呪いを引き受けていたようだ。
やっぱり無茶をしていたかと、気丈に振る舞っていた彼女の姿を思い出し、苛立ちを覚える。
しなくていいと言ったことを、何故彼女はするのか。アミュダラの言う通り、やるなと言われてもやる頑固さはあるのだと確信した。
「おい、アイテルはどうした?」
話を聞き付けたハルクマンが部屋に入ってきた。寝台の方へ歩み寄ってくるハルクマンの前に立ち、恭一は無理をして倒れただけだと告げると、ハルクマンは寝台と恭一の交互を見た。
「医者には見せたのか?表に何人も並んでっけど」
「呪いの事もある。不用意に近づけさせられないと執事が言っていた。彼がかわりに体を見てたけど、疲労が祟っただけらしい」
「…そうか」
本当は医者に見せた方がいいのだろうが仕方がない。ハルクマンは近くのイスに座り、アイテルの方を見る。
「出発は長引きそうだな。仕方ないが、ここはアクロポリスよりも警備に問題がある」
「どういう事?」
「本宮殿の方はいいがここは離宮だ。警備の人数が足りてない、それに使用人や警備に暗殺者が紛れていることもザラな国なんだよ。だからジュドーも容易に人は入れたくねぇのさ」
本宮殿ですら、御付きの侍女や召使が寝台の前で寝ずの見張りをし、どんな食事も毒味役を通すぐらいのレベルで、暗殺者が入り込みやすいのだとハルクマンから聞かされると、恭一は黙ってアイテルの寝台の傍に、近くのイスを置いた。
「真王がここにいる情報は、倒れた話でもう広がっているだろう。刺客にとってもチャンスだろうね」
「…お前、朝からアイテルの相手して祈りの岩屋じゃ八時間も見張りしてたのに、これから寝ずに見張るつもりか?」
「仕事じゃ七日間ぐらい寝なかったこともあったから慣れた」
「!?七日間…!?おま、大丈夫じゃねーだろそれ!!」
任務上仕方なくというより、寝る暇がなかった、寝ることをそもそも忘れる事もあったというだけだったが、何日も家に帰っていないとそのうち誰かに気づかれ、上司にも同じような心配をされた。
それでも、日本人の性質というものだろうか。あの時は仕事が区切りをつかなかった時期で、まだ終わっていないからと帰らなかった恭一に、他の職員からも精神がおかしくなっていると本気で心配され、カウンセラーを薦められ、ジュンフェイが引き気味で、頼むから帰って寝てくださいと頼みに来る程であった。
だいたい、あの時は本来の業務に加えジュンフェイの仕事と、バカンスで一ヶ月も留守にしていた同僚の仕事を一手に引き受けていたからなのだが。
「ジュドーもいつ寝てんだってぐれぇだが、あいつでもさすがに、1日30分は仮眠をとってるぞ」
「それもそれでヤバイとは思わない?」
「いや…マジで無理するなよ?睡眠は大事だぞ?なんなら言えば俺が変わるしよ」
「いい。君は外の見張りでしょ。執事はいつ戻るの?」
「もうすぐ戻るんじゃねぇか?ミツキと弁慶は飯を取りに行ったぜ」
俺もちょっと様子を見てくるから頼んだぜと言い、ハルクマンは部屋から立ち去る。
扉が閉まったのと同時に、恭一の後ろで動く気配を感じて振り向くと、アイテルが目を覚ましてまだおぼろげな意識のまま、恭一を見上げていた。
「…あら…私…」
自分がどうしてここにいるのか分からない様子で起き上がろうとする彼女に近寄り、恭一は寝台に腰掛けて背中に手を回して支えた。
右前髪を編んでいた髪もほどけて、量の多い髪がなだらかに落ちて、ぼんやりとした表情で、恭一を見たアイテルは徐々に思い出したのか、困ったような表情で恭一に言う。
「私、倒れてしまったのね。あぁ、ジュドーは大騒ぎしていたでしょう?やってしまったわ」
「そうなると分かってるなら、なんで無茶をする?俺が言いたいことは、分かるよね??」
恭一はぐっと手に力を入れ、アイテルの左手を手にとってまだ塞がっていない傷を見せた。
アイテルは恭一の表情を間近に見て、少し恐れを抱いてるような表情だった。
「余計なお節介はいらないと言ったでしょ。こんな痛み、俺にしてみればちょっと痺れてるぐらいの何ともない程度だ。君にとっては手を何度も刺されているような感覚になるだろう。違う?」
「とても、痛い、です」
グググッと力強く自分の手を握る恭一にアイテルはそう訴えるも、恭一は聞かず、力を入れ続けて彼女に言い聞かせた。
「俺が何も分からない鈍感な人間だとでも思った?今度嘘ついて誤魔化したら、本当に手を何かで刺すよ。分かった?」
「わ、分かりました、分かりましたから…!い、痛くしないで……」
涙ながらに痛くしないでと懇願した色めいた表情に、一瞬恭一の心臓の鼓動が速まった。
その拍子に、パッと左手を恭一は離してしまう。
…今の鼓動のはね上がりが、自分の体温が上げている気がする。なんで?
「恭一さんを苦しませないようにと思って必死で…つい、やりすぎてしまったことは認めます。だって、エバの遺物ですもの。とても強い呪いですから、私でも時間稼ぎにしかならなくて…」
「…」
ダラダラと言い訳を述べるアイテルの言葉は耳に入るものの、今自分の身体が起こした異常に気を取られているせいか、恭一は真顔でただ狼狽えるアイテルを見つめていた。
ただでさえ目付きが悪い恭一に見つめられ、完全に怒らせていると勘違いしているアイテルは、今にも泣き出しそうな表情で恭一に迫った。
「本当に、心配させてしまってごめんなさい。怒りを静めてください。もう、行き過ぎたことはしませんから…怒らないで。嫌に、ならないでください」
「…もう、いい」
顔を近づけて迫ってきた彼女にハッと気がついて背中からも手を離して身を引き、この熱さはなんだと思いつつようやく返事を返す。
初めて何らかの感情を動かされ、内心動揺している事を知らないアイテルは、素っ気ない返事に、まだ怒っているのだろうと不安げな表情を見せて、寝台上を這って恭一に近づく。
「ずっと心配してくださってたのですね。本当に、優しい人です。恭一さんは」
自分が他の誰かを心配していた。ラミエルからも指摘されたばかりの言葉を、最初から自分を優しいと評していたアイテルにも言われる。
心配をしていたつもりはない。ただ目を離せば何処で転ぶか分からないようなものを見ているようでイライラしていただけだ。…そう恭一自身では思っていたのだが、実のところよく分からなくなっていた。
「…どうして俺を優しいって思うの?君は」
「どうして、ですか?」
「そんな根拠のないことを言うのは君ぐらいだから」
「…だって、私を何度も助けてくださったわ。貴方がいつも仰るように、頼んでもいませんのに」
「頼んだでしょ」
「お庭の時と夢を見ていた時は、そうではありませんでした。…夢を見ていた時は特に、嬉しかったんですよ?本当に」
あの時は、誰も助けてくれなかったから。そう付け加えながら、アイテルは少し恭一と間を開けて、寝台から足を下ろして座った。
「シャヘルの事を、覚えていますか?」
「君の娘だ」
褐色肌の美しい容姿をした車椅子の少女。彼女に似たあの赤い瞳は、アイテルのものより何処か気味悪さのあるものだったことを恭一は覚えていた。
「あの夢で、呪いが姿を変えていた者は、あの子の父親です。…ヘレルサハル帝国前皇帝、ベレスフォード・サタキニウス=ヘレルサハル。もう崩御されて、この世にはいませんが」
「別に話さなくていい」
「いいえ。疑問だったでしょう?あの男が誰だったのか」
「何があったかぐらいは分かってる。いちいち説明はいらない」
寝室らしい部屋と激しく抵抗していた様子を見て察しはついていた。アイテルの今も震えている様子にそう言って話を遮った恭一に、アイテルは少し嬉しそうに微笑んだ。
「シャヘルは、あの男がエバである私の血を混ぜた後継者を欲するが為に、産まれました。あの子も、私のせいで苦しい思いをさせてしまいました。私の娘で在るがゆえに、皇帝の息子である義理の兄達に、呪術を含んだ毒を盛られて、歩けなくなって」
アイテルが後に救出された際、娘は一緒に連れては行けず、無理にでも連れていけば良かったと後悔も語った。娘も所詮は、皇帝がエバをも支配したと国々に知らしめるためだけの政治の道具に過ぎなかった。
「私の力でも、あの子の足を完全には治せませんでした。とても長く苦しむ毒…それこそ呪いとも言えるものを貰って時間が経ちすぎてしまっていて。…もっとエバとの繋がりを持てれば、よいのですが」
星が病んでいる今、エバを名乗ることを許された私でも、発揮できる力は限られている。あの頃は戦争もあり、なおの事治療が難しかったなのだと、アイテルは語った。
「もう、手遅れになるのは嫌でした。貴方は、あの毒よりもとても強い、邪悪そのものを宿してる。だから、出来る限り私で留まらせたかった」
「それで、自分の手には負えない事で死んだら、元も子もないでしょ。死なれたら、余計に困る」
俺のせいで、死なれたら困る。
そこまで口には出さなかった言葉だが、確かに恭一の真意はそこにあった。
それを分かっているかのようにアイテルは頷き、ごめんなさい。と再び謝った。
「…でも、あの夢の中で貴方があの人を蹴り飛ばしてくださって、胸がスッとしましたのよ」
もしも貴方のような方が傍にいてくださったら、あんな思いは短くて済んだかもしれない。貴方だったら、相手が誰であったとしてもすぐに来てくれた気がする。
アイテルは微笑みながらそう恭一に告げる。
「そう思うの?」
「きっとそうだと」
きつい言い方をしていても、人のためを想って行動して、指摘してくれているのだろう。だから貴方は優しいのだと。
「そういうところ、私、好きですわ」
言われたこともない言葉を告げられて、恭一は反応に困った。こういう時、何を言うのが正解なのだろうか。否定を続けるべきなのか。自分でもそれが正しいのか間違いなのか、分からないのに。
でもそういうところが、いつか過去のものとなった女性の姿によく似ていることに気づいた。
「…俺をよく、褒めてた人が一人だけいた」
「どなたです?」
「俺の母親代わりになっていた人。他は根拠もあって的を射てることを言うのに、彼女だけは、とにかくよく褒めた。全然出来もしていないのに、とにかく褒める。それでいて、俺を立派なご気性持ちだとかね」
「…恭一さんの事をよく分かっていらしたのね、その方は」
「そういうところが、君とよく似てる。だから、うざったくて嫌になる。嘘を言って取り繕うから」
そう真っ正面から告げると、アイテルは少し困った顔をしてこう返した。
「私、恭一さんの事に関しては嘘なんて言っておりませんのよ」
「優しいなんて自分でも思ったことがない。むしろ、逆でしょ」
「そういうのは、自分では思わないものです。…寝ずに番をしてくださるつもりだったこともちゃーんと見ていますのよ」
ハルクマンが部屋に来た時にはもう既に意識があったのだろう。黙って自分の寝台の前にイスを持ってきた事も知っているアイテルはいたずらに笑いながら、自分をまた見つめる恭一を見る。
「…仕事だからだよ」
「でも、さすがに寝てはくださいね?人は他にもいますから」
「煩いな。俺の事にお節介焼くなって今言ったよね?また倒れられたら困るんだからさっさと寝てなよ」
「はぁい」
___「…なんか、入りづれぇな」
___「……どうしましょう…ジュドー執事長が帰ってきてこんな雰囲気見たら、きっと憤慨します…」
___「いや、別にそこまで変な会話はしてなかっただろ」
___「あ、あの、あの若が、恥じらいながら、女性と二人で楽しくお話するところを聞く日が来るとは…」
___「楽しくしてんのアイテルの方だけだろ多分」
食事を持って戻ってきた三人は、防音性のない部屋から漏れてきた会話の一部を耳にし、入るに入れないタイミングを伺っていたのだった。
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