第20章 つかの間の自由

____「嫌な予感がする」


さっきから前を歩くジュドーが少し歩いては呟いている一言に、ハルクマンは毎度の事ながら飽々していた。


「嫌な予感何度目だよ」


「やはりあのポンコツと無礼者に、アイテル様を任せて、この俺がここにいるのはおかしいと思わないか??」


「あーはいはい分かったおかしいよ、おかしい」


「俺を信頼し任せているからこそ、この汚物に等しく穢れた地での任務を任せて戴けた事についての異議はない。…しかし、それだけこのジュドーを信頼しているというならば、むしろ俺一人で十分だというのはアイテル様もお分かりであるはず。何でお前達2人もこちら側なんだ??」


「知らねぇよ」


 他の人間ならイラッとする言葉にも慣れきっているハルクマンはしれっと聞き流す。多少イラつきはしたが。同時に言葉を浴びたはずの弁慶も、別の事を考えていて全くダメージが入っていなかった。


「うぉぉぉ…心配だ…」


「お前は一体何が心配なんだよ」


「若はちゃんと朝のお支度が出来ていらっしゃるか、朝ごはんはちゃんと食べられたのか、ネクタイはちゃんと結べたのか寝癖は直したのかハンカチとティッシュはお持ちになられたのか心配で…」


「…………お前いない時は出来てたっぽいから安心していいんじゃないのか」


ていうか、なんだその母親みたいな心配でさっきからずっと唸ってたのかとハルクマンは思いながらふと気づく。この主人愛の強い二人に、自分は一人挟まれていることに。


「あぁ美神など相手にすらならない崇高なる美しさを兼ね備えられたアイテル様。何故俺ではなくミツキとあの根暗野郎をお側に…?万が一、あの男の呪いが暴走し、夜会が混乱した事に乗じてアイテル様に何かあったら……まずはミツキから半殺しにして、源氏みなもとうじは大罪を着せて処刑してやる」


「なんでそんな情緒おかしくなりながら不穏な事考えてんだよ。てか殺すな。そんなに心配なら、愚痴ってねぇでさっさと怪しいとこ当たって帰ればいいだろうが」


「くっ…若の言う通り、もう少し調節に時間をかけていれば、電波が悪くならずに頻繁に連絡が取り合えましたものを!!我が怠慢!!あー!!せめて出発前に、若の負担が軽くなるように、懐に運良く残ってた鎮痛風邪喉ちんつうかぜのどの常備薬と、夜なべして編んだ腹巻きを渡しておくべきだった!!」


「………誰か、この立ち位置変わってくれ」


ハルクマンは帰りたいと思ったほど二人はそれぞれの主人を思って頭がおかしくなっていたが、三人が気がつかないところに、ソドムの闇は忍び寄る。


それは濃い霧のように、徐々に濃さを増し、獲物を囲い込むように潜んでいた。



____



 恭一は朽ちかけている祠の女神像を背に、アイテルに右手の呪いを診て貰っていながら、ミツキが色々なものへの恐怖と重圧から半泣きで探し回ってる様子や、ソドムから一足先に帰ってきて状況を知ってしまったジュドーが、烈火のごとく周囲に当たり散らしながら大事おおごとにする様子を想像する。


 いや、もう既に大事にはなっているかもしれない。呪いが暴走状態になった痕跡に加え、あの場所から絶対にいなくなってはいけないアイテルが今傍にいるのだから。


 アイテルは自身の手を痛めながらも呪いを除去し、祠の像に捧げていた銀の腕輪を恭一の腕にはめる。

 負荷に耐えきれず弾けるように壊れたものを、何らかの魔法で一夜かけて直してくれたらしい。


 焼けるような痛みと鉛のような重みがスッとなくなり、体が軽くなった。黒ずんでいた肌も夜の時より薄くなり、再び呪いの進行が抑えられた。

それでも、解放されたわけじゃない。死が迫っているのは同じだ。


「…ありがとう」


「…!」


アイテルは不意に恭一にお礼を言われて、嬉しそうに頷き、その朗らかな笑顔が恭一の表情を曇らせた。


「そろそろ戻るよ。多分、君がいなくなって騒いでるだろう。俺が誘拐したって疑われるのは御免だからね」


「!……」


 恭一が立ち上がりながら告げた言葉に、アイテルはハッとした後、少し寂しげに目線をずらす。恭一は畳まれていたトレンチコートの上着の砂を払いながら、既に浄化はされているものの残ってしまった血の跡や砂汚れが着いてしまったドレス姿のままのアイテルに上着をかけた。


「?」


「その格好じゃ、見られたら目立つから着て」


 男物の大きめのサイズの黒いトレンチコートを羽織り、アイテルはその場から立ち上がり、恭一の右手を握った。


近くに街がある。

 アイテルは、地面の砂に足で絵を描いて恭一に知らせる。ここが何処なのかも分からない恭一は、とりあえずその街を目指すことに決めて、アイテルと手を繋いで祠から出た。


 誰もいない寂れた海岸を二人で歩き、それほど遠くもなく近くの街へ辿り着いた。

海岸沿いにある活気ある小さな街。恭一は初めてこの世界の街というものを目にしたが、近代的ではないもののレンガの建物と少し狭い石畳の通路が多く、人間以外にもファンタジーの中で見られそうな異種族も混じっており、祭りで賑わっていた。


仮装している人間も見かけ、これだけ人も多ければアイテルや自分もうまく混じれるだろう。このまま何処かで服屋でも見つけて、アイテルの服をもっと地味なものに変えて貰おうと恭一は考えたが、ふとここで重要なことに気がつく。


「…ねえ君、お金持ってる?」


「…」


この世界の通貨を持っていない恭一は、外で買い物する必要もなかった為、初歩的な事を完全に忘れていた。アイテルに聞いてみるが、持っていないようで首を横に振ったのを見て、恭一は真顔で考える素振りを見せた。


「…事情話して貸して貰うしかない。補填は、君が帰ってから、利子付けて返せばいい」


「…!」


 服屋に事情を話して貸して貰う事を提案した恭一だが、アイテルは思い付いたようにポニーテールの結び目に着けていたティアラを取った。

 それを恭一に差し出し、近くの頭上の看板を指差す。その先を見るとコインのマークが書かれており、恐らく、質屋か銀行であることが分かった。


「これ、担保にするの?」


 誰が見ても、貴族であっても簡単に手に出来る物ではないほど高価で、普通の技巧で作ったものとは思えないようなティアラだが、アイテルは全然OKと言わんばかりに、手でどうぞどうぞと、簡単に金に換える気だった。


「…これだと、ここの金庫が空っぽになるんじゃない?そのピアスとかでも、十分お金に換わると思うけど」


「っ!」


「嫌なの?…まぁ別にいいけど」


 何でピアスが駄目でティアラは良いのかと思った恭一だったが、とりあえず店へ一緒に入り、中にいた店主にティアラを渡して見積もって貰い、出る時には大金である金貨袋を四袋も渡されたが、本当にあのティアラはこの値打ちなのかと疑問を覚える結果だった。


何にしろ、これだけあれば服どころか宿にも困らないだろうと再びアイテルと手を繋ぎ、離れないようにしながら服屋に移動した。



「いらっしゃいませ~。…あら、長旅だったの?かなり汚れてらっしゃいますけど」


服屋に入ると、赤い肌と黒い目をした女口調の男が、砂と汚れのついた姿の恭一とアイテルに気づき、挨拶しに傍へ来た。


「どちらからいらしたの??」


「彼女の服、何でもいいから適当に見繕って」


「お客様、うちは適当な商売はしておりませんのよ。ましてや、こんな綺麗な奥様に買ってあげるのに適当な物だなんて、ちょっと酷いんじゃありません??」


「違う、俺達は…」


「やーだ可愛い、新婚さん??良いわねぇ焼けちゃうわぁ~」


服屋の男の言葉を否定しようとすると、服屋の中心にあった姿見が黒くなり、仮面の顔が浮き上がり、ニヤニヤと恭一とアイテルを見ていた。


確かに男女二人で年は近いものの、恭一は鏡の中から謎の存在に、勝手に新婚呼ばわりされて不愉快になったが、アイテルは綺麗と言われてぽやぽやと嬉しそうにしていた。


「とりあえず、ご希望のスタイリングをいくつかお見せしますわね。あちらのミラーコンシェルジュの前にお進みくださいなお客様?」


「ミラーコンシェルジュって何」


「あら、ご覧になるの初めて?鏡の精です」


 恭一の質問にあっさり答えて、さーどうぞとアイテルを誘導し鏡の前に立たせた。多分危険な物ではなさそうだが、ミラーコンシェルジュはアイテルを観察し、ニタニタと気味の悪い笑顔を浮かべていたが、徐々に何か違和感に気づいて戸惑う様子を見せる。


「あ、あれ……何故かしら?なんか…普通のお客様と違うような気が……やだっ!?もしかして…」


 この反応にまさかアイテルの正体に勘づいたかと恭一は思い、すぐ手をひいて店を出ようとしたが、杞憂に終わった。


「もしかして、モデルだったりいたします~!?美人で足がスラッと長くて肌も艶々!!もう良いもの食べて育ってるって感じですもの~!」


「!!~!~!」


 アイテルはおだてられて頬を覆いながら恥ずかしそうに照れて嬉しそうにしている。その様子に、全く能天気なと対称的に恭一はそっぽを向いた。


「ま~!嘘なんかついてませんわよ~!本当のことしか、ミラーコンシェルジュは言えませんもの!誰がこの世で一番綺麗かと言われたら間違いなくお客様です!!さっ、お似合いの服をお選び致しましょう~」


「先に言っておくけど、動きやすくて目立たない服にしてね」


 このまま鏡の精なのか出来の悪いAIなのか分からないものにのせられ、不要な飾りのついたドレスを買わされたら本末転倒、恭一が絶対条件を突きつけた。


「えーっ!?こんな美人で、可愛い奥様に、可愛いお洋服買ってあげる為に来たんでしょ??」


「違う。後、夫婦じゃないから」


「…奥様、あの旦那、亭主関白に見えて家じゃ甘えんぼなタイプだったりする??あーゆう外では頑としてる感じの、気難しいタイプって、家じゃ奥さん依存なのよ、当たってます??」


「叩き壊されたいの??」


「まあまあ!!落ち着いて。旦那様のオーダー通り奥様を、しがらみ無く目立たちすぎなく上品にリメイクさせていただくわ」


「だから旦那じゃないんだけど」


 ここには、まともに人の話を聞いて理解する知能がある人間はいないのかと恭一は思ったが、「ところで」と店主は、恭一のよれて汚れたシャツと汚れてしまったズボンという服装を下から上に見回した。


「旦那様も新しいお洋服に変えられては?…ケチャップでも落としました??そのお腹の所の染みとか…あら、布も切れてる」


「………俺?」


「勿論、元のお洋服は修繕しクリーニングしてお返しするサービスも御座いますので御安心を」


「…スーツある?」


「もちろん!!ご用意致しましょう!!」


____



_「…恭一。別にスーツじゃなくても良かったんじゃないの。ここは日本でも、仕事中でもない、プライベートなお時間でしょう?」


「何言ってるの、仕事でしょ。誰がいつ、プライベートな時間を異世界で過ごしていると思ってるの?」


_「うわっ、もはや病気。働きすぎて風邪拗らせた事あったのに、全く懲りてないやこの子」


「君みたいに見てるだけのよりマシだよ」


_「働いてますよ!!君が見てないだけでね!!」


 守護天使も引くほどの仕事中毒症の恭一はお任せで新しいスーツに身を包んで店の外で待っていた。そのスーツが、仕事用と言うより別の用途に使われるお洒落着であることには気づかずに。

 女性の支度に時間が掛かることは知っていたが、一人ならこんな風に待たされて時間を取られることもないのにと恭一は考えていた。


「遅い…」


_「イライラすると、また呪いが開きますよ。折角真王が傷を閉じてくれたのに」


「じゃああの男の居場所教えてくれる?この間の礼をして、遺物を壊し、呪いを解いてこの世界から帰る」


_「それで良いの?君は、ただそうするだけで満足?」


 他に何かあるのかと問おうとした恭一だったが、その問いの答えを恭一は既に知っていながらも、見ないふりをして黙った。それを見抜いていたラミエルは、店の扉が開く間際に言った。


_「ま、少しは全てを忘れて楽しんで。長い人生の、たまの息抜きと思って」


 ラミエルの声が去り、店の扉から待っていた人物がやっと現れた。

ドレスを脱ぎ捨て、品性を漂わせる白い半袖のシャツと赤い鮮やかな少しふんわり広がった長いスカートと高過ぎないヒールのパンプス、長い髪をまた綺麗にポニーテールに結い直し、顔を隠すためのスカーフをカチューシャのように頭に巻いているアイテル。


 動きやすいかと言われれば微妙だし、目立たないかと言われれば、むしろある意味目立つ。何処がオーダー通りだと恭一は思った。

だが一般的な服装と言われればそうなのに、アイテルの容姿と徹底して管理された細身のスタイル、気品ある素材がより際立つ原因となり、恭一の目には魅力的に映ったのだ。


「…?」


アイテルは恭一をじっと見つめ、どうですか?と感想を聞いているように首をかしげながら少しスカートの両端を持ち上げ、スラッとした長い足の膝下までが見えた。


「………良いんじゃないの」


 本当はそれ以外に感想があったが、口下手で素直じゃない彼にはそれしか言えなかった。アイテルは嬉しそうに体をユラユラさせ、恭一の右手に触れた。新しく買った黒革の手袋にアイテルの細い指通りがゆっくりと通される。


 身を寄せて、朗らかに微笑む彼女を見て、恭一はふと普段は思わない事を思った。



 彼女は真王。この世界では、絶対的な君主でもあり崇拝されるエバという存在でもある。

記憶を無くし、目を覚ましてからずっと次期真王として教育を受け、外の世界を知らず、人生の全てを自由に選択することもままならなかった事だろう。こうして服を買いに出ると言うことすらも。


 決められたものを着て、決められたスケジュールをこなし、決められた食事、決められた言葉だけを話す。決められた婚約も、その義務も果たす。それ以外の場所にはけして出てはならない。逃れることも、出来ない。


 他人に敷かれたレールを行くだけの人生が一見楽なようで、いかに窮屈を知る恭一は、好きなように服を選んで出てきたアイテルが今とても充実しているように見えた。この年齢ならまだ自由に何かを買い、遊び、若い時だけの充実した時間を過ごしているだろう。


それが今、エバとして女王として作り固められてしまっている責務から解放され、今は普通の人間の女性同然だった。



「…祭り、ついでに見に行くかい?」


 目の前で騒がしく賑わう人並みと、催し物の音楽、祝いの席。普段はうるさいだけだと近づく事のなかった恭一の心境は珍しく、一緒にいるアイテルが興味深々で見ているのに気がついた。


アイテルはその言葉に表情が明るくなり、大きく頷き恭一の腕を引っ張って誘う。

ちょっとだけだからねと恭一は付け加えながらも、眩しく騒がしい人混みの中へ、アイテルと一緒に一歩踏み出した。



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