貴方を愛したい

第18話 犠牲に生かされた末に



 美と愛女神アプロディーテ。彼女が産まれた地に、愛と美の概念は産まれる。季節を司る女神達が彼女を見つけ、着飾らせたとされるこの地では、美しき女神と四季の彩りが祝福する。


 美の都の中心である首都ウラニアでは、現代人では到底彫れぬ精巧な彫刻をされた神々の像が並び、建物も咲く花でさえも美しく、まさに美の都と呼ぶにふさわしい。


 豊穣の女神の祝福と喜びに包まれた夜会は、慎ましくも豪勢で、あらゆる種族と地域から人が集まった。街は愉快な音楽と歌姫の歌声と共にダンスを楽しむ。

 上流階級の集う祝宴の夜会では、美神に仕える三人の女神に見守られながら社交ダンスを踊り、優雅な音楽に包まれる。



 エバであるアイテルは、ホールの上にあるテラスの幕の中で、それを眺めるだけだ。アイテルが決して人前で踊ることも、歓談を楽しむこともない。


 この世界で絶対的信仰の対象である彼女は、ただ微笑みながら、男女のダンスを眺める。


 今踊っているのは、新婚の若い男女らしい。今年の饗宴は、愛を司る女神と母なる子宮という真王が揃う為、末長く夫婦の絆が結ばれ、子宝に恵まれる事を祈願しに来ている者が多いという。


「御息女方は健やかで在らせられますでしょうか?真王陛下」


 背後から話しかけてきた男にアイテルは顔を向ける。この地の神官であり、貴族である男。アイテルはその男に見覚えがあった。

 ジュドーが警戒すべしと言っていた有力貴族の一人、グレイブハート家の者だ。祈り柱の世話をする神官であり、エバに仕えている者でありながら、反エバ派の一派についている事は、アイテルの耳にも入っていた。


 それなのによくもアイテルの元に何食わぬ顔でやってきたわけだが、アイテルは黙って彼に微笑みかけた。


「グレイブハートが、偉大なる母のお目にかかります」


「……陛下は、侯爵様の来訪を歓迎されております」


 ミツキは内心、強引に会わせろと迫ってきた侯爵に不快感を感じながらも、アイテルの指文字を読み取って、彼に違うことを伝える。

 アイテルは早く立ち去らせてと指で指示を書き、侯爵に背を向けて、再び下のダンスを見る。


「侯爵様、どのようなご用件でしたでしょうか?」


「先日グリード公と狩りを致しましてな。ブルーガーデンの近くで。その際、御息女も一緒に連れていらっしゃいました。以前見た時よりもまた一段と大人っぽくなられましたな。最近、グリード公とはお会いに?」


「いいえ。陛下は、御会いになられてはいません」


「そうでしたか。夫君とのお時間も取ることもままならないとは、御公務がお忙しいようですな陛下」


 一体何が言いたいのだこの男は。とミツキは不審な目を向ける。ジュドーがこの場にいれば、無駄な時間をとらせておいてこれか?と嫌味をすげなく言っただろうが、ミツキにその勇気はない。


「最近、新しい守護者を迎えたと聞きました。妖の王との戦の後、陛下は側の者を増やされることはなかったとお伺いしたものですから。先ほどそこでお見かけしたお若い方ですかな、この所、聖都でも一緒におられるとか」


「…守護者が常に陛下のお側にいるのは、当然かと思いますが」


「いやいや、特に深い意味ではありません…しかし、アクロポリスへ発っていた

使いの者が、あろう事か陛下と同じ席に座り、お茶を楽しまれ、しかも陛下が給仕されていたと話していたものですから」


「はっ…?なん…」


 なんでそんな内輪だけの情報を、外部の者が知っているのだと口にしそうになった口を、ミツキは途中で力を入れて抑えた。

 アイテルも少し口元の緩みが解かれ、彼の言葉に耳を傾ける。後ろ姿のアイテルがどんな表情なのか、頭で想像を働かせながら侯爵は卑しい口調で言葉を続けた。


「勿論、私はそう聞いただけで御座いますから真意は分かりかねます。しかし、夫君でもない、ましてや守護者という責務を担う者に、陛下と同じ席に座らせ、親密な時間を過ごしたとあっては聞こえが悪い。夫君方の耳に入るようなことがあれば、これ如何に…」


「その時は、馬鹿な噂を立てた人間全員しょっぴいて諫言だったと証言させるから、問題ないけど」


「!?」


 侯爵は、少し前から背後に恭一がやって来ていたことに気がつかなかった。恭一は真顔ながら、発せられる「失せろ」という威圧を侯爵に向けており、侯爵は無意識の本能から顔から汗が出始めた。


「…で?まだ何か話したいの?話したいなら、表で聞くけど」


「…いや、結構。お邪魔しました」


(弁慶さん、これの何処が、超絶紳士的な振る舞いなんですか!!)


 こういう社交的な場にも紳士的に対応出来ると言った弁慶の言葉は、ミツキの胸の中にあった僅かな希望と共に砕けた。紳士的どころか、もはや違った種類のジュドーである。


 侯爵はこそこそと幕の中から出ていき、それを見送った恭一は二人の元へと歩み寄る。


源氏げんじ様、どちらにいらっしゃってたんですか?あまり離れては困ります」


「近くにいた。ていうか、こんなところからさっさと帰ろうよ。別に何もする事ないんでしょ?深海ダンゴムシのステーキ食べて、お腹痛いとか言って」


その取って付けたような理由付けに、アイテルは不満そうに頬を膨らます。


「いえ、せめて、このダンスタイムはいてくださらないと。陛下の恩恵を望まれ、参加された若い男女の場で退出するわけにはいきませんから」


「あっそ。じゃあ早めに終わらせてよ。外の空気を吸ってくるから」


「えぇっ!?ちょっと、源氏げんじ様!?」


 なんでこの人、爆発したら周りに危害が及ぶ呪いがあるのにこんなに自由なのとミツキは口に出そうな程思いながら、恭一の去っていく背中を見送る。

 アイテルは少し寂しげにクスッと笑いながら見送っていた。


 恭一は一度会場の外の廊下に出る。騒がしい喧騒と鬱陶しい人混みから解放されて、一息つく。

自分はここで、不審な人物がいないか見張る方が良い。周りに人がいる状態で立っている方が危険すぎると判断したからだ。


…そして、少しこの辺りで聞き込みをして得られた情報と、恭一の直感が上手くハマってくれた事で、紛れていた悪の芽を見つけることも出来た。



「やっぱり、貴方から見つけに来てくれましたか」


「…そっちが会いに来たんだろう」


 廊下の向こう、外が見えるテラスで一人、雅な漢服の背中に歩み寄る。振り向いたその人物は、まさに恭一が追っていた人物だった。


習晃累シーコウルイ?それとも、劉累明らうるいめい?」


「好きな方で」


「ソドムからここは近いのかい」


「ある意味では。でも、僕がソドムを発ったのは随分前ですね。もう少し時間が経てば、向こうで友達が僕の代わりに接待してくれると思いますよ。真王の側近の方々と、貴方の部下も」


涼しい顔で屈託なく笑う彼に、恭一は睨み付ける。


「こんな悪ふざけは止して、大人しく遺物を渡した方が身のためだよ」


「変だな、ソドムに行った人達を心配しないんですか?」


「時間の無駄だよ」


「冷たいなぁ。人って、結構そういうの気にかけて顔に汗が出るものなんですが、貴方は全く意にも返してない。合理的で好きですよ」


銃を向けて明らかな殺意と敵意に、彼は笑みを崩さず、笑っているのに目は虚ろなままで平然としていた。


「呪いは順調に育っているようですね、良かった!貴方ならよく育ててくれると思ってたんですよー。頑丈だし、強いし、霊力も神がかってるものがある!とてもいい土になると思いました」


「…」


「でも、まだここで育成を終わらせるわけにはいかないんです。ちゃんと植物は花をつけて、実がなるまで育ててあげないと。それが普通でしょ?」


「自分の中に移し変えて育てれば?」


「僕じゃダメなんです。僕は、呪いが気に入るほどの欲は出ないですから。薄々気づいてますよね。呪いが貴方が必死に隠してる本能を呼んでるって事に」


恭一の本能。普段は理性で押し殺している本能が、その呪いを育ててるのだとらうは告げた。


「そしてその呪いは、貴方の本能を愛しい誰かに向け始めている。…そうでしょう?」


「……何の事かさっぱりだね。無駄な事ペラペラ話してないで、さっさと遺物を出せ。拒否したら、殺すよ」


「それも良いですね。でも、貴方と死合いたい人が一人いるんです。会わせるのを楽しみにしてたんですよ。ちょっとした、サプライズです」


 背後に無と敵意が迫っていることを恭一は察知して、振り向き様に警棒を抜き、攻撃を防いだ。

 かち合う警棒の金属と、腕の装備に仕込まれた暗器の刃。そして、恭一の足が後ろへ数歩後退らせる程の威力を打ち込んできたその人物の、カメオの仮面を見る。


 緑色の混じった直毛の長い黒髪が恭一の顔や頭に触れる。身体のラインが見える服装からして女だということが分かる。


恭一はその女を目の前から押し退け、警棒のみでその刺客と対峙する。霊力を伴う術などいらず、この棒のみで対処できると思ったのだろう。


 素早く軟かな体術と刃の振りで攻撃を続ける刺客の動きを読み、無駄のない動きでかわすが、戦ってみて初めて分かる力量を計る。そしてその力量は、たまに感覚でも追いつけなくなる程強いと。


そして戦いを続ける度、呪いは喚起する。


【殺せ、殺せ、殺すがいい】


【お前はまた強くなれる】


【血を浴びる度に、強くなれる】


【あの時のように】


恭一の頭に囁き続ける。腕に力が入り始め、本来の自分の実力以外の干渉を感じる。そして、それでもなお自分の動きについてくる刺客の仮面を警棒で破壊した。



「…!!!!?」


砕け散った破片が散らばり、濡れ烏のような髪を振り乱して、刺客は静止し、恭一の方を向いていた。その人物の背景に見える藤の花が風と共に揺れる。


…似ている。いや、髪の色以外は全く瓜二つ。

もう二度と会うことも、声を聞くことも出来ない、あの人と同じだと恭一は思わずその顔を見て固まった。


「咲…」


「…大きくなられましたね。坊っちゃん」


「……ふざけるな」


こんなことが、あるわけがない。恭一は腕から広がる欲望の誘惑の熱と、痛みを抑えながら背後でただ傍観しているらうに振り返る。


「また会えると、思っていませんでした。大きくなられた貴方を、この目で見られるなんて。…恭一坊っちゃん」


子供の頃のまま、清らかなままで、死んだ人間が生き返るはずがない。


あの時、あの日、彼女は死んだのだ。


稽古から家に帰る途中で起きたあの厄災に巻き込まれて、自分を庇って無惨な姿で死んだというのに。


「一体…何をした」


「ははっ、凄い。感動の再会ですね。震えるほど喜んでいただけて何よりです」


「何をした!!!!」


 恭一は滅多に荒げることのない怒号でらうへ怒りをぶつける。憎しみと苦痛が彼を襲う。呪いがその餌を食い、この現実の世界へ干渉する赤黒い霧のウェーブを発し始めた。


全く変わることのない微笑みを浮かべながら、らうは口を開いた。


「僕の愛しい人のお願いで、死者を複製する試みをしていまして。その仮定で作ったプロトタイプだよ。あの厄災の後、その材料を探しに僕は日本に来てたんだけど、その中でいくつか形になるようなものを拾ってね。貴方のお世話係の彼女もそうだった」


 その材料というのは一体何であるのかを口にはしなかったが、遺体というなら何処の段階で回収したのだろうか。咲の遺体はすぐに弔われたと恭一は聞いていた為、この男がどの段階で手を出したのか分からなかった。


「魂の複製は難しいんだ。よほどこの世に未練がなかったりしないとね。でも彼女は、死んでまで守り通したものへの未練やエバの痕跡が良い状態で残っていた。生前の記憶も姿も、よく複製出来た。破棄するのも勿体無いし、僕の所で働いて貰っているんだよ。あ、そうそう、森の中で魔物を集めて貰ったのも、彼女ですよ」


「とことん胸糞悪い趣味してるね…。吐き気がするよ。今まで感じなかったのが不思議だったくらいに」


恭一は本気で嘔吐しそうな衝動にも耐えるが、呪いはこれ以上、自分の力で耐えられそうにない。腕につけていた腕輪が弾けた音をし、地面に落ちたのを咄嗟に拾う。


しかし、その不意を突かれて、背中を向けていた咲からの突きに気づくのが遅れた。


「ぐっっ…!」


脇腹に激痛が走る。なんとか急所は避けられたものの、冷たく鋭い刃が身体のなかを抉る激痛と染み出る血がボタボタと落ちる。警棒降って払い、傷口を抑えて背後の咲を見ると、彼女は変わらず安らかな表情で血に濡れた刃を向けていた。


「とても大きい背中。私よりも小さかった貴方が、こんなに立派に、大きくなられた。強く、なられました。…さあ、坊っちゃん。もっと、強くなられてください」


この私を、殺してでも。



_____




夜会の会場はパニックに陥っていた。何人かの招待客が突然、狂気に駆られて暴れ始めたのだ。

すぐに衛兵が集まって暴れた者を捉えたが、前触れもなく、次々に他の人間が発狂し始め、料理用のフォークやナイフで人を傷つけ始め、中には罵倒の言葉を発している者もいた。


 アイテルと神々は察知していた。偉大なる者の遺恨が残した呪いが、この場所に影響を与え始めていると。


「!!これはまさか…アイテル様、こちらに!早く避難を!」


「…!!」



 左手に強い痛みと熱を感じ、アイテルは恭一に何かあったとすぐに察し、席から立ち上がる。そして、アイテルを避難させようとしたミツキの手を掴んで、急いで指示を書いた。


この場に美の女神に仕える美神、カリステスと呼ばれる三神がいる。これ以上大事にならないよう代わりに対処してくれる事だろう。ミツキには、この場にいる人間の避難誘導とすぐに祈り柱や神官を呼び寄せてと指文字で伝える。



「アイテル様…!?」



 私の事は心配しなくていい。すぐに戻ります。そう言葉を書いて、ドレスの裾を持ち上げて走り出す。


「お待ちください!!アイテル様!!どちらへ!!」



 ここまでよくついて来てくれた恭一のたまの息抜きの為にと、少しは自分の側から離れても良いだろうと許したのが間違いだったと後悔しながら、ポニーテールの結び目に着けたティアラの重みとドレスの裾に邪魔されながら、恭一の気配を追う。そう遠くへは行っていなかった。


先程の喧騒が嘘のように静かな場所で、アイテルは見つける。


呪いから発せられた瘴気が、咲き誇っていた周りの草花を枯らし、血の臭いが辺りを充満している。


その向こうで、恭一は一人の長髪の女性に追い詰められていた。手すりが壊れて無くなっている場所の間際まで、恭一は腹から流れる傷口を庇う暇もなく、呪いを背負いながら狂いかけで攻撃を必死に受け流していた。


あの後ろは、海だ。しかもかなり高さがある。落ちたら生きていられない。


 アイテルは駆け出す。胸にあるオリハルコンのペンダントを握り、エバヘ呼び掛ける。

すぐ近くにあった噴水の水がこの呼び掛けに共鳴し、弧を書くように宙へ浮いた後、鞭のようにしなり、恭一を襲っていた女を打ち払い、そのまま水が彼女を包んで捕らえる。


 止めなさいと叫べもしないまま、アイテルは恭一の身体に抱きつくように駆け寄った。

埃も染みもない綺麗な衣装に恭一の血が滲んでも関係なかった。アイテルは恭一の顔を両手で包み口をパクパク動かす。


恭一の瞳が赤く染まっている。そして意識が混濁しているようで、アイテルにあまり反応しなかった。



「これはこれは。真王アルミサイール…アイテル様じゃないですか」


 アイテルは恭一の身体を庇うように抱きながら、背後の少し離れた先にいるらうを見る。らうは、女を捕らえている水に対して何かを唱えると、水が蒸発し、中の女が解放されて、再び刃を構えている。

それをアイテルは、きっと目を強く見開き、赤い目をより一層色濃く魅せていた。



「…貴方は、罪深い存在です。女王ニュイワンがよく言っていました。貴方は自分と同じく、産まれるべきではなかった存在だと。…僕はそうは思いません。冥冥メイメイが産まれ、出会い結ばれることが出来たのは、大いなる喜びだから。でも、貴方と言う存在がある限り、冥冥メイメイはずっと、あのクーロンの中で、生き続けるしかない。貴方と、エバがいる限りは」


 らうはここに来て暗い表情を見せ、黙っているアイテルにそう語りかけて、最後にこう告げた。


「だから、貴方には死んで貰わなくてはいけないんです。確実に。エバの器として、子宮によって死ぬことが簡単ではない。でも、確実に死ぬ時まで待っているのも嫌ですし。どうせなら貴方と子宮、両方長く死んで大人しく次の機会を待ってくれた方が助かるんです。…なので、このままここで、その人と一緒に呪いを受け入れて、死んでくれませんか??」


「………」


 アイテルは恭一を見つめる。まだ恭一は呪いに抗っていた。天使に護られているおかげか、死に至るまではまだ時間がある。


何を思ったか。アイテルは恭一の身体を強く抱き締めた。生ぬるい血が肌にまで濡れようとも、ぐっと強く力を入れて抱き締め、そして彼の身体をそのまま海の方へ押した。



「……まあ、そうだよね。素直に死ねって言われて、死ぬわけがないよね」


らうはゆっくりと、赤く朽ち果てた芝生と土を踏み、アイテルと恭一が落ちていった海を見下ろした。

後ろにいた咲が武器を降ろし、暗い海を眺めてらうに話し掛ける。



「追いますか?」


「いや、いいよ。思ったより、しぶといねー。こりゃ、大元に辿り着くのはまだ時間がかかりそうだなぁ。君も、またあの人に会いたいでしょ?もう少し経過を観察しようか」


「…はい。ゴーワン



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