第18.5章 狂い火の王
____18年前 日本国京都 午後20時___
「お腹空いた」
「えぇ。すっかり遅くなってしまいましたね」
「やっぱり食べて帰ろうよ」
「お家で食膳係が坊っちゃんのために食事を用意して待ってはりますから。もう少しご辛抱ください」
「……」
車に揺られながら、疲労と空腹感に苛まれてイライラする少年は、幼き日の恭一だ。
今日は遠方に住む叔父の元へ行き、そのまま習い事を済ませてからの帰宅で疲れていた。
専属の運転手、街から少し離れ、暗い夜道が見える窓の外、隣には桜色の着物を着て艶のある黒髪を後ろに結い上げている世話役の咲が座っていた。
「
「……うん」
「帰ったらお礼の電話を致しませんと。また遊びに来て欲しいって仰ってましたよ」
「分かってる」
叔父の話よりも早くご飯が食べたいと思っていたが、後もう少しで着くと言っても長く、咲の会話に上の空だった。
咲は恭一に何か話し続けていたが、やがて彼女のスマホが鳴り、耳に当てて話し始めた。どうやら家の誰かからかかってきたらしいと恭一は察する。
まだかな、早く着かないのかなと繰り返し思いながら、少しだけ目を閉じた。少しの間、目を瞑ってじっとしていた間に、車体が大きく揺れて起こされた。
「んん?今のは…」
「地震…?どうかしましたか?」
「いや、今、目の前を…」
突然揺れた地震に、運転手が何かを見たようで動揺しているのを、咲が話し掛けて聞いている。
夜の闇の中で、恭一は窓の外を見たが何も見えない。しかし、再びグラッと揺れる車体、遠くから、金切り声を上げる叫び声が響き渡った。
「…?咲、今の何?」
「何でしょう…?地震、だと思いますが」
「なんか今叫び声が聞こえてきたけど」
「叫び声?」
「うわぁぁぁぁぁっっっ!!」
運転手が叫び声をあげた。その悲鳴に二人は前を見る。前の窓には本来あるべき風景も闇もなく、ただ赤い目をギョロギョロと動かす、異形の何者かが覗いていた。
突然の事に、咲は口を抑えて動揺し、恭一は呆然とその化け物を見る。運転手は何とかハンドルを狂わせないようにしていたが、叫び声をあげたのが気に障ったか、ガラスを鋭利な触手が突き破り、まずは運転手の頭を貫いて殺した。
車はコントロールを失い、近くの電柱へと激突する。シートベルトをしていた為、外に体が投げ出されずに済んだものの、衝撃により頭と視界が眩む。その視界の中で、恭一は、運転手の身体がずるずると引きずり出され、異形が連れていくのを目撃し、大量に飛び散った血痕と、脳と眼球の一部が膝にべっとりとくっついているのを見た。
「坊っちゃん!!恭一坊っちゃま!!」
咲も衝撃に頭をやられながら、着物が乱れながら恭一の身体を急いで抱き締め、隣のドアを開けて車から脱出する。
「良かった…お怪我は??痛むところはありますか??」
「ない…。でも、逃げないとまずいんじゃ…」
「そうですね、さっ、行きましょう」
咲の華奢な身体に護られながら、車の外へ出た恭一は、すぐ傍で嫌な音を発てながら死体を食っているであろう化け物の後ろ姿を見る。
死体に気を取られてる間にと咲は華奢な身体で恭一の手を取り、その場から走り出す。
まだ街からそんなに離れていないはず。家の方面には向かわず、人がいるだろう街の方に走り出した咲は、急ぎスマホで連絡を取ろうとするも、混乱してちゃんと指が動かず、なかなか手こずっていた。
「良いですか、絶対振り向かないで走ってくださいね!!」
咲の表情は恐怖に歪んでいながらも、恭一を気にかけて気丈に振る舞おうとしていた。恭一は手を引かれながら彼女と共に走るが、やがて助けを求めるという希望を打ち砕かれる事になる。
すでに、近くにあった街も崩壊していたのだ。炎に包まれ、阿鼻叫喚の声が辺りを包み、空や街には、赤い目を持つ異形の姿が蔓延っており、車の残骸や人の無惨な死体が郊外にまで散らばっていた。
「…どうなってるの?」
恭一はただただ呆然と咲にそう聞くしかなかったが、咲も答えなど当然知らない。それでもよく、幼い子供に八当たらなかったものだ。
「っ……先程、本家にだいたいの位置を伝えてあります。助けが来るまで何処かに隠れましょう!!」
「あれ何なの?ついさっき通った場所なのになんで…」
「行きましょう!早く!」
咲は恭一の手を引いて再び走り出す。さっき車で通って何もなかった場所なのに、何故こんな短時間でこんなことになったのかも、理解できないまま恭一は連れていかれる。
その途中、マンションの上から何か光るものが見え、それは光線となり地面を一本線に焼き尽くす。再び地震が起き、足元がふらつきながらも、何とか二人は走って逃げる。
炎に響き渡る絶叫と罵詈雑言の言葉が聞こえた。身悶える憎しみを吐き出す叫びに、恭一は思わず立ち止まり、振り向き、閃光が出ていたマンションの上を見る。そこには、人の形をした後ろ姿があった。
叫び、嘲り、この地獄を生み出し、高らかに笑っていた。
その存在に、彼は引き込まれる何かを感じた。思考と意識の中での結び付き、出会わなければいけなかったものがそこにあると感じたのだ。
向こうも、恭一に気がついたように振り向く。
その者の、赤い瞳が彼を捉える。憎悪と悲しみに満ちた目が、恭一と見つめあった。
「恭一坊っちゃん!!!!!!」
恭一は立ち止まった真上から、瓦礫が雪崩れて落ちてきているのに気が付かなかった。
____再び意識が戻った時には、身体の上の重みに圧迫されながらも、べっとりと肌にまで濡れる生暖かな血と、髪の毛の下に恭一はいた。
朧気ながら上を向いた彼の視線の先にあったのは、咲の項垂れた頭と、ぐちゃぐちゃになってしまった身体があった。
自分は、護られたのだとその時初めて分かる。咲一人の命と引き換えという代償に。
消えていく意識の中で、自分の前に近寄る足元が見えた。
赤い瞳を持つ者が、瓦礫の下に埋まった恭一を見下ろしていた。その表情は、憎しみを吐き散らしていた殺戮者の顔とは思えないほど、悲しげであった。
___「恭一。…君は、私が何に見える?」
「……金髪で、青目で、羽が片方だけ生えてる」
「おー。よく分かってる。さすがは私の恭一」
「…俺は…」
「大丈夫。君には私がついてる。まだね、君は、死にませんよ」
天使は幻想の世界で恭一の頭を膝に乗せ、母なる抱擁と共に悪戯に微笑んでいた。
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