第9.5章 隠した痛みを忍ぶ

「よう恭一。馬小屋まで来て、どうした?」


「執事が呼んでる」


「あー…まずった。忘れてたわ」


 ジュドーからハルクマンを呼ぶように言いつけられて、彼のいる馬小屋に足を運んだ。


 警護以外の仕事はやらないと楯突いたが、行かないならこのまま部屋に戻して鍵をかけようかと言われ、しぶしぶ、不機嫌なオーラを醸し出しながら、彼を呼びに来たのだ。


「その様子じゃ、使い走りにされたって感じか。気にするな、あいつは皆に同じことをやる」


「帰る前にはぶっ飛ばそうと思ってる」


「それも皆思ってるから安心しろ」


 ハルクマンは笑いながら恭一の気を静めるような事を言い、持っていた桶と道具を置いて、近くにいた馬の顔を撫でた。

恭一が来たことで、馬達がざわつく。あまりここにいると、興奮して暴れだすかもしれないと思い、馬小屋から出て、近くの水場で手を洗うハルクマンを待つ。



「お前もやるか?動物の相手は上手そうだしよ」


「臭いが移るからいい。…ねぇ、ちょっと聞きたいんだけど」


「そう言って、俺を襲うなよ」


この間それで襲われたって、兵士が嘆いてたぞ。と、ハルクマンに言われる。部屋から脱け出すために兵士の二人を気絶させた話も、広がっているようだ。



「アイテ…真王の事だけど」


「あいつがどうかしたか?」


「おせっかいで馴れ馴れしい」


「お前もジュドーと同じぐらい遠慮がねぇな」


ズバリとこの国の王であるアイテルをそんな言い種にする恭一に、ハルクマンは困った顔をしながらもおおらかに笑って答えた。



「天然なんだよ。手厚く守られて育ってきた箱入りなもんだ、世間を知らなくてな。俺達ビーストに偏見を持たず、危険も承知で助けてくれた。おっとりしてるだろ?あぁ見えて魂胆はしっかりしてんだぜ」


「…助けてくれたというのは、どういう事?」


「俺みたいなビースト種は、差別が激しくてな。今はそれほどでもねぇけど。住める場所ってのが限られてたんだ。ある時、ビースト発祥の唯一の国だった場所が、妖王あやしのおうに進軍されて、乗っ取られたんだよ」


妖王あやしのおう


 ウラノスよりも下の階層、冥界に近く地獄に等しい領域である煉獄の王。全ての闇を支配する、破滅の者と、呼ばれる。


 アイテルが真王になる前から起こっていた戦争は、その妖の王との戦い。種滅戦争とも呼ばれる。ハルクマンの種族が発祥した地は、その王の支配する悪魔とは違う魔物によって、滅ぼされたのだと言う。


 国を追われ、ハルクマンとその一族達は黄昏の森というアクロポリスに近い森に身を潜めて暮らしていたところ、真王に即位したばかりのアイテルがやって来たのだと説明された。


「それで色々あって、俺がここで働くことになったわけだ」


「…そういう手助けというのは、誰にでもしてるの?」


「昔のあいつだったら、するだろうな」


「昔?今もじゃない?」


「そんなことねぇよ。意外と今は昔と違って、なんつぅか…ジュドーに似てきたんだよな。変わらないって事はありえないが、あんなお上品に、ですわ~なんてタイプじゃなかったのに。今は何考えてんのか、分からなくなっちまったよ」


「……」


 俺も分からない。と言いかけた言葉を留める。何でアイテルの事を聞くんだ?と聞き返してきたハルクマンに少し黙った後、再び恭一の口が開きかけたが、何も言わなかった。


自分よりも先に死ぬなって、言われたことはあるか?

そう聞く事自体が、間違っていると直前で気がついたからだ。


 所詮人間、自分の事を一番に優先するだろう。自分が死ぬかもしれないと分かってて、人にそこまで言えるもの?


 理解が及ばない。自分の命以上の命など、あるのかと言うことに。そこまで他人が大事だと思ったことがない恭一は、アイテルが自分を気にかける理由が分からなかった。まだ知り合って一週間も満たないと言うのに。


「アイテルと何かあったか?」


「別に。………眠りながら噴水の中に入ってた事以外は」


「またあったか。いつもならジュドーが先に見つけるのに、珍しいな」


「前からなの?早く治さないと、刺客に後ろから刺されて見つかっても知らないけど」


 夢遊病になったということは、本人は全く気づかないものだ。周りに人がいない時、意識のないままベッドから抜け出して歩き回ってしまうのだから危ないと言うものの、医者も魔法使いとやらも、完治まではいかなかったとハルクマンは言った。夢遊病の原因が相当酷かったからだと。


「最近は聞かなかったんだがな。色々不安が出てきたんだろ、なかなか治るものじゃない。よし、ジュドーを待たせるとうるせぇから行くか」



 話を終えると、ハルクマンと共にジュドーが戻ったとされるアイテルの執務室の方に向かう。

向かっていた途中、執務室に近づいてきた所で、曲がり角からバッと二人を待ち構えていたかのように、銀色の髪をした少女が現れた。



「止まれっ!!」


「おぅ?」


少女から二人に放たれた言葉に、ハルクマンと立ち止まる。フェンシングで着るような細身の体のラインが見える胴着姿で、常に目を閉じる少女の手には子供用のサーブルが握られていた。

目を閉じているのにも関わらず、つかつかと恭一の目の前まで歩いてきて言い放つ。



「貴殿がという者であるな!私と勝負しろ!!」


「………」


 いきなり出てきてなんだこの子供は。と、真顔ながら冷静に心の中で呟く恭一。

 出会い頭に喧嘩を売られた事は、学生時代とアメリカで就職して以来何度かあったものの、恭一の人となりとその強さを知ってすぐに無くなってから久しい。今度は少女にまで売られるようになったか。


ハルクマンは、その少女が誰であるのか分かってるかのようで、驚いたように耳を立てながらも、彼女に話しかけた。



「ジャ、ジャンヌ王女?いきなり何をしてんですか?」


「聞いたぞ!新しい守護者なのだろう?オラトより来た強者であり、母上を数百の敵より命を守られたと!その実力が本当であるならば、手合わせ願おう!!」


「おいおいおいそれはちょっと待ってくださいよ」


 何処からどう話に尾ひれがついたのだろうか。このいきなり少女は、そんなとんでもない数を相手にしたと本気で思っているらしい。流石にそんな数を目の前にしたら、状況判断からしてすぐに逃げるが正しいだろう。



「何を黙っている!子供だと思ってバカにするな!!私はジャンヌ。ジャンヌ・ディマリア・プラウド=ポセイドニア!偉大なるエバと剣神が娘!」


「…あぁ、君もなの。忙しいからあっち行ってくれる?」


「お前、ぶれないな」


 王女相手に真顔で軽くあしらう恭一に、目上の階級には一応の敬意を払うジュドーとは違い、全くぶれない対応に若干引く様子を見せるハルクマン。

ジャンヌは恭一に全く相手にされてないと見ると、ますます燃え上がってサーブルを握る手を強く握った。


「問答無用!!えいっっっ!!」


 ブォンッと素早く風を切って振られるサーブルに、恭一は手も足もほとんど動かさず難なく避ける。


 少女の振るう手付きと姿勢、次の手を繰り出す動作を見ながら、恭一は攻撃を避け続けた。


 恭一にとって、この攻撃を避けるのは簡単なものだったが、おおよその見た目の年齢、目を閉じており、おそらく盲目である少女にしては、剣のふるいや突きにキレがある。

 見えていないのに、自分に向かって的確にサーブルを振るう空間把握能力は大したものだと内心感心していた。


 何故自分に勝負を挑んできたのかまるで意味が分からなかったが、彼女が突きを放った隙に後ろに素早く回り込み、軽く腕を捻ってその場にねじ伏せた。


「ぐっ!くそっ…速い…!!」


「恭一!!放せバカ!!王女だぞ!!」


 少女の背中に体重をかけ、動けないようにした恭一に思わずハルクマンは慌てて駆け寄る。こんなところを他に見られたらまずいと焦るハルクマンを無視し、悔しがる少女の後頭部を眺めながら、恭一はジャンヌに告げた。



「君、目が見えないの?」


「……だったらどうした!!目が見えなければ、なんだと言うのだ!!」


「別に。それでここまで俺に向かって剣を振れたのは、耳か鼻がいいんだろう。けど、当てずっぽうで無作為に振りすぎてるし、動作が雑。人に勝負しかける前に、もっと練習積みなよ」


「っ……」


 それだけ言って手を放し、立ち上がった恭一。ジャンヌも悔しそうにしていながらも、恭一のいる方へ顔を向けて立ち上がろうとしているところで、曲がり角から気配が現れた。



「そなた、見事であった。娘には、良い教訓となっただろう」


 盲目の少女に似た銀髪の髪に、マントを羽織った灰色の軍服の男。顔の左側には三本線になぞるような傷跡があり、腰には剣を差している。恭一は、悪魔か天使にも似た雰囲気をその男から感じ取った。


 黙って恭一はその男と対峙すると、彼の背後には三歩下がってついてきていたアイテルの姿にも気がついた。


「そなたが、真王陛下の新しい守護者であるか。それがしの娘が無礼を働き、申し訳ない。ジャンヌ、何をしておる。無様に負けた上、礼もせぬか」


 恭一に謝った後、厳しい口調で床に倒れた娘に対して渇を入れた男と、床から立ち上がろうとする姿を見て、恭一は、幼少期に自分も同じような叱責を、父親から受けたことを思い出す。


 誰であっても最初は皆初心から始まるものだ。手も足も出ない所から、無様な仕打ちを受けて、強くなるものだと恭一は知っている。


その屈辱を糧に立ち上がり、床に落ちた剣を手探りで拾う少女もまた、その過程なのだろうと。


「ご指導、ありがとうございます。守護者殿」


「…避けてただけだよ」


 恭一はそう素っ気なく告げた後、悔しそうにしている表情を隠さないジャンヌをじっと見下ろす。



「そなたの守護者に無礼を働き、誠に申し訳ない。ジャンヌは、少々熱くなりすぎる。おまけに、あしらわれて帰ってくるとは…」


「いいえ、まだ子供なのですから、興味のあることに戯れたくなるものですわ。ジャンヌ、こちらにおいで」


 アイテルの呼び掛けに、ジャンヌは「母上」と呟いて反応し、アイテルの方に駆け寄った。


「あらあら、埃だらけです。恭一さんに遊んで貰ったのですね。いかがでしたか?」


「速かったです。兄上にはちゃんと当たってたのに、あの方には全く当たりませんでした」


「まぁ!お兄様に?またお強くなったのですね!よく頑張りました」


 少女の目線までしゃがみ、ハンカチで彼女の顔を拭きながら話を聞くアイテル。


その姿に、恭一は幼少の記憶の中にのみ存在する自分の世話役だった女性の姿を重ねた。


『よく頑張りましたね、恭一坊っちゃま』


 自分を産み落とした母よりも親しく、血の繋がりもないが育ての母と呼ぶ、世話人の1人だった。

 厳しい稽古の後、師範も父も満足するような結果ではなく、散々な結果にふて腐れる時があっても、唯一よくやったと褒めてくれていた優しく清らかな女性だった事、それが今のアイテルの姿と重なっていた。



「それがしは、ヒュブリス・プラウド=ヴァルファズル。今はプライド領と呼ばれる領域を統治する者。そなたのような強き者は歓迎する、一度訪ねてくるがよい」


 聞いてもいない自己紹介で追憶を遮られた恭一は、ヒュブリスと名乗った男の方を一度見ると、彼はそれ以上恭一に話を持ちかけてける事はなく、これで失礼するとアイテルに振り向いた。


「エンヴィー領へ出向く際は、道中お気をつけなされますよう」


「はい。ヒュブリス様も、お帰りの際はお気をつけて」


「行くぞ、ジャンヌ」


「…失礼します、母上」


「えぇジャンヌ。またいらっしゃいね」


 アイテルはジャンヌの頬を撫でてから送り出す。盲目の少女は父親の背中を追いかける間際、恭一に軽く会釈してから立ち去った。

見ていたハルクマンは、長いため息をついて、安堵したように肩の力を抜いた。


「あー…死ぬかと思った」


「あら、どうしてですの?」


「容赦なく床に組伏せたんだぜ、こいつは。しかも、プラウド公が傍にいる時に。斬り殺されるかと思った」


 ハルクマンの目が恭一に向く。恭一はじゃあどうすれば良かったのかと逆に聞きたいぐらいだったが、アイテルは何も気にしていなさそうにほんわりと答えた。



「むしろプラウド公には、それが好印象でしたわ。ジャンヌにも。お相手していただいて、ありがとうございます」


「あれが、君の旦那?」


「イブリシール同盟国の王の一人、プライド公です。イブリシールの中でも随一の剣豪でございますのよ。ジャンヌは、生まれつき目が不自由な為、周りに追い付こうと常に余裕がない子ですの。お相手していただいて嬉しかったと思います」


 アイテルとヒュブリスの二人は、夫婦という関係性には見えないほど二人の接し方は親しくも壁があった。政略的なものというのだから、ただそういう関係性であるに過ぎないのだろう。



「ところで、お二人一緒にどちらへ行かれる所でしたの?」


「何処って、ジュドーに呼ばれて来たんだよ俺は」


「ジュドーなら私の執務室にいますわ」


「そうかー。わかった」


 じゃあ行くわと頭を掻いて歩き出すハルクマンの後ろについて行こうとする恭一をくっと何かが引っ張る。振り返ると、アイテルが腕の袖を摘まんで引き留めている。


「何?」


「恭一さんは、私と一緒にいらしてくださいな」


「なんで?」


「一緒に休憩致しましょう?」


「休憩は一人でとれるからいい」


「そう仰らずに」


 アイテルの誘いに対して、休憩は一人で取ると言う恭一の素っ気ない返事にも関わらず、鼻唄を歌いながらそのまま自身の庭園まで連れてくる。いつの間にか、茶菓子まで用意されていた。まるで恭一とお茶を楽しむのが決まっていたみたいに。


「一人でお茶をするのは、寂しいんですもの」


「…お茶会がそんなに好きかい?」


 ちょっとうんざりしたように恭一が聞くと、アイテルは2つのカップに用意されたお茶を淹れながら答えた。


「好きか嫌いかと言われましたら、好きですけれど、恭一さんはお嫌い?」


「好きじゃない。特に生産性もない会話をするだけされて、笑って聞いてなきゃいけないならね」


「ま。私と同じですわね」


「…今がそうだと思わない?」


「いいえ?だって恭一さん、一度も笑って聞いていらっしゃることありませんもの」


アイテルにそう返されて思わずムッとした表情をするも、諦めたようにため息をついた。


「公務でそういったお茶会に参加する事はありますけれど、それと今とでは全く違いますのよ。好きなことを好きなようにお話なんて出来ませんし」


 恭一は一口、アイテルよりも先にお茶に口をつける。りんごに似たすっきりした味わいが口に広がり、カモミールティーということが分かった。


「今は私も、気兼ねなくお話が出来ますわ」


「君が一方的に話してるだけだ」


「黙っていても、聞いていただけてるでしょう?」


「話し相手が欲しいのか、聞き役が欲しいのか、どっち?俺はどちらにもなるつもりはないからね」


 恭一の冷たい返しに、アイテルはぼんやりと目を丸くした。


「不思議ですのね。ただお喋りするのに役割が必要ですの?」


「そういう意味で言ったんじゃない」


 俺はこれ以上交流して仲良くなる気もないと突き放しているのに、どうしてこうもいちいち馴れ馴れしいんだ。と、言いたくなった言葉は何故か出てこなかった。


 それを言うと、また「面白いですわね」と笑われてからかうアイテルの姿が浮かんだからだ。腹立たしい、いつもなら興味をなくして向こうから離れていくのに。ここまで冷たくしているのに、なんで不愉快な顔一つしないんだ、この女は。と、ますます苛立ちを募らせた。


「そういえば、弁慶さんが仰っていましたわ。恭一さんは、一人で何かされている方がお好きで、社交は苦手だと」


「…いつ弁慶と話した?」


「朝食を一緒にいただきましたのよ」


 いつの間に弁慶とまで交流していたのか。しかもそんなことは弁慶から何も聞いていない。これ以上余計なことを言っていないといいが。そう頭の中で思う恭一に、アイテルはお茶に口をつけながら言った。


「弁慶さんは、とても恭一さんをお慕いしておいでですのね。ご学友でもあられたとか。弁慶さんの方が年下というお話は、少し驚きましたけど」


「…勝手についてきてるだけだよ」


 アメリカにまでついてくるとは流石に思ってはおらず、大学に入って3ヶ月ぐらい経った後に教室に現れた時は、さすがの恭一も「キモい」と一言が出るほど驚いていた。


アメリカの大学は入るのはまだ容易と言えども、恭一が入ったのは随一秀でた者だけが入るような場所、弁慶がそこに入って卒業をするのにどんな手を使ったのか、知るよしもない。


「お人柄故ですのね。あのようにお慕いしてくださる方がいらっしゃるのは、良いことですわ」


「あれの場合、一周回ってキモいけど」


「そう思っていても、貴方は彼を見捨てなかったのでしょう?だからこそ、慕われるのだと思いますわ」


「何を聞いたの?」


「色々ですの」


「弁慶…」


 クスクスとアイテルは笑い、内容は知らされなかったが、恭一は後で弁慶に制裁を加えようと決めた。それ以上に、アイテルが自分に向ける興味と笑顔に、ますます苛立ちを募らせる。


厳密に言えば、苛立ちというよりも何か別の感情のような気もしたが、このもどかしく、煩わしいのは初めて感じることにも思えた。



 反対に、アイテルは恭一の変わらない様子に安堵し、彼に見られない位置で左手にじわじわと染み込んでくる痛みに耐えた。


引き受けなければ。出来る限り。


 伝える事の出来ない痛みも言葉も、自分の意思も、何もかもを飲み込んで。ただ一人、この人を生かす為に。



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