赤い瞳の者
第13章 夕闇に消える夢
失われたはずのものが、本当は失われていなかったとしたら。
深海と幻想の果ての向こうで、時は進まないままそこに残っていたとしたら。
この世界には、その遺物がよく見られる。一万年も前に失われた幻の文明、アトランティス。今は絶滅したとされる種族、古い文化と葬られた歴史に概念。
最も死に近くも、
喧騒のない静けさ、廃墟一歩手前のコンクリートのビルが建ち並び、無造作に宙を行き来するケーブル、明かりの点いていない電子看板、昔の香港の町並みの一角のような光景が広がる。
確かにそこは、アクロポリスや紅嵐とも違う、オラトと言われる自分のいた世界にいきなり戻ってきたかのような情景だった。
人はいないが、建物のビルの上、観葉植物や洗濯物など生活感が漂うベランダや、軒下の階段の下から多くの視線を感じ取った。
異様なのは確かだ。ここがまだ
「まるで本物やないですか…」
「そっくりなだけの偽物かもね。こういう光景、香港じゃ珍しくない」
周りの気配を警戒する弁慶と共に、アイテルの場所の側から、前方でジュドーとまだ10代とも思える中国系の顔立ちをした男と何か話し合っているのを眺める。
何を揉めているのかは分からないが、ジュドーに対して強気に何かごねているらしい。
「若。俺達が今いるここって、もう元の世界なんじゃないですか?いきなり古代文明から現代に帰ってきた感があると言うか」
確かに弁慶の言う通りでも、ここは元の世界でも、今いる世界とも違う。恭一の直感が働く。
この先、
恭一に見えたのは、人ならざる者、神と呼ぶには堕ちてしまっている者。魍魎とでも呼ぶべきものなのか。それが、大量に蠢いている。
あらゆるいわく付きの場所を見てきた恭一だったが、この先には出来ればあまり足を運びたいとは思わなかった。近づけば、けしてろくな目に合わないと。
しかし、険しい表情で戻ってきたジュドーが、恭一に一緒に来いと声をかけて、アイテルの待つ馬車に二人で乗った時点で、その警告を破らなければならない事になったと知る。
「私が領土内に?本当に、そう仰っているのですか?」
アイテルも目を見開いて驚いた表情をする。まさに予想外だったのだろう。ここについて早々、
恭一とアイテル、二人だけで来いというものだった。
「話が違う事、おいそれと指定できる立場にあるのかと抗議したのですが、でなければなしだとの一点張りでございまして。犯罪の巣窟に護衛もなく真王が足を踏み入れるなどありえません。愚か者どもの要求を拒んで引き返し、我が国の誇る古代兵器、ジャッジメントを撃ち込んで灰にしてやるのがよろしいかと」
「ジュドー、こんなことでジャッジメントなんて撃てるわけないでしょう?」
「では、核に致しますか?」
「ジャッジメントより威力弱めてって意味じゃないのよ??」
ジャッジメントというものが一体何なのか分からない恭一だったが、すれ違ってる会話から察するに、核爆弾に匹敵する何かなのだろう。ちょっと相手が身勝手な要求をしてきたというだけで、そんなもの撃ち込もうとするとは正気じゃないと恭一は密かに思った。
「確かに変ですわね。あの人、私には特に入ってきて欲しくないって感じですのに。急にお招きいただけるなんて」
「何で向こうは俺を知ってる?言ったの?」
「何処かで聞きつけたんだろ。エンヴィー領は特に、九龍城砦の輩がそこらじゅうにいる。別に驚かない…が、これは、流石に無理だ。アイテル様とお前二人では行かせられん」
「それについては同じ意見だけど、情報はどうなるの?ここまで来て収穫ないのは流石に俺としても困るんだけど」
この境界でさえ、物陰からこそこそ見ている数が多い。いくら恭一でも、アイテルを守っていられると断言出来なかった。元の世界の九龍城砦と一致する場所なら尚更。
アジア最大の犯罪の巣窟であり、各国の諜報機関や中国当局の人間でさえ入り込む事が困難だった場所なのだ。
しかし、手がかりになりそうな事があるかもしれない場所がここしかないことも踏まえて、アイテルは少し考えた後、口を開いた。
「分かりました。要求を飲んで、足を運びます」
「何を仰いますか!おやめください!」
「時間がないのです。このままアクロポリスに帰っても、振り出しへ戻るだけですから。それに、私を守ってくださる者達がこんなに大勢いますのに、彼らも酷いことはしないでしょう」
「陛下を人質に取られれば、我々も何も出来なくなります!どうかお考え直しを」
ジュドーの言う事は最もだが、アイテルもこのままここに来て帰るなんて時間をただ取られただけの事にはしたくないらしい。中に入れば高い確率で何かされる事は確かだ。足元を見て無茶な要求をして、真王を誘き出そうとしているようにしか見えない。見え透いた罠だ。
でも、それならば、恭一もわざわざ指名する必要はなく、アイテルだけを呼び出せばいい話だ。向こうもただ変な思惑で予定を変えたわけではない事も、恭一は考えた。
恭一は一度馬車の外に出ると、外で待っていた弁慶に声をかけた。
「弁慶、作って欲しいものがある。すぐに」
「どうかしましたか、何をです?」
「これで出来るだろう。やって」
恭一はポケットから取り出して弁慶に渡し、受け取ったものを見て、すぐに取り掛かると弁慶は意気揚々と告げた。
ーーーーーーー
約15分後、相手の要求通りに恭一とアイテルは九龍城砦との境に立ち、腕を組みながらダラダラと出迎えた一人の青年にジロリと見られながら立っていた。
「ご要望通り、私達二人でお会い致します。お取り次ぎ願いますか?」
「…
青年は手元の機器に話し掛けると、しばらく画面を見た後に、再び二人の方に向き直った。
「ご案内します。真王陛下並びに、守護者。こちらへ」
男は踵を返し、コンクリートの地面の上を進み、ビルとビルの間の開けた道を進み始める。
アイテルは恭一の腕に手を回し、後ろで不安げに見送るジュドー達の方をちらりと見ると、二人で領域内に進み始めた。
喧騒のない静けさ、相変わらずあちこちに感じられる無数の視線と気配。そして、この向こう側に近づく度に妙な気持ち悪さを感じさせる。
「私も、ここには入ったことありませんの。何度かこの辺りまで来たことはあるのですが。不思議な場所ですわね」
「不気味、の間違いじゃない?」
「そうとも言いますわね。…たくさんいますの、感じますか?人も、そうじゃないものも、たくさん。ジュドーが嫌がるわけですね」
アイテルもこの異様な何かを感じ取ってるらしく、いつもの調子の如くふんわりしていたが、不安げに回す手に力が掛かっているのに恭一は気づいていた。
「城じゃないんだから、離れないでよ」
「分かっていますわ。こうしている方が、私も安心です」
「そう」
ジュドー達の視界から外れてから、離れるなの忠告もする必要がない程密着して歩くアイテルの耳を、恭一は何気なく横髪を指で触るようにして確認した。
銀とアメジストのピアスがつけられている後ろに空いた耳たぶの穴にはもう一つ、よく見ないと分からない小型の盗聴器が付けられている。
弁慶が即席で、恭一から渡された壊れた通信機のパーツで作ったもの。即席の為、いかにもガジェット感の目立つ見た目のカモフラージュの配慮はないが、髪の毛の長いアイテルの髪型を変えて隠せばいいだけの話だ。
鈍感だが、手先はとても器用な弁慶は短時間で大抵のものは材料があれば作れる才能がある。何かあったときにすぐジュドー達が飛んでこれるように盗聴機能と、大まかだが発信器も搭載しており、随時位置情報が弁慶のスマホへ転送されるようになっている。
この短時間でどうやってそこまで出来たんだと言う話だが、恭一の為なら無理なものを産み出す錬金術でも有しているのかもしれない。
やがて九龍城砦ではなく、道の途中、赤い弾幕とテントが張られているところで止まった。その周りを、笠を被り札のような紙で顔を隠している奇妙な姿の人間が多く護衛しており、二人が来たのを見ても、微動だにしなかった。
ここまでの案内をした青年がテントに入ると、入れ違いに出てきた赤い衣装の10代の少女が、二人の前に立って胸の前で拳を手のひらで握りながら前に出して一礼した。
黒髪と白髪のメッシュが入り交じった長髪の少女は、キリッとした目を二人に向けて挨拶する。
「真王陛下のお目にかかる事をお許しください。こちらまでご足労いただき、誠に恐れ多く、多大なご厚意に感謝致します」
さっきの無愛想な青年の態度とは違い、丁寧な出迎えを受けて、アイテルは少し黙って彼女を見つめた後にようやく返事を返した。
「貴方は?」
「
早速、テントの入口の布を上げて二人に中に入るように促した
香が焚かれているパンダの置物が側にあるのが確認できる中、奥へと案内されると、ついたての側に、顔色の悪い眼帯の少年が立っていた。
まるで何日か放置された腐乱死体の色にも思える不気味な肌色と生気のない唇、そして、赤い目。その少年が三人がやって来たのを確認すると、ついたての向こうへと入っていった。
「
そう
かつて香港の黒社会に潜んで支配していたと言われる怪物の
もう何十年も前に存在が消えた人物だと言うのに、恭一は身構えながら、アイテルと共についたての向こうへと足を踏み入れる。
中国風の調度品と家具と机、古くも価値のある椅子に腰掛けていたのは、きらびやかな装飾と刺繍の施されているチャイナドレスを着た男。
赤みのある茶髪、漢族なのか3つの宝玉のピアスを左右に飾っている。明らかに男なのだが、華奢な体つきと少し伏せ気味の目、赤いラインの引いた化粧をしており、女性に見えなくもなく優美で何処か妖艶な美しさのある人物。
彼は、入ってきた二人を静かにじっと眺めて、何を考えているのか分からないニヤニヤした表情で、目の前の椅子を持っていたキセルで指し示した。
「どうぞ、座って。来ないかと思っていたけど、安心した。ちょうど茶の湯が沸いたところだ」
「…初めまして、でしょうか?直接お会いするのは」
アイテルが柔らかく微笑みながら彼にそう聞くと、彼は、
「お会い出来て嬉しいわ、
「こちらこそ。こちらから出向くつもりだったんだが、離れられない事情が出てきた。ほら、座って」
再びキセルで椅子を指し示し、アイテルが奥の椅子に座り、恭一が通路側へ座る。ちょうど眼帯の少年が膳を持ってお茶を運んできた時、
彼女を始め、部屋の側にいた気配が離れていくのを恭一は感じ取った。お茶を置いた少年は静かに一礼をして下がったが、二人が見える位置に立ち、じっと待機しているのが見える。
「さて。これは、どうしたものか」
キセルを弄び、椅子の肘掛けに肘をついて恭一の方を見る彼に、恭一は背を伸ばしていつでも武器を抜ける体制で彼に睨み返した。
「…そう構えなくても、とって食いはしないよ」
恭一の視線に気がついていた
「新しい旦那を紹介しに来たわけではなさそうだね」
「あら!そう見えますか??でも残念ながら違いますのよ」
「…」
「上から来た人間だね。君の事は、あらかじめ調べさせて貰ったよ。うちには都合の悪い人間だから」
「それで?」
「その歳で優秀だそうだね。
「お世辞を言われるためにここに来たわけじゃない」
「君の上司達が引っくり返るようなネタが目の前にいるのに?」
「
「共産党の言うことなんて、信じてるの??」
「…正確には生死不明とされてる」
「そうだろうとも。あいつらは真実をひっくり返すのが得意だからね。嘘だって丸分かりでもやるんだから」
いくら時が経っても、とんだお間抜け連中だと言い捨てる
「とんでもないモノを拾ったね真王。最初に言っておくけど、今の貴方が出来る解決策としては、この男を殺すことだけだよ」
「まぁ、皆さん決まって最初は殺したがりますのよ」
「その方が手っ取り早いだろう。実際に会うまでまさかとは思っていたが、まだ遺物に殺されていないのが不思議に思える」
「その遺物の行方を、ご存じではありませんか?この世界に、それを持ち込んだ方の事も」
挑発的な言い方をした
「知ってるよ。そちらが来る2日前までここにいたからね」
「ここにいた?」
隠しもせずにすんなりと答えた
アイテルが倒れずに出発していたら、ここで身柄を確保できていたかもしれないと思ってしまうほど近くにいた。あの男が。
「こっちが探していることは知っていたんだろう」
「私には特に、引き留める理由がなかったしね。実際のところ、あいつから君の事を聞いた。ここへ来たらよろしく言っておいてくれとも」
「何処にいる?」
「教えてもいいけど、基本友達は売らない主義でね」
中立の立場だが、あの男の事をタダで教えるつもりはなく、それ相応の見返りを何か求めていることを恭一は察し、狡猾さの見える怪しい一面を嫌悪しながら
「…条件があるならさっさと言いなよ」
「君は強い
「知ってるのにわざわざ俺から話す必要ある?」
「重要だよ。現代で吸血鬼に素手で殴りかかれる人間は少ない。後は……悪魔ホテル事件か?女子大生の不審死から人間が様々な怪死を遂げて閉鎖されたホテルの浄化、呪われた家の悪霊退治、神降ろしのカルト村…。その全てに五体満足で生きて帰って来れたのは、天使か何か、大きな者に守られでもしてるの?」
まるで不死身だと訝しげに問う
どれも死んでるほうが自然で、生きている方が不自然だ。恭一自身もそう思う今まで請け負った仕事の数々を思い起こし、
「そういうわけで、ちょっと力を見せて貰いたい。君なら簡単な依頼だ。報酬は君たちが欲しがっている情報と考えれば安いものだよ」
「安いかどうかは内容を聞いてから判断する」
「おや、強気だねぇ。出来次第でボーナスもつけてやるよ。…真王、いいかな?」
「…危険なことになりますか?」
「彼女には何もさせない方がいい。執事がここまで来て、この場全員を殺すことになる」
「そりゃそうなるから君にやって貰うんだよ。第一、真王の力に頼ったら、必要なものまで消し飛ばす事になる。依頼は悪魔払いさ」
「…それだけ?」
悪魔払いをしろと言われて、それだけかと聞き返した恭一に、
「まぁありがちな事だよ。子供のお遊びで、うちに保管してたいわくものを持ち出してヤバいものを呼んだ。物は回収出来たが、悪魔は両親に重症を負わせた後、今はクーロン第40区間区のアパートに立て籠っている。本人は死んでても生きてても良いけど、生かしたらボーナスをあげる」
「…それ、俺が九龍に入ってやるってことで良い?」
「じゃなきゃどうやって追い払う?」
「彼女から離れるわけにはいかない」
「惚気はやめてよ」
「そういう意味じゃない」
うんざりした表情を見せる
「仕方ない。うちで死なれても迷惑だ。代わりの祈り柱をつけよう。要は、真王の加護を中継する役割がいれば良い話だ」
「彼女が一緒に来るんじゃダメなの?」
「悪いけど、
頑なにアイテルを九龍城砦内に入れたくないと言う彼は、後ろの眼帯の少年をウズメと呼びつけて「リンファを呼べ」と告げる。
「うちの祈り柱は優秀だよ。それで、やるの?やらないの?」
「…恭一さん」
小さな声で恭一に話し掛けて彼の手に触れるアイテルは、恭一が返事を返す前に不安げに言った。
「確かに祈り柱を介して私の力を届けることは出来ます。でも、長くは柱の負担にもなります。それでも行きますか?」
九龍内部はアイテルですらどうなっているのか分からないのだ。恭一もアイテルを一人にするのは不安が巡るが、ここで情報を手放すわけにも行かない。
「すぐに戻る」
「…お待ちしてますわ」
答えた恭一に、アイテルは何か言いたげだったが、黙って見送る言葉を贈った。
何も言わず、ただ無事に戻ることを祈りながら。
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