灰と剣

第41章 孤狼に牙を

 幻想から現実へ戻された恭一は、戻ってきた身体の重みに順応しようともたつく足に力を入れる。

 18年間、もう疑うこともなかった事を覆された時、さすがに少しは動揺したようだ。表情こそ、何でもないという顔だが、心の内は、整理がつかないまま。


 今まで天使だと思っていたものが、まさか赤い瞳の者であったとは思いもしなかっただろう。


 咲を死なせた原因になり、大災害を起こした元凶、そして自分達の世界に確かに存在した原初エバと呼ばれる者になった、依代の人間。


 去る前に、恭一の精神の中に分身を残した。それが、ラミエル。


 そのラミエルは、まだ恭一の前で立っていた。本来見えるべき姿ではない、いつも通りの天使らしく見える姿でその場に屈み、落ちているアイテルのペンダントを指差す。


_「オリハルコンは、原初エバに馴染み深い鉱石です。君が呪いに飲まれても、アイテルが引き上げるまでずっと守り続けてくれていました。持っていきなさい。必要になりますから」


「まだ近くにいるだろう。そんなに早い足じゃない」


_「……いいえ。残っているのは放出された呪いだけ。もう離れた場所にいます。急がなくては、遺物に辿り着くのも時間の問題ですね」


 恭一はラミエルの言う通りにペンダントを拾う。冷たい鉱石の青い光は、アイテルの胸元にあった時より弱々しくなっていた。だが、まだその弱々しい輝きには、膨大なエネルギーが秘められていた。


「…アイテルも、あぁなるの?」


 恭一は呟くように小さくラミエルに問いかける。アイテルも、原初エバとしての宿命があることを忘れていなかった恭一は、彼女も最終的に世界を破滅に導く存在で、いつかあの時のような惨劇を起こす運命にあるのかという問いを短い言葉にして質問すると、ラミエルは少し間をおいた後、こう答えた。


_「少なくとも、一なる母である子宮には、選択肢が与えられています。今ある生命を滅ぼすか、まだ生かす価値があるのかの。オリジナルには…一度誓約として決めたことを取り消すことは出来なかった。彼女がどちらを選ぶのかは、まだこれからの話です。

 でも、オリジナルみたいなやんちゃをするタイプじゃなさそうなので、安心してもいいのでは??」


「…………やんちゃで済ます話なの?」


 どう考えても、日本列島の機能のほとんどをぶち壊し、死者も皆殺しという具合に多く出すことになった事件を、ただのやんちゃで済ますつもりなのかこの"悪魔"が。と、言いたいかのような目で睨む恭一に対し、ラミエルは頭の後ろで手を組み、目を細めて恭一を見つめ返した。


_「言ったでしょう。私に残された記憶としては、何も後悔してないんですよ。ほら、色々衰退はしましたけどー、昭和時代から変わってなかった古くさいシステムとか法律憲法とか年功序列とか重税過ぎて皆が切羽詰まってた云々うんぬん、腐ってた所みーんな排除したおかげで、良くなった部分はあったの知ってるでしょー?オリジナルが居なかったら、今頃恭一君世代はどうなってたか……なーんてね」


「余計なお世話って言葉、知ってる?」


_「ほーら出た。現状維持が好きすぎる人間の常套句ですよ」


「オリジナルの君って、排除すればとりあえず何とかなるって思考の、学がないくせに思想強めの脳筋バカだったんじゃない?やってることがその辺のゲリラと同レベルの野蛮さだし。少なくとも、感謝なんてしてないよ。あれのせいで暮らしやすく世の中が変わったなんて一度も思ったことないから」



 このクソガキが。と、ラミエルは少しカチンっと来たが、落ち着いて、能書きたらたらと挑発をしてくる恭一に言い返した。



_「脳筋バカは君も一緒でしょ。中学に上がった頃からろくに授業も出ないで、自校他校の不良やら道場破りやら、ヤクザや親衛隊やらにまで喧嘩売りまくってたでしょ?あれー……もしかして、オリジナルに似ちゃったんですかねぇ??この血の気の多さは」


 その煽りに、恭一は顔をしかめた。めちゃくちゃ嫌そうに。


「なんで君なんかに似なくちゃいけないの?うちの街の治安が一気に悪くなって目障りだったから、掃除してただけだけど。誰が一番上かも、分からせておくべきでしょ?」


_「中学生がやる掃除じゃないでしょう。いやマジで、反抗期がピークに達してイカれたのかと思いましたよ」


 そのおかげで、付いたあだ名は『みやこの孤狼』だ。

確かにあの頃、中国人が源氏家の所有する土地を、家のある人物が勝手に売り渡した事で、色々大変だった時期なのはラミエルも覚えていた。


 学生だった恭一は、その問題を知っていながらも直接関わることはなかったのだが、ある時、源氏家の管理する神域を荒らされる事件が起こった。そこは、恭一が昼寝をするのによく行っていた場所で、懇意にしていた土地神も居たが、その一件で、そこに住むことが出来なくなった土地神を"還さなくてはならなくなった"。


 それに内心激怒した恭一が行動を移したことも、ラミエルだけは知っていた。

 ただ目障りだったからという理由じゃなく、何かの為に行動すぐに移していた。善行を成すやり方が下手くそな上に、そういう青臭い優しさがある。アイテルはよく見抜いたものだとラミエルは思った。



_「あの時の土地神のように対処しなければ、いけない日が来るのかもしれない。そう思っているでしょう?」


「………別に。聞いてみただけ」


_「聞いてみただけ。ねぇ…。そんなに不安にならずとも、アイテルは…オリジナルのようにはなりませんよ」


 彼女は、"私"のように堕ちてはいない。絶望の穴の中に堕ちて、這い上がれなくなった者じゃない。"私"の記憶からしてみれば、アイテルはとても恵まれている。そう感じる。


 ラミエルは内心そう考えた。自分の中にまだ残るオリジナルの残留物が、そう感じていることで自身もその考えに同調していた。

ますます、もう自分という存在はなくなっていくように感じて、思わず眉を潜めた。



「それで、ここからどうする?彼女を追えるんでしょ?」


_「えぇ。ただ問題が一つ」


「追えないとか言わないでよ」


 ここまで来てそう言ったら殺すと言わんばかりに殺気を飛ばして睨む恭一に、羽を広げ、宙で胡座をかきながらラミエルは周りを伺った。


_「囲まれてますね。アイテルから漏れ出している呪いが蔓延し、魔物がより集まってるので、ちょっと逃げ道の確保に…」


「……何とかしてよ」


 いつまたここに魔物が現れるか分からない状態だと伝えると、恭一は、もううんざりしたと言わんばかりに腕を組んでそう言った。


_「何とかと言われましても」


「そう言うことはもっと早く言えって前から言ってるよね?さすがに、今から籠城戦は面倒なんだけど。体まだ痛いし」


_「何言ってるんです?呪いから一時解放されてる君なら、全然頑張れるでしょ?戦うの大好きなくせに‼血を流すの、本当に大好きなくせに‼」


「今そういう気分じゃないから。君がもたもたしてたせいでこんなことになってるんだからやってよ」


_「じゃあやってあげますからいつも通り、"通行料"お願いしますよ」


「嫌だ。もう渡さない。絶対」


_「じゃあ羽根出しますから、自力で何とかしてくださいよ‼」



 二人で言い合いになっているのもつかの間、遺跡の入り口から轟音が響き渡り、もう魔物の侵入があることを知らせる。


 ほら来たと入り口の方を見たラミエルは、わずかだが人の気配。存在感が無に近い誰かの存在が、いつの間にか恭一の近くに来ていたことに気が付く。恭一も途中からだが、足音も存在感もないものの、空間の歪みが一瞬起こった事を感じ取り、その人物が歩み寄ってきた所で向かい合った。


 青いボサボサの髪で、目の奥が暗く、淀んだ空気の漂う男。顔立ちが何処と無く、ジュンフェイに似ている事に気づき、苛立ちを覚えた。


「………アイテルは?」


 ボソボソとした聞き取りにくい声でそう聞いてきた彼に、この状況で、アイテルが何処から連れてきた知り合いか何かかと考えた恭一は答える。


「誰?」


「…ベルハネス…アイテルの…夫だけど…」


夫。

その一言に、恭一は一瞬だけだが、体が波打つように反応した。


_「イブリシールですか。この状況で使えそうな良い味方を得られたようですね」


 味方じゃないから。ラミエルの囁き声に不快そうに心の中でそう返した恭一に、ベルハネスはボソボソと話しかけた。


「…恭一…だっけ…?」


「…だから?今更旦那の一人が、何しに出てきたの?」


_「ねぇ、今そういう感じの時?」


 いつも感じ悪いが、アイテルの旦那と知った事で、より一層悪い態度を取った恭一に、負けず嫌いは今出さなくていいとラミエルは横で呆れた。まるで、お気に入りのおもちゃを取られそうになって歯をむき出して威嚇している子供のよう。


 ベルハネスは、何の興味も感情も持っていないような無表情で黙って見つめていたが、やがて震動と魔物の気配が近づくと、視線を後ろにずらし、恭一にスッと手を伸ばした。


「…行くよ」


 伸ばした手が恭一の肩を掴み、そのままうねるような空間の歪みの中に巻き込まれていく。

景色が歪み、やがて何処なのかも分からなく混ざりあい、かかっている重力が無くなり浮遊感を感じた。

 足が地面に着き、別の場所へ移動した事に気付く。


 周りを見渡すと、今までいた遺跡が遠目に見える丘であり、薄気味悪い霧が辺りを包んでいた。


「……アイテルは…君の身代わりか…。…彼女はいつも……そういう道を選ぶ…理解できないな…そこは」



 横でベルハネスが呟いた。遺跡の方を見ていた恭一は、遺跡周辺の森が枯れて、腐蝕したような臭いがここまで漂ってくる事を感じながら、ラミエルの言った通り、魔物が遺跡周辺を取り囲み、何かに焚き付けられるように破壊していく様子を見る。



「…で、何しに来たの?」


「アイテルに……助けてって…頼まれた。だから…助けただけ…。……早くアイテル止めないと……呪いで皆死ぬ……」


「そんなの分かってるけど」


「って…言うより……アイテルがいなくなったの…ジュドーが知ったら…めんどくさい…死んじゃったら…もっとめんどくさい……あぁ…めんどくさい…」


「愚痴だけブツブツ言うつもりなら帰ってくれない?」


_「助けられたでしょう。そんなこと言うんじゃありません」


 とは言え、内心ラミエルも、親指の爪をかじってだらっとブツブツ怠惰な事しか言ってないベルハネスに多少イラつかされた。


「……だからさ…ジュドーが来る前に……奪い返さないとね……場所、彼女が行った場所…分かる…?」


「……」


 恭一は自身の右手に深く刻まれた呪いの十字傷を見ながら、ラミエルに問いただす。まだ彼女を追えると言ったのは君だ。さっさと方法を示せと。


その問いに、やれやれと頭上に浮いていたラミエルは答えた。


_「一度呪いを通じて、アイテルを探して駆けつけてあげた時がありましたね。まさにそれと同じです。私にある呪いの一部分を使って、彼女を探せば良い。ただそれだけですよ」



 その繋がりは途絶えていない。君が望めば、必ず彼女に辿り着く。因果と共に。


 恭一は目を閉じて、ラミエルの中にある呪いに集中した。それはある意味ではとてもキツいものだ。恭一の意識を攻撃し始める。これ以上恭一が先に進まないよう、深く入らぬよう、拒んでいるかのようだ。


『何処にいる?』


 そう問いかけて、彼女を求めても、その言葉も意思も、向こうに通ずることはない。


それでも、無理矢理の力業で圧しきるように意識で拒み続ける闇の声を押し退けた。


 すると、今にも切れそうな糸が暗い目蓋の下に現れ、今にも消えそうだが、アイテルの辿る道が示させるように続く。


 目を開き、手に取ったオリハルコンのペンダントをぐっと左手に握る。右手の傷口からは、ゆっくりと血が滴り落ちる。。


 何も言わず、黙ってその場から立ち去ろうとした恭一を、ベルハネスは無気力な表情のまま、視線だけで彼を辿りながらも呼び止める。


「……誰か…人はいる方がいいよ……ゴーワンは……君一人だと…勝てないから…」


「一緒に来る気あるの?」


「……いや…俺は…一緒には行けない…」


「へぇ。旦那の癖に、来ないの?」


「……最悪の時に備えて……整えておかなければいけない……もししくじったら…を殺すのは…俺の仕事だ」


 無気力で力の入っていない表情だが、その目は鋭く、確かな殺意が感じ取れた。例え相手がアイテルであっても、慈悲も容赦もなく、手を下せる。まるで、人を人とも思わぬ殺し屋だと恭一は感じた。


「アイテルを君が殺しても…俺は君を殺すし…アイテルが君を生かして助かっても……君は無事じゃ済まない……。分かるかな……真王である彼女を危険に晒した…守護者としての失態……」


「…殺したいなら勝手にすれば??」


 あっさりと死刑宣告をされたにも関わらず、恭一はそう返し、背を向けて進み始めた。アイテルとの僅かな繋がりを辿って。


_「……全く。素直じゃありませんね」


 そうあっさりと言いながらも、内心は揺らいでいた胸の内を固く押し込めていた。

 でも最後まで、ちゃんと足掻くつもりではあることをラミエルは知っており、恭一の肩に手を乗せた。


_「一人ではありませんよ恭一。私がちゃんと、一緒にいますからね」


「うざい」


_「なっ‼くそ生意気な‼」


 乗せられた手を払うような仕草をした恭一にラミエルは怒ったが、恭一も、以前との違いには気付いていた。


 もう、死にに行くことは望まない。決着を着ける。あの日からの、全てに。生きたいと思えた意味を、取り戻すために。その他の事など、どうでも良いと。


「君の事、許したわけじゃないから」


_「はいはい分かってますよ!でも、長い連れ合いのよしみなんだから、もう少し愛想よくしてくれても、良いんじゃないかね⁉」




「………それなら……いいけど……」



 恭一の背中を見送りながらゆっくりとあげたベルハネスの指がパチンと渇いた音を響かせた。

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