第29章 怠惰なる道標

 私のせい。私の力が足りないせいで。呪いに打ち勝てるほどの力が無い、弱った器のせいで。


「はぁ…はぁ……」


 あの人は何処に行ってしまったの?何処へ?


 一緒にいると約束したのに。どんなことになっても。

 でも恭一は、守護者としての役目を優先してアイテルを逃がした。あの時、自分がもっと早く周りの気配の変化を察知できていたのなら。


 アイテルは自責の念を繰り返しながら、恭一の使った術によって転移させられ、別の場所の地面から脱出した後、唯一の繋がりである左手の傷から、今にも繋がりが切れそうな恭一の居場所を辿りながら森を駆けていたが、その行手を阻まれた。



「こんなところに1人で何やってるんだいお姉ちゃん」


「っ!」


 現れたのはいかにも穏やかな雰囲気ではない盗賊の男達だ。こういう森の中には、一般には交われない無法者の棲みかになっている場所があることはアイテルも知っていたが、たまたまこういう者達に見つかってしまうとは思っていなかった。


 原初エバの力を引き出せるオリハルコンのペンダントもないまま、襦袢一枚の無防備な状態であるアイテルを舐め回すように男達は眺めながら周りを囲った。


「親父、なかなかの上玉だぜ。髪も肌もよく手入れされたいい匂いがここまで漂ってくらぁ…」


「ちょっと綺麗すぎねぇか?なぁ、貴族の娘とかじゃないの?そうだとしたら…」


「んなもん関係あるか‼貴族の女がこんなところに1人でいるわけねぇだろ!最近じゃ市衛兵の巡回が多くて街に入れんからなぁ、その辺の木の穴で済まそうかと考え始めてたところだったぜ、へへっ。おい、まずは俺からだからな?終わったら好きに回せ」


「…?」


 普通ならこの会話で何を企んでいるのか察しがつくものだが、肝心な時に疎いアイテルは言ってる意味が分からず、急に現れた盗賊に後退りながらも、そのリーダー格である男がこちらに近づいてくるのを見つめながら首を傾げた。



「さぁお姉ちゃん、抵抗しない方が身のためだぜ。ちょっと俺達を、気持ちよーくさせてくれよぉ」


「…??…?よく分かりませんが、私、今とても急いでおりますの。どなたか別の方にお頼みになりまして?」


「急いでるかどうかなんて知ったことかってんだ‼こっちに来い‼」


 盗賊のリーダー格である男が近づき、アイテルに触れようとしたその時だ。

 周りの重力の重さが変わり、アイテルの前から謎の力が加わり、男は弾き飛ばされるように後ろへ飛ばされた。

 身体の骨から内蔵まで潰れるほどの重圧で木に叩きつけられ、その重みで、木はへし折られて倒れていく。


「お、親父ぃ‼嘘だろ‼何が起きやがった‼」


「このアマ‼親父に何しやがった!!!?」


「えっ…私は何も…」


 リーダー格の男が倒れ、ピクピクと身体が痙攣し、身体が潰れたまま生き絶えたのを見て動揺した盗賊達が武器を抜いてアイテルの方に向く。

 アイテルは戸惑いながらも、この何もないところからの攻撃手段と、自分の身体の重さが変わっている違和感に気づく。それが、誰の仕業であるのかも、検討がついた。


 静かに風もなくなり、空間は徐々に重くなっていく。重力が身体に加える力がどんどん重くなっているのだと盗賊達が気がつく前に、まず、何人かの男が何をする暇もなく、身体が独りでに潰れ、残った肉片を撒き散らした。


「ギャアアアッッ!!!」


「何が、何が起きてる!!!?ウギャッッ」


 突然ミンチになる仲間の姿にパニックに陥った盗賊達が、悲鳴を上げるか、また上げる前に次々にやられていく。


 アイテルは目の前が血みどろに変わる惨劇に目を覆いたくなるも、腹に力を入れて声を上げた。


「やめてっ‼ベルハネス‼」


 振り絞って制止を呼び掛けたアイテルの声を皮切りに、数人を残してピタリとその惨劇は止み、その場全員の身体にかけられた重力が元に戻っていく。


 静かに綺麗な芝生の上を踏み、アイテルの背後の物陰から姿を見せた。



「………………」


 ボサボサの青い髪をした暗い瞳で青白い肌の長身の男は、ゆっくりした足取りでアイテルの背中に近寄った。

 何も喋らない無口な男の目はアイテルの方を見ているが、怯えて動けない盗賊の方を気にする様子は微塵も見られない。やがてアイテルの隣へ来ると、彼女の顔を覗くように身を屈め、虚無に染まった瞳をじっと向けて、聞き取れるのも難しい声で話し掛けた。



「…俺が…止めなかったら……酷い事されてたと…思うけど…」


「何も、ここまでする事はなかったでしょう。貴方はやり方が極端すぎます」


「……だって……面倒だし………」


 アイテルに静かに叱られて、少しいじける様子を見せた彼に呆れたようにため息をついたアイテルは、生き残った盗賊達に「早く行きなさい」と手でジェスチャーを送る。彼らはそれを見て、すっかり怯えながら仲間だった肉塊の上を踏み、逃げていった。



「いつから、つけていたのですか?」


「……さぁ……先に言うけど…怒ってないよ…俺は…」


「まぁ…割りと最初から居たのね」


 恐らくは、アクロポリスから出た時からこの男は傍の何処かに着いてきていたのだろう。アイテルはその事にもう慣れきった様子で、服のポケットに手を突っ込んで立っている彼に聞いた。


「貴方も私の夫であると言うのに、怒りも致しませんの?ベルハネス」


「別に…。俺は…よく分かんないし…興味ないし………結婚すんの……嫌だったし」


「こう言ってはなんですけど、貴方が不思議な人で助かります」


 少し緊張はしていたものの、最初から自分に着いてきていたのだとすれば、恭一との事も全て知っているであろう彼が全く関心を持っていなかったことにアイテルは安心させられる。


 この男は、ベルハネス・スロウス=フェルデゴール。アイテルの夫であり、イブリシールの1人である。


 アイテルが言う通り不思議というか、全ての事に無気力で無頓着で、影が薄く、いつの間にやらそこにいると言うことが多い男である。


 最も考えが分からず、昔からアイテルを意味もなくストーキングする所がありながらも、何か問題が起きれば、理由を問わず真っ先に力を貸してくれる男であった為、アイテルはイブリシールの中でも一番付き合いやすい人だと思っていた。だが逆に、ジュドーからの評価は「気味が悪い」とされてめちゃくちゃに嫌われている。


 そんな彼ら2人はイブリシールとの盟約で夫婦関係となるのであるが、最後までベルハネス側が「結婚はめんどい」と渋っていた為に、一番最後に契りを結んだ相手であった。



「…ねえ?恭一さんとの事、本当に、怒ってませんの?」


「ない」


 考えが読めないほど感情の見えない彼に、再確認するようにアイテルは聞くと、ベルハネスの目は何処か別の場所を見ていたのを彼女に戻し、小さな声で即答した。



「全部分かっているのでしょう?私の事を、殴りたいとか、嫌に思ってませんの?」


「…怒りとか…めっちゃ無駄な感情じゃない…?」


「こんなことを聞くのはちょっと恥ずかしいのですが、貴方は、他の方々よりも私の事を好きだと思っていたのですけど…」


「……好きだけど……だから??」



 この人だけは、憎悪の呪いを前にしても何ともならなそう。アイテルはそう思った。嫉妬や怒りも何も起きないのは、本当に全部分かっていながら、感情という感情を何も感じてないのだ。


 彼はアイテルが好きでも、多分恐らく恋愛感情の好きとは別なのか、もしくは恋愛感情でも、嫉妬というところまでいかない性格であるのか。


 そもそも自分達は最初から気の置けない所がお互いにあったので、夫婦とかというより前にいい意味で距離感が丁度いいのだろうと再確認し、酷く勝手な願いとは分かっていながらアイテルはベルハネスに助けを求めた。



「助けて、頂けませんか?恭一さんを。私の足では、追いかけられません。あのままでは、周囲でも何が起こるか…」


「…いいけど…なんであんなの、好きになったの……?」


「あら、聞きたいのですか?」


「……あんな怒りっぽくて……プライド高いの……君が好きに…なるように思えないけど…」


「ふふっ、顔ですわ、顔。他にもありますけど」


「……」


 アイテルの答えに少々納得がいっていないような表情をしながらも、あくまでもアイテルが好き好んだ男ならば協力する気があるらしい。



「……どうする…?居場所……分かってる…?」


「いいえ。でも、私のオリハルコンを彼に渡してあります。急がなければ」


「……そう。なら…行こうか…」



 ベルハネスはアイテルを腕の中に抱くと、暗い瞳の中に光が宿る。再びその場の重力が変化し始め、2人の身体が軽く宙へと浮くと、一瞬にして姿を消したのだった。



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