第28章 酷くて尊い貴方

「…ねぇ。いつまで引っ付いてるつもりなの?」


「森を抜けるまで、でしょうか」


 マヤと別れた二人は、魔法の絨毯に乗って微妙な速度で森を進んでいた。その間、アイテルはこれみよがしにと恭一の腕に手を回してぽかぽかと幸せそうにしているのを、迷惑そうな顔で恭一は見ていた。


「暑苦しいから離れてよ」


「嫌ですの」


「何かあったらすぐ動けないでしょこれじゃ」


 一応守護者としての自覚はある恭一は、途中で奇襲があったら、振り解く手間を増やしたくないし邪魔とぶっきらぼうに言うが、アイテルは首を横に振って、甘えるように恭一の肩に顔を寄せながら答えた。


「絨毯から振り落とされたらどうしましょう?」


「落ちれば?」


「昔一度、落ちたことがありますわ。ほら、掴まるところがないでしょう?」


 恭一は、この自転車をゆっくりこいでるくらいの速度でどうやって落ちるんだと内心疑問に思う。アイテルは恭一により長く引っ付いているための口実で言っているだけだが、落ちたことがあるのは本当らしく、手に力がこもっているのが恭一には分かった。


「遊んでるんじゃないんだよ。…ほら」


 うんざりした態度で恭一はアイテルの手から腕を引き抜いて、彼女を自分の前に座らせてそのまま椅子の背もたれのように寄り掛からせた。これなら両手が空くしと妥協してやったわけだが、アイテルは少しきょとんとした後、嬉しそうに顔を赤らめて恭一に背を預けて、膝を抱えた。


「これ、もっとスピード出ないの?」


「あまり早くは飛べないものですから。…でもようやく、ミツキと合流出来ますわね。彼には可哀想なことをしました。ジュドーが先についていないと良いのですけど」


 自分がいない間だいぶ怖がらせてしまっているであろう自覚はあるためか、ようやくミツキの事を思って心配する素振りを見せた。


「…でも、もうちょっと恭一さんと2人でいたい気持ちもありますのよね。うふふ」


「全然気にかけてなんていないでしょ、ミツキのこととか」


「そんなことありませんわ!ジュドーに怒られるのだってミツキであることぐらい分かっていますし、悪いことしたとは思ってますのよ…本当に…」


「悪いことした"とは"思ってるだけで、反省はしてないよね」


 そう恭一がズバリと指摘すると、アイテルはまるで大当たりと言ってるかのようないつものほわほわした微笑みを向けて答えを返してきた。


 あの執事に、この主人ありか。と恭一は密かに思った。


 森の中を進む絨毯の上で、しばらく恭一はアイテルの多く長い髪の生える頭のてっぺんを眺めながら、自分があの日の悪夢から帰還した時のアイテルの様子を思い出す。


「……君、痛いところとかないの?」


 アイテルの顔が恭一の方へ向き、赤い瞳が見上げて首を傾げた。


「特に何もありませんけど…どうしてです?」


「俺が起きた時、胸と下腹部を強く抑えて転げ回ってたから」


「下腹部…」


 この下腹部と言うのは、まさに彼女の司る原初エバの子宮と呼ばれるに値する部分だろう。恭一はあのかつてのエバがアイテルに何らかの干渉で苦しみを与えたことを覚えていた。


 恭一とマヤが近寄ったが、アイテルは酷く痛がり、うなされて自我がないまま、一人でもがくかのように暴れ、口からは何語か聞き取れない言葉を口走っていた。


 まるで、悪魔が苦しむときに吐くラテン語かヘブライの言葉にも似ていたが、マヤのあの時の凍りついた顔と、膝をついて頭を垂れて許しを乞うような仕草を取っていた事を見るに、現代にはもう残されていない言葉で、何かを罵倒していたようにも思えた。


 アイテルは全く覚えていないようだった。それもそうではあるのだが。



「私、そんなに酷かったのですか…?恭一さんやマヤに、何かしてしまいましたか?」


「心配するようなことは何もないよ。ただ…無理させたから…聞いただけ」


「え?無理なことなんて、何もしてませんのよ?私、これでも頑丈に出来ておりますのよ」


 ふわふわとした微笑みで安心させるように恭一の頬を撫でる。そんな彼女を見て、恭一はいつか同じことを言われた事を思い出す。


 頑丈に出来ているから大丈夫。自分に定められた運命が来る、その時までは。それよりも、貴方が死ぬのは耐え難い。と。


 そう言われたからこそ、アイテルの言葉はいまいち信用が持てず、自分の頬を撫でる手を掴み、労るように指で撫でた。


「君の言う原初エバとしての、定められた運命と言うのは、いつ来るの?」


「…さあ、私も分かりません。私もいつ来るものかと、考えて過ごしていますの」


「死神になると言ったね。俺が会った原初エバとは、どう違うの?同じなの?」


「ある意味では、同じ存在です。エバの器となった者で、互いは同じ一なる者の肉体である。でも与えられた恩恵や、課せられた役目は違う。…あの者は、どのような使命を授けられていたのでしょうね」



 森で二人で過ごしていた時、彼女が明かした使命は、全ての生命を滅ぼし、新たな世界に向けて生命を産み出す事だと言っていたことを恭一は思い出すが、言ってみれば世界に終末をもたらすということだろう。


 その事をアイテルは、「尊いようで残酷な使命を授けられている私が聖母なんて、笑い話にもなりませんでしょう?」と相変わらず笑いながら言ったが、その裏では、いつ訪れてしまうかも分からない恐怖に怯えているのだろう。

 

「君なんかより、よほどあっちの方が死神っぽく思えたけどね」


「あら、じゃあ何に見えます?天使かしら?」


「たぬき」


「まっ!そんなに可愛く見えてまして?嬉しいですわ」


 笑っているようで笑っていない、無理して笑っている。そんな薄っぺらい演技はやめて欲しいと、恭一は内心うんざりしていた為、得意の意地悪をするが、アイテルにはほわっと通り抜けられてしまった。


 頭にバカとかどんくさいとかつけておけば良かったと思ったが、それでも喜びそうなのがアイテルであるため、何も言わなかった。


「だから別に、信じてないよ。君が、ああいう風になるとは」


「なりませんわ。安心なさって。意地でもなりません。子供達や、恭一さんや、今の人達の未来のためにも……」



___ドクンッ!!

 2人の心臓が大きく波打ち、その瞬間息も血も詰まって止まるような痛みに襲われる。


 いきなりの事に、恭一は苦痛に胸を抑えながらも、前のめりに倒れそうになったアイテルを支えて、急な苦痛の正体を探る。


「っう……!くぅっ…!!」


「っっ…!!」


 腕から肩へと侵食が広がった呪いが、首もとから熱を呼び起こす。

耐え難い苦痛が2人の繋がりを通って同時にもたらす。その時一瞬だけ聞こえた声が、恭一の脳を掠めた。



【未来などありはしない】と。



 あの残火に残り、灰となって散ったはずの憎しみが、まだ恭一の記憶の中から語りかけているかのように、恨めしく告げていた。



【お前達に、未来などありはしない】


【与えるつもりはない】


【永遠に】




 エバの子宮の加護も虚しく、アイテル自身も深く苦しめ始めたその呪いに、アイテルの胸元のペンダントが強い青い光を帯びる。その光が守っているのか、少しずつ苦痛が和らいでいき、呪いの疼きも留まり始めたが、森に潜んでいた違和感に気づくのに遅れ、乗っていた魔法の絨毯に火が放たれる。


 痛みを堪えながら、恭一は絨毯に火の玉が届く寸前に、アイテルを抱き抱えて飛び降りた。



「っ…」


 身体を無理矢理動かして飛び下りたが、呪いはまだ恭一を蝕もうとしていた。

何処から火の玉なんてものが飛んできたのか、汗ばむ程の苦痛の中でアイテルの上に被さりながら上の木々の影に目を凝らす。既に待ち伏せられ、囲まれている事に気がついていたが、飛んできた吹き矢には気がつくのが遅れ、恭一の首もとに刺さる。


 しまったと思った時には、恭一の視界はぐにゃぐにゃに歪んでいた。


「っ!!恭一さん!!」


 恭一は薄れだす意識を、口を噛み締め、保つ。腕の力を緩めずアイテルに覆い被さって、彼女の泣きそうな表情で自分を呼んでいる顔を見ていた。


 ここで、意識を失うわけにはいかない。せめて、アイテルを逃がさなければ。

何らかの強い麻酔を打ち込まれたのだと思うが、恭一はそれにも上回る意思で意識を保ち、懐から式神の札を取り出してアイテルのペンダントがある胸の上に押し付けた。


「っ……『いん土葬棺どそうひつぎ』」


 恭一の言霊により、式神の札は粉々に破れ、破片は土に溶けていくと、アイテルの後ろの土が盛り上がり、やがて泥のように溶けてアイテルの身体を飲み込み始める。

 自分の身体が沈んでいくのに気がついた時、アイテルは嫌がり恭一に手を伸ばして肩しがみつこうとした。



「待って…!駄目です!恭一さん…やめて…!!」


 貴方と一緒にいると約束したでしょう。最後まで、共にいると。私が離れてしまったら、貴方は…。


 地面の中に飲み込まれながら、ただ自分を鋭い眼差しで見つめて見送る恭一に、アイテルは必死に手を伸ばしてもがき、身体をよじって上がろうとしたが駄目だった。恭一の意思は固く、術にも表れていた。


 なんて酷い人。そしてなんて、尊い人。


 アイテルは首もとまで埋まった土の下で、着けていたオリハルコンのペンダントの紐を引きちぎり、それだけを恭一の元へ投げた。


 エバの血肉。一欠片でとてつもないエネルギーを宿す青い石。アイテルの持つペンダントの石は手のひら程大きく、恭一の胸にぶつかって落ちる。


 ほのかな青い光を宿したペンダントだけが残り、恭一の意識は、アイテルの顔が土の中へ消えたと同時に再び混濁し始めた。


 背後より複数の気配が近づいてくるのを感じ取りながら、下に落ちたペンダントを手に握り締め、そのまま倒れたのだった。



___「堕ちたか。しかし、象でも打たれればすぐ動けなくなるというのに、意識を保つとは」


___「真王は?何処に消えた?」


___「そっちは構わない。この男だけだ。真王は追いかけて来るだろう。ザイナンが目覚める前に片付けるぞ」



 意識を失い倒れた恭一を、札の貼りつけた仮面と白い漢服を模した衣装の謎の者達が見下ろしていた。

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