憎しみの果てに

第30話 この世の全ては、地獄の最中

__【憎め、憎み続けよ】


 【我が為に、己の為に】


 熱い。身体がほとばしるように熱く、うなされる。恭一は脳裏に見せられていた。


 火の残り火を宿す灰が無数に集まり、蛾の塊のように見えた。その中から呪いの根源が手を伸ばし、恭一の顎下に手を添えた。


 憎しみとは程遠く、優しく、たおやかで、壊れやすいものに触れるかのように。



 いつか見た炎の中で一人、この世を憎む記憶の中のあの者の姿が重なる。

灰に包まれたその姿は、また少しずつ明確になっていき、恭一にゆっくりと迫っていた。


___【私を見ろ。背けてはならない】


 【選ばれた者よ。運命に導かれるはずだった者よ】


 【憎むがいい。あの日、私がそうしたように】


 何故あの日、その者は全てを焼き尽くそうとしたのか。何故、恭一を生かしたのだろうか。



___「恭一、起きなさい」


 夢は途中で遮られ、恭一はラミエルの声に起こされる。目が覚めると、白い空間と透明な水が行き渡る床の上、幻想の天使ラミエルの世界で、恭一の顔を覗いていた。


 ようやく姿を見せたラミエルに、恭一は身体を横たわらせたまま、頭がぼんやりしながらも口を開く。


「……何?」


「"何?"じゃないよ。そんな涼しい顔して、一言目にそれですか。君があんな隙を見せるなんて、らしくありませんね」


「今更出てきて、何の用?」


 上半身だけを起こした恭一は、片翼をバサバサと動かしながら目の前にいるラミエルを睨む。

 強力な麻酔を打たれて捕まってしまったとは思えないほど冷静で無愛想な態度に、天使は内心、なんて生意気な奴だと不満を露にしながらも、ヘラっと笑ってこう言い放った。



「どの時に出てきて欲しかったと?初めての熱~い一夜を過ごした後に出てきて欲しかった?童貞卒業したからって、いい気にならないでくださいよ?」


「君って、それしか楽しみないの?」


「あーそうねぇ。楽しいっていうより、ショックでしたねぇ。君が、初めてで三回も…」


「人のプライベートを覗いてはウダウダ口出しする楽しみしかないのかって聞いてるんだけど??」


 一心同体である天使にバレないわけがないことも分かっていたが、いざ突っ込まれて見られていた事が分かると、恭一は眉間に皺を寄せながら冷静に不愉快だと告げた。


「そんなこと言われても、私は君の傍から嫌でも離れられない守護天使ですし。こっちだって、見たくて見てるわけじゃあないんですよ。こんな時に、外でいちゃついてた君達の方が?非常識だと思いますけどね??」


 反論の余地がないほど真っ当な事を返した天使に、恭一は子供みたいにそっぽを向き、しばらく沈黙していたが、やがて幻想の世界に暗闇が広がり、暗闇の向こうに炎の光が昇る。


 あの炎の中でどんなことが起きていたのかも考える暇もないまま、あの場所へ向かっていたことを思い出しながら、ただじっとあの夕焼け色の炎を眺める天使の横顔を見る。

 青い瞳の中の炎は、暖炉の火の残り火のように静かに燃えていた。


「こうして見ると、綺麗なものですね」


 天使のくせに不謹慎な事を言うものだと、恭一は天使の憂いのある艶っぽい微笑みを横目にみながら思う。それでも怒りと言うより共感を覚えてしまう。遠くから何も知らずに見れば、確かに絶景だからだ。


「…ラミエル?」


「ん?」


「何かあったの?」


 しおらしく様子が違うことに気づいた恭一はそう声をかけると、ラミエルは顔を恭一の方に向けて、口元を緩ませた。


「君と辿ってきたここまでの事を、思い出していました。思えば短くも、長い付き合いになったね」


「勝手に付きまとって来たんでしょ」


「実のところ、付きまといながら私も探していたんですよ。君の元へ送られた理由を」


「神か何かに遣わされて来たんじゃないの?」


「…今となっては、よく分かりません。君は元々、天使を必要とする程、混沌の中にある人生を送るような人ではないのだから。何故、天使たる私が、最初から全てが恵まれた君の元へ遣わされたのか。君を見守り、側にいるだけの存在でいながら、私も…考えていたのです」


「恵まれてたと思うの?」


「まぁ、見てたら途中からそうでもないことには気が付きましたけどね。あんな思想も価値も凝り固まった場所に居たら、協調性皆無のクソ生意気なガキが出来上がるのは当然でしょう」


 恭一とその実家の事をはっきりと貶しながらヘラヘラと笑ってそう言う天使の言葉の裏には、"君ははっきり言って、可哀想だった"という本音も見えた。


「たとえそうでも、君はあのまま誰もが欲しがる、地位も名誉も安泰も約束された地位にいて、こんな苦悩をしないまま死ぬことだって出来たはず。それを自ら捨てた。あえて地獄を進んだ君は…原初エバと再び、縁を紡いだ」


「俺の人生、どう進もうが俺の勝手だっただけでしょ。君にも、口出しする権利はないはずだけど」


「では、聞かせてください。答えは得られましたか?天使と悪魔が存在する意味、君に与えられた力の意味を。生かされた理由を」


 炎の陽光を眺めながら問い掛けたラミエルの言葉に、恭一は答えがまだ分からず黙っていたが、ふと、脳裏には最後に見たアイテルの顔が浮かんでいた。


 行かないでと泣きそうになりながら、自分から離れまいと必死に体を掴んでいた君は、今どうしているのだろうと気になった。


「さあ…まだ分からないけど。でも興味は、他に出来た」


「あー言わなくても分かりますよそこは」


「…そっちが聞かせろって言ったんでしょ。聞く気あるの?」


「ごめんごめん。それで?」


 不機嫌になって睨む恭一に、ラミエルはニコニコと笑いながら答えの続きを聞かせてと頼むと、恭一は渋々その問いに答えた。


「初めて、思った。他人の為なら、死んでも構わないと思えたのは。今まで全然、理解出来なかったしする気もなかったけど」


 炎の中でアイテルを探したあの時、恭一が人の事であんなに必死になったのはあの時が初めてだ。彼女に刃を向けていた咲に対して、怒りと憎しみが湧いたのも。いつの間にか、それほど大切になっていた。


 彼女といると落ち着く自分がいる。時々あのしつこさにイラつきはするが、悪い感じはしない。


 他人に興味などなかった自分が興味を持つほど惹かれた。彼女が今も気になることも、出来ればもっと触れて、傍で見ていたいことも、独占していたいと思う気持ちも大いにあるということを語ったと同時に、それはもう無理だと言うことも分かっていると、恭一は語った。


「どうして?」


「とっくに手遅れだから」


 自分の事は自分でよく分かっていると恭一は顔をあげて、幻想の外での自分の状態に察しがついている様子を見せた。


「俺は死ぬためにここに来たんだろう、ラミエル」


 そういうつもりだったことは、最初から分かっているし、忘れているわけじゃないと改めて口から語る恭一に、ラミエルは何も答えず続く言葉を待った。


「あの日の呪いが、俺を待ってる。あの日から今もずっと。俺は、生かされたわけじゃない。いつか、あの憎しみを滅する為に生かされた。あの赤い瞳の者は…自分では、止まれなかったんだろう」


 あの呪いと改めて対峙した時、あの者から流れ込んだ数々の感情と想いが、恭一の中に溢れた。大半はやるせない憎しみと憎悪。その中には…流れ続けていた悲しみもあった。


__【私は、誰も守ってくれなかった】


 理由の全ては分からない。どうしてあんなことをしたのかも、理解する気はない。でも、あの者が残したその言葉は、誰かにすがりたくともすがれなかった、絶望を感じ取れた。


 今もまだ、右腕だけになっても絶望から解放されていないのであれば、その苦しみは永遠と続いているのだろう。


 自分しかいない。原初エバではなく、本当にあの者を破壊できるのは、あの時、わざと生かされた自分だけなのだと。


「連れていって、ラミエル。君はその為に、遣わされた。そうでしょ?」


「…生きたいと、望まないのですか?アイテルと共に、生きることは」


「今更無理でしょ。俺がこうなる運命で、彼女は…もう誰かのもので、今の地位から外れることはない」


 もう少し早く、彼女に出逢えていたら。もう少し早く、彼女の守護者になれていたとしたら。望まない結婚も何もさせてはいなかった。こんな世界に囚われてる必要はないと、王冠を捨てさせ、手を引っ張って一緒に元の世界に連れ出していた。


 でもそれは、過ぎた後の理想でしかない。もう、叶わない事なのだと、恭一は自分の命が消える事よりも、絶望していた。


 もっと君に話し掛けて貰いたかった。もっと一緒にいる時間を持ちたかった。君をもっと知りたかった。

 冷めきっていた彼の人間としての欲は、急激に胸に溢れていた。


「俺は、彼女に出会うために…そして死ぬために」


「違う」


 黙って聞いていたラミエルは片翼を広げ、恭一の結論を全て聞く前に、真っ向から否定した。


「黙って聞いていれば、未練たらたらしい。どっちかをちゃんと選びなさい。君は一体、何が欲しいのかを!」


 振り返り、恭一の顔の目の前にラミエルの怒った顔がずんっと接近する。


「自分が生かされた理由を探すためにこんな仕事をして、危険に飛び込んでいるのは知ってますよ?でもいつまで経っても、君は結論を出さないし、死ぬのか生きたいのかはっきりしない‼振り回される守護天使の身にもなって欲しいですね‼」


「…何キレてるの。聞いてきておいて…」


「うだうだ言ってねーで、使命か自分の欲を取るのかはっきりしろって言ってんの‼で、どっち??過去の因縁を取るのか、今の女を取るのか‼」


「…………………………俺」



 こんな決まりきった絶望の中でも、選んで良いのだとしたら。全てがそれを許してくれるのだとしたら、決まったものは他になかった。



「……生きていたい……」



 本当は死にたいと思わない。許されるのなら、生きていたい。

 もう少しだけでも、初めて好きだと思えた人間の、アイテルの傍にいたい。たとえ、結ばれないものだとしても、アイテルの生きている世界の中に、自分もいる未来を生きてみたいと。


 望んでも手に入らない世界なら、少しでも近づいた世界で。


 恭一が絞り答えた一言を聞き、天使は顔を離し、ふと口元を微笑ませて、満足そうに、そして憂いのある表情で彼を見つめた。



「ようやく言えましたね、恭一。…その一言を、私はずっと待っていたのかもしれない。君がこの地獄の中で、生きたいと願う事を」



 天使と悪魔が存在する意味、生かされた理由。君はその答えを既に、手に入れている。


 顔を上げてラミエルを見た恭一が、ラミエルの様子がおかしいことにはっきりと気が付いたのは、この時だった。



「ラミエル…?その目は…」



 ラミエルの瞳は、いつもの美しく澄んだ青色ではなく、血の混じるような赤い瞳に代わり、白目は黒に染まろうとしているほど血走っていた。


「それでも呪いは、止まらない。止めなくてはならない。君が選択した未来を生きるために。私は君を、地獄へと連れていく」


「ラミエル、君、一体…それは、呪い?まさか君にまで…」


 幼い頃から共にいた天使の変化に戸惑い、手を伸ばした恭一の動きは、幻想の世界に鈍い音が響き渡り、ラミエルの姿形に綻びが生じた事で止まった。


「っ…邪魔が入りましたね。…未熟児め」


 ラミエルは自分の世界が何者かに侵された事に気が付き、空を見上げた。そして、彼の世界ですら存在を綻ばせるほど体がブレて歪み始めた。


「ラミエル、何が起きてる?そんな風に今までならなかったでしょ?」


「言ったでしょう。原初エバの遺物は、原初エバにしか破壊できないと。天使でも、その影響にのまれないとは限らないことです。恭一、行きなさい。遺物はすぐそこです。私が止めている間に、早く‼」



__「おや、簡単には辿り着けませんよ。だって、ゲームは難しいほうが、面白いでしょ?」


 聞き覚えのある声が響く。らうの声だと恭一もラミエルも気づいた。どうして彼が、二人だけが許される空間に干渉しているのか考える前に、ラミエルはみるみる怒りの表情に代わり、翼を広げて恭一の体をはね飛ばすように後ろへ押した。



「おぞましい奴め‼私の世界に入ってくるな‼」


_その怒号を最後に、恭一は現実へと目覚めさせられた。

身体の重味と倦怠感、痛みと激しい咳に襲われる。


「…残念。まさか君の中にこれがいたとは思いませんでした」



 恭一は手足を鎖で繋がれ、壁に固定されている目の前には、あの素朴な顔立ちをした屈託のない笑顔を浮かべている男がいた。


「…らう…」


「さて、そろそろ、ネタばらしと行きましょうか。源氏恭一みなもとうじきょういちさん。君に呪いをかけた理由も、追い求めていた全ての…真実も」



 笑みは一瞬崩れ、髪で隠していない方の目は、虚ろで好青年的な見た目とは真逆の、怪物と呼ばれる所以の姿を見せていた。

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