第33章 貴方についた嘘

 アイテルは左手から伝わる憎しみの念に手を焦がされていた。握って痛みを抑える手は、恭一と同じく、皮膚は焦げて黒く染まり始めていた。



「…アイテル。ついたよ…」


「ありがとう、ベルハネス」


 ベルハネスがアイテルを下ろした場所は、森を抜けた古い祭事場だ。これは原初エバのためのものではない、消え去った神のものであった。ウラノスの世界ではこの世界の記憶にすら残らなくなったものは自然に消滅し、不可視の闇へと消える。これは誰も訪れることのなかった消えかかった残りものだ。



【アイテル】


 忘れられて消え行く場所の中で、アイテルの名を呼ぶものがいた。

ここはプラウドではない、遺物のある場所ではないのに、限りなくそれに似たものの気配がアイテルを呼んでいた。


 それは一部であり、同一であり、自身である。


 左手の痛みも熱も抱えながら、その呼び声の先に、オリハルコンの光があることをアイテルは感じ取った。


「……後は、お願いします」


「……大丈夫?一人で」


 ベルハネスはふと後ろに目線をずらし、周りを囲う気配を意識する。アイテルも感じ取っており、ベルハネスに対処を任せたが、ベルハネスはアイテルをこの祭事場の奥に行かせたくはなかった。


「まだ…戻れる」


 ボソボソとした声で、ベルハネスはアイテルを引き止めようとした。


「戻らないわ。呪いも遺物も、解放してあげなければいけない。私が、やらなくては」


「君の…使命じゃない」


「このままでは、ウラノスだけでなくオラトにも影響するでしょう。だんだん…広がっているの。止めなくちゃ」


「…あの人殺すなら…俺やるよ…君じゃ、勝てないだろう…」


「任せてくださいな」


 アイテルは普段と変わらない笑みを浮かべてベルハネスに背を向け、祭事場の中へと入った。光はなく、ホコリと朽ちた土くれだけがある一本道の通路を歩きながら思い出す。



__『なんで、上ばっか見てるの?』


 秘密の湖畔で恭一と身を重ね、熱と高揚を冷ましていた時の事、恭一の上下する呼吸音と心臓の音を聴きながら木々で遮られた世界の空を見ていたアイテルに、恭一は問いかけてきた。


 以前にも、同じことを聞かれて答えを伝えたつもりだったが、声に出来なかった状態だった。自分に関心を向けていないことを不満に思っているような表情の恭一に視線を戻した。


__『お星が見えたらいいなと』


__『…見てどうするの?』


__『どうもいたしませんわ。ただ、見てみたいの。昔、ある遺跡に入った時に、とても大きな天体観測の機械がありましたの。今の技術ではない古くも高度なもので、ジュドーはオーパーツと呼ばれる物だとか…。あれで初めて、お空の事とか…どういうものか知りました』


__『どういうものか知らないなんて事ある?』


__『地上に出たことありませんもの。少なくとも、記憶が無くなってからは』



 見せかけの作り物だったが、失われた技術で再現された星空を見た時、闇の中に煌々と光る流星の川。

 あれは何万年もかけて地上にたどり着いた光であるとジュドーから教わり、驚いたものだとアイテルは恭一の顔を眺めながら言った。


 _『ここは太陽の光は届いても、お星は届きません。太陽と同じ場所から来るのに、どうしてお星は見えないのでしょうと、気になって。今も、地上では見られるのでしょうか?』


_『……見れるよ。市外に行かないとよく見えないけど』


_『本物の空も太陽もお星も…本当にあるのか、見てみたいです。私はずっとこの世界で過ごすわけですから、多分、一生見ることは出来ないかもしれないと、考えてました』


_『見たって、何も変わりはしないよ』


 アイテルの視界は横から身を起こして乗り上げてきた恭一に遮られた。表情にあまり感情が出ない恭一は、いつものような無愛想な顔でアイテルを見下ろしていた。


 星の話など、貴方には当たり前のもので興味などないのだろうと、アイテルは思いながらのし掛かってくる恭一の首の後ろに手を回して招いた。


_『…ねえ』


_『はい』


_『全部終わったら、…一緒に…』


 恭一は視線を戸惑わせながら何か言おうとしていたが、全ては言わずに口を閉じてしまった。

それは恭一にとっては簡単でも、アイテルにとっては難しい事だと理解していたからだ。それでも、アイテルはその申し出を拒むつもりはなかった。


_『いつか、お星が見える所に連れていってくださいな。オラトでは、異性と見るのが習わしと聞いています。貴方と…一緒に見られたら、とても嬉しいの』


_『…習わし…なのか知らないけど、考えておく。……綺麗に、見えるところ。長く静かに、見られるところ』


_『嬉しいわ。ありがとう…』



 空のない世界。私は一生をここで終えると思っていた。空がどういうものかも知らず、真王としてこの世界で、生きた原初として祀られて。

 諦めながらも、向こうの世界を想像し、私が以前どう生きていたのかと考えながらこの世界の空を眺めていた。


 いつしか忙しなくなって、しばらく眺める暇もない日々が続き、ある時避難民の隔離区画へ向かおうと城から脱け出した日、私はもう一度、頭上を見上げることになった。


 貴方が落ちてきた時、失われた記憶か、夢で見たのか、いつか何処かで見た、空から溢れた流星のようだった。



「……っ!恭一さん!」


 貴方を見つけた時、運命を感じた。ずっと欠けていた何かがようやく私の元に戻ってきたかのような運命を。でも、貴方は呪いを受けていた。けして消えないほど染み着いた呪いを。それが貴方を飲み込む前に……。


 私が飲み込まないといけない。


 アイテルは祭事場の奥で、恭一の姿を見つける。黒いスーツ姿の乱れのない姿で、顔を伏せてただ立ってアイテルを待っているだけの恭一に、アイテルは駆け寄り、抱き締めた。


「良かった…心配しましたのよ。どうしてここに?襲ってきた方々は、一体どうされましたの?」


「……」


「…恭一さん?」


 何も反応がない恭一の顔を覗こうと、彼の顔に手を添えようとした時、その手を強く弾かれた。


「っ…⁉」


「触るな」


 恭一の冷たく言い放つ声、前髪の下に隠れた瞳が憎しみに満ちた赤い瞳に染まっていたのを見たアイテルは、弾かれた手の痛みと共に咄嗟に後ろに下がった。


【憎め、殺せ、殺し合え】


 アイテルにもようやく届いた呪いの声。恭一を取り巻く呪いは黒い瘴気となり、彼の右半身は既に黒く、人の形を保ちながらも、魔物のような風貌と化していた。


「恭一さん!私です!アイテルです!」


「…」


「貴方はまだそこにいるのでしょう?戻ってきて…」


 アイテルはまだ恭一の意識が死んでないことがわかり、再び呼びかけながら近づくが、恭一の手に現れた日本刀、牛若丸の切先をアイテルに躊躇なく向けたことで、足が止まる。


「恭一さん…?」


「…」


「…話してください。何か、言いたいのでしょう?」


アイテルは左手の痛みに耐えながら、冷静にそう問いかけると、恭一の口は、ゆっくりと言葉を発した。



「【君が、俺達を焼き払った。君は、確かにあそこにいた。思い出した】」


「え…何を言っているのですか?」


 恭一の言葉と、そうでない者の声が入り混じったその言葉に、最初何のことかと思ったが、遅れて恭一の過去に起こったことだと気がつき、すぐに否定した。しかし、既に憎しみの中に囚われ、事実を捻じ曲げられた恭一には届かない。


「【あの時、君の顔を見た。確かに君だった。この世に対する罵倒も吐き、俺に呪いを植え付けて生かした。今度は…どうする気?それで人間の人生操った気でいるの??】」


「違います!」


「【どうしてそう言い切れる?記憶がないから?その失った記憶の向こうで、自分が何したか…覚えていないと?】」


 アイテルは言葉に詰まった。確かに自分には欠けている部分が多すぎる。以前自分が何処で何をしていたのかも分からない。でも、私はしていない。そんなことは、自分の年齢を考えても不可能だからだ。


「【俺は君に生かされた。今も、生かされてる。…俺の魂も人生も君に握られていたと思うと、腹立たしい。エバだから特別だから、そうしてもいいと思ってるの?】」


「っ…違う。私じゃない……。私は…そんなこと」


「【人類を滅ぼそうとしているんだろう?君は。なら、説明がつく。あの時起こった全てに】」



 殺気立つ恭一の言葉に、アイテルも混乱し始めていた。違うことは分かっていても、記憶が抜け落ちている以上、それが確実に嘘か真かのはっきりした証拠がない。


この場にジュドーがいれば、彼を問いただしてでも、事実かどうかを確認できるが,そうはできない。あれが自分の前の者ではなく、自分であったとしたならば……。


「……私が、貴方の故郷を襲った者だったとしたら、貴方は、どうなさるおつもりですか?」


アイテルは動揺しながらもそれを隠し、恭一に問いかけた。近づいてくる彼の刀の先が首に食い込んできても、アイテルは下がらずに恭一と向き合った。


「殺しますか?」


「【……俺が……どれだけ、夢に見たと…思う?】」


 あの日の事を完全に封じるまで、どれだけの時間がかかったか、知りもしないだろう。しばらくは何もかも戻らなかった。その中で、現実に起きたことと自分に起きたことの区別がつかなかった。

 弱音を言える人はそこにいなかった。唯一異端児で、よく気にかけてくれていた叔父がいたが、家の者、のちに自分に仕える立場になりうる者に弱音を吐くことは、叩き込まれた教育の影響か、できなかった。慰めになっていた存在も、あの日消えてしまった。

 


 そんな時に、一つの翼しかない天使は現れた。そこで初めて安定する道ができたと言える。お前が一人で対処できるようになるその日まで、私が守ると告げた守護天使の言葉から、少しずつ、この孤独にも慣れたのだ。


その苦しみが、お前なんかにわかるはずもない。


再び現れ、偽りの愛をもたらし、自分を惑わしたお前なんかに。



「【君が最後にもたらすのが破壊と滅びだというのなら…これが呪いの所業だとしても、君は…】」


存在してはいけない存在だ。


 その最後の一言は、呪いの意に反して、口から出すことができなかった。それは、恭一の中に残るアイテルへの気持ちが、潰えていない証拠だった。


 憎い。君が憎い。とてつもなく、激しく燃えるこの胸の怒りは、アイテルを憎む気持ちと同時に、彼に芽生えていた愛しさが混じり、増幅していった。


「そう…ですか」


 アイテルはその声にしていない言葉でも、分かったかのように静かに顔を悲しげに伏せた後、柔らかい微笑みを作り、顔を上げて恭一を名残惜しそうに見つめた。



「では、殺していただけますか?」


 そう伝えた後、アイテルの手は刃に触れて力強く握ると、切先を自分の腹の下に誘導した。


「その前に、すべきことをさせて頂いたらですが。私の下腹部のここ、狙ってください」


「【…ふざけてるの?】」


「いいえ。貴方に殺されるのなら、私も本望ですから。残念ながら、私が貴方の記憶のエバであったかはわかりません。でも、貴方の言う通り、私は人を脅かす者に変わりありません。神聖視されるほど、いい人間だったことも、ありませんから」


 自ら命を差し出すアイテルに、流石に戸惑う様子の恭一に対し、アイテルは普段の言葉使いを崩して彼に言った。


「何度も、死にたいと望んでた。色んな人が私の為に死んで、憎しみも妬みも笑って受け流して、望んでない人との子供を産んで、良い母親面して、慈しみ溢れた聖母としての仮面を被ってたわ。子供達のことは愛しているけれど、たまに…分からなくなって、ここでもない何処かに逃げたくても、許されなかった」


 そう本音を告げたアイテルは、恭一を今までムカつかせていた仮面を取り払った本来の彼女だった。


「私が今までしてきたこと、ジュドーが秘匿している私の全てに、貴方が関わっていたとしても、私は貴方を水の中で抱いた時、初めて、手に入れたいと願った。貴方にかまって欲しくて、しつこく話しかけていたのも、私自身の心から」


「【…嘘を…つくな】」


「嘘じゃありません。貴方をこのままオラトに返したくないとすら思ってます!…本当に、愛してますの」


 それでも貴方が、私を殺したいと、復讐を望むのなら。私に、それを引き止める権利はない。貴方の意思は、私でも縛れないのだから。貴方が何よりも、それを望むのなら。


「それにね…貴方を騙してたことは、謝らなくてはいけません」


 アイテルは動きが止まった恭一に近づき、微笑みながら涙を流すままに、彼の右手に触れた。どちらかの肌の焼ける匂いが広がり、恭一の耳に、アイテルはささやいた。



「実は…恭一さんの呪い、解くだけでしたら、簡単に解けますのよ」


「【…何…?】」


「もっと早くこうするべきだったのでしょうけど、ごめんなさい」



 もっと…もう少しだけ長く、貴方と一緒にいたかった。


アイテルはその望みを言うこともなく、目を閉じ、彼の身の中に隠れたオリハルコンに呼びかけた。




「汝よ、我が元に戻れ。この穢れと共に」


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