第33.5章 殺して。貴方の望み通りに


 貴方を苦しめるつもりはなかった。ただ、この世界から出られない私が、貴方を留めておく為には、こうするしかなかった。


 少しだけでも、たった少しだけでも、貴方の傍にいたかっただけ。


 貴方を呪いから解放することだけはいつでも出来たのに、私はどうしても、貴方を離したくはなかった。それは私自身の心からの望みであり、罪。


 もう、自由です。貴方の憎しみも苦しみも全て、私にぶつけて。私は全てを受け入れます。私が、あの憎しみの連鎖を止めます。


 それが私の役目だから。



「っ…アイテ…ル…」


 

 現実と幻想の狭間の中でアイテルの想いが流れ込み、呼び戻された恭一は、地面に倒れた自分の身体を動かそうとするが、動かなかった。揺らぐ視界の先に、座り込むアイテルの姿を見て、手を伸ばそうとする。


 恭一の身体にあった呪いを吸い取った彼女の白い肌は、左手から徐々に黒く染まっていき、呪いが蝕み始めていた。



「あぁっ……うぅっ…」


 アイテルは恭一の中で育った呪いを全て受け入れた。肌は黒く染まり始め、魔素の粒子が身体から発せられる。


【なんと愚かな事か】


【なんと深き絶望か】


【我が器よ。そなたごときで耐えられぬ業を背負うたか】


 原初エバの子宮はアイテルを守っていたが、やがて呪いと同化し、飲み込まれるのは時間の問題だった。


「…やめ…ろ…!」


 正気を取り戻した恭一はアイテルの傍に行こうと這いずった。立ち上がって歩けばすぐの場所にいるアイテルは、恭一の方を振り向く。


 その瞳は赤く、白目は淀んで濁り始めていながらも、アイテルは恭一を見て慈しみある微笑みを浮かべた。


「貴方は……これだけの物を背負って…いたのね…。あぁ…なんて……貴方は…強く気高いのでしょう…」


「テル…!呪いを戻せ…‼俺の中に…!」


 それ全てを背負うなど、君に耐えられるわけがない。それがもしも、本当に君のものであったとして、再び君を狂わせて、苦しめるだけだ。


 恭一は言いたかった。でも言えなかった。アイテルは、自分の考えを全て分かっていたのだと気づいたから。


 たとえこの狂気に飲まれていたとしても、そうでなくとも、アイテルを許すことが出来ない気持ちに、アイテルは気づいているのだと。


 それでも彼女は微笑んでいた。憎む気持ちが残る自分を、まだ愛し続けてるかのように。慈しみは消えず、恭一の拒絶も受け入れていた。



「恭一…さん…。私が言ったこと…覚えて、ますね?…どうか、お願いします…。次に…お会いした時に…」




 人のものとは異なる黒い色に染まり、瞳は赤く輝くアイテルは立ち上がりながら、身体から纏う黒い灰の霧に似た呪いに蝕まれ、自我を失いかけながらも、最後に恭一に示した。自分の下腹部に触れて、ここを狙ってくれと言わんばかりに。


殺されるのなら、殺したいのなら、貴方に殺してほしいの。

愛してます。ただ貴方をずっと。


 アイテルの言葉が恭一の脳裏に伝わったところで、彼女の自我との繋がりはそこで途切れた。


「我が…子宮よ。連れていきなさい…この呪い、我ら同一たる者が呼ぶところへ…」


 ゆっくりとアイテルは進み始める。纏う穢れはアイテルを蝕みながら振り撒かれる。彼女は今依代となった。人を憎しみに焦がす為。


 恭一は動かない身体のまま、声を身体の奥底から張り上げた。


「行くな‼」


 滅多に張り上げることのない恭一の決死の声が、彼女に届くことはなかった。


 揺れる長い黒髪の後ろ姿が、深き闇の先へ消えていくのをただ眺めるしか出来ず、恭一は悔しく、力の入らない手を無理矢理動かして握る。神経系が悲鳴を上げて、動く度に苦痛をもたらすだけの自分の身体。

 幼い頃と同じように、自分はまた何も出来なかった。また、自分が大事だと思った人に、助けられてしまった。


 その無念か、呪いの残した残り香に引き寄せられたか、魔物が何処からか現れる。意味の分からない言語を発し、恭一の方へ近付く。

敵に囲まれたこの状況など気にもしていない。悔しさと苛立ち、憎しみと慈しみが両方混ざる。何処かへ去ってしまったアイテルを求め、立ち上がろうとしたが、やはり動かなかった。



__「長く呪いに侵された影響でしょう。恭一、君の身体には麻痺が残り、以前のようには動かない」


「だったら…動かしてよ」


 いつまでそうやって傍観を続けてるつもりだと、頭上の目の前に現れたラミエルに言う。天使の言う通り、もう半身不随の状態の恭一にはそれが限界だった。


__「このままでは、終われませんよね。当然。まだ何も終わっていない。呪いは残っている」



 ラミエルは立ち上がろうとする恭一を、何処か達観したような目で見下ろしながら翼を広げ、落ちた羽根を一片、恭一の前に落とした。落ちた羽根が手の上に落ち、握った恭一は、羽根から手に、手から身体中に巡り始める暖かなものが身体を修復し、蘇らせた。


悪行滅却解号あくぎょうめっきゃくかいごう___『めつ


 天使の力を借りた恭一の言霊に、現れた魔物が眩しい閃光により滅され、黒い粒子となって消滅する。


 この場の魔物は滅却されたが、呪いが自分から離れ、二人で分け合って抑えていたものが抑えられず、外に漏れている状況。アイテルはそれを振り撒きながら何処かへ去ってしまった。


 いつまたどんな災難が降りかかって来るのかわからない中、恭一はふらつきながらやっと立ち上がる。



__「ごめんね、らうに邪魔されて。九龍城砦の怪物、ゴーワン。私も会うのは今回が初めてでしたが、思ったよりやる男でね」


「奴の事は後でいい…アイテルを、追いかける…」


__「えぇ。それは当然ですが。恭一、まだ動くのはよして休みましょう。傷が開きますよ。それに、満身創痍の状態で突っ込んで行くのも得策じゃない。遺物の災いは既に広がり始めている」


「彼女が持たなくなったらどうするつもり??呪いに殺させはしない。そう決めた。」


__「…そもそも、君はまだ、あの遺物の本当の災いを知らないでしょう?らうはただ単に、アイテルを殺すためにこんな手間のかかることをしていると思っていますか?君も、まだまだ視野が狭いね」


 ふらつく足でアイテルを追おうとする恭一は、その天使の言葉に止まり、振り返る。天使を睨むように見つめる恭一に、実体のないラミエルは、足元をじっと見下ろしていた。その視線の先に、アイテルのペンダントが落ちていた。弱々しい光をまだ帯びているオリハルコンの青の輝きに、ラミエルはかがみ、触れようと手を伸ばしたが、直前で手を止める。



「まだ何か話していないことがあるのなら、今全部話して。君のもったいぶった態度に付き合ってる暇はない」


__「…」


らうが言ってたことが本当なら、俺は…彼女を殺さなきゃいけない。彼女が記憶を失っていて何も知らなくても、俺が必ず彼女に関心を持つようにされていたのが呪いの一部なんだとしてもそうじゃなくても、最後に辿り着くのが、破滅ならね。…でもそれは避けるべきことだ」


__「憎んだくせに」


恭一の言葉に、ラミエルは恭一を見ないままそう口を開いた。


__「騙されたと失望して、殺そうと思ったでしょう?いくら呪いの作用とはいえ、君は彼女を殺そうとまで考えた。…当然でしょうね、それほどには、酷いことをしたのだから」


「…」


__「だからこそ、真実を知りたい。そればかりですね、君は。昔から言っているでしょう。その真実は自ら見つけるもの。インターネットや人に聞くものじゃない。そんなところで見聞きした真実というのは、どうとでも変わるものです。愛もそうですよ?愛というのは、憎しみに一番変わりやすい。人というのはどうも、業が深い生き物ですね」


 天使には恭一の考えなどお見通しだった。

今まで散々答えを探しに出ていたというのに、いつまで経っても結論を出さない。それが、君の悪いところだとまた静かに指摘するラミエルは、恭一から見えないところで、憂いげにふと笑みを漏らした。


__「君自身は、どう思っているのですか?今まで見てきたもの、聞いたもの全てを見て、アイテルが全ての黒幕だったと?」


「……わからない。ただ…」


__「ただ?」


「…アイテルは、ただ俺を想ってた。どれだけ突き放しても、殺意を向けても、彼女は、俺を殺したいとすら思ってなかった。どれだけ理不尽な目に遭っても、誰の事も恨まずに耐えてた。俺とは違って、かなり我慢強い。それがあんな事を、自分の意思で起こすとは考えにくい」


__「分かってるなら、あいつの言う事を簡単に飲み込んで、踊らされるんじゃありませんよ」


らうだって嘘ばかりついていたってさまじゃない。無くなってた記憶が出てきたから。確かにあの赤い目の、アイテルに顔が瓜二つだった。それはまだ取っかかりだ」


__「あのね、人間三人は同じ顔がいるって聞いたことありません?それに、らうの仕込んだ幻覚なのかもとか、可能性はあったはずですよ」


「…仕方ないでしょ…呪いがあるんだから。それに、俺はこれぐらいで一度決めたことを覆す気はない。別に本気で殺そうと思ってない」


__「これぐらいって……まぁ、もういいです、それは」


「で???」


 いい加減こっちにばかり喋らすのやめてよねと言わんばかりの恭一に、ラミエルはゆっくり腰を上げて、白に近い金髪の髪の向こうから覗く瞳を、恭一に向けた。



__「アイテルは君から呪いを全て取り除けたわけじゃないし、遺物でらうが何をしようとしているのか、今からは…そうですね…もう全てを教えてもいいでしょう」


 ラミエルは片翼の翼を広げ、現実の時間と空間から恭一を遠ざける。二人だけの幻想。ここなら時も呪いも何も気にしなくていい。ラミエルは今の恭一を見て決心していた。これから告げることが、恭一にどのような影響と結末を与えるものか、全て見透かしながら。



__「今から言う事は全て真実です。嘘はありません。いつか時が来たら、話そうと思っていたこと。今まで君が求めた全て。天使と悪魔の証明…その前に、今一度確認させてください。どんなことを聞いても、アイテルを助けるという意思は、変わりませんね?」


 君はアイテルの守護者であり続けると、そう誓えるか?


いや、誓ってほしい。自分が話す全てを聞いても、アイテルを守るという事をけして覆したりはしないことを。


 ラミエルがそう真正面から問いかけると、恭一はラミエルが何をそんなに念を押す事があろうかと考えた。やはりアイテルは何か関係しているのかとも。


 自分はまだ許せるわけじゃない。もし彼女があの日の赤い瞳の者であったのだとしたら。許すつもりはない。だが愛が憎しみに変わりやすいように、憎しみも愛に変わる事もあるのだろうか。


今はただ、彼女に会いたい。


 会って、なんで勝手なことをするんだと叱りながら呪いから引き剥がし、彼女の肌に触れて抱いて、酷い事を言ったと謝りたかった。

 彼女はまた笑ってくれるだろうか?死にたいとまで心に秘めて思う中でも、ずっと朗らかに包み込むような笑顔を自分にも向けてくれていた。


 昔、咲が自分にそうしてくれたように。



『坊ちゃん、本当に強い人というのは、弱い立場の人や、大切な誰かを守ってあげられる人なのですよ』


 本当は思い出していて、置き去りになっていた咲の言葉が過った。アイテルと同じような微笑みをくれていた彼女が死ぬ前に自分に残した言葉の意味が、今になってわかる。

 ただ彼女と同じように、俺も彼女が大事で、守りたいと思うから守るのだと。そしてもう一度会えた時に、本当は憎む気持ちなどないと伝えたい。俺も、君が大事だと伝えたい。と。


 求めていた強さとは違う。俺はまだ弱い。そう夢の中で赤い瞳の者に告げられたのは、本当に弱かったから指摘されたのだろうと今になって見えていた。


「そうだと言ったら?」


__「…もう迷いはないと、信じていいのですね?」


「今と昔は違う…。俺は、今のアイテルを見てる。彼女を守る事に、変わりなんかない」


__「そう。じゃあ……君を信じるよ。私も。君が私を信じていてくれたように」



 君がどうして、見えないものを認識し、それに対抗しうる力を得たのか。劉の目的、遺物の本当の力。天使が知りうる全ての答え合わせを。


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