第40章 悪魔の証明と天使の境界
恭一、覚えていますか?私と君が初めて出逢った時の事を。
大災害と呼ばれた災厄が降りかかった後の事、静かな広い庭園の中で子供が1人。足元に纏わりつく、人には見えざるものの獣を、他の小動物と同じものと誤解して手で撫でながら、池の中を眺めていた子供がいた。
未成熟で細い身体は傷つき、ガーゼや包帯が巻かれていた。真ん丸頭の坊っちゃん髪で、白いシャツと半ズボンの、子供らしからぬ無愛想な面の子供が君だった。
私は君の真後ろにいた。足元にいた獣は私に気づいて蜘蛛の子を散らすように逃げ去り、君は私に気がついた。
「誰?」
君は知らない者に対して動揺することなく、ただ一人の時間を邪魔されて、煩わしそうにそう言った。
誰と聞かれて、答えに迷った。
答えを、私は知らなかった。
ただその時、自分にあったのは一つだけ。この子を、これからずっと守り続けなければならない。それだけが私の中にあった。
「用がないなら消えて」
黙り続ける私に、なんて生意気な事を言うガキだとも思った。確かに用はないし、守る理由が分からないが、そうしなければいけないと正体不明の使命感に突き動かされて、消えることも出来なかった。
私は一体誰なのだろう。どうしてここにいるのだろう。どうして、この子を守ろうと思うのだろう。
だから私は、君に聞いた。
「君は私が、何に見える?」
自分の姿がどういうものなのかも知らず、名も知らず、他のものも何一つ知らず、私は君の傍に立っていたのだから、君にしか知り得る事がない。
私は自分が誰なのかを知らない。だから、君に決めてもらおうと思ったのだ。
私は一体、何者になるべきなのかを。
君は池から目を離して、私の方へ振り向いて見上げる。白い肌と赤みを差した頬、切れ長の大人びた少年の瞳はじっと私を見上げ、しばらく黙っていた。
「……天使、とか」
しばらく黙って絞り出したように出たのがその答えだった。
天使??私がそう見えると?意外な答えが出たものだ。生意気な態度に反して人を天使と見紛うか。そう思って拍子抜けした後に笑ってしまった。
「違うの?なら不審者?子供目当ての誘拐犯??」
あぁ、その答えが先にでなくて良かった。
そうか、君には私が、天使に見えるわけか。なるほど、可愛げがあるじゃないか。……よし、ならばそれになろう。君が私を、天使と思ったのならば、それらしく、ふさわしい格好に。
「えぇ、その通り。私は君の、守護天使です」
君が私をそう見る限り、私はいつまでも君を守りましょう。私は、君の守護天使。
君にしか見えない幻影であり、君の夢に留まる者。名はそう……。
_____「ラミエル」
私を呼ぶ声がした。
君を守るとした意味も、自分が一体誰であるのかも。少し早いですが、今、告げる時かもしれない。
「覚えていますか?私と君が、初めて出逢った時の事を」
「それ、今しなきゃいけない話なの?」
「覚えているのかと、聞いているんです。恭一」
現実の時を止め、幻想の世界で、あの日あの場所の中で、天使は彼に問う。
しばらくその変わらない仏頂面のままラミエルを眺めた。あの日のように、生意気な子供のときと同じように。
「覚えてるけど」
「君は私を天使と呼んだね。どうして、そう思ったんですか?」
ラミエルのその問い掛けに、またその質問かとうんざりしながら理由を言おうとした恭一だったが、答えは白紙のページのように真っ白で、浮かんでこなかった。
何故自分はあの時、ラミエルを見てそう思ったのかと言う理由。羽が生えていたからでもなく、容姿がそれっぽく見えた訳でもなく………いや、そう見えてはいた。見えてはいたのだが、その確かな証明があやふやになりつつあった。
「…いつもみたいに、羽が生えてるからとか、金髪で白いからとか、なんとなくとか、言わないんですね。そうだね、君はその答えを使えなくなってきている」
「どういう事?」
「君は、私の姿をイメージで見ている。あの時からずっと、自分の中で無意識に作り出した像を、私に投影しているのです」
「…………何言ってるの?」
「簡単に言えば………私は、このような姿でもなければ、"天使でもない"と言うことです」
ラミエルは悲しげに目を伏せてそう告げた。
自分は、天使ではない。この姿も、恭一が勝手に作り出してあてがったまがい物。神に遣わされてやってきたわけではない。
18年間で信じきってきた事実を覆した時、恭一は表情を変えなかったが、目元や眉に動揺した僅かな動きが見えた。
「今更どうしてそんなこと言うの?君が天使じゃないなら、なんなの?」
「…
「別の者って誰?」
恭一は幻想の世界の彩りと景色に意識を向けた。いつもの穏やかな景色も、懐かしの生家も、水辺と白の世界でもない。___呪いによって崩壊を辿り、少しずつ、綻びが欠片となって剥がれていく世界。
暗い空と大地が広がり、恭一の立つ場所から見えるのは、業火に燃える、幼き日に巻き込まれた悪夢の日。
人も街も全てが焼かれ、世界はまさに滅びる寸前まで近づいていた光景だった。呼吸をすると、灰が焼かれるように熱く苦しい感覚まで、すぐそこに戻って来ていた。
「……あの時……」
____恭一は思い出した。
瓦礫と咲の身体に挟まれた恭一に近づいてきた影は、頭と腕だけが外に出ている恭一の前に腰を下ろす。その血染めの下半身だけが恭一には見えていたが、魂は既に壊れた肉体から離れようとしていた。
恭一の死を感じたその者は、手に持っていた血と肉に汚れた刀を地面に放るように手放し、2本のしなやかな長い手が、恭一の上の瓦礫をぐっと持ちあげた。
鈍く大きな音と振動の後、恭一にかかる重みは軽くなり、最後は咲の亡骸の下から恭一を引っ張り出して、その腕に抱いたことを。
『お前を、死なせはしない。我が宿命の者よ』
今まで記憶から失われていた断片。確かに残るあのぬくもりの確かな記憶が、恭一に戻る。自分はあの後、瓦礫の中から助け出された。あの赤き瞳の者に。……いや、"彼女"に。
___「君は考えもしなかっただろう。あの惨劇を起こした者が、君だけは生かした理由。それはね、本来狂わなければ、君とその者は必ず出会い、結ばれるはずだった、宿命の縁だったからです」
宿命の縁。あらゆる生命の魂は、一なる子宮より生まれた時、必ず対となる魂が存在する。定められた命のつがい。
その魂の繋がりはどの様にしてもけして断ち切る事が出来ないもの。二つが同時に存在する世界で、どの様な形であれ、必ずひかれ逢うようになると言われる。
しかし、星と世界の均衡が崩れ、生命の循環に乱れが生じた今、宿命の縁は必ずしも二つ同時に存在するということが出来なくなっていた。
そして赤き瞳の者、その者は、もはや修正が効く道にいなかった。
「何を寝ぼけたことを言ってるの?君は…まるで…」
恭一はこれはまた何か、タチの悪い冗談なんだろうと思った。
だが、景色の方に向けていた目を再びラミエルの方に向けた恭一は、ラミエルの姿を見て思わず体が固まる。
瞳は赤く、白目は黒く濁っていた。肌は卵の殻のようにひび割れを起こし、顔半分は剥がれ、その下の皮膚らしき場所は黒く、人体ではない別の物質のよう。背中から生えた羽からは、炎の果ての灰が静かに昇る。
天使の姿とは程遠く、まるで魔物のような姿になりかけている。恭一からアイテルが取り去ったはずの遺物の呪いの気配が、ラミエルから強く感じ取れた。
「ようやく、君は私を見てくれましたね」
罪悪感に苛まれているような表情のラミエルは恭一を見て思った。
君はずっと、私を見ることを拒んでいた。恐れていた。憎んでいた。君には最初から見えていたはずなのに、無意識に別の存在として私を見ていた。
だけど、もう君はそうする必要がない。恐れる以上に、求めるものが出来たから。
もはや私は、別の者になる必要はない。
「なんなの…その姿は…君は…」
「私は、赤き瞳の者から生まれたのです。
そして、呪い。
告げたラミエルは、恭一の胸の上に手を触れた。渡そう、ここまでたどり着いた者に、与えられる真実を。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます