第2章 天上の園で、澄み渡る光を見る
女王から滞在を許された後、一人の青年が呼ばれた。
薄い氷のような色をした髪を切り添えた中性的で美しい金色の目をしたまだ若い青年が女王陛下と挨拶をすると、女王は彼を立たせ、改めて恭一に紹介する。
「彼はミツキ。貴方の身の回りの事を任せます。分からないことがあれば、彼に聞いてください」
「お初にお目にかかります。ミツキと申します」
青年は恭一の背よりも低く、恭一の方を向いて頭を下げた。恭一も少しだけ黙って会釈を返した。
「そしてこの者はジュドーです。私の側に仕える執事ですが、この城の統括を任せておりますので、困ったことがあれば、いつでも頼っていただいて結構ですよ。そうでしょうジュドー?」
「それが、陛下のご命令とあれば」
恭一は紹介された二人の人物をよく観察する。このミツキという青年は、真摯な姿勢で対応する気があるように思えるが、ジュドーという長髪の方は、口では協力すると言いながらも、全く協力する気が感じられない。
むしろ、機会を伺って踏み潰してやろうとする魂胆が見えた。こんな腹黒そうな男に誰がどう頼れというのか。恭一は密かに思ったが言わず、別の質問をした。
「確認したいんだけど。俺を助けた時、他に生存者はいない?船には、何人もの人が乗っていたんだけど」
恭一の質問に少し沈黙した後、真王は悲しげに答えた。
「残念ですが、貴方以外に生存者は見当たりませんでした。ここまで引き寄せられる者はそう多くありません。船の残骸に関しては、一部破片が見つかったと報告を受けましたが」
「一緒に落ちた男がいる。黒髪で右の前髪が長い。手を黒革の手袋で隠した中国人の男だ。見つけたら教えてもらいたい」
「中国人…ですか?」
「陛下」
恭一の中国人という言葉に些か反応を見せた真王に、横からジュドーが割り込んで会話を切った。
「陛下はお疲れだ。お前を助けた時に見たものは何もない。その手の呪いと持っていた品物の行方に関しては、協力してやる。大人しく部屋に戻るがいい。ミツキ、俺が行くまで監視してろ」
「かしこまりました、執事長」
半ば強制的に会話を切られ、ミツキは恭一についてくるように促す。
恭一はジュドーに鋭い灰色の瞳を向けた後、これ以上の情報収集は不可能と判断した。そして大人しく、ミツキと共に王座の間から離れた。
「お部屋にご案内しながら、この国の事をご説明致します。えっと…」
「…
恭一の名前は珍しい読み方をしており、アメリカに留学した時も、外国の学生には難しく、先生にすらも忘れられるため、別の略名である
ミツキは慌てて失礼しました!と謝ると、申し訳なさそうに言った。
「少し変わったお名前でしたので。それにしても、
「君も俺がいたところからきたの?…そうは見えないね」
「ずいぶん昔のことですから…」
そうじゃない。君、“人間じゃないだろう”。
そう言おうとした口を閉ざした。わざわざ言うことでもないと諦める。ここででも、自分の勘は鋭く働くのか。いや、以前よりも敏感になっている事に気がつく。
一なる者、
むしろそう言うものなのか、はたまた別の人物が成り代わってる可能性もなくはない。自分のような余所者に、おいそれと姿を見せるのは簡単すぎると、恭一は感じた。
「あの女王って本物?」
案内されながら唐突にはっきり問いかけた恭一に、ミツキは振り返った。
「本…物って、陛下ですか?」
「そう」
「どうしてそう思うんですか?」
「なんとなく」
「なんとなくでそんな事を口にしないようにしてください!聞かれたら処罰を受けますよ!」
王家の人間を貶めると何処の国でも処罰の対象になりかねない事だが、ミツキは、真王への不敬になることは罪が重いと言うことを恭一に教えた。
こちらにどうぞと部屋の進路から一時逸れた途中のテラスへ出て、この世界を恭一に見せた。
恭一はテラスから広がっていた世界の景色に内心心を揺さぶられた。
自分がいるこの城の大きさは想像していた大きさよりはるかに大きく、古くも丈夫なままの石で出来た神殿だった。
天から何処からか降り注ぐ滝の水蒸気により発生した霧で霞んで見える景色の中に、大昔に無くなったであろう文明の神秘的な建物の残骸とそれを覆う緑、そして遠く崖下に広がるマチュピチュの遺跡を思い起こさせるような街がある。
「ここは、エバの膝下と言われる聖都アクロポリス。元は、地上でかつて栄華を誇った海上の帝国でした。国の名を、アトランティス」
「…アトランティス?」
「先ほどの青い肌の守衛さんをお見かけしたと思います。青い肌に長い耳。この国の原住民であるアトランティス人ですよ」
アトランティス。
かつて存在したであろうとされる伝説上にだけ存在する国の名前であることを恭一も知っていた。はるか昔。津波か何かによって消滅したとだけ知っているが、存在を裏付ける証拠は未だに発見されていない。
発見されれば、世紀の大発見だろう。
「かつてアトランティス人達は、エバに仕える民として、エバの国を崇めてきましたが、時を経て堕落し、この
「……エバを信仰する民族だった、その記述やエバに関することも地上に残されていない」
「アトランティス人に関するものは、地上より全て葬られたそうです」
「ここでは信仰されている神のようだね」
「厳密には、神とは異なるその上の上位の存在。一なる者と呼ばれています。エバは八柱の存在からなる者です。時代ごとにエバの一柱は、器となる人間に宿り、その者をエバとして世界に干渉するのです。
その者こそが、この国の王座につき、真王となれます」
「神がそう頻繁に降りてくるものかい?」
「いえ、本来はオラトにしかエバは現れません。アトランティスは、ウラノスに落とされてから、二度と真王を立てることはないと考えていたそうですが、真王アルミサイールが現れたことにより、状況は変わりました」
「地上にしか現れないのに、そんな存在は見たことも聞いたこともない」
「神は自ら神であると、人に教えたりはしないでしょう?」
世界には、まだ自分の知らないことがある。そう思わせるミツキの存在と、目の前の景色に、これは酷い場所に連れてじられたと思っていると、恭一の疼いてた右手が酷く傷んだ。先ほどから重だるさを感じてはいたが、不意に感じられたこの痛みに、右手をかばう。
「陛下が真王としてこの国に降臨なされてから、かつて戦乱が巻き起こっていたこの世界も平和が戻り、国々は陛下に忠誠を誓いました。この世界は真王陛下によって、平和がもたらされているもの。簡単に名を言ったり、中傷と捉えられるような言動は、謹んでくださいね」
「…それが、この世界の規律というなら」
「では、こちらから参りましょう」
ミツキとテラスの側の階段を降りて、美しい花と果物の木がなる庭園へ入る。
静かに鳥のさえずりと水の音が聞こえる、無駄な害虫や蝿を見ないよく手入れされた庭園を進んでいた時、ミツキはふと何かの機器を取り出し、確認するように途中立ち止まると恭一に振り返った。
「申し訳ございません。こちらでお待ちいただけますか?すぐに戻りますので」
「監視していないと、あの執事が怒るんじゃないの?」
「逃げても無駄ですよ。この城広いですから、逃げたら遭難してしまうのは貴方です。一度失礼致します」
ミツキは会釈すると、芝生を踏んで神殿の中に入って行った。
確かにこの隙に色々と調査に繰り出すことはできるが、想像していたよりも広く大きいこの内部を、事前資料なしに歩き回るのは困難だと考えた。
さっきから意味の分からない話に付き合ってストレスが溜まっていたせいか、右手の痛みは酷く疼いた。正直立っているのも煩わしいほどだった恭一は、一度側にあったベンチに腰を下ろす。
「くだらない…」
とりあえず、話を早く進めるために話に付きあってはいたが、ここがアトランティス?海の下の世界?馬鹿馬鹿しい、映画の話でもあるまいし。
恭一はとにかく、エバを探して呪いを片付け、多分一緒に来ているであろうあの男を追いたかった。ラミエルの反応からして、あの男は死んではいない。死んでいるなら、死んでると言うはずだからだ。
なぜ、
「まさか、こんな形で命が尽きることになるとはね…」
自分の命は、後数週間ほど。それまでにこの仕事を片付け、あの男の企みを暴かなくてはいけないのに、明らかに時間が足りなかった。
どれだけ計画を練っても、目の前の現実が全て邪魔する。これも、ラミエルのイタズラか何かなのだろうか。
子供の頃から自分を監視しているような天使は、いつか尽きる命を救うつもりはない。この呪いを解いたとしても、自分は死ぬだろう。自分の力と、それにより関わってきた様々な仕事のせいで、散々寿命は縮んできた。
時には悪魔や神に対する事にまで首を突っ込んで、危ないこともあった。その度に助けてきた天使は、告げた。
お前は死ぬが、呪いを解けと。その為に、エバを探せ。
エバというものは、一体なんだというのだ。
こう頭を悩ませる恭一にふと、第六感が開く。自分に近づいてくる存在を感知した。
その気配は、天使ラミエルを感じる時よりも確かな気配で似ているものの、違う不思議な気配だった。
それが恭一の背後まで近づいた時、恭一はベンチから立ち上がり、振り返った。
そこにいたのは、天使でも悪魔でもない。人間に見える女性。
豊かで青みがかった黒髪を腰の先まで伸ばし、ベトナムのアオザイに近い小紫色の衣装に、長い足と華奢な体格のラインがわかるパンツスタイルの服装をした、優しげなタレ目の赤い瞳を持つ、ほのかに柔らかい雰囲気の女性だった。
「ごきげんよう」
胸の上には、青く光る石をペンダントにして下げている女性は、果物の入ったかごを手に持っている状態で微笑み、恭一に話しかけた。
「驚かせてごめんなさい。見かけない人がいると思ったので」
「…君の庭かい?」
「お花がとても綺麗でしょう?
余所者である自分に柔らかく慈愛のある微笑みを向けて、おっとりした口調で話す女性に敵意はないと感じた恭一は、この不思議な違和感をまだ感じながらも、警戒を少し解き、この世界で初めて会った何処か自分とそう変わらない普通の存在に改めて話しかけた。
「この城に住んでるの?」
「えぇ、そんなところです。庭のお手入れをしておりますの。貴方は、どちらの方?」
「…」
多分上から来たという意味で空を指差すと、彼女の赤い目は顔と一緒に上を向き、気付いたように笑顔になる。
「ウラシマさんですのね!お見掛けするのは、とても久しぶりですのよ」
「…そう」
「お話を聞かせてくださいな。お名前はなんとおっしゃるのですか??」
「…
「まあ。長いお名前ですのね。どこからがお名前なのかしら?」
「恭一でいい」
さっきから名前を名乗ってばかりでめんどくさくなった恭一は淡々とそう告げると、ふわふわした笑顔を女性から向けられる。
「恭一さんと仰るのね。私は、アイテルと言います。どうぞ、お見知りおきくださいませ」
「…不思議な名前をしているね」
「そうでしょうか?オラトでは、私の名前は珍しいものですか?」
「普通、つけない名前だと思うね」
「まあ。私には、恭一さんのお名前の方が珍しく感じます」
無愛想な返答にも純粋に答えるアイテルは、初対面にも関わらず臆することなく恭一に興味を示してきた。
ウラシマモノというのがは本当に珍しいのか、一見話しかけにくい雰囲気を持った恭一にまだ話しかけて来るため、機嫌の悪い恭一は放っておいてほしい鬱陶しさを感じていたが、彼女のふんわりした雰囲気からか、突き放せずにいた。
「しばらくはこちらにいらっしゃるのでしょう?留まってくださった方が私も嬉しいですわ。地上のお話が聞けますもの」
「君の話し相手になってる暇はないんだけど」
「そう言わずに。このお城でなら、またお会いする事がありますでしょう?」
「言っとくけど、俺はね、遊びでここにいるわけじゃないから。やることが終わったら、すぐに出ていく」
「…まぁ。忙しそうですのね?」
無愛想な返答をした恭一に、少しきょとんとしたアイテルの表情は、すぐに優しげに口元を緩ませた。
「ご気分が優れないように見えますわ。休んでいる暇も、なかったのでしょうね。すぐにとは言わず、ここで安らぎを得ることをおすすめ致しますわ。この庭は、その為に作りましたのよ」
「…」
「普段は、誰もおりません。貴方さえよければ、この庭で息を落ち着かせに来てくださいな」
「入っていいなんて、勝手に許可していいの?」
「お庭に入るのに許可なんて必要ありませんわ」
確かに静かで、自分達以外には誰もいない庭園だ。作物と臭すぎない花の匂い、近くに流れる水路と水の音に新鮮な空気。人の領域とは違う、神域のようにも恭一には思えた。だが嫌いではない。
むしろ、こういう静かな空間の中にいるのは一体いつぶりなのだろうと恭一は思い起こすが、スッと自分の顔の前に、赤いリンゴを差し出された。
アイテルの瞳のように、深くも明るい赤色。…同時に、まるで血の色のようだと、恭一に思わせた。
「ここで採れたリンゴですの。どうぞ、おひとつ」
「……いらない」
「そう仰らずに。美味しいですよ」
いらないと断ったのにも関わらず、アイテルの手が恭一の左手を掴み、その手にリンゴを強引に握らせた。
「私はこれで失礼致します。また、お話いたしましょうね!」
「だからいらないんだけど。ねぇ、ちょっと」
強引に渡されたリンゴを返そうとする恭一から背を向け、黒髪をなびかせユタユタと走り去っていくアイテル。
恭一から見ればのろのろした速度に、全く本気を出さずに追いつけるのだが、追いかけようとする足は、めんどくさくなって自然と止まる。
「…他人から貰ったものは、食べないんだけど」
そう一人、リンゴを眺めて呟く。
恭一はアイテルの赤い瞳、瞳にまず目をひかれた。色素欠乏症の人間には見られるものだが、普通の人間で赤い瞳を持つのはなかなかいない。
後はコンタクトレンズという可能性だが、その物はこの世界にあるものなのかどうか。そして、あの瞳を何処かで一度、見たことがあるような気もした。
遠い記憶の彼方の何処かで、月も星も隠す暗い夜、燃え盛る炎と血の色を混ぜた瞳の色を。それを思い出そうとすると、何故か途中で曇り、頭の一端に頭痛を感じ取る。
「すいませーん、お待たせいたしました~」
「…あぁ」
恭一は戻ってきたミツキと共に城の中へと戻る。
「?そのりんごは、どうなされたんですか?」
「貰った。庭で会った赤い瞳の女に。王室の関係者だと思うけど、誰?」
「んー……すいません。出入りが多いもので、パッと思い付く方はいないです。恐らくは、庭師の方だと思います。真王陛下の個人的なお庭でして、色んな人が手入れに入っていますから」
「…そう」
考える素振りをして結果出たミツキの答えに、素っ気なく呟いた恭一は、ふと重く感じていた右腕が少しだけ軽くなった事に気がついた。
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