第8章 赤き瞳に災厄を映して


 夜になり、自身の部下であり幼少の頃からの付き合いがある弁慶を呼び、これまでの経緯いきさつを話した恭一。弁慶は大声を出さず、恭一の話をじっと聞き、終わる頃には顔を強張らせて俯き、沈黙していた。



「この弁慶、若が幾度も不可能と思えることをやり遂げる姿を見てきました。今回は、本当にどうにもならないと言うんですか?若のお力でも、夢に出てくるという、天使の力でも」


「あれは人をからかうばかりで、何も協力したことがないからどうか知らないけど。これは、強すぎて無理。根源を断たなければ、いずれ正気も失い、命も取られるそうだ」


 恭一は、手袋を外した自分の手を見る。呪いの影響を抑えているだけで、進行を抑えられてる訳ではない。十字の傷は黒ずみ、そこから深い念が渦巻いている。


「エバである真王が、身を立てて進行を遅めているそうだ。そのお陰で、ある意味俺の体と彼女の体は、繋がった状態にあるらしい」


 そのはずなのに、彼女は何も感じてないようだ。もしかしたら、感じていても言わない理由があるのかもしれないが。



「エバ…一なる者、ですか。今お聞きしたものと少し似たような、話を、長官から聞いたことがあります」


「ジュンフェイが君に何話したの?」


「世界が創造された話というのは、色々ありますが、一般的に知られているのが、7日で創造主が世界を造ったという説です。現実的な話、宇宙でビックバンが起きて…という話の方が信じられるんですがね」


でも、実際にそうだったのかは、今を生きる人間は誰も知らない。この地球が誕生した時、今の人類はいなかった。

しかし1800年代、南米の未開の地にてとある遺跡が発見された。そこに合ったものは、古代人類の作ったものであるとは思えない、高度な技術で作られた遺跡だったという。そこで発見されたのは、謎の言語と絵で構成された大きな石版だったという。


「その石版にはまるで、今の人類が生まれる前とか、地球が誕生する以前のような事が書かれていたとか」


「異星人の手記ってこと?ジュンフェイが、そっちにも興味があるとはね」


「その内容については詳しく聞かなかったのですが、その時ちらっと言ってたんです。あれには、この星を、世界を作り、何処かで脈動を打つ、一なる者の存在が示されていて、人である者の目に、触れるべきものじゃなかったと」


存在を知らないのは、存在を知ることがない理由がある。


ジュンフェイはそう言って、話が終わったそうだが、ジュンフェイがエバについて何か知っていてもおかしくはない。

 CIAという組織とは別の、秘密科学調査機関、通称SSAなんてものを立ち上げて、非現実的事象の調査なんてしている変わり者の彼が、何も知らないというのは、少し疑念があると考えた。


しかし問い詰めようにも本人はここにはいない。

終わりのない話をこれ以上進める気はない恭一は、答えを何も返さず、ふと、鏡台の上に置いていた赤いりんごに目を向ける。

どうぞと差し出されたりんごは、アイテルの赤い瞳を思わせる、艶々しく淀みのないのまま。



 とても残酷な、業火の残火のこりびのような色。



「…弁慶。昔、日本で大災害があったの覚えてるかい?」


突然の恭一の言葉に、弁慶はすぐに言葉を返せなかったが、遅れてはいと答える。


「ガキの頃でしたかね、日本の活火山が立て続けに噴火して、国中偉い騒ぎになったあの災害ですか。俺達の街でも、あの時は…大変でしたよね」


「…噴火ね。うちの近くに活火山なんてなかったけど。あっても一番近くて田倉山。噴火したのも何万年も前だ」


「まぁ、そうですが。あの時は全国全てが被災に遇いましたし、すごい火事で、うちの寺に避難してきた人も大勢いて…」


そう語る弁慶の様子は、記憶が確かなようで、動きはとてもぎこちない事を、恭一は目で確認した。そうか、やはりあの時の事は、と。


「それが何か?珍しいですね、若が昔の事を思い出すなんて」


「悪い?俺が、昔のことを思い出すのは」


低い声のトーンと共に、恭一の鋭い瞳が、一回り大きい体格の弁慶を容赦なく睨みつけ、弁慶はその突き刺すような視線に慌てて頭を下げて謝った。



「め、滅相もない‼︎気分を害し、申し訳ありません‼︎」


「…とにかく、君は俺の代わりに情報を集めてくれるかい。俺、彼女の警護に付き合わないといけないから」


「あぁ、アイテルさんの守護者という任務についておられるとの事で」


「彼女が呪いを解くのに必要な人材という事だから仕方なく付き合ってあげてるだけ。ただ近づいてくる部外者を排除していけばいいものかと思えば、あの子、女王のコーギーよりも勝手に動くから目が離せなくて疲れるんだけど」


「…そんなことありましたか?」


「仕事でジュンフェイとサムとで、イギリスに行った時に、コーギーにずっとまとわりつかれて、そのまま散歩までさせられたよ。でも、犬の方がまだ利口だ。目の届く範囲にいるし、待てといえば待つし」


 知らない時に王族のコーギーに懐かれる珍事があったのかという驚きと、どちらかと言えば独善的で協調性皆無の一匹狼である恭一を上回る強者が彼を振り回していることを知り、やはり珍しいことが起きていると、今度は心中で弁慶は思った。



「女性っていうものは、犬猫と同じようにはいきませんからね」


「それに、くだらない事ですぐ喧しくなるだろう。仲良くする気もないのに、うわべだけの仲間を作って群れて、一人で生きることも出来ないのに、自分を強く見せる事しかできない連中ばかりだよ」


「そうかもしれませんが、違う女性も中にはいるんじゃないですか?」


「いても興味ないね」


真顔で即答し、そっぽを向いた恭一には口に出せないが、いつかはこの気難しい若君にも、暖かく支えてくれる女性が現れるのであれば、ぜひ現れてほしいものだと、弁慶は密かに願っていた。


「夜分遅くまですいません。俺は言われた通り、この場所のことを詳しく調べてみます。サトイアフさんは、また明日この城にくるそうなので、話を聞きます」


「わかった。任せたよ」


「遺物の事に関しては、大丈夫ですか?」


「下手に君が動くと、どこで君が影響を受けるかわからない。君は、この世界の事とらうの事。よろしく」


「承知しました。では、失礼します」


 広い場所だから、迷ってどこへ行ったかもわからないとなるのも面倒だったため、部屋に置いてあったランプを手に、弁慶に用意された部屋の近くで別れた。



 夜は静かだが、何事も気が抜けない状況だ。いつ何処から何が起きるのか、何が起こるのかも分からない。


 いつなんどきも、気を抜くなと。自分に言い聞かせる。何事にも、うつつを抜かしてはならないと。


小雨の音、松明の灯る廊下、持っているランプを揺らしながら帰っていると、ふとまた恭一の勘が働く。…というより、右手に引っ張られるような違和感があった。


常に違和感を感じているのだが、これは、あの爪を見つけた時に、近くに呪いに関係するものと同じものを感じた時とよく似ていた。


 あの爪には、アイテルが何も無いところから呼び出した輝く黄金の杯から出る水のようなものに浄化されて、もう呪いは宿っていないものになったが、万が一のためとジュドーがアミュダラの元に持って行った。

 気になるのはアイテルの持っていた黄金の杯だが、あの時は何も聞く暇がなかった。


 もしやまたあの爪に引かれているのかと思い、この右手の感じる方向へと歩く。


 やがて、別の庭に出た。この城には開けた場所が多いらしい。

 だがさっきの庭と違ってよく手入れされてはいるものの、あまり人通りが見られない裏手の方にあった。



 小雨の中で、小さな正方形の祠のようなものがいくつか並んでおり、苔や草に絡まれていて、相当年月の経っているものだと感じ、直感的にこれは墓なのではないかと思う。


 右手の違和感はこの場所で強くなっていた。さらに先に進むと、蝋燭とお香の匂いが強くなり、光のある祠が見えた。


 気になった祠の中には、広く濃い紫色の羽織ものを羽織り、長い髪をおろしたアイテルが、小さな木の人形のようなものが並ぶ中に1人、座り込んでいた。



 なんで彼女が?と思ったが、彼女と恭一とは呪いを共有しているような状態であるため、互いに反応をしてもおかしくはない。やがて背後の気配に気づいたアイテルが振り向く。恭一を認識する赤い瞳に、恭一はランプを持つ手に力が入る。


「ここまでお一人で来たのですか?」


「…ただの散策だよ」


「雨が降っているでしょう。どうぞ、入って来てくださいな」


言われた通り、その祠の中に入る。

年季のある絨毯と、不思議な薫りのするお香の煙、小さな人形のようなものがいくつもあるだけの静かな場所では、小雨の音もよく響く。



「一人でいるのは、どうぞ命を狙ってくださいと言われてるようなものじゃないの?」


「ジュドーが近くにいませんでしたか。であれば、何処かで成り行きを見守ってくれている事でしょう」



 アイテルは一番奥の祭壇の前で一人座り、目の前にいくつかのカノプスが置かれていた。カノプスというのは、古代エジプトで埋葬される際に作られる、亡くなった者の魂が宿るとされる心臓を除く臓器を納める壺の事。


 それは周りの人形とは違い、人の形を象っており、長い耳という特徴から、アトランティス人が弔われてるものと見受けた。


後ろでそれを眺める恭一に、アイテルはご紹介しますと言って、カノプスを手のひらで指した。


「アトランティス第3王朝ポセイドニア家、最後の王プラトニス、王妃シリア、大巫女アステカニア、クセルクセス第一皇子、ケイニス第二皇子、ノストラ第三皇子、ヘモンステフ第二皇女、その夫のテゾリ侯爵。…私の義理の家族かぞくです」


「義理の家族?」


「私がアクロポリスの真王になると決まった時、王権を継ぐために養子となりました。今日の事で、遺体を汚してしまいましたので、先人の魂が、どうかもう一度安らげるようにと祈っていましたのよ」


「王家の骨壺にかい」


「死しても尚、アトランティス皇家の者は、この国の守護神となり、冥界へ誘われる魂を導く存在となるのだと」


 そう教わりましたと、アイテルは憂いを込めた微笑みを見せた。

死者に祈っても仕方のないことだと現実味のある考え方のする恭一とはまるで真逆だが、この世界では、そういうこともあり得たような文化なのだろうと、口には出さなかった。


「君、ここの国の出身じゃないの?」


「はい。実を言えば、私も、上から来ましたのよ」


「俺の世界からって事?」


「あら、天国から降ってきたと思いました?」


「何処の出身?」


アクロポリスの真王、エバと呼ばれる者の器であるアイテルが、自分と同じ世界から来た人間だと知り、恭一は何処の出身でどのような経緯があってここに来たのかと聞くと、アイテルは困った顔をした。


「覚えていないのです。気がついたら、この国の郊外にある神殿で、目が覚めました」


「幼い時に来たって意味?」


「いいえ、今からもう少しだけ若い時に。でも自分の年齢すら、覚えてなかったんですのよ。名前しか、分からなくて」


記憶喪失、ということか。物語の世界ではありがちな事だと思いながら、自分の年齢すらも定かではないと言うアイテルに質問を続けた。


「どうやってそこからこの国の真王になるなんて事になるの?」


「目が覚めたらジュドーが居まして、貴方は真王となるべきエバですって言われて、そこからすぐにお婆様とアミュダラのところに連れていかれて、そのまま…という感じです」


ケロッとそう言ったアイテルだが、肝心な詳細が抜けていて本人でさえもよく分かっていない。まさに急展開過ぎると思ったが、この様子を見るかぎり、本当にそうなのだろうと恭一は眉を潜めながら思う。


「あの執事が傍にいたって、君が記憶喪失になる前から一緒にいたって事になるけど」


「そうですわね」


「執事から記憶を失う前の事、何も聞かなかったの?」


「聞いても教えてくれないので。不思議でしょう?何度も教えて欲しいと言っているのに、色々と誤魔化されてしまって」


「それで今まで言いくるめられて、ここまで来たの?普通怪しまない?自分の事を唯一知ってる人間が、何も言わず隠してるのはおかしいと」


「思いませんわ」


自分の事を何も教えてくれないのに、完全に怪しいと思わないと即答する答え、何故と問いかける前に彼女は答えた。



「強引で口や態度が悪い所がありますが、とても頼りになります。右も左も分からなかった私にとてもよく尽くしてくれて、守護者も何もなかった頃は、彼だけが味方でしたわ。一緒にいるだけで安心していられるのは…彼ぐらいです」


 もちろん、今いるミツキやハルクマンの事も、信頼していると後から付け足すが、本当のところ、ジュドーだけが味方と感じているのかもしれない。

祭壇に供えられた花を整えながら答えるその表情は悲しげに過去を見つめ返しているようだ。


 自分が何者かも分からないまま、真王という立場になることを決定付けられ、アトランティス人でもないのに王族の一員となった事で、それなりに周囲からの風当たりがあっただろうと察する。


「彼の事ですから、もしかしたらとても、辛い思い出ばかりなのかもしれません。私の過去というのは。だから、もう気にしないことにしましたの」


「そう」


「変でしょうか?」


「別に」


 過去の事は気にしない。恭一も、いちいち過去に囚われるようなタイプではないが、アイテルの赤い瞳にじっと見つめられる度に、過去に呼び戻される。


その目は、嫌いだ。血のような、鮮明な赤。おぞましい、そんな瞳で、俺を見るな。


 そう言いたくなる口、背けたくなる顔に力を入れて、じっと我慢する。そんな自分の心情も知らず、何処か憂いげに見つめてくるアイテルに、苦手意識を感じ始めているものの、騒がしくもなく良くも悪くもおっとりしている彼女の事を、疎ましいと思う気持ちはない。


 むしろ安心感すら覚えている事を、恭一は認めようとしなかった。


「…私も、聞いてよろしいですか?」


「何をだい」


「オラトの事を。私と違って、貴方には故郷があるのでしょう?どの様なところですか?」


「…日本という国だよ。俺が子供の頃までは、戦争を知らない平和な国だった。でも一度……」



一度、日本という国は焼き尽くされた。


それは、地殻変動の影響というので活火山が一気に噴火し、自然災害の多い日本特有の大災害だったと言われているが、それは、何らかの情報操作によって書き換えられた話だと、恭一は知っている。


 誰もが知っているはずだ。あの時、自分達の国に侵攻してきた、隣国でも他の国でもない勢力が侵攻してきた事を。


 でも、誰に聞いても、災害に見舞われたせいで気が狂ったものと思われるだけだった。そして日本はその大災害を切っ掛けに、戦後享受されていた平和を手放す事になったのだ。


それが、あの赤い瞳を持っていた何者かの、企みであったのかもしれない。



「でも…何ですか?」


「……今は、色々と変わった。先人達のツケのせいで、天使にすら見放された国だ」


「辛いことがおきましたのね」


「起きてもおかしくないことが、起きたというだけの話だよ。災難も起こる時は起こるもの。防ぐことは出来ない」


「…貴方は、クセルクセスお兄様と似ておりますわね」


 クセルクセス第一皇子。祈り柱の筆頭でもあるアミュダラが皇位を継ぐ継承者だったが、その次の弟にあたるという。アイテルが手を指した彼のカノプスは、勇ましくも優しげな笑みを浮かべる男の顔がかたどられていた。



「昨晩、恭一さんが私に仰った言葉と同じことを、クセルクセスお兄様からいただいておりましたのよ。厳格でとても厳しい方でした。…よく見れば、お顔も少し似てらっしゃるかしら?」


 本当に似ているとすれば、このアイテル相手に苦労したことだろう。と、恭一は思う。アイテルは、クセルクセスには会うたびに不機嫌だったし、ずっと小言を言われていたので、とても苦手な義兄だったと語る。



「アミュダラが長年王とはならずにいましたので、彼が次の王位を継ぐと思われていましたが、そこに私が来てしまいまして。お兄様からは、よく思われていないと思っておりましたの。でも、最後になって全ては、私の為を思ってくれていたのだと分かりました。…生きていてくださってたら、今でも私を叱るでしょう」



「…言っとくけど、俺があの時言ったのは率直な意見であって、別に君のためを思って言ったわけじゃないから」


「あら、やっぱり、お兄様と同じことを仰いますのね。もしかして、恭一さんに乗り移ってらっしゃいますか?お兄様?」


「……くだらない」


 呆れた恭一は、アイテルはクスクスと楽しそうに笑うアイテルの隣から去ろうとすると、アイテルは後ろから恭一に告げた。



「いつか、お話してくださいね。故郷の事を」


「話すことは何もないよ」


そう言って、恭一は祠の外へ出ていった。その背中を、アイテルは微笑みを崩さないその表情から悲しげな表情に変わって見送る。



「…いかが致しましたか。アイテル様」


「ジュドー。何故、恭一さんは私を怖がるのだと思いますか?」


恭一が出ていった後、付近で待機していたジュドーが祠の入り口から顔を見せ、アイテルは問い掛けた。


「怖がる?このジュドーめには、愛想もなければ礼儀もない男に見えておりますが、どうしてそう思われたのですか?」


「私とあまり目を合わせてくださらないわ。ジュドーやミツキとは、いつも目を合わせて話すでしょう?私とはたまに目を合わせても、凄くお顔に力が入っていますもの」


「あの仏頂面は、誰に対してもそのようですよ。お気になさることはありません。我々も、部屋へ戻りましょう」


「……そうですね」


 近くにあった儀式用の鏡に目を向け、自身の赤い瞳を見る。


 アイテルには分かっていた。この瞳に見つめられる度に、恭一は態度にも顔にもけして出さないが、硬く閉ざされた心の何処かで、彼が恐怖を感じているということを、繋がる左手のえにしから、伝わっていた。

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