第7.5章 物言わぬ身体に爪痕を
「若を助けて頂いたのは、貴方様とお聞きしましたっ!若の恩人とあらば俺の恩人も同然!!このご恩はどう御返ししたら宜しいでしょうか!?」
恭一は、君の恩人ではないだろうと言いかけて口を閉じる。また男泣きしながらペコペコと頭を下げる弁慶を見上げるアイテルは、彼がウラシマモノだと知ると、ほんわかした笑みを浮かべた。
「いいえ~。まさかもう一人のウラシマさんが、恭一さんのお仕事の配下の方でしたとは。お会い出来て嬉しいですわ」
「こちらこそ!!若とは家同士の関係もあり、幼少の頃から若に仕えているもんです。どうぞ、俺に出来ることがあれば何でも仰ってください!!」
「まあ、お頼もしい。どう思います?ジュドー」
「はい。お礼どころか、挨拶も敬語も使う気のない
「人を選んで態度を変えるような無礼執事に言われたくないね」
「無愛想を地で行く融通の効かない貴方がそれを言いますか」
ジュドーと恭一はまた睨み合い、ミツキが困ったようにそれを眺める。
アイテルはまた始まったとばかりにジュドーと恭一の間に入り、二人を
「もう、喧嘩はお止めになって。これから亡くなられた方のご遺体を清めるのですよ。はい、笑顔になってくださーい」
「かしこまりました」
アイテルの声掛けに、ジュドーはすぐに、口と性格さえ悪くなければ誰でも見惚れるほどの綺麗な微笑みを見せる。「まあ!上手!」と喜ぶアイテルは振り返り、無愛想な顔のままの恭一にまで、引き続き同じことを言った。
「恭一さんも、笑顔になってくださ~い」
「ならない」
「あら、お笑いになられたことありませんの?私、見てみたいですわ~。はい、こうですのよ、こう!」
「…」
アイテルが恭一のますます嫌そうになっていく顔を見ながらもニコニコと自分の笑い方を見せて笑わせようとしているのを見て、弁慶とミツキの周りの空気が凍っていた。
(アイテル様、あんな嫌そうにされてるのに、ほんっと無敵だな…)
と、凍りつくミツキと。
(あんな馴れ馴れしくされて、若が怒らないだと…!!あの女性は、一体何者か!!)
と、恭一の様子に戦慄している弁慶。
その時、全員が待機していた前の扉が重々しく開き、エジプト神、冥界の使者、アヌビスを模した仮面を告けた神官が出てきた。
「真王、お待たせ致しました。ご遺体をお連れ致しましたので、どうぞ」
その神官が告げた後、恭一の笑顔が見れず残念と言いながらも、部屋に入る頃にはいつもの女王の姿に戻り、一同とその部屋に入った。
中はとても広い空間で、暗く、外とは違ってとても寒い、石の棺が並ぶ
ウラノスは、冥界、死者の世界との繋がりが濃く近い場所にあるものの、オラトの世界とは違い、この世界で肉体から離れた魂は、死神の招きを受けられず、この世界を彷徨い、やがて行き場を無くしていき、生前の縁さえ辿れなくなり、魔物へと化すと考えられている。
その魂を、冥界の神々に引き渡す役目を担う者が、この生と死の境の先にいた。
「魂は、既に送り出してしまったぞアイテル王。あまり留まらせておくと、危険な魂であったからな」
三体の遺体らしき布の被さった台の前に、アヌビスの仮面をつけた神官と共に、金髪に縦ロールの肌白いゴスロリの少女が待っていた。
こんなところに子供がと思うが、幼児体型なのに胸元の開いた服から見える大きい胸を見て、身長は低く若く見えるものの、女性と言える年齢だと言うことが恭一には分かった。
そして、その少女が何者であるのかも。
口元から見える鋭い牙と、白すぎる肌はまるで石棺のようで、目は人のものとは違う獣に近いギラギラとした瞳。そして人を惹き付ける魅惑的な容姿。
以前、任務でこういうあり得ない存在と対峙した事があった恭一は、無意識に身構える。
人間であるが人間ではない、動きも俊敏で力も強く、女型であっても成人男性の倍の力はある夜の怪物。太陽の光がなければ、ほぼ不老不死と言って良い怪物だ。
「ベティ、御苦労様でした。今日は、新しい守護者の
「あぁ…聞いておる。我が名は、エリザベーティエ・レリアナ・マナナンガルであるぞ、人間よ、地上からよう参ったの」
今は害がないと言って良い程敵意を向けていないが、暴れれば熊の方がマシだとも思える程厄介な存在。一歩後ろに控える弁慶も、緊張した面持ちで小柄なエリザベーティエを見ていた。
「…吸血鬼」
「ほう…。そち、我の正体を見破るか。と言うことは、我が一族と会った事だろう」
「あれがそうだと言うなら、何人か倒したことがあるけど」
その大胆不敵な発言に、エリザベーティエは大きく開いた目を細めて恭一を凝視する。
「……大した
「御安心くださいな恭一さん。ベティは私達を襲ったりしません、そうでしょう?」
アイテルの言葉に、エリザベーティエはフンッとそっぽを向いた。
「…だって、こやつ、なんか我を見る目がこわい」
「そんなことありませんわ!恭一さんは目付きがキリッとしてらっしゃるだけですの」
「だって!だって!魔と死者の王女ヘカテの娘である私を前にして、吸血鬼を倒したと言うたぞ!!聞いたであろう!?脅しだ、脅しておるのだ!!無礼者め!!」
ビシッと恭一を指差し、エリザベーティエはこの人間我を殺す気だ!!と騒ぎ立てる。その様子に、そんなことありませんわよね?とアイテルが恭一を見て尋ね、恭一は、別に。とだけ返した。
むしろ、襲ってくるものかと思って身構えていたが、なんだかその気は無さそうだと分かり、警戒を少し解いて、威嚇するエリザベーティエを観察する。
「フンッ!人間ごときが!私を殺そうなど、到底夢のまた夢よ!」
「へぇ、試す?」
「っ!?む、ムカつく!!なんだその余裕の返しは!!貴様なんか貴様なんか!!簡単にひねり潰せるのだからな!!」
「わ、若。お戯れを」
真顔ながら少し挑発する恭一を弁慶がたしなめるも、まんまとむきになっていくエリザベーティエに、ジュドーがため息をついて割って入った。
「そこまでにしろ、陛下の御前で。エリザベーティエ様は煽られるとすぐむきになって
「アイテル王、ジュドーだけはいずれ殺しても良いか!?こやつが一番舐めてる!」
「はぁい、分かりました。でも今日はご遺体清めに来ましたので、次の機会にどうかお願いいたします」
「フンッ!!言われなくても、私は忙しいのだ!!早々に終わらせよ!」
機嫌が悪くなったエリザベーティエは神官を残し、フワッと宙に浮いた後この空間の奥へと立ち去って行った。
「あのけたたましいのも、君の部下?」
「配下というか…あの方はちょっと特殊ですの。悪い方ではないのですよ」
「いやぁ、吸血鬼に良いも悪いもないっすよ。俺、思いっきり噛まれて死にかけた事がありまして…はぁ…」
弁慶があれは酷かったと言いながら、噛まれたと言う肩を触る。その時も、恭一が後少しというところで救出したのだが、二人にとって吸血鬼は苦い思い出がある。
「聞くに、あなた方のお仕事は、特殊なものが多かったようですね?…従来のものよりいくらか」
「えぇ、まぁ……」
「…」
ジュドーの問い掛けに恭一は無言を貫く。本来の職務よりこういった事に関わっているのは、それもこれも、自分の上司のせいなのである。自分の力の事は、秘密にしておくべきだったと何度後悔したか分からない。
「では陛下、改めてご遺体の確認を」
「はい…」
一同はようやく、布の被さった三体の遺体の乗る台の周りに集まる。まずアイテルが遺体を前にして、魂の冥福と救済を祈る言葉を告げてから、布をジュドーが取り払う。
局部を隠した遺体は、他に比べればこれでもマシなものだったとは言え、損傷が激しい。
留置場の檻の中で、ヒステリーを起こし、殴りあって殺しあった結果、骨は折れ、頭蓋骨や眼球が潰れ、爪で切り裂いたような傷口等、死因が明らかなものばかりであった。
「本当に、殴りあってそのまま…?」
ミツキが青ざめた顔で遺体を見ると、ジュドーは答える。
「頭が潰れようが足が折れようが、相手を殺すことに必死だったと。…アイテル様、あまり見ないように」
「…」
ミツキとジュドーの背後から黙ってアイテルは三体の遺体を見る。
恭一は遺体の一人を目視で調べ、身体中の傷跡や、打撲痕を確認する。その遺体は、他の2体と比べて酷くはなく、手の骨が粉々になっている事から、恐らく最後の方で力尽きたのだと考えられた。
恭一は、遺体の瞼を指で少し開いて、眼球を確認する。
「…瞳が赤い」
残っていた眼球の瞳の色は、綺麗な鮮血の色をそのまま残していた。謁見の際に死んだ男も、瞳が赤く染まっていた事に、恭一は疑念を抱く。
庭で襲ってきた兵士達も瞳の色が赤かった。彼らが正気に戻った後、瞳は元の色に戻っていたそうだが、この死体は、赤いまま、生きているかのように新鮮だと。
「…真王」
「…?はい」
恭一の呼び掛けに、アイテルが遅れて反応し、恭一の隣に来る。
「ここに謁見の時に死んだ男の遺体もあるだろう。それは何処にある?」
「あの方のご遺体ですか?えぇ、こちらにあるはずですわ。ジュドー」
「はい、今こちらにご用意を…」
「きゃぁっ!?」
ジュドーがアイテルに言われて踵を返そうとした瞬間、恭一が検視していた死体の手が突然、アイテルの腕を掴んで起き上がった。
それを見て、その場にいた全員は戦慄する。恭一は右腕のブレスレットが波紋を起こし、呪いに反応していると察しつつ、アイテルを掴んだ肉塊の手をひねり落とした。
そして、ジュドーによって死体の頭が潰され、死体は阿鼻叫喚の叫び声を上げて沈黙する。
しかし、そうなった時にはもう遅かった。
「わ、若!!なんですかこれは!!」
「アイテル様!!後ろへ!
「ミツキ、狼狽えるな。…冥界よりお客様がご来訪だ」
全員の背後から、安置されていた死体達が動き出し、すぐそこまで迫っていた。もう既に魂がなくなり、動くはずのない肉塊と骨の残留物。
ここが遺体を安置する場所であった為、大量の死体が既に生者を囲っている状態で、逃げ場がなかった。
「陛下、ここは私どもにお任せを。ミツキ、構えろ」
「はいっ!」
ミツキの手に、薄氷を纏う冷気が集まり、白く美しい薙刀が現れる。ジュドーも、袖に仕込んでいた刃を装備し、戦闘体制に入る。
アヌビスの神官も加わり、死者達の行軍に2人は向かっていく。ただの王の世話役の人間とは思えない動きで、死体の群れを容赦なく斬り伏せる。アイテルも2人を信頼しているようで動揺せず、恭一の側で毅然としていたが、瞳は揺らいでいた。
恭一の右手に痛みが走る。内側から釘でも打たれてるかのような痛みに、思わず手を庇う。
「っ!」
「若?」
【憎い…憎い…】
脈を打つ様に痛みが襲い、耳に囁きかける声が聞こえ始める。
【憎い…憎い…】
【憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い】
何がそんなに憎いのか。問いかけても答えは返ってくるわけがない。
この死者の群れの先に恭一の目が行く。誰かによって与えられた力の影響か、全てが、煉獄の炎に包まれた。
過去の記憶、一夜にして、故郷が炎に包まれた、あの日。
自分が見たもの。見たはずの姿が、物言わぬ亡者達の先にいた。
初めて、恐怖を覚えた。初めて、人智を変えた存在を前にした。恭一の意識は、その赤い瞳の色に囚われていた。
……そこにいるのか?そう恭一は、声にならない声で問いかけていた。
「待って!恭一さん!!」
「若!!」
恭一はその場所を目指し、骸の山の中に駆け出す。迫ってくる死体も警棒で薙ぎ払い、ジュドーとミツキに劣らない俊敏な動きで敵を圧倒し、トレンチコートの漆黒に血が飛び散る。恭一は、久しぶりに感じる実感に、少し口元を緩ませる。穏やかな日常、退屈な日々、レール通りに行けば安泰な人生より、やはりこちらの方が、気性に合っていると。
この手の痛みなど忘れてしまうほど、この逆境の戦いを楽しむ気持ちは、生まれついての本能だ。
「‼︎貴様、なんでアイテル様から離れた‼︎戻れ‼︎」
「弁慶に任せた。あれでもそれなりに出来るから安心して」
「それなり程度でアイテル様の警護を任せんじゃねぇ‼︎つか今日来たばかりの奴に!」
「すぐ済ませる」
怒るジュドーに答え、恭一の足は、石の地面を蹴った。死体の頭を踏み潰し飛び越えながら、ある一点を目掛けて、警棒を振り下ろす。
金属の棒が頭蓋骨を砕き、それは倒れ、恭一は追い討ちにまた顔を踏みつけた。
「『
言霊を紡ぎ、指に挟んだ白い紙を落とす。恭一が落とした紙は緑色の炎となり、その死体を包む。場を震わすほどの叫び声をあげて、死体は恭一の足の下で炎に焼かれた。
それは、事象をあらため、
魂のなくなった肉体が動き出すことは本来あり得ない。ならば、この異常を正さなくてはならない時に使う術だ。この事象を引き起こす何かとの繋がりを一時的に断つ術が効くのかは分からなかったが、周りの残っていた死体が次々に崩れ落ちたのを見て、効果はあったと実感する。
恭一が倒した死体は、白骨と化し、肉だったものは体液と共に滲み出て一気に腐っていったが、その口は最後、確かに動いていた。
【けがわらしい…けがわらしい…絶え間なく……我が憎しみを知るが良い…】
鼻がもげるような臭いを放ち、沈黙した死体は、謁見の場で死んだあの男のものだ。
恭一は、その死体の着ている服の中に、色が澱んだ包み紙を見つける。
それを拾い上げると、包みを開いて、中身に眉をひそめる。
「恭一さん」
恭一の元に、弁慶に付き添われて死体を避けながらアイテルが側に来た。
「急に走り出したので、驚きましたわ。何を、見つけられたのです?」
「…君は、何も感じなかったの?」
恭一は聞いたが、アイテルは黙って静かに恭一を見つめる。それが答えなのか、彼女はそれ以上、その場で何も答えなかった。そして、何かを持つ恭一の腕に触れてみせるように促したため、恭一は手を下に少し降ろしてそれを見せた。
「…これは」
「爪だよ。人間の」
男が持っていた人間の一欠片の爪。そこからわずかに呪いの痕跡を感じ取ったアイテルは、側にいた弁慶と近づいてくるジュドー達の気配に、離れるように告げた。
「弱っているうちに、浄化します」
我は汝、汝は我である。一なる者、エバの子宮。生命の泉をもたらさん。
「聖なる黄金の聖杯よ、現れなさい」
アイテルの念じた言葉の後、手の中に光が集まるように輝きを放つ。彼女の手の中に現れたのは、黄金の聖杯。
それは溢れる生命の源でもあり、一なる母であるエバの証。
現代に遺される聖遺物の中でも、誰もが行方を追ったとされる聖なる
聖杯より流される水は、二人の周りを囲むように零れ、恭一の手の内に注がれる。その水は優しい光と共に、爪についていた邪気を洗い流す。
やがて、恭一の手の痛みも引き、水はつゆともに消えていった。
「…もう大丈夫でしょう。でも、きっと他はこんなものではありませんわね」
「呪いは…今ので消えたのかい」
「この爪に宿っていたものは。でも、まだ大きなものが残っているのでしょう。…一体、どんな遺物なのでしょうか。人間の爪だなんて…」
謎は深まるばかり。この気味の悪さに、二人は残った呪いの痕跡をただ眺めるしかなかった。
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