第3.5章 子宮の包容に抱かれ

 恭一の目に、一人の老婆の姿を視る。


 背中は丸く曲がり、青い肌は皺だらけで、まるで樹木の一部が人になったかのような老婆だ。

 その老婆の思念が、恭一の第六感に語りかけていた。自らの記憶、そしてこの場所に残っているかけらの一つを見せているのだと、恭一は理解した。



 老婆はこの場で、誰かの肩に手を置いて、告げていた。


 『お前は、エバとなる者。この国の王となるに相応しくならなければならないのだ』と。


 記憶は飛んだ。恭一が女王と謁見したあの王座の間で、老婆は恭一の手に抱かれ、血を流していた。

 

 生きすぎた魂はもう、輪廻の輪にすら乗れない程に消えつつあった。口から血を流し、金色に輝く濁った眼球が、恭一をはっきりと映す。


『…"子宮"…』


 老婆から見せられたビジョンは激しく移ろい、様々なものを見せる。

石の彫刻の壁画、青い石の結晶、迫る海水、空虚の王座。


『もう既に、会っているであろう。かつてお前が生まれる前にも、たった今にも、この先死を迎える時にも。"子宮"は、お前の母である者。知らぬわけがない』


 最後にそう告げられた瞬間、恭一は現実に戻された。右手の痛みが再び恭一を襲い、肉が濁り、浅黒くなっている。


 香の匂いと煙が充満する巨像の祭壇で、恭一が一人魅いられるように巨像を見上げていた時から陰から静かに見守る、金色こんじきの瞳があった。


 恭一はそれに気がつかず、やがてふらついたように後ろに後ずさる。右手を庇うようにして部屋から出ていったのを見届ける。


 傍の柱から姿を見せた白無垢の衣装と、銀色の長い髪、青く少し黒い肌に横に伸びた長い耳の小柄な女性は、静かに彼のいた場所に立って部屋の扉を見つめたのだった。



_____



 恭一の足は無意識に階段を駆け上がり、アイテルという名の女性がいた庭園へ向かった。


 つい先程部屋を出た時にはまだ昼だったはずなのに、祭壇の部屋から出てきた時には、星のない暗闇の空が広がっていた。


 自分はあの黒い空のその先から落ちてきたのだと言われても信じられなかったが、今は何故か、信じることができた。

 恭一に見せられた数々が、その証明にもなっていたからだ。


「天使でも悪魔でも、神ですらもない。…そう言いたいのか」


 人の前に姿を現すことも示すこともしない。


 自分達人類がかつては知り、崇め、畏れていた何かが、自分に語りかけてきた。かつてこの場所、あの祭壇の前で、あの年老いた老婆にしていたように。


__この場所にいる"何か"は。



「恭一さん?」


「!」


石の手すりに寄りかかり、手から広がる痛みに耐えている中で、恭一の前にアイテルが姿を現した。長い髪を揺らし、彼の元に駆け寄った彼女は、心配そうに触れようとしてくる。


「どうしたのですか?苦しいのですか?」


「触るな。ただの傷じゃない」


 アイテルの接近を拒絶した恭一に、アイテルは一瞬たじろいだが恭一の顔色が悪くなっていることに気づき、少し傷ついたような表情ではあるものの、再び彼にこう言った。


「わかっています、貴方を探していたんです。こちらに来てください、早く…」


「っ‼︎」



 恭一は目つきを急に変え、アイテルを押し倒すように飛びかかった。テラスの奥から放たれた小型のナイフがちょうどアイテルの頭のあったところを通過し、近くの果樹の木に突き刺さる。それは一本ではなく、四方八方から飛んできていた。


 恭一はわずかに出た気配から気づいたが、アイテルは気づいていなかった様子で、目の前の恭一の顔に、赤い瞳をパチパチとさせて唖然としている。


対する恭一は気にもせず、自然と手が胸元に向かうが、銃を持っていないことに気づき、代わりに兵士から手に入れたナイフを持った。


「出てきなよ」


 仰向けになったアイテルから身を離して立ち上がり、恭一は気配のある静かな庭園に向かって呼びかける。


 影は数体、闇の中からユラユラと出てきたが、様子がおかしく、目を疑った。この城を守っているはずの兵士の姿と、明らかに城の人間ではない、顔を隠している黒づくめの怪しい人間の姿。

 その両方が、おぼつかない足取りと、アイテルのような赤い瞳をぎらつかせ、明らかに正気ではない様子だ。


「あれ、ここの城の兵士だよね?違う人間も混じってるみたいだけど」


「え?…え?」


上半身を起こしたアイテルも、彼らを見て戸惑ったように言葉を詰まらせた。


「確かに、うちの…ここの者です。他は、多分、暗殺者ですけど…どうなってるのでしょう?」


「俺に聞かないでよ。ていうか、他は暗殺者なの?」


「よくいらっしゃるので」


「そんな平然と答える?」


こんな警備の薄そうな所なら何が潜ってきてもおかしくないが、もはや日常と化してそうな反応に恭一は違和感を覚えつつも、歯を軋ませ、よだれを垂らし、殺意の満ちた目で襲いかかってきた様子のおかしい兵士を、恭一は蹴り飛ばし、アイテルの前に立つ。


「あああぁぁ…!!!あああああああああーーーーー!!!!??」


「グギゃゃゃゃっっっっっっーーー!!!」


「ひゃっ!」


彼らの奇声に驚いたアイテルは、腰が抜けたのか、その場から立ち上がることなく座り込んだままだったが、狂い出した彼らから、この右手のものと同じ、何かを感じ取った恭一は、顔をアイテルに向けて言った。


「そこでじっとして。邪魔になるから」


「じゃ…邪魔?」


 はっきり邪魔だと言われたアイテルは戸惑ったが、その瞬間、それぞれの武器を持ってこちらに向かってきた赤目の者達に、恭一は装備も整っている彼らとは違いほぼ丸腰と言ってもいい状態でも、冷静だった。


今蹴り飛ばした一人が茂みで引っかかって動けない間、向かってくる彼らを返り討ちにし始めた。


 狂った赤目達が、すぐ傍のアイテルに手が届くこともなく、近づいてきた先から恭一の素早く迷いのない体術に屈せられる。

 それでも、ゾンビのように這い上がっては向かってきたが、そのしつこさに恭一は彼らの手足の何処かをへし折るか、関節を外すかで動けないようにする。

 それは、この城の兵士と思われる人間に対してだが、暗殺者だという人間に関しては、容赦がなかった。


 暗殺者は兵士達よりも素早く身軽な動きで彼に襲い掛かるも、恭一の方が先手を読んでいた。攻撃は当たることもなく全て避けられ、恭一の持っていたナイフで喉をかっ切られるか、首をへし折られる。


 まるで流れ作業のように始末をつけて、死体と気絶した兵士の転がる光景にただ静かに佇む背中を、アイテルは唖然と眺めて待っていた。他に気配がないか確かめてから、戻ろうとした恭一を。


「…もういいよ。立って」


 息も切らさず、むしろ何事もなかったように涼しい顔をして恭一の服や顔に返り血がついているのをアイテルは見上げる。


「まあ。恭一さん、ジュドーと同じぐらい、強い方なのね」


ジュドーと同じぐらい。

そう例えられて何か納得できない気持ちがあったが、座ったまま、何故かこの惨状を目の当たりにして笑顔で褒め称えてくる彼女に手を伸ばそうとした恭一の心臓が、いきなり跳ね返るような強い衝撃を受ける。


「恭一さん!?」


「ぐっ………!!」


目の前で膝をついて倒れた恭一を受け止めるようにアイテルは恭一に触れた。

それを払い除けるほどの力は、この痛みによって妨げられる。


全身の筋肉を引きちぎられ、血管を熱く沸騰させるような熱を帯びるような痛み。深く憤る憎しみをたぎらせるかのような、痛みが全身を走った。

数多に沸き上がる怒りと憎しみが、自分を支配し殺しにかかってきている。そう直感したが、なす術がなかった。


「駄目!」


恭一の視界に、アイテルの悲痛な顔が見えた。彼女は恭一の顔を手で包み込み、彼の自我を保たせようと呼び掛ける。


「その憎しみに、負けてはいけないわ」


彼女はそう告げると、胸元の青い宝石のハマったペンダントを、恭一の額へとつけた。青い宝石は光を帯び、まるでこの呪いに対抗するかのように光を点滅させた。


そして、アイテルは恭一の体を深く抱き止めるように抱き締め、まるで赤子を抱くように優しく、背中を撫でながら、意識が飛ぶ恭一の耳に囁いた。



「この者の苦痛を取り除き平穏をもたらせ。もたらされた痛みを我に分け与えなさい。我が声に応えよ」



恭一はアイテルのその言葉を最後に、意識を手放した。

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