間章 あなたへ密かなお願い

 


 護衛を終えた夜。

部屋に備えられた浴室の湯に浸かり、体を清めた恭一は、ソファーに寝転がっていた。


「………ハァ」


ため息が漏れる。色濃く残る右手の傷跡を見てますます、自分が今していることの意味が分からない。


 エバに会えば、この事態はすぐに解決すると思っていたのに。


 何故自分はこんなことをしているのかと、今さら疑問に思う。


 調べようと思えば、一人で勝手に城を歩き回って情報を集める事は出来るのだが、アイテルの公務はとにかく色んな所に長時間縛られたり、本人がそもそもどっかにふらりと行く癖があるため、抜けられもしない。


長時間労働には慣れているが、ここまで女1人の為に振り回されて、こんなに疲れたのは初めてだと恭一は思った。



 嬉しさではない、イラつきだ。

普段の近寄りがたい雰囲気と、無口な上に全く愛想もない恭一に、親しくしたいと思う女性はいない。当然、本人も望んでいない。


 顔と家柄に釣られてやって来るものの、恭一は相手にせず、あまりしつこく付きまとわれると、女でも容赦なく怒るので女性関係は無に等しい。それでも、敵という立場ではない限り、女性に手を上げたことはない。


もしかして、同性愛者ではないのかという噂が立ったこともあった。


『恭一君。たまには気になる女性とデートでもしてきたらどうだい?社会勉強として、経験しておいた方がいいと思いますよ』


『しない。興味がないことを薦めるなって、何度言えば分かる?』


『…やはり、あの噂は本当か』


『何の事?』


『君がゲイだという噂だ』


 ジュンフェイにまで同性愛者疑惑の噂が伝わるまでになってから気付き、噂の発端となった人物は恭一によって粛清された。


 ジュンフェイはしばらく恭一に、無視され口も聞いてもらえなくなったという。


あの時の事は、ラミエルにも嫌と言う程からかわれたというもの。あぁ、全く下らない。嫌なことを思い出してしまったと、もうこのまま寝ようとした時だった。



 部屋の扉がノックされて、閉じかけていた目を開けた。もう食事は済んでいるし、ミツキならノックの後に声がして、そのまま開けてくるはずだと考えた。


無視しようとしたが、何度かノックが続いた為、仕方なくソファーから立ち上がり、扉を開けた。



「こんばんわ、恭一さん」


「何しに来たの」


 民族的模様の刺繍が施された布の被り物をして、庭にいた時と同じ、身体の線が良く分かるパンツスタイルの身軽な服装をした、アイテルだった。左手にランプを持ち、格好からしてこっそりここまで来たようだ。


 ようやく解放されたかと思っていた対象が夜に部屋を訪ねてきて不機嫌になる恭一に対し、人差し指を自分の唇に当て、「しーっですわよ」と言いながらアイテルは答えた。


「お疲れのところ申し訳ないのですが、お願いがあります。これからお外へ行きますので、ついてきて頂けませんか?」


「…申し訳なく思った上で頼みに来ないでしょ。何時だと思ってるの」


「…何時でしょう?」


 本気で今が何時かも分かってないように逆に何時だと聞かれ、そういえばここに来てから時計すら見ていない事を思い出す。

 返して貰った腕時計はあるものの、壊れたようで針が動いていない。


「外へ行くって何。城から抜け出すって事?」


「はい!そうです!」


正解です!と言わんばかりに答えたアイテル。寝るところを邪魔されて怒りが出るより呆れる恭一は、腕を組んで彼女に冷静に告げた。


「ねぇ。君は、この国の王なんだよね?命を狙われたりするのに、なんでわざわざ城から出たいって思えるの。行くとしても、他をあたりなよ」


「他の人は駄目です。ジュドーは絶対駄目と言いますし、ミツキもハルクマンも、ジュドーに怒られるからと来てくれませんの」


「君の立場考えたら当たり前だよねそれ」


「どうしても、行きたいところがありますの。ジュドーが出掛けていますから、今しか抜け出す時がないのです」


「……そこの衛兵。真王これ、部屋に連れ戻したらどうなの?」


 恭一はどうしてもお願いしたいと言うアイテルを無視し、少し離れたところで突っ立っている守衛の二人に話し掛けたが、意外な反応を見せられる。


「今、なんか聞こえたか?」


「いや??空耳だろう?」


「………」


 下手くそな演技で聞こえない振りをした。アイテルには逆らえないから見て見ぬふりをしているのだろう。

 静かにイラついた恭一は、二人をひっぱたいてやろうと部屋の外に踏み出したが、その恭一の腕を掴んだアイテルは諦めなかった。


「お願い致します。けして、遅くまで外にいるつもりはありませんから!」


「……第一、俺の仕事じゃないよね」


「私の事を護ってくださるお仕事でしょう?」


「俺は城の外に出たら不味いんじゃなかった?」


「私の傍に居てくだされば、大丈夫ですわ。私とアミュダラの作った腕輪をはめていますし、人に影響を及ぼすほど、まだ呪いは深くありません。この間のは、貴方の部屋にしか呪いを防ぐ結界を張っていなかったので影響が出てしましたの。…あの、私は、遊びに行くわけではありませんのよ」



 どうしても外へ行きたいとわがままにしか聞こえない要望だが、遊びで行くわけではないからと懇願するアイテル。


このまま自分の部屋の前で駄々をこねられてるのを見られて、自分がゲイだと噂を立たされた時みたいに変な噂が立ったら火消しに労力を使うし、嫌だと思い至った。


「……今回だけだからね」


嫌々だという態度を出すようにため息をつきながら承諾すると、アイテルは喜び、満足した朗らかな笑みを向ける。


「すぐに出発いたしましょう~」


「ちょっと待ってなよ。上着取ってくるから」


 互いの気持ちが完全にすれ違ってるものの、そのまま連れていこうとするアイテルに、恭一は上着を取りに行くからと一度部屋に戻った。


_「嬉しいわ~、何日ぶりのお外かしら!」


_「良かったですね、陛下」


_「どうぞ息抜きされてきてください」


_「はぁい」



 このまま部屋に鍵を掛けて無視しよう………と、することも出来たが、ドア越しに聞こえてくる生き生きとしたアイテルの声に、泣かせでもしたら面倒なことになると考え、仕方なくコートに手を伸ばした。



____



 夜の城は昼間とはまた違った雰囲気に包まれていた。時代遅れな松明の明かりはあるものの、自然の光に任せている構造で、柱の影から差し込む外の淡い光に照らされ、いにしえに失われた文明の痕跡が見えた。


 恭一は、太陽も月もないのに、この光は何処から来るのかと聞くと、アイテルは地上の月の光だと言った。


 深海にまでは届くわけがないだろうと言うと、闇に紛れているだけで、あの光はずっと下に伸びているのだと彼女は言った。


 石の壁に刻まれた何かの絵や模様を眺めながら歩いていると、アイテルは途中にあった壁を触り、何かの言語を呟く。

 その壁に刻まれていた人の形をした彫刻は言葉に反応して、本当に生きているかのようにゆっくりと動き出した。


 下へ続く階段がある通路が現れる。彼女が階段を降りる後ろをついていくと、入り口が閉じて、アイテルが持つランプの明かりだけが頼りになる。


 恐らく非常用の隠し通路なのだろう。古くて狭いが、全く使っていないような隠し通路にしては、クモの巣や虫やネズミなどが一切見られない綺麗なものだった。

 

 しばらく降りた先で行き止まりになった壁にアイテルは再び何か呟くと、石がカチカチと音を立てて動き、外の光と空気が入ってきた。そこから出ると、風が強く、芝生のような短い草の生えた土地のひらけた場所に出る。



 初めて足を踏み出す、この世界の外。その場所には、石の遺跡の残骸のようなものがいくつか建っており、その向こうから潮風と波の音が聞こえる。

 月のない暗く淀んでいる空が広がり、雲の代わりに、何かの生物の影のようなものが動いているのが分かった。


「足元にお気をつけて。あまり整備されていませんから」


「聞いてなかったけど、何処に行くの?」


「街ですわ」


「君の庭から見える所にある?」


「その一部のエリアですわね。ここから近いので、すぐに到着します」


 アイテルと初めて会った庭園から見下ろして、水蒸気の霧の向こうに見えた古い石の街並みを思い出す。

 城の真正面にあったと思うが、ここは城の裏側だ。遠回りなのではないのかと恭一は思ったが、歩きにくい地面の上を歩いて、彼女の長い髪を揺らす後ろ姿について行った。


 やがて辿り着いたのは、海沿いにある寂れた集落だった。建物という建物は、苔や草などが生えて絡まった廃墟や一部の残骸と呼べるものを住居として利用しているようなもので、ほとんど建築をされた家はない。


 街灯は少なく、何処かでなにかを燃やしているような煙たさがあった。恭一の目からしてみたら明らかに治安が悪いスラムと言っていい集落。


 普段城からは滅多に出ることがないだろう彼女がこんなところに来たいと言っていたとすれば、ますます何考えてるのか分からない。


 集落の中でも一番大きく状態のいい石造りの建物で、何かの神殿か祠のような建物の入り口の布を持ち上げて入ると、恭一の鼻を死臭と血の匂いが刺激した。


 松明の明かりで灯されたその建物の中では、多くの傷ついた人間や子供達が座り、寝かされている。誰もが怪我をしているか、具合の悪そうにしているかで、普通の状態ではないことが分かる。


 その中で、彼らを看護している者の1人が、恭一とアイテルの存在に気が付いて振り向くと、アイテルが頭に被っていた布を下げたのを見て慌ててこちらに駆け寄り、アイテルの前に膝をついた。


「偉大なる原初エバにお目にかかることをお許しください」


「挨拶は良いのです、巫女サトイアフ。来るのが遅くなってごめんなさい。少し前に来ようとしていたのだけれど、急な事が起こりまして」



 アイテルが巫女と呼んだ女性に立ち上がるよう促すと、露出の高い衣装と丸い飾りのついた頭飾りの女性は、アイテルの顔を真正面から見ないように少し顔を下げながら立ち上がった。



「陛下自らこちらに来ていただけるとは。ですがお戻りください、感染症を患った者も多く、ご体調に関わってはいけません」


「酷いのですか?」


「北から降ってきた方々です。菌には弱く、すぐに感染症を引き起こします」


「…薬や医師を手配するように言ったのですが、ここに手は回っていないようですね」


 アイテルは巫女の言葉を聞き、姿を隠すための布を畳んで近くの柱の下に置くと、恭一に一度振り返って告げた。


「こちらで待っていてください」


 アイテルの表情は、いつものおっとりと柔らかな表情ではなく、毅然していて影を落とす暗くも真剣な表情であるのを見て、恭一は何をしようとしているのかをあえて聞かず、黙って彼女を見送った。


「陛下、どうかお戻りください」


 アイテルが巫女の制止も聞かず人々の傍に行くと、意識がある者達は、彼女の姿を見て、絶望と苦しみに満ちた表情から、はっと気が付いたような表情を浮かべる者もいれば、ただ呆然と彼女を見つめる者もいた。


 アイテルは寝ている人と人との間をゆっくり歩き、一人一人の顔を覗く。その中で、最も重症とも思える患者の、最初の一人の横で止まった。


 男の顔は半分が潰れて腐り、包帯も腐臭を放つ程で、もうすぐ不可視ウラノスを超えた死の世界へと誘われるところだ。


 アイテルは男のすぐ傍に膝をつくと、胸の服の内にしまっていた青い鉱石のはめられたペンダントを取り出して、握り締めた。


 その時、怪我を負いながらも立って歩ける一人の女性がアイテルに近づく。

恭一はその女性を止めようと足を動かしたが、途中で自然と止まる。直感的に、それをする必要はないと思ったからだ。



「どうかお助けください、私の息子です」



女性は膝をつき、残っていた片腕の手で、アイテルの肩に触れた。



「遥々ここへ来る最中に、魔物に襲われ、家族は息子以外死にました。足りぬと言うのであれば、私の命を捧げます。どうか、息子だけは…」


「…我は汝、汝は我となる。一なる者、我が器に宿りし子宮」


 アイテルは女性の声に答えるわけでもなく、一人言葉を紡ぐ。その時、恭一の耳にこの建物の内側や外から、多数の呟き声が聞こえ始めた。


 何者かが呼ばれて目を覚ましたように、この建物の何処かに不可視の存在を感知した。それは、アイテルから感じる気配もあり、この建物からも感じられ、それは徐々に、大きくなっていく。


 アイテルはペンダントを握っていた手を離し、意識のない男の腐った顔の半分に手を触れた。ゆっくりと頬を撫でるかのように、肌を滑る。やがて、壊死していた細胞はアイテルの触れる場所から蘇り、傷と病を癒す。


 死の世界へ誘われていた男の魂は、いにしえの母、エバの子宮の呼び声によって引き戻された。


これは奇跡か、恩恵であるか。間近でこの御業みわざを目にしていた女性は、涙ながらに体温を取り戻す男の体にすがり寄る。


 アイテルは男の傷を癒してすぐに立ち上がり、まるで何かに駆り立てられているかのように次の人間の元へ行き、同じように患部に触れていった。

 その時、アイテルの意識は内にいる者と混ざり、他の事はまるで認識も出来ていない。


 彼女が触れて治す奇跡を受けるのはこの場の全員ではなく、重症度の高く、死にかけている人物のみである。


 彼女の手に触れられれば、たちまちどんな傷であろうと腐っていようとも癒された。欠損した身体の部位だけは元には戻らないものの、耳や眼などは一部さえ残っていれば元の通りに治せていた。


病も傷も治し、亡者達のうごめく死の淵より救い上げるかのよう。



 恭一は、彼女のしていることに疑問を持ちながらも、黙って彼女を見守った。


 やがて重症者の傷を癒して回りきった後、アイテルはふと我を思い出したように動きを止め、はぁーと息を吐いて肩を上下させていた。

 アイテルが治癒していた時に聞こえていた声も気配も遠ざかるように消えていったのに気が付いた恭一は、このアイテルの行動を目にしてざわつく人々の中で息を整えようとする彼女の元に行った。


「…手を、貸していただけますか?」


 アイテルは疲れきった様子だが、穏やかな表情で恭一を見上げた。頼まれた通り、膝をついて肩に手を置かせ、腰に手を回して彼女を抱えるように立ち上がるのを助けた。


 まだ体が安定していないアイテルをしばらく腰に置いた手で支えて、恭一は自分に寄りかかったアイテルに、周りには聞こえない程度の声で聞く。


「ここにいる全員を治すまで続けるつもり?切りがなくなるよ」


「…もっと時間をかけられれば、全員を。なくなってしまった手や足を、元通りに出来るのに。私の代では、貴方の呪いですら、取り払ってあげることが出来ないのです」


 今の行いだけで相当な疲労が代償として掛かったのだろう。汗ばんだ顔でそう悲しげに答えた彼女は、恭一の撃たれた方の肩にそっと触れる。


「全てを癒したくとも、歴代のエバより、力が衰えております。…お許しくださいね」


 アイテルの赤い瞳に見つめられ、無意識に逃れるように顔を背けた。それでも腰を支えている手はそのままにしたが、周りからの視線と、動ける人々がアイテルと自分の前と後ろに集まっていることに恭一は気が付いた。



「陛下、真王陛下!」


「なんとありがたい事か、この目で見られるとは!」


「どうかお助けください!」


「陛下、お願い致します!後この子だけでも!!熱が下がらないんです!」


…思った通りだ。自分でも驚いた事だが、人は奇跡を目の当たりにすると、それにすがりたくなる。


 仏から垂らされた一本の救いの糸のように、彼らは我が先にと這い上がろうとする。やがて最後には切りがつかなくなって、慈悲の糸は切れるのだ。


 恭一はふらついているアイテルの体を自分の身体の方に寄せ、彼らが寄り付かないよう腰に差していた伸縮性の警棒を手に構えた。


「終わりだよ。今治療した重症患者以外の治療はしない」


「怪我をしてるのは皆同じだ!!紛争から逃れて来たってのに俺達は隔離されて薬も医者も来ないんだぞ!!」


「そうだ!!これからここで死ねって言うのか!真都にすら入れてもらえないって言うのに!」


「お願いします陛下!!どうか子供だけでも!!」



「御下がりなさい!!陛下の前ですよ!!」



 非難と嘆願の声が上がる人混みを掻き分け、先ほどの巫女サトイアフとその年長である巫女が、恭一とアイテルの前に立ち、人々を下がらせた。遅れて奥からこの神殿の衛兵らしい者達が数名現れ、二人の周りを囲み、年長の巫女がアイテルの前に膝をついた。


「遅れてしまい申し訳ございません真王陛下、どうか御慈悲を」


「…恭一さん。どうか、おしまいになって」


 アイテルはそっと恭一の持つ警棒に触れ、下ろすように促した。恭一はアイテルの意向通りにするべきではないと考えたが、ゆっくりと従って下ろす。

 アイテルは恭一に寄りかかっていた状態から少し離れると、少し微笑んだ穏やかな表情で、膝をついた巫女に告げた。



「巫女イブラマイラ、騒ぎを起こしてしまいましたね、申し訳ないことを致しました」


「恐れ多きお言葉。陛下がお悪い事は何もございません。ただ、いくら要請しても一向に薬も医者もなく、みな不安を抱えております」


「この件についてよく分かりました。明日の朝にはどちらも届くよう再度手配をかけますので、安心なさってください」


「有り難きお言葉。痛み入ります」


「…では、これで失礼致します」


「真王陛下をお見送り致します」



 アイテルは腰を支えていた恭一の腕に手を回し、行きましょうと声をかけて歩き出す。立ち去る際、熱におかされた子供を抱え、懇願していた母親の傍に行き、子供の頬を両手で覆った。

子供の熱を冷まし、穏やかな呼吸に落ち着くまで触れて離す。


「どうか健やかにお育ちなさい」


「あぁ…ありがとうございます!!ありがとうございます陛下!!」



置いていた被り布を巫女から受け取り、アイテルと恭一はその場から早々に立ち去った。



人々のいた建物から少し離れた後、明らかに顔色が良くなく、フラフラと足取りがおかしいものの、気を張って前を歩いているアイテルに、恭一は声を掛けた。



「いつもそうやって、人を助けてるつもりかい?」


「…どういう意味でしょう?」


「特別な力があるから、力を見せびらかしてキリのない事に労力を使ってるのかって聞いてる」


「えぇ。私は真王ですから」


偽善エゴで人の命を救うことが真王?」


恭一の辛辣な言葉に、アイテルは一度立ち止まり、ゆっくりと彼の方を振り向いた。


「…私のエゴだと思いますか?」


「俺が察するに、何処かから来た難民だろう?恐らく他にも大勢いる。違う?」


「はい、たくさん。いらっしゃっております」


「あぁいうの全員を治して回るつもり?何のためにやってる?」


「このエバの……私の力で出来ることがあるのなら、役立てたいだけです」


「役立てる?君が出たことで混乱を招いただけに思えるけど。全員を治せる訳じゃないのに、でしゃばり過ぎてる。人間は、卑屈かどん底の時に奇跡を見せられたらすがり続けるものだよ。承認欲求を満たしたくてやってるつもりなら、止めるべきだね」


 ましてや一国の王が、市民が苦しむごとにいちいち抜け出して施しを与えるほど暇じゃないだろうと、恭一は黙って聞いているアイテルに言い放つ。その遠慮のなく、まるで説教のようにも聞こえる言葉に、アイテルは恭一のところまでゆっくり近づくと、こう言った。



「…昔、ある方に貴方と同じことを言われました。王は民を導く者、けして情けを売るものではないと。今でもその言葉は、正しいと思っています」


アイテルの赤い瞳が恭一を一心に見つめる目は、遠い日の過去に誰かを見ているように、悲しげだった。



「どんなに良いことをしても、全ての人が受け入れてくださる訳ではないことは分かっています。私を殺したいと思う方がいる事も。誰かを助けても、良い方向に行くわけではない事も」


「…」


「それでもあの人達は悪くありません。苦しみを得ながらも生きるべき人々です。誰があの人達をあんなことにさせてしまったかと言えば、私の責任です。止めることが出来なかった事の犠牲者」


「…エゴだね。何事にも犠牲は付きものだよ。いちいち気に掛けていて、その責任がとれると思ってるなら、とんだ間違いだ」


「…取らなければいけないのです。たとえエゴでしても、どんな形であっても。私は、真王ですから」


真王だから。


 その主張にこそ間違っている全てが凝縮されていると言うのに何故気が付かないんだと。


 どうして王になる人間にあるべき気質がないアイテルが真王という立場になったのか、その思い詰めているような瞳と表情は何故なのか。その点に目を向けた時、その言葉を口にして追及する事が出来なかった。



一番の疑問は、どうしてそこまで、無駄な自己犠牲を続けるのかと言うこと。



「戻りましょう。お付き合い頂いて、とても助かりましたわ」


「…ちゃんと歩けるの?眠いから早く戻りたいんだけど」


「少し疲れただけですのよ。大丈夫ですわ」



 そう言うが、明らかに膝が小鹿のように震えていて、足取りがヨタヨタとおぼつかないのが見て分かる。一部だけとは言っても、多くの人間の体をほぼ0の状態にまで治したのだから相当な疲労が見て取れる。



「…あら?恭一さん??」


「遅い。夜明けが来る」


恭一はアイテルの肩を掴み、振り向き様に自分の肩に身体を乗せて担ぎあげ、そのまま帰路を進み始めた。

アイテルはまるで丸太のように担がれて、ぽかんと後ろの景色を眺める。



「あの、重くありませんか?」


「普通」


「……恭一さんは、お優しいのですね」


「親切心でやってるわけじゃないから」


「いいえ、お優しいんですのよ」



 アイテルは恭一の事を見透かしたように笑い、その嬉しそうな顔は恭一からは認識出来なかったが、おっとりと朗らかに笑っているアイテルの表情に想像がついて、けして後ろを振り向かなかった。

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