第23話 フレデリック・ナイトレイ


 部屋の奥には大きな戸棚が並んでおり、古びた本が所狭しと並んでいる。その前には漆黒の椅子と執務机が配置され、部屋の左わきには革張りの高級そうなソファ。


 夜が深くなった窓の外とは対照的に、柔らかく光るガラスシェイドで照らされた執務室に通された俺は、話の種として幼年学校での出来事を話した。

 まだ三十半ばを過ぎたばかりのフレデリックは、相対する者の視線を惹き付ける金色の双眸を瞬かせて、感嘆の息を漏らす。



「――最初、送られてきた手紙の内容を読んだ時も思ったことだが、クリスがチームを組んでいる友人の活躍は凄まじいな。低級地下迷宮ビギナーダンジョンとはいえ、もう迷宮主ダンジョンボスの討伐を成し遂げるとは……」

「ええ、幼年学校の生徒が成し遂げた記録としては、最速に近い部類ではないかと自負しています」

「だろうな……私もベルネクスでは無い幼年学校で初級地下迷宮ビギナーダンジョンを攻略したが、迷宮主を斃したのは八人編成の分隊スカッドかつ、二年目の終わりであった」



 昔を懐かしむ口調で頷いた後、フレデリックは射抜くような鋭い眼差しでこちらを見やる。



「今後ともその才能に驕ることなく、更なる成果を期待している」

「はい、アイツらのお荷物になるつもりもないですから」



 その答えに満足したのか、フレデリックは顔を緩める。その表情はナイトレイ家当主とは違う、ありふれた父親の顔に思えた。



「それでは、そろそろ本題に入るか」

「……本題ですか?」

「ああ、私が貴族院議員として政治活動を行うと同時に、今は予備役へと編入されたが、家督を継ぐ前は現役軍人であった過去を知っているな?」



 現在の皇国は立憲君主制の下に、貴族院と庶民院で構成される両院制を敷いており、上院に相当する貴族院では、貴族階級や大魔導師アーク・ウィザード層が特権階級として独占を続けていた。

 ナイトレイ侯爵家を世襲したフレデリックも、政界では若手ながら有力会派に属し、その幹部として存在感を強めている貴族議員の一人である。



「ええ、父上も貴族の中でも珍しく魔力保有量に恵まれ、現役時代は叛乱鎮圧で功を成し、家督を継いだ後も、忙しい合間を縫って地下迷宮ダンジョンに潜っている高位の魔術師ですものね」



 近代的な議会制民主主義国家であると同時に、数十年前までは帝国主義の軍事大国であった皇国では、国民皆兵の思想を体現した徴兵制度が存在する。

 無論、大半の者は短期間の軍隊での勤務に従事した後は予備役に編入され、軍隊以外の職に就き一般生活に戻る。だが、例外として魔力保有量の検査で魔術師の適性がある者は、予備役に編入された後も、年間の一定期間を地下迷宮ダンジョンの攻略に費やし、実戦に耐え得る水準の位階に達しておく事を求められた。


 ただフレデリックのように、徴兵ではなく自ら志願して幼年学校や士官学校に通った元本職の軍人は、諸事情によって予備役に編入された後も位階レベル上げに意欲的な場合が多い。



「そうだ、魔術師に成れるだけの適性を持つ者は早々生まれないが、私やお前の存在を始め、ナイトレイ家はかなり魔術師を輩出し易い家柄なのだろう。二代前の先々代ナイトレイ家当主も、皇国の大陸西方統一事業だった侵略戦争で高位魔術師として重要な役割を果たし、斜陽に入りつつあったナイトレイ家の権威を再び不動のものとした」



 魔術師は生まれながらに魔力保有量が多いその特質から、位階レベルが低い段階から実用に耐える戦闘魔術を扱えた。肉体を強化し、遠距離で放出系統の魔術を放てるなら、効率的に経験値を稼げ、安全で早急に位階レベルを上げられるのは明々白々だ。


 当然ながら、持ち前の魔力保有量を始めとした高い初期能力が更に成長し、一般人とは隔絶した戦闘力を持つに至った魔導師達は、常に戦場でも華々しい戦功を上げ続け、名声と権威を独占するようになる。

 そうした事情もあって、混沌と戦乱の時代が続いていた超文明崩壊後の大陸では、国、もしくは家を興した初代や中興の祖が魔術師という例は珍しくもない。故に、各国は魔術師の囲い込みに注力し、領地や都市の譲渡、免税特権や年金支給などの優遇措置を受ける魔術師が、何時の頃からか貴族や大魔導師アーク・ウィザードと呼称される封建的な特権階級に変貌。



「先代、お前にとっての祖父は、資産家として財を成したが、魔術師の適性が無かった事を何度も嘆いていたな。確率的には魔術師など早々なれる訳では無いのだが、ナイトレイ家の初代や中興の祖である先々代の活躍を見聞きし、晩年も羨望を禁じ得ない様子であった……」



 ただ、魔術師の子供が必ず魔術師に成れるだけの魔力保有量を持って生まれてくる訳では無い。親が高位魔術師であれば、多少生まれやすくなる傾向があるのは事実だが、大半の子供は一般人の域を出ない普通の魔力保有量しか持たなかった。



「昔の皇国は今以上に軍国主義的な国家だったらしいですから……偉大な父との比較もあって思い悩んでいたのでは」

「当時は植民地や従属国の獲得に国家全体が熱狂していた時代だ。民族の繁栄と栄光をもたらした軍人と魔術師はどこに行っても尊敬され、逆に魔術師や軍人でないと尊ばれない風潮は、一般社会同様に貴族社会でも根強かったからな」



 魔帝国の脅威が遠かった大陸西方では、植民地獲得競争が熾烈であり、その尖兵となったのは昔と同じく高位な魔術師であった。前述のように魔術師は有事の際には優先的に徴兵され、地下迷宮での攻略義務などの大きな負担もあったが、その分待遇も良く数々の特権を享受した。

 そうした魔術師の祖先や親族が居る貴族階級は魔力適性が引き継がれなかった場合でも、彼等との繋がりを利用し、国家の意思決定に関わる重要な官職を世襲するようになっていく。


 無論、その事実に反感を覚えた一般人は多い。

 しかし、近世以前の皇国を始めとした人類国家では、数が多くとも位階も低く魔術も使えない一般人より、国家の尖兵として戦場で猛威を振るい、相手の魔術師や魔人に対抗できる軍事力の象徴たる魔術師が万が一にも自国にその刃を向けないよう、魔術師でなくとも、彼等やその親族達と深く繋がりを持っていた貴族達を取り込み、優遇する姿勢を見せなければ国内体制が安定しない事情もあったのだ。



「だが、最終的に祖先がどれほど偉大でも経済的な問題で落ちぶれていった名家は多い。そして、市民階級にも選挙権が与えられて以降、没落した貴族に変わって新興勢力とし台頭しているのは、選挙に強い影響力を持つ実業家や資産家だ。彼等の国政での発言力は、下手な貴族より遥かに強い。我がナイトレイ侯爵家も父の実業家としての成功無くしては、今ほどの権勢を維持するなど現実的では無かっただろう」



 近年は魔導兵器の発展と産業資本家層の勃興から、市民階級の権利が拡大傾向にあり、相対的に貴族の、特に現役の魔術師を輩出していない特権階級の影響力が顕著に弱まりつつあった。

 そんな中、西方地域の統一を成し遂げ、人類国家唯一の超大国となった皇国の皇帝と国家統治者達は、昔ほど貴族に配慮する必要がなくなり、不満を訴え続ける市民階級の視線も気にしてか、彼等の力を削ぐ何かいい案が無いかと頭を悩ませていた。

 魔人の脅威は健在な以上、国防の要である貴族や魔術師を敵に回すのは避けたいが、どうにか国家の財政を圧迫する貴族の権利や頭数を減らす上手い方法はないかと。


 そこで数十年前から皇国上層部が持ち出してきた概念が、高貴なる者の義務。



 通称『ノブリス・オブリージュ』である。



 それが意味するところは、貴族は重い責務を背負っているからこそ、政治、経済上の特権が保証されるというもの。兵器が発展しようと魔人の超人的な戦闘能力が未だに恐ろしい事実は変わらず、それに真っ向から対峙できる魔術師本人に限定した優遇措置を授ける法案を議会に突き付け、不要な貴族の数を減らし、市民のガス抜きを図ったのである。


 勿論、既得権益を失いたくない貴族達は、これまで以上に子弟を魔術科のある幼年学校や士官学校に送り込み、魔術師の適性を持つ子弟が居ない場合は、他の貴族や平民の中から魔術師適性を持つ者を好待遇で養子として迎え入れ、延命を図ろうとした。

 されど、それで上手くいったのは、金とコネ、家柄がある有力貴族だけであり、産業革命の中で資産を喪い、特権の恩恵でどうにか生き永らえていた没落貴族の名跡は完全に絶たれてしまう。


 今では世襲貴族の家であるならば、特殊な事情でもない限り、家の誰かしらが魔術師として軍務に服している現状だ。



「少し話が逸れたな。話を戻すが、私は予備役編入前に皇国陸軍魔術兵中将だっただろう?」

「そうでしたね、流石に昇進が早い、と当時はそう思ったのを覚えています」



 市民階級に出世の道が開かれたと言えど、国政や軍部上層部にはまだまだ特権階級も残っており、その彼等と繋がりを維持する貴族、特に高位貴族の昇進速度は、何の後ろ盾も人脈もない平民より数段早くなる。


 家督を継いだ当時三十三歳に過ぎなかったフレデリックが、既に中将に昇進していた例など正しくそれだ。

 ただ、植民地と属国獲得を目指して侵略を重ねていた帝国主義全盛期と、戦功を上げる場が紛争や反乱の鎮圧かぐらいしか無くなった昨今の昇進速度を比較すると、これでも遅くなった方であるらしいが。



「そうした高級将校としての経歴と実績を買われて、オースランド総督に就任しないか、との打診が来ている」

「……オースランド、旧オースランド王国領の総督にですか」



 オースランド王国は、魔人との前大戦、中部六〇年戦争で中心的役割を果たした中央諸国の盟主国。


 現在では、魔帝国の度重なる攻勢で崩壊寸前であった王国の止めを刺す形で、皇国軍が軍を進めて制圧し、国土が接する西側半分は皇国領に併合するも、荒廃が酷く併合する旨味もなかった東側半分の旧オースランド領には、皇国が設立した総督府が置かれ、魔帝国との緩衝地帯と化していた。


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