第3話 グレン・リヴァース
『……これまでの半生は、一体何だったんだ……』
画面一杯にグレンの苦悶の表情が映し出され、無力感に打ちひしがれた独白が薄暗い部屋の中に響く。
『無様だ……何が、人類最強だ……それじゃあ、まるで届かなかったッ! 何もかもが足りなかったんだッッッ!』
悲痛な叫び声が響き渡ると、曇天から雨粒が降るCGが射し込まれ、グレンの頬を濡らす。一層強まった雨音のBGMが、物悲しさを際立たせる。
グレンは雨の中、悲嘆に暮れていた。
己こそが当代最強の一人だという自負心も。最愛を奪った魔人種に抱いていた敵愾心も。巨悪を討ち滅ぼさんとする使命感も。
死に物狂いで手にした力が、何一つ通じなかった今となっては、胸に抱き続けてきた信念がポッカリと喪失していた。
その代わりに、グレンの心の中を占めていたのは、真っ黒な恐怖と絶望。何より、身を持って体験した魔帝の悪辣さを思い出す度に、全ての責務を捨てて逃げ出したい誘惑に屈しそうになる。
だが、それは束の間の現実逃避に過ぎず、実際にはそうはならなかった。
いつも、奈落の底に堕とされる寸前で、鮮明に思い起こされる家族や仲間たちの散り様。続いて蘇る、盲目的な憎悪に突き動かされ、周囲を犠牲にしてきた忌まわしき記憶。
――あらゆる過去も柵も捨て去って、生きる屍のように残りの余生を過ごせるなら、どれほど楽だろうか。
その、悪魔の囁きに呑まれそうになった経験は一度や二度では無かっただろう。それでも、グレンは自暴自棄になって、全てを無に帰すも同然な選択はしなかった。
何故なら、復仇で生涯を燃やし尽くしてしまえる程、情に重く心優しき青年は、何にも増して誰一人守り切れなかった救いがたき無能な自分を深く憎んでいたから。
勿論、どれだけ言葉で取り繕っても、グレンのやってきた所業が許される道理など無い。
自身の復讐を成し遂げる為に、大戦の戦禍で喪失に暮れる人々に対して、それがさも死んでいった者の望みであるかの如く謳い、偽りの使命感を与えて地獄の道に誘ってきた。
そうしなければ、例え幾千万の人間が死を選んでいたのだとしても、自身の行為を正当化し開き直れるものではない。
ただ血塗られた道を歩み続けた過去を誰よりも自覚し、一時たりとも忘れなかったからこそ、復讐を決意したあの日から、死という名の救済に縋る事も、他者に許しを乞う厚顔無恥な振る舞いも、グレンは頑なに禁じてきたのだ。
そして、何より――。
『それでも、俺はっ……彼女達が懸命に生きた痕跡すら、全てなかったことにされるなど、絶対に容認できない!!……魔帝の目的が人類の支配でも隷属でもなく抹消であるならば……魔帝アギアスッ! 奴だけには、その企みだけは、いかなる手段を用いてでも阻止してみせるッ……!』
人類征服や大陸統一という表向きの名分すら、欺瞞に過ぎず――【方舟】を自身に近い一派だけで独占し、他の反魔帝派の魔人や文明存続に必要な人類の奴隷以外は全て見捨てる、のみならず、終末が周知の事実となった時世に【方舟】を巡って争う潜在敵と捉えて、その前段階から殲滅戦争を隠れ蓑に実質的な間引きを推し進める――反対派と人類の民族浄化に等しい
『だが、今のままでは不可能だ……勝つことはおろか、勝負にすらならならないっ……。それに奇跡が起きて魔帝を討ち滅ぼせても、それで絶滅戦争は終わるのか……? 旗振り役が居なくなれば、両種族の融和が実現するとでも? 馬鹿なッ! 戦争の戦禍と一度世に広がった思想が消え去ることは無いッ、融和など余りに非現実的だ――否、もし魔帝の言葉が真実と仮定した場合、そもそも人類と魔人の両種族全員が生き残れる未来など存在しないのではないか……!?』
グレンは、苦渋に歪んだ表情で自問自答を続け、打開策を考え込むように瞑目する。
そして、暫しの沈黙の末、確かな覚悟を胸に研ぎ澄まされた刃のような眼差しで言う。
『――奴に勝つにも、大災厄後の世界を乗り越える為にも、国家や大陸の命運を左右できるだけの……そう、魔帝に匹敵する権力を掌握するよりほかに活路はないっ!』
これは今作においてグレンの二度目となる覚醒シーン。
一度目の覚醒シーンは、初めて魔人の手で最愛を奪われたあの日。
幼年学校に在籍し、卒業を間近に控えていたグレンは、突然の魔人による襲撃により、最愛の肉親であった妹を喪う。目の前で平穏と妹の命を手にかけた魔人と襲撃を教唆し、戦争の引き金を引いたとされる魔帝に復讐を誓い、ただひたすらに仇敵の背中を追い求めて貪欲に力を磨いてきた。
しかし、復仇の旅路の最果てにあったのは、沢山のものを犠牲にして研ぎ続けた復讐の刃が、僅かなりとも怨敵を捉えなかったという虚し過ぎる現実だけ。否、ただ失敗しただけなら、まだ救いはあった。
けれど、現実は無情そのもの。復讐を胸に抱いてグレンが死線を潜り抜けてきた過去は、魔帝の支配力を強めるものでしかなく、むしろ、仇敵の掌で踊らされていたに等しい有様。
果てには、魔帝を滅ぼし魔人との生存戦争を勝ち抜いても、人類の過半は死ぬしかない八方塞がりな現実に深く打ちのめされる。
それは、グレンの半生を完全否定されたも同然で、彼の思想、姿勢、精神の在り方を大きく歪めていく。
『権力の階を駆け上がり、皇国の全てを掌握し、人類が生存の権利を、最後の楽園【方舟】を必ず掴み取る! そのためなら、同情も感傷も私怨も、不要なものは全て削ぎ落そうッ! 最後に目的が達成されるなら、俺はどんな悪魔とでも手を組んで見せる……それが例え、仇敵である魔帝本人であったとしても!!』
壮絶な決意を雨雲に向かって宣言するグレン。
そこには良くも悪くも生来の情け深かった青年の姿は見られない。
人類の救世主。紅蓮の太陽。虐げられし者の剣。
これらは、復讐心のままに魔人を屠り続けた一面だけを指して得られた称賛ではない。
グレンは自分が深く傷ついた過去があったからこそ、境遇を同じくする魔人の被害者達に寄り添い、時には根気強く励ましや慰めの言葉を掛け続け、常日頃から手を差し伸べてきた。その過程無くしては人々から熱烈に支持されることも無かった。
だが、それも今思うと余計な寄り道に過ぎなかったのではないか――……。
精神強度が並外れて優れていたグレンであっても、こうも立て続けに冷酷な現実を知らされては、極端な思考に偏ってしまうのも無理はないだろう。
この日を境に、グレンはかつての自分を否定していく。生来の優しさや道徳観を無駄な贅肉と断じ、託された遺志や再び育ちつつあった恋心に蓋をして。
そうして、最後に残った、たった一つの人類生存という至上命題の達成を第一とし、その過程でどれだけ血と涙が流れようと、合理的、効率的な政策であるならば断固として実行する、冷酷無情で鋼の精神を持つダークヒーローが誕生したのだ。
――どうしてこうなってしまったのか。何が悪かったのだろうか。
ストーリーを進めれば進めるほどそんな益体もない感傷に襲われる。
「方舟大戦シリーズはダークファンタジーにしろ、歴代主人公の物語にはルート分岐としての
所詮、グレンは正規の主人公ではなく、その本質は
今一度、そうしたメタ的視点抜きで、グレンの経歴を振り返る。
グレンの生涯は非業に満ちていた。
魔帝の手先である魔人によって肉親を奪われ、脆く崩れ去った日常。幼き妹に続き、幼馴染、愛した女性、背中を預け合った仲間達を、誰一人その手で守れなかった救いがたき半生。
されど、グレンはどんな不幸に遭っても、途中で諦めて膝を屈することは無かった。
それは魔帝との直接対決に敗北し、復讐という当初の目的が叶わなかった後も変わらなかった。
己が闘うことを辞めてしまえれば、散っていった人達の死が無駄死であった現実を認めてしまうに等しいから。
故にグレンは闘争の手段を変えた。
一兵士、一魔術師として死力を尽くしたところで得られるのは、復讐心を満たせる自己満足感だけ。
真の意味で魔帝と比肩する為に必要なのは、個人の実力ではなく集団を服従、支配できるだけの絶対的権威。
最終的にその結論に至った彼は、空前絶後の災厄と脅威に立ち向かうべく大戦中に培った名声を利用する形で政界に進出する。
それは、自身の在り方を大きく歪める決断。
それでも怨恨も屈辱も恥も全てを押し殺し、奇麗ごとばかりでない権力闘争の世界を、清濁併せ吞む政治手腕で渡り歩くと、グレンは世界の半分近くを征した超大国の最高指導者にまで登り詰める。
そして、己が取りこぼした大切な人達が、命を懸けても守りたかった誰かの未来を救うため、終末後の世界で理論上救済可能な最大多数の人間を生存させるべく残りの生涯をかけて尽力したのだ。
ただ一方で、独裁者と成り果てたグレンを、救世主と呼ぶには、あまりに血生臭過ぎた。
人類存続の大義名分の下に、時に億を超える人命の損失すら許容し、苛烈という言葉が生易しく感じられるほどの夥しい流血を伴う非道な手段で、八方塞がりかと思われた人類の未来を生存の方向に導く。
それは同時に、生き残ったほぼ全ての人間からの憎悪と怨恨を一身に集める結果に繋がり、魔帝が倒され、方舟を手にした戦後世界――シリーズ第二作【方舟大戦Ⅱ ~楽園の叛逆者~】では、グレンこそが滅ぼされるべき
――あれ程、他人から恨みを買い過ぎていては、グレンにハッピーエンドの結末など許されなかったのも納得だ。
しかし、その手段は決して褒められるべきでも、賛同されるものでもないが、彼の献身無くしては人類に未来が拓かれなかったのも、また否定できない事実。
そうして、一つ一つ冷静に立ち返ると、さして時間を掛けずとも、ある一つの答えに至る。
「……グレンに足りなかったのは、他でもないグレン・リヴァース本人だったのかもしれないな」
断固たる意志で真っ暗な闇を斬り裂き、悪を以って悪を征す、そんな必要悪の体現者がグレン以外に存在したならば――。
グレンの物語はもう少し違うものになっていたのではなかろうか。
そんな空想に思いを馳せつつ、チラリと時計を見れば、両方の短長針が二四時を大きく回って随分と経っている。
「もうこんな時間……流石にもう寝ないと……」
身体を伸ばしながら椅子から立ち上がり、バタンとベッドに倒れ込む。
ゆっくりと瞼を閉じれば、瞬く間に睡魔が襲ってきて意識が堕ちた。
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