第4話 覚醒



 深い暗闇の中から意識が浮上する。


 ――何だか頭が重くて、時間の感覚が曖昧だ。


 睡眠中に長い夢でも視ていたのだろうか。

 微かに倦怠感もあって、意識が朦朧としている。未だ焦点の合わない目を擦りつつ、ゆっくりとベッドから身を起こす。



「――ッ」



 寸前、頭に鈍痛が走り、呻き声を漏らして頭頂部を手で押さえた。微睡の中から強制的に叩き起こすも同然の刺激に、目覚めの気分は最悪に変わる。

 憂鬱の種に意識を向けると、掌から伝わる何重にも巻かれたガーゼと包帯の感触。その下に熱を帯びたたん瘤が出来ていた。



「いつの間に、たん瘤なんか……それに、ここは」



 身に覚えのない怪我に若干の混乱を覚えつつ、周囲に視線を走らせる。


 右手の窓から差し込む夕陽が、真っ白な天井を紅く染め、反対側はカーキ色のカーテンで仕切られていた。枕元の隣には、引き出し付きのローテーブルが鎮座し、天を仰ぐと壁掛式のガスランプ。床下には赤褐色の素焼きタイルが敷かれ、一部すり減っているが掃除自体は行き届いており、清潔感が保たれている。


 アンティーク趣味なことに目をつむれば、学校の保健室のような風景――否、文字通りの医務室で寝ていたらしい。頭の怪我は保険医か養教辺りが手当てしてくれたのだろう。

 部屋をぐるりと見渡せば、段々と記憶が甦り始めた。



「……グレンの奴、強かにぶちやがって」



 ――まあ、アレは事故も同然だったから、逆恨みと指摘されたら否定できないが。


 記憶の整理をしつつも、たん瘤の原因となった相手に対する不満が口を突く。


 あれは今から数時間前にあった、剣術教練での出来事。

 同級生が一同に集められた修練場で入校以来の友人であったグレン・リヴァースを捕まえると、何時ものようにペアを組み、適当に選んだ木剣を片手に模擬戦闘を開始した。

 先日一〇歳になったばかりとは思えない目まぐるしい剣戟の応酬。木剣を振る度に快音が轟き渡る壮絶な打ち合いは、時間の経過とともに力強さと鋭さを増していく。

 双方とも魔術科の将校生徒を養成するベルクネス陸軍幼年学校内でも、白兵戦において一二を争うと評される実力者。

 必然、学内有数の肉体強化を行使した剛腕から繰り出される怒涛の連撃を、外野からでも目で追える少年少女は殆ど居らず、教師役の大人たちですら限られる。

 高いレベルで実力の均衡する二人の模擬戦闘は、同級生の間でもお馴染みの光景であり、その日も早期に決着が付くことはないと思われていた。


 そんな一進一退の攻防が変化したのは、訓練開始から一〇分を過ぎようとした頃。

 激しい力と力の鍔迫り合いの直後に、反射的に素早く間合いを取り、呼吸を整えながらそれぞれの木剣を構える。

 自然と両者の間に舞い降りる、数舜の静寂。

 刹那、先手を取ってグレンが動いた。地を這うような前傾姿勢で瞬く間に距離を詰めると、上段からの鋭い振り下ろし。

 対して、こちらは大振りの一撃を上手く受け流し、反す刀でカウンターに繋げようと、一直線に頭上へと迫る木剣を見据えて対峙した。

 だが、ここまでの著しい酷使もあり、木剣が耐久限界に達していたのだろう。

 二条の軌跡が交差する、その寸前、バキッと大きな音を立てて木剣が真っ二つに折れ、大きな弧を描いて木剣の剣先が宙を舞った。


 そして、頭に電流が駆け巡ったのとほぼ同時に視界が暗転し、今に至る。



 ちくしょう、これでグレンに負け越しか。これからだって時に……だけど、木剣が不良品だったからと無効試合を主張するのもダサすぎるし……。



「いや待て……本当に、そうだったか? ……――俺とグレンが、模擬戦闘?」



 今もズキズキと訴え続けて止まない鈍痛。痛みという形で疑いようのない物証が存在するはずなのに、何故か名状し難い違和感に襲われる。

 そうして一度違和感を覚えると、目に映る部屋の内装や夕焼けに照らされた窓の外の景色すらも、何気なく受け入れていた今までと一転して、どこか色褪せて見えた。



「――違う、ここではない、どこか別の場所で眠りに就いたような……」



 違和感は強くなるばかり。果てには、己の身体すら馴染みないものに思えてしまう。

 結局、気持ちの整理が付かないまま、衝動的にベッドから腰を上げ、カーキ色のカーテンを開け放つ。

 広がった視界の先、部屋の隅に立て掛けられた姿見鏡を見つけ、そちらへと吸い寄せられるように歩み寄った。



「――……は?」



 自らの容姿を確認し、驚きの余り絶句。

 そこに映っていたのは、くすんだ白髪に澄んだ碧眼という日本人からはかけ離れた容貌。顔立ちは整っているも、一重瞼の三白眼が少し威圧的で損をしている印象の少年が、呆然とした様子で口を開け、間抜け面を晒していた。

『俺』ではない『俺』以外の人物。


 誰なんだ……こんな顔、俺は見たことも――いや――。


 既視感。グルグルと回り続ける記憶の欠片。瞬く間に、頭の中で画面越しに眺め続けた青年と目の前の少年の姿が重なる。



「……そうだ、思い出した……!」



 鏡に映る少年は、クリス・ナイトレイ。

 グレンの親友であり、ライバルでもあった少年。

 戦場でもグレンとお互いに背中を預け合い、幾度となく死線を乗り越えてきたが、些細なすれ違いと思想的な対立の末に袂を分かち、最後には殺し合ってしまう程、愛憎入り混じった複雑な関係性。

 何より重要なのは、【方舟大戦】という創作物ゲームに登場する架空の人物キャラクターであること。



「いやいや、おかしいだろ!?……一体どんな状況なんだよ……?」



 今の俺には、エリウス皇国に生を享け、将来は偉大なる大魔導師アーク・ウィザードとなる事を夢見ていた幼年学校の将校生徒クリス・ナイトレイとしての記憶が存在する。それはキャラクタープロフィールを知っているだけでは説明が付かない、一個人として主観的に経験してきた確かな記憶である。

 同時にグレンやクリスの活躍を娯楽として楽しんでいた観測者だいがくせい、三上景の記憶もあった。

 原作の世界線らしき未来の記憶や情報規制が敷かれた魔帝国の内実、各勢力の思惑や巨大地下都市【方舟】、【終末】の再来など、一個人では知る術のない裏事情、未知の情報などがそれだ。


 景の記憶。クリスの記憶。一つの頭に相反する全く別人の二人分の記憶が混在していたが、時間の経過とともに区別されて理解が追いつく。


〝自分〟の顔をしみじみと眺める。記憶がしっかりと整理できたからか、先程までの強烈な違和感は無い。これまで幾度となく見てきた、一〇年近い歳月を生まれながらに共にしてきた見慣れた顔立ち。

 むしろ、今となっては日本人であった現実が過去となり、今では三上景の顔を鮮明に思い出す事の方が難しい有様。



「なぜ……どうして、忘れてたんだ……」



 もはや、景として生きた過去は疑いようもない。だが、何度記憶の底を漁っても景が命を落としたと推察できる記憶は存在しなかった。あくまでも、大学の夏休みに方舟大戦シリーズの最新作を夜遅くまでプレイし、エンディングを見届けた後、眠気が限界に達してベッドに潜り込んだのが、最後にして最新の記憶なのだ。



「景は死んで、クリスとして生まれ変わったという認識で間違いないのか……?」



 死に際の記憶がないが、今の自分クリス他人ケイが視ている夢の中の存在ではないという確信もあり、最初にその可能性が思い当たった。もしかしたら、死んだという結果を挟まずに、平行世界の同一存在である景の記憶が蘇っただけという可能性も。


 いずれにしても、自身の記憶以外に景の存在を証明できる手段が存在せず、思考実験の域を出ないので因果関係については一旦保留する。


 確かなのは、景としての記憶はあくまでも過去、情報として消化しており、どちらかといえば肉体と同じく思考の主体性はクリス・ナイトレイに比重が置かれている状態らしい。

 ただし、景の記憶を取り戻したことで、自意識、精神構造が以前までのクリス・ナイトレイとは大きく変貌した自覚もあった。――こうした他人事のような客観的思考と精神分析もその一部だ。



「しかし、この世界は創作物ゲームをモデルにした世界だったとは……それとも今の俺と似たような境遇で、この世界を観測可能な手段を持つ何者かが、景の世界でフィクションとして世に送り出したのか?」



 現実と虚構の逆転現象。様々な可能性が浮かんでは泡沫のように消えていく。

 なんにせよ、この世界と方舟世界には類似点が多すぎ、安易に荒唐無稽な妄想だと切り捨てるのも難しい。仮に原作通りの道筋を辿るなら、安穏と楽観的に構えている余裕など無いだろう。

 ましてや、今の俺は筋書き通りに唯々諾々と従うだけの架空世界の住人なつもりなど無い。



「そうと決まれば、まずは情報収集に取り掛かるか」



 これ以上、この場で思考を巡らせ続けたところで、得られるものは何も無い。今はとにかく行動あるのみ、と鏡に映る急ぎ立てるような双眸から視線を外して、医務室の出入り口に足を向けた。



 その道中の出来事。

 あるシーンがフラッシュバックし、思わず足取りが止まる。


 血と煙硝の鼻を突く匂いが立ち込める、柱もない広大な空間。

 煉瓦壁と鉄骨が併用された最先端の建築技術を駆使した高層建築物、その最上階には襲撃者の死体と武器が乱雑に転がっている。

 そんな血だまりが広がる中央に、二人の青年が対峙していた。



『――――グレン、今のお前がやっていることは、魔帝の如き残虐な独裁者の所業と変わらない! 民族間の対立を煽り、少数民族を危険分子として虐殺し、人をここまで殺し合わせて人類に未来があるのかよ!?』



 縋るような訴えるような声音で語り掛けても、顔色一つ変えない赤毛の青年。

 そして、血塗られた独裁者に命懸けで反抗した少数民族テロリストの屍を一瞥し、もう一方の青年も覚悟を固めて剣呑な表情に変わる。



『これ以上非道な手段に手を染めれば、お前こそが全人類にとっての悪となるッ! もう自分では引き返せないのなら、俺が力づくでも止めるぞッ! お前の為でも、ましてや、顔も見たことが無い他人の為ではない……俺自身がもう誰一人として大切な人を喪わない為に!!』



 そう宣言して、クリスがグレンに向かって駆け出したのを最後にシーンは途切れた。

 脳裏に過ぎ去った白昼夢は、原作のクリスが親友と決定的に決裂した心象的な場面の一つ。



「……今のは……過去の記憶? いや、今の俺は一〇才だから年齢が合わない……なら、他人ケイが視た記憶シーンを実際に起きた事象だと思い込んだ幻覚に過ぎないのか?」



 暑さとは別の嫌な冷や汗が背筋を伝うのを感じながら、思わず呟く。

 本当にあの場に居たような臨場感。只の妄想と切って捨てるには、余りに出来過ぎた白昼夢だった。


 数秒ほどの硬直から立ち直り、頭を小さく左右に降って歩みを再開する。


 所詮は創作物ゲームのワンシーン。限りなく自分と似た別人に自己投影した故の感傷に過ぎないのだと、自身に言い聞かせながら焦げ茶色のドアに手を伸ばした、とほぼ同時に。

 ホラー現象の如く、ドアが独りでに開いていく。



「なんだ、起きてたのか? もう体調は大丈夫なのか?」



 そこに立っていたのは、記憶の中で対峙していたより相手より多少幼い顔立ち成れど、紛うことなきグレン・リヴァースその人だった。

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