第9話 中級ダンジョン


 ベルネクス郊外には人間の手が加えられていない広大な森林が数多く残っている。

 この辺りはかつてエリウス皇国と滅びた旧大国オースランド王国の国境地帯であり、本格的に開発が始まったのは、隣国オースランドを併合して以降の約二五年前に過ぎない。


 一昔前は辺境の農村でしかなかったベルネクスが、僅かな期間で近隣一帯では有数の地方都市にまで発展した一因に、古代人が遺したとされる地下迷宮ダンジョンの存在がある。


 巨大地下都市【方舟】は、地下迷宮ダンジョン中枢機関ダンジョンコアを改良して建設された物であるが、そのオリジナルたる地下迷宮ダンジョンは、元を辿れば古代人にとっての娯楽ハンティング施設、又は軍事施設として運用されていたらしい。


 位階レベルという概念が存在する方舟世界で、個人の身体能力を著しく引き上げるには、魔素原子を主要な構成成分とした生物が命を散らした際に、空気中に放出される体内魔素を取り込み続け、位階上昇レベルアップを重ねる必要がある。


 そこで古代人達は、人間や魔人以外の魔素原子生物――通称、魔物モンスターを安定供給する地下迷宮ダンジョンを、ある種の練兵場、演習場として設計したのだとか。


 そうして、前大戦で独立維持が限界となった大陸中央諸国を皇国が領有した折に、ベルネクスで最小規模だが立派な地下迷宮ダンジョンが見つかり、魔術科の将校生徒養成機関であるベルネクス幼年学校が開校。

 以降、持続的な位階上昇レベルアップ活動を主目的とした特別実施訓練施設として広く利用されている。


 なお、地下迷宮ダンジョンは、最上級マスター上級エキスパート中級ミドル下級ノービス初級ビギナーなど規模や出没する魔物モンスター位階レベルに応じて五つに分類され、幼年学校の隣に併設された初心者向けの初級地下迷宮ビギナーダンジョンは、最弱に近い低級魔物が主となる。


 低級魔物は、原始的な武器を持つ大人や魔術師適性を持つ人間なら、子供であっても簡単に討伐出来た。

 実際、現代より娯楽が少なかった古代では、当時の人類の身体能力が高かった事実もあって、下級ノービス以下は戦士階級以外の女性や子供も入場可能な獲物が尽きない猟場として広く開放されていたという。

 ただ現代では地下迷宮自体がロストテクノロジーで建設不可能な為、下級ノービス初級ビギナー地下迷宮ダンジョンも軍や教会、近衛魔導師団など、古くから巨大な影響力を誇る組織の私兵養成機関として実質的に囲い込まれているのが現状だ。


 また地下迷宮ダンジョンは軍事施設であると同時に希少資源の宝庫。特に近年の繁栄は魔導力機関によって支えられているだけに、その製造工程で不可欠な魔属元素鉱石の総称、魔鉱石を産出する地下迷宮ダンジョンの存在は、戦略資源の供給源としても重要な意味を持つ。


 中でも地下迷宮ダンジョンの三大魔鉱石――魔晶石、魔珠石、魔煌石――は、精錬の必要が無いほど高純度で耐蝕性にも優れ、魔物討伐時にしか生成されない性質故に、中枢機関ダンジョンコアを製造出来なくなった古代文明崩壊以降は産出量も一定に限られた為、貴重な貴金属としても取り扱われた。


 そうした特殊な背景もあって、ベルネクスに限らず地下迷宮ダンジョン全体が厳格に管理されており、資格のない人間が潜った場合、非常に厳しく処罰される。

 ちなみに、今の俺が正規の手段で探索可能な地下迷宮ダンジョンは、所属しているベルネクス陸軍幼年学校お抱えの初級地下迷宮ビギナーダンジョンのみ。

 幼年学校の地下迷宮ダンジョンで産み落とされる魔物モンスターは、ファンタジー世界でもお馴染みな小鬼ゴブリン類で魔物討伐や地下迷宮ダンジョン攻略の熟練者でない若年の幼年学校生達でも比較的狩りやすい魔物モンスターだ。


 逆に言うと、低級魔物は、体内魔素もごく少量で、討伐しても吸収できる魔素原子――別の言い方だとゲームで言うところの経験値リソースが微量しかない。

 それを数で補おうにも位階レベル格差が一〇を超えると、位階上昇レベルアップに有用なだけの経験値はほぼ得られなくなり、目を覆うばかりに成長率も鈍化してしまう。


 故に、高位階ハイレベルな魔術師に至るには、敵が強力であっても経験値効率に優れた、中級ミドルクラス以上の地下迷宮ダンジョンに潜らなければならない。

 かと言って、地下迷宮ダンジョンはその特性上、国家の厳重な管理下にあり、許可なく立ち入れないのは先述の通り。


 士官学校卒業時の成績上位一〇人に入るか、任官後に戦場などで著しい活躍を見せれば、特権階級としての【大魔導師アーク・ウィザード】に叙勲され、中級ミドルクラスの地下迷宮優先使用権のみならず、最上級マスタークラスを含めた全ての地下迷宮ダンジョンを自由に攻略可能となるが、現在の俺は魔術科を専攻中の将校生徒に過ぎない。


 正規の手順で中級ミドルクラス地下迷宮ダンジョンに潜るには、五年制の幼年学校と三年制の士官学校卒業が必須であり、飛び級制度を最大限に利用しても、期間は半分程度しか短縮不出来ず、それでは二年後に迫った幼年学校襲撃事件に間に合わない。


 もしも原作知識を思い出さなければ、近い将来の苦難辛苦を知ったところでどうにもならず、ただただ現実の非情さを呪うだけに終わっただろう。







「やっと見つけた……記憶が確かなら、此処がベルネクスのもう一つのダンジョンだ」



 満月の月明かりが地上を淡く照らす、その日の深夜。

 ベルネクスから北西方向に一〇キロ走り続け、森林地帯の外縁部に到着。額に汗をかいて生い茂る森の獣道を歩き続けた先には、木々の緑に覆い隠された洞窟がひっそりと存在していた。


 皆が寝静まったころ、人目を忍んで寄宿舎を抜け出してきた俺は、筒状な携帯用の魔油ランタン――魔力に反応して燃焼する石油の一種を利用した照明器具――を頼りに生暖かい風が吹き込む洞窟へと一歩足を踏み入れる。


 外からでは分からなかったほど、内部は想像以上に奥まっていた。暗くて一寸先も見えない闇の中を微かな灯りだけで足元に注意しながらゆっくりと歩き出す。

 途中、泥濘の上に小動物の足跡が幾つか確認できたが、大型の動物や人が探索したような形跡は見当たらなかった。


 そうそう無いと思うが、魔物モンスターもしくは大型動物に不意打ちで襲い掛かられては堪らない。むしろ、害獣以上に人間の侵入した痕跡があるようなら、それはそれで問題がある。万が一にも、この場所を誰かに発見されて報告されてしまっては、既存の計画プラン全てがご破算だ。


 数分も真っ直ぐ進んでいると、正面に岩盤の壁が立ちふさがり行き止まりとなった。焦らずランタンを近づけながら壁一面を照らし、じっくりと目を凝らして観察する。


 それから岩盤の一つをゆっくりと押し込むと、地面が激しく揺れ動き、その場に一メートル四方の床穴が現れた。



「……これで事前知識が全く通用しない訳では無いことが証明されたな」



 フィクションの仕様が現実となっても通用するのかという一抹の不安が拭い去られる。隠された床穴からは螺旋階段が伸びており、如何なる原理かは不明だが蝋燭の灯火が地の底まで続いていた。


 ここは方舟大戦ゲームで【秘められし亡者の楽園】と呼ばれていた中級地下迷宮ミドルダンジョンだ。


 その名称から察せられるように、【骸骨戦士スケルトン】や【食屍鬼グール】など不死者アンデット種の魔物モンスターが主となる地下迷宮ダンジョンである。


 三〇前半から六〇前後のモンスターと幅広いレベル帯の魔物モンスターが出現する為、方舟シリーズ第一作の主人公プレイヤーが、低級地下迷宮ビギナーダンジョン攻略後にイベントで発見して以降は、ベルネクス近郊の中級地下迷宮ミドルダンジョン【秘められし亡者の楽園】で上級者一歩手前まで鍛え上げるのが定跡であった。


 そう、実はこの地下迷宮ダンジョン、本来の時系列なら今から約二〇年後に、ノア・コールフィールドが初めて発見する隠しダンジョンなのである。


 元を辿れば地下迷宮ダンジョンは、地下の魔鉱脈からダンジョンコアが自然魔素を汲み上げ、地下迷宮ダンジョンの動力源にしている特性上、一ヵ所に作り過ぎれば地脈が枯れてしまう危険性があり、地下迷宮ダンジョンが密集する事例は至って稀で、数十年前に最初の初級地下迷宮ビギナーダンジョンが見つかると、ベルネクス郊外の森林地帯にある地下迷宮ダンジョンは、先入観の影響もあって皇国の調査団から見逃されたようだ。


 お蔭で誰にも邪魔されないプライベートダンジョンを確保でき、人目を気にせず心置きなく最短効率のレベル上げが可能となったと思うと今から笑いが止まらない。


 ちなみに未発見のダンジョンを発見した者は、早急に所属する国に報告しなければならないのだが、下手をしなくとも命と未来が掛っている俺にとっては一考にも値しなかったりする……バレなきゃ犯罪じゃねえ!は究極の真理。そもそも、ダンジョン一つ自由に入れないとかどんなクソゲーだよ。

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