第8話 独裁者の代替



「……替わりなど、居る筈が無いんだよな……」



 思わず率直な感想を口にしてしまう。

 彼ほどのカリスマ性と強靭な精神、清濁併せ吞む政治手腕を兼ね備え、地獄に堕ちようと闇に染まりきらなかったある種の超越者の代役となる人物など、いくら頭の中を探っても思い当たらない。

 魔王を討てるのが救世主ノアしか存在しなかったように、独裁者グレンもまた方舟大戦という世界を成立させるのに、必要不可欠であった事実を痛いほど実感する。


 ――この世界で最大の必要な犠牲こそグレンなのではないか。


 そんな思考が一瞬頭の中を過るが、直ぐに頭を振って否定する。

 それを一度でも認めてしまえば、俺もグレンも創造主に与えられた役柄からは、決して逃れられないと認めてしまうも同然であるから。



「……原作に居ないのなら、消去法で異物イレギュラーの俺はどうだ?」



 暫く頭を悩ませた俺は、ふと気付いたように、そんな言葉を呟いていた。

 無論、俺はグレン程のカリスマ性や強靭な鋼の意思があると自惚れている訳ではない。ただグレンには無い大きなアドバンテージがあるとは思っているが。


 その筆頭と言えるのが、原作知識と二重基準ダブルスタンダードな精神性。


 俺は自分自身の事を特別善人でも悪人でもない至って普通の人間だと思い込んでいた。

 これは景とクリスの両人格に該当することだが、自身にとって大事な〝何か〟や〝誰か〟の為であれば、感情的になって必死に助ける努力もするし、行動に移すのも躊躇しない。


 ただ無関心な物事には、どうなろうと構わない一歩引いたスタンスで冷めた部分もあったが、普遍的な人間の感性とは総じてそういうものであろう。


 その性格は景とクリスの記憶が統合した人格となった今の俺にも問題なく引き継がれている、と何の疑問も抱かずそう思っていた。


 そして、その推測は間違っていた訳ではない。ただ同時に、正確だとも言えなかったが。


 結局、何を述べたいのかというと、今の俺には自分にとって大事な〝何か〟や〝誰か〟の範囲が異常に狭まっているらしいのだ。


 具体的には、原作知識から幼年学校襲撃事件を思い出した際、グレンの妹を除けば交流のない学友とはいえ、顔見知りの相手が死ぬ未来を視たのに、焦ることも助けようと努力することも無く、当たり前にその犠牲を原作順守に必要な犠牲だと割り切ってしまっていた。


 その事実を自覚した時は、流石に愕然とした。以前から身内以外には冷たいところもあったが、同じ幼年学校に在籍する少年少女が近未来に殺戮されると知ってなお、最初から何もしないほど冷たくは無かったはずなのだ。


 ――否、もっと言えば、今の俺は家族を本気で生存させようという意思すら感じられない。景の記憶を継承した後遺症なのか、以前家族に感じていた親愛や友愛も希薄になったと思う。


 そんな今の俺にとって、ある種の例外と言えるのが、景とクリスの両者が特別視した原作勢の主要登場人物ゆうじんだけ。

 中でも、景の立場では物語を観測した際に自己投影した主人公で、クリスにとっては過去、現在、平行世界の未来において重要な立ち位置を占めたグレンの存在は別格。


 もっと言えば、自己という存在すら曖昧な今となっては、何に替えてもグレンには幸せになって欲しいという強烈なエゴすら芽生えていた。



「――それに俺が人類の過半を見捨てる大悪党なのは現時点ですら確定している。その意味でも絶対悪グレンの替わりになるには適任と言えるか」



 原作知識の持ち主に、知らなかったという逃げ道は残されていない。

 その事実を思い出し、思わず自嘲的な笑みがこぼれた。


【終末】後の世界では、世界人口の五〇人に一人しか収容できない【方舟】だけが唯一の生存圏となる。

 救える人間に限りがある世界で、誰かを救おうとすることは、他の誰かを殺すという事。

 また俺はハッピーエンドを目指すつもりだが、夢物語を目指していくつもりは無い。


 どのみち、人類の過半を見殺す大罪人である事実を避けられないのならば、必要悪の役柄を奪い取り、原作で一番救われなかった主人公しんゆうを救いたかった。


 目的と目標が明確になり、今後の基本方針を脳内で思案する。


 グレンに成り代わると言っても、グレン程の覚悟も能力もない俺がグレンのやり方を模倣しても失敗するのは目に見えている。ましてや、人類や世界なんていう漠然とした存在の為に、自己を犠牲にし、尽くしてやるつもりなど欠片も無い。

 現実的には別の誰かを矢面に立たせて、自分は影で暗躍するのが無難だろうか。



「……ただ裏に回るにしても、目に見える力が無くては、交渉も話し合いできない。いや、それ以前に、今のままでは、降りかかる火の粉を払うことすら出来ないか」



 仮に原作との乖離が全く無くとも二年後には、俺とグレンやその他の原作勢ヒロインが命の危機に晒される。結果的に負傷はしても主要登場人物で亡くなったのは、グレンの妹ステラ一人だけだったが。

 しかし、原作通りに進行する保証もない以上、親友グレンや我が身も万が一の事態に陥る場合を想定し、原作開始までには直接介入可能な次元まで実力を高めておきたい。


 とはいえ、それを誰かに知られると色々と拙い。

 何故なら、既にグレンとその近くで活動する人間は俺を含めて、幼年学校襲撃事件を始めとした惨劇イベントの元凶である魔帝アギアスの諜報網に把握されているから。

 原作より強くなったのは良いが、それを脅威に受け取られて更なる増援や強力な刺客を差し向けられては意味がない。


 そうなると、暫くは予期せぬ原作改変が起こらぬよう監視の目を掻い潜り、表では実力を隠しつつ、裏では密かに個人能力の引き上げ――レベル上げに励むのが理想的だろう。


 この世界にもゲームと同じく位階レベルという概念がある。

 ただ今となってはゲームのように詳細なステイタス画面を閲覧可能なわけでもないので、全体の数字の把握は難しいが、二年後の原作開始時にグレンの位階レベルが一五。他も一律で同じレベル帯であった事から、現時点では原作勢の位階レベルは一〇前後だと推測できる。


 これでもこの齢にしては、頭一つ突き抜けた位階レベル帯だが、この先襲い来る敵の脅威度を考慮すると全くもって不足と言わざるを得ない。

 最初のイベントで襲撃してくる刺客の推定位階レベルは、七〇超。

 正攻法かつ、人目を気にしながらの鍛え方では、どう足掻いても、その半分の位階にすら及ばないだろう。

 もっとも、位階レベル的な問題については、賭けの要素が強く危険性も伴うが、原作知識の裏技で一応の目途はついている。



「問題は、原作通りに襲撃事件イベントが進行したとして、数々のリスクを負ってでもステラを救うべきかどうかだが……」



 原作勢ネームドとしては、一人目の犠牲者であるステラ・リヴァースを救済するにしろ、見捨てるにしろ、それぞれに無視できないデメリットとメリットがある。


 ステラを見捨てた場合のデメリットは、グレンの闇落ちが進行するという事。

 一見、それだけでも目的の為には救うしかないように思えるが、話はそう単純ではない。直接的に救い出した結果、バタフライエフェクトが起きて原作に無い刺客が次々と派遣されてしまえば、ステラを守り切れると考えるのは楽観的過ぎるだろう。

 それに一度は希望を抱かせておいて、二度目以降に守り切れなかったとしたら?

 その時、グレンが感じる絶望感はさらに深いものとなり、原作より酷い状態に陥るかも知れない。

 あと俺個人はグレンの幸せを望んでいるが、その為には原作ヒロイン全員の生存が不可欠だとも感じていないのもある。人はか細くとも希望があれば、幸せを感じられる生き物だ。


 ――端的に言えば、ステラの替わりにグレンの心の支えとなる存在ヒロインは数多居る。


 原作より僅かでもマシな世界をハッピーエンドと定義するなら見捨てる選択肢もある、と酷く冷めた頭で打算ありきの結論を導き出す。


 なお、逆説的に見捨てた時のメリットは、原作の再現性を襲撃事件イベント以降も期待出来る点だ。


 一方、ステラを救済した場合のデメリットは、グレンの覚醒イベントを潰してしまう事だ。

 感受性に優れるが故に、愛情深くも繊細だった少年グレンが、終わりの見えない統一戦争を最期まで戦い抜けたのは、魔人への尽きる事のない怒りと憎しみを原動力に、心・技・体全ての面を妥協なく鍛え上げた過去があったから。

 もしも、ステラを守り切れなかった挫折が存在せず、怠惰で惰性的な努力に満足し、心の底から強さを渇望する動機もないまま、開戦の日を迎えていたなら、グレンは闘争と殺戮に満ち溢れた過酷な死線の中で、圧し潰されずにいられただろうか。


 原作の世界線が示す通り、強くあれば必ず幸せを掴めるわけではないが、弱くては話にならないのも否定できない事実。

 原作でも常にギリギリの死線を潜り抜けてきたグレンをこれ程早期に弱体化させる介入を行うのは本当に正しいのか、と思い悩んでしまう。


 ただ救済した場合のメリットも多分にあった。特に原作では真っ先に脱落したが、作中で最高の潜在能力の持ち主と評されたステラを戦力化出来たなら、原作改変ハッピーエンドに近付く大きな一歩となるのは間違いない。



「……もしデメリットを全て克服できるなら、ステラを救わない手はないが……」



 寄宿舎と校舎の間にある校庭でふと足を止め、西の彼方で紅く染まった夕日を見やる。


 ――そんな魔法のような冴えたやり方など、本当にこの世に存在するのか?


 原作開始の狼煙を上げる魔人幼年学校襲撃事件まであと二年弱。いずれにせよ、時間はまだ残されている。


 そして、この絶望が煮詰まった奈落の底のような世界で、愚かにも幸せな結末ハッピーエンドを望む身の程知らずとして。悪足掻きの一つもせずに、ただ最初から傍観の姿勢を貫くのは、運命に屈するが如き選択に思えて、どうにも気に食わなかった。




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