第25話 グール



『――ォガァルォォ……!』



 野犬にも似た顔から放たれる、地獄の底から漏れ出たような咆哮。

 その魔物は血走った目でこちらを睨み付けながら、二つに割れた蹄を地面に食い込ませて臨戦状態に入っていた。


 それに真正面から対峙した俺と魔物の視線がぶつかり合う。濃厚な殺気に呑まれぬように、俺は一歩分だけスリ足で距離を詰めた。

 刹那、それが合図となり、人間サイズの魔物は身の丈にも届こうかという両腕を頭上に振り上げ、腹をせり出しながら跳躍した。



「ッ!!」



 視界一杯に迫る、爛れた鼠色の皮膚と浮き出た肋骨。遅れて鋭く伸びた鉤爪が、クロスの軌道で迫りくる。

 しかし、大気が唸るような一撃がこちらの顔面に叩き込まれる寸前には、右足を軸に半回転し横薙ぎの一撃を放っていた。



「フッ――!」



 風を斬り裂きながら一閃。

 相手からすると一瞬こちらの腕がブレたようにしか見えなかっただろう。風切り音が耳を打った、数瞬後には異常発達した両腕の肘から先が切断され、夥しい量の血が飛散した。



『……――ッ!?』



 言葉にならない悲鳴を上げ、悶え苦しみながら後退する怪物に対し、怯むことなく追撃を選択。

 槍の柄をしごき、炎を纏った矛先で頭部、心臓、股間の三点に刺突の連撃を放つ。



「これで終いだッ!!」



 ほぼ同時に感じる肉を喰い破り骨をも砕く感覚。何れも急所だけに多少狙いからズレようと、助かる見込みはない。


 顔を喪った怪物は物言わぬ骸と化すと、一呼吸の間を置いて、重力に引かれるように体を傾けていく。

 ズシン、と鈍い音を響かせて仰向けとなったそれは、中級地下迷宮ミドルダンジョン【秘められし亡者の楽園】の六~九階層にかけて出現する不死者アンデッドモンスター【食屍鬼グール】であった。


 既に灰となりつつある食屍鬼グールの亡骸から魔珠石を拾い上げ、腰のベルトに吊るされたポシェットに突っ込みながら探索に戻る。





 年が明け、既に一ヶ月が過ぎた。中級地下迷宮ミドルダンジョン【秘められし亡者の楽園】に潜り始めて半年余り。


 最初の三ヶ月は、一階層から五階層までに出没する、骸骨戦士スケルトンとその亜種を中心に狩ってレベリングを熟していた。だが、位階レベル三〇に達すると、骸骨戦士スケルトン種の討伐では経験値効率が極めて悪くなったのを実感し始める。


 そこで去年の一〇月頃には、更なる強敵を求めて六階層以降に足を延ばし、邂逅した新モンスターこそ食屍鬼グールだ。二足歩行だが、常に前屈みで地面に届きそうなほどアンバランスな腕と鉤爪、更にはオオカミの如き尖った牙を剥き出しにする、それを最初に見た時は、死を象徴するような骸骨戦士スケルトンとは、また違った迫力を感じたのを覚えている。



 そして、今現在の到達階層は九階層の最深部。


 最初は奇抜な戦闘スタイルで苦戦した食屍鬼グールとの戦闘も慣れと位階レベルの向上に伴って、終始一方的な戦闘過程になることも少なくなかった。

 今回の食屍鬼グールも出現する最上層階なだけに、推定位階レベルは四〇後半ほどだが、三八レベルと四〇目前に差し迫った身からすると、生まれた持った素質ステータスの差異も影響して、既に格下の相手だ。

 現に、今日だけで食屍鬼グールともう数十回も戦闘を繰り返したが、体力的にも精神的にも厳しいとは感じていないのだから。


 深部によって色合いが僅かに違う茶褐色の壁面に視線を這わせながら、記憶にある道筋を辿っていく。



「……――ッ」



 相変わらず、天井の光源が弱くて周囲が薄暗い。五m先も見通せない視界の悪さから、精神が疲弊した時や体力が消耗している際は、一本道であっても思わぬ奇襲を受けた経験もあった。

 初級地下迷宮ビギナーダンジョンはどの階層も、天井一面が自然発光し、太陽が射した晴れの日並の光源がある事を考えると、技術的な問題ではなく設計上の仕様なのだろう。中級以上は実戦をより想定した構造や造りになっており、遭遇戦が起きやすいよう、敢えて見通しや視界を悪くしているという。

 出没モンスターも、地下迷宮のランクが上がる程、恐怖心を増大させるような見た目の相手が多くなり、精神的にも戦場での耐性を付けられるようになるのだとか。



 不必要にモンスターを誘き寄せないよう、足音を殺しながら歩みを重ねる。やがて、次の階層に繋がる階段の入り口が見えてきた。



「――これを降りれば、一〇階層だな」



 何時もなら、九階層の最奥であるこの場所で引き返す。一〇階以降だと新たなモンスターが出没し、戦闘の様相も様変わりすると推測されるからだ。

 敵の位階レベルも五〇の大台に乗り、新モンスターとの相性次第では苦戦する可能性も想定されるが。



「時間的な余裕はある……少し覗いてみるか」



 ポケットから懐中時計を取り出し、そう呟く。帰還するのに必要な時間と戦闘を考慮しても、夜明けまでにはまだ少し猶予があった。

 本日の迷宮ダンジョン探索は何時も以上に順調に進んだ。戦闘ダメージは殆どなく体力精神共に余力がある。


 ――知識として次の階層に出現する魔物は知っているが、実体験しなければ分からない事は多い。軽く入口だけでも探索し、その経験を基にして明日以降本格的に、次の階層へと進出するかどうか判断するのも悪くないのではないか。



「……よし、少しだけ覗いてみよう」



 僅かな逡巡の末に、そう決心して、立ち止まっていた足を再び動かす。


 階段の最上段に立つと、終着点には一〇階層の空間から零れた淡い燐光が射している。もしかすると、視界の確保は期待出来るかも知れない。

 足早に階段を駆け下り、俺は階層と階段を別つ境界線を勢いよく踏み越えた。

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