第26話 デュラハン



「……これは、峡谷か?」



 視界に広がるのは、石畳の敷かれた谷底の道。高さ二〇mにも届く急斜面の絶壁に挟まれた峡谷道は、蛇のようにくねくねと折れ曲がり見通しが悪い。その上、天井全体が光源となって、これまでよりは格段に明るくなったものの、谷底まで光が届かず日の出前の早朝もかくやという薄暗さ。

 洞窟の通路とは、また違った来訪者を睥睨するような圧迫感を覚える。



 大地の裂け目を彷彿とさせる空間の中、濃い影が差した峡谷道の奥へと歩き出す。


 谷底にコツン、コツンと足音を反響させること、数分。どうやら一〇階層のフロアが、縦に細長い長方形の構図らしいと察する。

 これまでのところ、脇道や物陰となる障害物は確認出来ず、ただ道なりの一本道だけが続いていた。

 しかし、正面以外に神経を尖らせる必要が無いかと言えばそうではない。


 足を止め、視線を上に移す。

 頭上にも白い靄が立ち込めて、視界が遮られている。ただ明瞭には見えなくとも、崖上で真っ黒な人影が無数に蠢いているのを確認できる。影の正体が魔物であるならば、頭上からの予期せぬ奇襲には最大限に警戒しなければならないだろう。


 そうした事情から自然と上の方に意識が割かれ、天を仰ぎながら再び一歩前に足を踏み出した、ちょうどその時。

 ブルルル、と、馬が啼いたような音がするりと耳に入り込む。



「……今のは、まさか」



 そう言って、聴覚に全神経を集中させた、次の瞬間、ヒィーン、と。

 今度こそ疑いようのない、甲高い馬の嘶きが、辺り一帯に響き渡った。

 バッと、弾かれたように体を前方方向へと向け直し、声の発生源と思われる正体を発見。



『……――』



 それはまるで、物語に登場する騎士が絵本から飛び出してきたかのような錯覚を抱かせた。

 視線の先で馬に跨った漆黒の板金鎧プレイトアーマーを着込んだそれが、自身の身の丈程はありそうな大剣を肩に担いで、手綱を引くことも無く、優雅さすら感じられる緩慢な足取りで近づいてくる。


 唯一、明確に魔物だと判断できる材料は、本来ある筈の頸から上には何もない事実のみ。

 ただ、頭部や視覚の機能そのものが存在しない訳では無いらしく、左腕で抱え持ったヘルムには、横一直線にくり抜かれた覗き穴があり、その奥で紅い双眸を光らせている。


 その姿は虚仮威しではないようで、全身から放たれる、格上特有の威圧感。

 怪物の正体は、一〇階層から出現するアンデッド種のモンスター、【首無し騎士デュラハン】だった。


 馬に跨り、コツコツ、と蹄を鳴らして歩く、その光景に魅入られたからか、気が付けば敵は二〇mを切る距離まで接近。



「ッ!!」



 直感的に、来る! と確信した、その直後。首無し騎士デュラハンが、内腿で馬を叩く。



『ッ! ヒィヒィィィィィン!!』



 漆黒の馬が威嚇するかのように咆哮。

 主人の戦意を感じ取り、眼前に立ち尽くす獲物を蹴散らしてくれようと、首無し騎士デュラハンが手綱を引くまでもなく、急発進のスタートを切る。


 全身から覇気を放ち砂塵を巻き上げながら、猛烈な勢いで迫りくる漆黒の騎馬。



「な、これほどッ!」



 始動から加速に乗るまで恐ろしく速い。間合いが当初の想定を超える短時間で喰らい尽されていく。

 人馬一体を体現した疾風の如き早駆け。引き締まったしなやかな四本の脚で地を駆けるその姿は、一見何の変哲もない馬にしか見えないが、普通の馬ではあり得ない加速力に、神秘を宿す魔物の一種である事実を思い知らされる。


 首無し騎士デュラハンと馬の躯体で、視界の大半が占められた距離に接近した、その時。

 敵は急激に躯体を沈め、次いで大きく跳躍。

 こちらを躊躇なく圧し潰さん、と前脚を上げ、後ろ脚だけで立ち上がるような形で飛び掛かってきた。



「――ッ!?」



 視界が完全に馬の腹で埋め尽くされ、咄嗟に地面を蹴って真横に逃れる。

 されど、窮地から脱したのも束の間。間髪入れずに全てを薙ぎ払う横振りの一撃が、眼前まで迫っていた。回避に移るのは既に不可能。大剣と顔面の僅かな空間に、どうにか槍の穂先を差し込んだ。

 峡谷に幾重にも反響する金属音。



「――ぐッ、ああああ!?」



 ただ、その程度の悪足掻きで、破滅的な慣性の力を殺し切れる道理もない。

 直後に、鼓膜を直接金属バットで殴られたような衝撃をまともに受け、石の床を何度もバウンドするように弾き飛ばされる。


 視界が上下左右に振られる都度、無残な襤褸切れに変貌していく外套。しかし、そんな事がどうでもよくなるほど、脳が激しく揺さぶられる。眼の奥はチカチカと点滅。ブラックアウトの予兆なのか、気を抜けば意識が持っていかれそうだ。

 もし仮に、その闇からの誘いに身を任せてしまえば、待っているのは不可避の死であるのは明らか。



「う、おおおおぉぉぉ――ッ!?」



 気力を振り絞り、意識を覚醒させる咆哮。地面を転がり続けた勢いを利用し、バク宙の要領で素早く起き上がる。


 かれこれ一〇mは、転がっていただろうか。結果的に安全距離を稼げたのは僥倖。これでやっと立て直して反撃に移れる。

 そう皮算用し、決意を込めた双眸で正面を見やると、首無し騎士デュラハンの愛馬が荒い鼻息を立てて頭を低くし、何時でも突進の準備が出来ていると言わんばかり。



「は、はは……お行儀よくターン制の戦闘を行う意思は無いってかッ!」



 俺が軽口を叩いた瞬間、砲弾もかくやという爆発的な速度を以て断行される二度目の騎馬突撃。


 ――このまま敵に翻弄されるばかりではジリ貧だ。多少の無理をしてでも、なんとか冷水を浴びせなければ。

 一度、その結論に達してしまえば、次の行動は早かった。

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