第36話 試金石



 三階層に足を踏み入れ、目に飛び込んできたのは巨大な横開きの扉。

 壮麗な模様が描かれた扉と大階段の間は、両脇が対の塔で挟まれた前室となっていた。



「……これは、ボス部屋……!」



 入室前に小休止を入れられる設計と、何よりも眼前の扉が放つ異様な圧が、その推測が正しい事を雄弁に物語っている。

 三階に足を踏み入れた瞬間から、明らかに不穏なものを感じさせる雰囲気。ただ気が休まらずとも身体は休めそうだと判断し、前室の中央に陣取り小休止を取る。



「そうか……【秘められし亡者の楽園】も、残すところは迷宮主ダンジョンボス討伐だけとなったのか」



 未踏の地である現実を反映するようなゴミ一つ落ちてない殺風景な前室で胡坐を搔きながら呟く。

 一年余りの中級地下迷宮ミドルダンジョン攻略は、早いようで短かった。単独ソロ故に数的劣勢を強いられ、命が危うくなった場面もあったが、概ねその過程は順調だったと言っていい。

 各魔物に対して位階レベル差一五前後の安全マージンと言えるだけの位階レベル帯を維持していれば、総合的な個体性能では勝っていたし、悪条件が重なった場合は、逃走という選択肢もあったから当然といえば当然か。


 だが、そうした余裕もここで終わり。


 ――リスクを考えれば、途中離脱が許されない単独でのボス戦など正気の沙汰ではないが。


 ふと眼前の扉を仰いで、自問自答する。


 迷宮主ダンジョンボスとして出現する魔物は、同位階レベル帯の挑戦者より、身体能力、特性、体格で凌駕している場合が多い。しかも、一度戦闘ともなれば、迷宮主ダンジョンボスに勝つまで退路は封じられるというオマケ付き。

 そこに迷宮主ダンジョンボスが使役する同種の魔物が集団で加わるのだ。


 普通なら悩むまでもなく撤退の一択しかない。単独で個体性能に勝る相手に加え、数的劣勢まで強いられる戦闘に退路も無く挑むのは、自殺行為ではなく自殺と何ら変わりないだけに。


 ただ撤退する場合は、今後数年はボス攻略を諦めるという意味でもある。

 高ランクの地下迷宮ダンジョンへの立ち入りが制限されている現在では、中級地下迷宮ここ以上に、高位階の魔物と戦闘経験を積み重ねられる環境などないし、立場上安易に仲間を誘う事も出来ない。


 そして、現在の位階レベルは五八で、【秘められし亡者の楽園】の一五階層に出没する魔物の最高位階は六〇。雑魚狩りを許さない方舟世界の仕様を考慮すると、地道な位階レベル上げで能力を劇的に向上させてから再挑戦という常套手段は、もはや使えそうになかった。


 普通に見れば、極めて困難なのではなく詰んだ状況だ。そもそも、これが【秘められし亡者の楽園】で無ければ、単独かつ、敵とほとんど変わらない位階レベル迷宮主ダンジョンボス戦に挑もうなどと、思い付く事すらなかっただろう。



「原作知識と一五階層に出現した魔物が吸血鬼ヴァンパイアである現実を見れば、迷宮主ダンジョンボス吸血鬼ヴァンパイア種の上位種であるのは間違いない……つまり、俺との相性は悪くないはず」



 否、これまでの戦闘を振り返れば、俺と吸血鬼ヴァンパイア種の相性は、これ以上なく抜群と言える。


 ……厳密には【渦巻く蒼竜の息吹】を、蒼炎の魔術を習得して以降の俺と、であるが。


 ふと右手に持つ槍に視線を落とし、吸血鬼ヴァンパイアらとの戦闘を思い出す。


 最初は吸血鬼ヴァンパイアを無暗に傷つけた結果、血液操作と超回復の特性に苦戦し、オーバーキルであっても広域殲滅系統の大規模魔術を行使するしか打開策が無かった。


 だが、【渦巻く蒼竜の息吹】を習得すると状況は一変。吸血鬼ヴァンパイア種の弱点である火と光に、風を加えた三重属性の付与魔術【渦巻く蒼竜の息吹】を纏った槍は、敵の血液操作と超回復を実質無力化し、掠るだけで吸血鬼ヴァンパイア達を死に至らしめた。


 流石に迷宮主ダンジョンボスともなれば、一撃死とはいかないだろうが、吸血鬼ヴァンパイア種である以上、効果的なのは間違いない。


 少なくとも、雑兵の吸血鬼ヴァンパイアは、瞬殺出来ると自信を持って言え、文字通り物の数ではなかった。


 ボスが使役する吸血鬼ヴァンパイアを素早く処理して、迷宮主ダンジョンボスと一対一の状況にさえ持ち込めれば、迷宮主ダンジョンボスだって単独でも攻略可能である事はステラが証明している……証明した奴が規格外過ぎて正直余り当てにならないが。


 ただ過去に初の迷宮主ダンジョンボスで相性が良いとは言えなかった小鬼将軍ゴブリン・ジェネラル相手でも、単独で戦闘が成立する程度には立ち回れていた。……ステラ程の圧勝は難しくとも、原作の主要登場人物並の才覚があれば、同位階レベル帯での迷宮主ダンジョンボス撃破は不可能とは言い切れないはずだ。


 ましてや、吸血鬼種との戦闘に限れば、ステラを含めた原作勢の中でも、唯一【渦巻く蒼竜の息吹】、蒼炎を行使できるクリスの右に出る者は居ない。



「――それに、中級地下迷宮ミドルダンジョン迷宮主ダンジョンボスを倒せなければ、この先闘うことになる高位魔人には一生勝てない。もう襲撃事件が起こる原作開始まで後一年を切った……僅かなりとも勝ち筋があるなら、やるしかない」



 この先の過酷な未来を幻視し、逃げ道を奪うようにそう独白する。


 ――莫大な体内魔素を有している迷宮主ダンジョンボス。仮に単独で討伐出来たのなら、鈍化し始めていた成長速度の懸念も無くなり、再び大きく位階も伸ばせる。


 なお、迷宮主ダンジョンボスは一度倒すと、再出現に二週間前後の待機時間が必要だというのが、この世界の常識。


 その場合は挑戦できる回数が、実質的に制限される事を意味し、リスクの割に思ったより強くなれない可能性もあるにはあった。


 ただ原作ゲームの裏技が通用するなら、その制約を潜り抜けるのも可能。


 しかし、原作ゲームの裏技が、方舟世界げんじつでも通用するとは限らない以上、通用しない可能性も想定しておくべきか。そういう意味でも、長期休暇中に少しでも早く迷宮主ダンジョンボスに挑むべきだろう。



「……!」


 臍の奥底から全身を滾らせる熱が込み上がる。


 恐らくこの世界で初めての、全力を尽くしてなお、勝てるかどうかも分からない真の強敵。本来なら二〇年後に救世主ノアとその仲間達が初めて立ち向かう相手。

 迷宮主ダンジョンボスに勝てたからと言って、世界ものがたりに大きな影響があるわけじゃない。

 されど、これを乗り越えられたのなら、黙示録的な未来に、一石を投じられる取っ掛かりぐらいは得られるのではないか。



「――やってやる」



 不相応な願いを抱えている限り、俺はこの先も腐る程死線を潜るだろう。


 ――だが、何もかもを諦め、グレンが独裁者となる末路を受け入れて、いつ破滅がこの身に降りかかるのか不安に苛まれながら、生を貪り喰らうだけの人生に何の意味がある?


 俺は証明して見せる。

 救世主ノアでも独裁者グレンでも異世界人でも過去のクリスでもない、今の俺だからこそ、変えられる何かがあると。

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