第17話 ダンジョンボス


 二〇分ほどの休息を済ませると、ボス部屋の扉前に移動する。幾何学模様な両開きの扉の前に立つと、改めてその巨大さを理解し、自然と圧倒されるように仰ぎ見た。


 ――この重厚な扉に相応しいだけの巨躯を持つ相手なら、今までの戦闘とは様変わりするだろうな、と少し先の未来に思いを馳せる。



「――じゃあ、開けるぞ」



 グレンがそう宣言して手をかざすと、轟音とともに煙を巻き上げ、独りでに開かれていく扉。

 すかさず姿勢を低くし身構えた俺達は、それぞれ魔兵杖を手に取り、警戒しながらボス部屋に突入する。

 それとほぼ同時に、背後の扉が音を立てて閉まり、唯一の退路が断たれた。その実感から喉の渇きが一段と強くなる。


 しかし、覚悟を固めて室内を見渡しても、予想に反して、その場には迷宮主ボスモンスターの姿はおろか、低級魔物の影も形もない。

 ただその代わりとばかりに、視界に飛び込んできたのは、大広間の中央に描かれた直径二メートルほどの魔方陣。


 誰もが立ち尽くし戸惑っている中、魔方陣が強烈な光を放つ。

 視界を真っ白に染め上げ、咄嗟に両目を手の甲で覆う。



「……――ッ!」



 数秒間、硬直している間に発光現象が収まり、魔方陣から発生した魔素の粒子が無数の星となって飛び交い始める。

 困惑と動揺から警戒態勢を取っていたグレン達の視線の先で、渦巻いていた青白い粒子が、数十単位の塊に収束していく。


 そして、それは瞬く間に、大小それぞれの人型に姿を変え、実体を持った魔物に変わった。


 最初にその全貌を完全に現したのが、中央に仁王立ちし、一際大きな威圧感を放つ巨躯の人型モンスター。

 肥満体型の醜悪な顔立ちに深緑の体皮。その特徴自体は普遍的な小鬼ゴブリンそのものだが、子供の身の丈程ある茶褐色の兜と胴体から伸びる丸太の如き四肢、その背に背負う人間大の戦斧に至るまで、何もかもが普通のサイズとは桁違い。

 全長五mにも及ぶその体躯は、同じく魔方陣から呼び出され、主の周囲に侍っている小鬼ゴブリン達が子供どころか赤ん坊かと錯覚してしまう程。



「……【小鬼将軍ゴブリン・ジェネラル】か」



 上位種の中で三つあった候補のうちの一体。キングを例外とすれば、確率も低い強力な迷宮主ダンジョンボスを引いた結果だ。

 事前に聞いていた話では、外見は似ているがナイトはジェネラルより少しばかり小柄で、キングは更に巨大らしい。迷宮主ダンジョンボスは低級魔物とは、あらゆる面でスケールが段違いだと教えられてきたが、実際に目の前にしてその通りだと納得する。



「――ほう」



 俺は感嘆交じりの息を吐いて、小鬼将軍ゴブリン・ジェネラルを見上げる。


 細く見開かれた双眸の奥に、ギラギラと野蛮な光が覗く。

 そのうち、こちらの姿を捉えると、緩慢な動き出しで、おもむろに一歩足を踏み出す。その地響きがここまで伝わり、グレン達の小さな体が少し揺れた。何気ない動作一つ一つが、隔絶したスケールの違いを思い出させる。


 初めての迷宮主ダンジョンボスとの戦闘。その見通しは、一筋縄ではいかぬ、辛く険しい戦いとなりそうだ。



『ガガァァァルルオオォォ――――!!!』



 迷宮主ダンジョンボスが胸を大きく膨らませると、対峙する者全ての足を竦ませるような大音量で咆哮する。

 浴びせられる禍々しい殺気の奔流。

 まるで、人間とは隔絶した個体差を見せ付けるかのよう。仲間内で一番格上との戦闘経験が豊富である俺ですら、そう思わずにいられないのだから、グレンらが感じている戦慄と恐怖心は察するに余りある。



『ギャ!? グギャギャァ!!』



 それは同じ魔物である小鬼ゴブリン達ですら例外でないのか、迷宮主ダンジョンボスの背後に控えていた小鬼ゴブリン達が畏怖の感情を覗かせて、その声に呼応する形で突っ込んできた。奇声とも雄叫びともつかない声を上げながら、獲物に殺到する深緑の津波。

 その数は二〇を優に超えて三〇近いか。

 何れにしろ、徒党を組んで向かってくる小鬼ゴブリンに対処しなければ、落ち着いて迷宮主ダンジョンボスに挑むことすら難しい。



「――来るぞ、みんな!」



 グレンが口にしたそれを合図に、セリシア、カレンがそれぞれ戦闘態勢を取る。見据えるは、威勢よく距離を詰めて来る小鬼ゴブリンの一群。

 他方、ボスは高みの見物のつもりか、低い唸り声を上げて威嚇しながらも、自ら何か仕掛けることなく静観を続けていた。



「俺は先陣を切って取り巻きの小鬼ゴブリンを狩る! カレンとセリシアはその支援を!……クリスには小鬼将軍ゴブリン・ジェネラルの足止めを頼む! 俺達が雑兵を始末し、駆けつけるまで奴の注意を惹きつけておいて欲しい。ただし、くれぐれも無理はしないでくれ!」



 グレンは口早に指示を出し、間髪入れず、小鬼ゴブリンの先頭集団に向かって突撃した。それを認識した小鬼ゴブリンもまた、数を頼りにグレンを取り囲み始める。

 俺はその様子を見ながら、正面の一群を迂回し、指示通り奥で待ち構えているボスに向かって駆け出した。背後では爆音や銃声、小鬼ゴブリンの悲鳴が絶え間なく上がるが、脇目も振らずに眼前の敵だけに全神経を集中させる。



『――ガガァァルルゥゥ!!』



 瞬く間に間合いを詰める俺に対し、小鬼将軍ゴブリン・ジェネラルが戦斧を振りかぶる。

 意識が引き延ばされていく感覚。

 視界に映る相手の動きがスローモーションに見え、振り下ろされる戦斧を置き去りにして更に加速する。間を置かず、後方では地面を砕き土砂を舞い散らせる轟音。背中に砂利や小石の破片を浴びながら、怯むことなく小鬼ゴブリン・ジェネラルの懐に潜り込む。



「――ッ!」

『ッッ――!!』



 小鬼将軍ゴブリン・ジェネラルの鋭い眼光と一瞬だけ視線が交差した。

 次の瞬間、無防備な脇腹を突撃の勢いそのままに風を纏わせた槍で穿つ。

 風属性の付与魔術で切れ味が高まったその一閃は、革鎧からはみ出した厚い脂肪の横っ腹を殆ど抵抗なく抉っていく。



『グオオオオオオオオォォォ!!!!!』



 肉片が宙を舞い、鮮血の華が咲く。相手はその壮絶な痛みに耐えかね、天を仰いで絶叫。

 その隙に相手の脇下を駆け抜けると即座に反転。此方の手が届き易く防御が薄い下半身に躊躇なく追撃を仕掛けた。槍を下向きにしながら高速移動し、攻撃直前に上方向に振り上げる、突き上げ。地面スレスレで低空飛行していた矛先が、半月の軌道を描いて無防備な足裏に叩き込まれる。



『ガルゥ!?』



 完全な死角からの不意打ち同然の一撃。

 四肢のある人型である以上、人体の構造とそれほど変わらない迷宮主ダンジョンボスは、呻き声を漏らしながら堪らず片膝を突いた。大広間全体が微かに揺れるほどの振動。敵味方問わず周囲の視線が此方に集中するも、構わず強襲を重ねる。


 狙い目は頭が下がり、彼我の距離が大きく近づいた上半身。

 腰より上は頭まで兜と革鎧で被覆されているが、各部にある繋ぎ目から深緑の皮膚が覗いている。その間隙を突くようにして、連続の刺突を繰り出す。



「――ハァ!!!」



 捻りを加え螺旋を描いた矛先が、小鬼将軍ゴブリン・ジェネラルの肉体に幾度も突き刺さる。ただ槍は相手の皮膚と脂肪を深く抉り、肉片を飛び散らせるも、その先までには至らない。

 やがて、茶褐色の革鎧が朱く血で染まったところで、一旦距離を取り呼吸を整えた。



「はぁ、ふぅ……攻撃は早々当たりそうにないが、少しばかりタフ過ぎないか?」



 額から噴き出た汗が頬を伝う。想像を超える耐久力に思わず愚痴を漏らす。


 端から見ると一方的な展開に見えた筈だ。

 小鬼将軍ゴブリン・ジェネラルの足首から上半身に至るまで刺傷が生々しく残り、時折大斧や素手で殴り掛かってきた反撃は、掠る事もなく余裕で回避。

 確かに一撃の威力には目を見張るものはあるが、攻撃の予備動作も大きく注意深く観察していれば、そもそも当たる道理は無かった。


 そんな思考に耽ったのも束の間。


 再び恐怖心を呼び起こす雄叫びが大広間に響き渡る。憤怒に染まった双眸が此方を見下ろしていた。一方的にやられながら全く衰えていない戦意。あれだけ畳みかけても挙動が鈍ってすらないその姿に、此方の気持ちの方が萎えそうになる。

 全身から夥しい血を流し、見るからに満身創痍の躯体。刺傷が体中に刻まれ、ダメージは蓄積されているだろうが、裏を返せばそれだけ。致命傷となるダメージは一つもない。


 迷宮主ダンジョンボス特有の巨躯を誇る小鬼将軍ゴブリン・ジェネラル相手では、例え付与魔術で貫通力が高められた刺突であっても、その筋肉と脂肪に阻まれ内臓まで達しないのだ。

 かと言って、俺が習得している攻撃魔術では威力不足である事が否めなかった。

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