第40話 形態変化



『……――おおおおおぉぉぉッ!』



 火の粉を撒き散らしながら、空を裂く蒼の閃光。眉間を穿つ軌道のそれに対し、相手は首を右に傾けて回避しようと試みる。


 だが、所詮は悪足掻きに過ぎない。

 蒼白く輝く矛先は、貴種吸血鬼ノーブル・ヴァンパイアの左眼に突き刺さると、その奥の脳漿をかき混ぜるように穿ち、容易く後頭骨を突き破って貫通。


 蝋人形の如く作り物めいた顔の三分の一が消滅。敵は深手を負いながら激しく動き続けたせいか、足元は知らぬ間に血の海に変わっていた。抉り取られた頭蓋の左半分からは、脳漿が飛び散って鮮血の絨毯を一部桃色に染める。



「……ッ!」



 当初の狙いであった眉間からは僅かに逸れた。


 しかし、それも大した問題では無い。

 胸元に大穴を開けられて瀕死だったところに、頭蓋の大半を粉砕されたのだ。傷口付近では、蒼い焔がチロチロと這いまわり、今現在も周囲の皮膚と肉を焼け爛れさせていく。立て続けに重傷を負い、吸血鬼の再生能力を阻害するどころか、凌駕する持続ダメージが発生しているのだろう。


 常識的に肉体をこれだけ損壊させられて、生き永らえる生物は存在しない。

 迷宮主ダンジョンボスである貴種吸血鬼ノーブル・ヴァンパイアであっても、再起は不可能な致命傷。


 その確信が正しいと証明するように、貴種吸血鬼ノーブル・ヴァンパイアは、力を失った様子で前のめりに巨躯を投げ出した。

 ビチャッ、と血に濡れた広間に粘着質な音が鳴り響くと、後には空気が死んだような静寂だけが残される。胸と頭から止めどなく血を流し続ける敵は、ピクリとも身動きしない。


 ――倒せ、た? 勝ったのか? 中級地下迷宮の迷宮主ダンジョンボス相手に?


 最初は信じられずに、幾度かの自問を繰り返す。


 やがて、勝利を実感すると、胸の奥から込み上がる歓喜。興奮に打ち震えながら、瞼を閉じて天を仰ぐ。

 そうして、勝利を嚙み締め、熱い感情に身を委ねてしばらく。

 ふと、悲惨な姿で血の海に沈んだ敵を見下ろしながら、ある疑問が脳裏を掠めた。


 ――それにしても、なぜ死骸が灰にならない? 迷宮主の場合は、他の有象無象より灰になるまでの時間が遅かったか? それに【小鬼の嗤う巣窟】では、迷宮主の討伐と同時に扉が解放されたはず。


 首を捻って背後の扉を見やる。

 唯一の出入り口はこれまでと変わらずに、閉じられたまま。

 それは未だ己が袋小路に閉じ込められている現実を示していた。


 背筋に這い上がってくる悪寒。

 まさか、とある一つの可能性に思い当たり、床に倒れ伏した貴種吸血鬼ノーブル・ヴァンパイアに視線を戻す。



「な……!?」



 そして、直後に眼下で始まった異常事態に言葉を失う。


 視線の先、貴種吸血鬼ノーブル・ヴァンパイアの躯体と床に広がった鮮血が、一斉に深紅の霧と化したのだ。


 広間の中央を満たした身の毛もよだつ朱い濃霧。

 それはやがて、空中で一つの奔流となって渦を巻くと、異形の獣となって地に降り立つ。

 獅子ライオンと山羊と蛇に似た三つ顔。前半身が獅子で後半身が山羊の胴体。臀部から生えた長い蛇の尾は、一個の独立した生き物の如く蠢いている。

 既存の生物とは離れた巨大な怪物。



「形態変化ッ……いや、そもそも、あれだけの手傷を負って生きていただと!?」



 俄かには信じられない光景に、頬が引き攣り声も震える。


 この現象は、迷宮主ダンジョンボス級の魔物の一部が有する形態変化の異能。

 ただ、あくまでも形態変化であって復活ではない事情から、方舟大戦ゲームでは対策や相性が良ければ、変身を待たずに倒し切れる事例も少なくない。


 原作知識で貴種吸血鬼ノーブル・ヴァンパイアが、形態変化の特性を持つ迷宮主ダンジョンボスなのは知っていた。しかしながら、それを実際に目の当たりにしたのと、吸血鬼特攻な蒼炎の付与魔術で、相手が隠し玉を切る前に戦闘が終結したと早合点していた事情もあって、二重に驚きを隠せなかったのだ。


 せめてもの救いは、形態変化をすると与えた外傷が完治するクソゲー仕様なかった事ぐらいか。両前脚の間には槍で抉られた刺し傷が残り、蛇と山羊の頭に挟まれた獅子の左半分も半壊している。


 残った右目と左右両側の二つの双眸が鋭さを増し、悪魔を想起させる三つの頭部で俺を取り囲み睨んでくる。



『恥辱の極みよ。蒼の焔に身体が蝕まれていく感覚は、なァ! 不埒者風情に、ここまで追い詰められるとは、我がことながらなんたる不覚ッ!!……しかし、ただでは死なん、貴様も道連れにしてくれようぞ!! これよりは、一匹の獣となり、獲物を喰い殺さん!』



 貴種吸血鬼ノーブル・ヴァンパイア――否、合成怪物キマイラが、悍ましい咆哮とともに、蛇の尻尾を振う。鞭のように唸りながら迫るそれを、天井に向かって高く飛び上がり躱す。一〇m級の躯体を更に倍するサイズの尻尾は、途中にあった巨大な柱を圧し折り、薙ぎ払いながら壁に激突。



「――クッ!」



 同時に途轍もない激震が発生。着地したばかりで不安定な態勢だった俺は、次いで襲ってきた衝撃波にバランスを崩してよろめいた。元々体格で優れていた敵が更に巨大化し、間合いと一撃の威力で格差が広がった現実を思い知る。


 ――外見と言葉から察するに、敵はもう長くないらしいが、具体的にいつ死ぬか不明の相手から逃げ回って、ただ斃れるのを待つのは受け身に過ぎるか。むしろ、瀕死の相手には短期決戦を挑むべき。


 尻尾が引き戻され、二射目が振るわれる寸前、俺は合成怪物キマイラの領域へと飛び込んでいく。


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