第15話 ゴブリン・ソルジャー


 初級地下迷宮ビギナーダンジョン【小鬼の嗤う巣窟】の最下層の入口は高所となっており、そこからは身の丈の何倍もある針葉樹が繁茂しているのを見下ろせた。

 高所の斜面を滑り降りると、正面に獣道よりは多少マシの曲がりくねった細道が出迎える。

 その先は迷路のようにあちこちに枝分かれし、その名の通り迷宮らしくなった樹海のフロア。

 とはいえ、それは迷宮ですらなかった、これまで以前と比べての話であり、中級地下迷宮ミドルダンジョン以上の本格的な迷路と比べれば、遥かに簡単な構造に過ぎない。


 ましてや、もう何十年も人の手で管理されて久しく、内部構造は完全に把握されており、在校生の誰しもが座学の時間中、細部まで内部構造が描かれた迷宮の地図を頭に叩きこまれている。入学したての新入生でもない限り、【小鬼が嗤う巣窟】で迷う在校生など存在しないだろう。


 脳内に思い描いた地図を頼りに歩き続け、進路上に現れた別れ道を迷わず左折した。



「――ッ」



 刹那、大木の影から肉を断ち切る分厚い刃が、俺の首めがけて一直線に迫りくる。

 それを認識するより早く前のめりに転がって回避し、後方を振り返ればもはや見慣れた小鬼ゴブリンの姿。


 普通の小鬼ゴブリンとの違いを上げるとすれば、持っている武器が棍棒ではなく鉈形状の刃物と革鎧レーザーアーマーを装備している点だろう。


小鬼兵士ゴブリン・ソルジャー


 第五階層から現れる小鬼ゴブリンの亜種モンスター。コイツの推定位階レベルは一五前後。初級地下迷宮ビギナーダンジョンでも五階層の最奥付近まで来ると、一階層とは文字通り桁が違う相手だ。


 その名が示す通り、鎧と剣を持った兵士に似た装いで、肩から上半身までを覆った革特有の強度と重厚な刃物が、持ち主に破格の耐久性と殺傷能力を与えている。

 今の一撃を見ても、武器だけでなく身体能力も通常の小鬼ゴブリンのそれより飛躍的に高い。



『ガァルル!』



 追撃の手を緩めず、小鬼ゴブリンは弾けるように間合いを詰めてくる。

 咆哮とともに右に左にと刃物を振り回してくる攻撃を、何度か小刻みにバックステップして躱す。


 自然とチームメンバーからも離れる形となり、小鬼ゴブリンとの一対一となる。荒々しい剣の軌道は見えているし、位階レベルも自身より低い相手だ。


 本来ならそろそろ反撃と行きたいとこだが、残念なことに今の俺は手持ちに武器となる物が無かった。最初に不意打ちを回避した際、地面を転がる上で邪魔であった長槍をその場に放り捨てていたからだ。



「――クリス! 今行くぞ!」



 それが分かっているからこそ、グレンは鬼気迫った声を上げる。小鬼ゴブリンの肩越しに見えるグレンの表情は、若干の焦燥があった。



「――いや、来なくていい! むしろ、そこに居ろ!」



 だが、その声に反して俺が動じることはない。確かに、小鬼兵士ゴブリン・ソルジャーと同程度の位階レベルなら武器のないハンデから苦戦したかも知れない。

 しかし、周囲に隠しているだけで位階レベルには倍近い差がある。肉体強化を施した俺なら例え素手でも格闘戦で倒すことは可能だ。ただ、それを見せてしまうと、グレン達に疑念を持たれるので一計を案じる。

 イラついた様子で繰り出された振り下ろしを、体の軸を僅かにずらすことで横に避け、そのまま腰をひねって、小鬼ゴブリンの胴体に回し蹴りを叩き込んだ。



『ギャッ』



 ドン、と鈍い衝突音が樹海中に響き渡る。脚に伝わる、少し大きなバランスボールとぶつかったような感触。小鬼ゴブリンの顔が醜く歪むのを確認しながら、足裏に体重を乗せて一気に振り抜く。間を置かず、くの字に折れ曲がった小鬼ゴブリンの躯体が、爆発的な勢いで後方に吹き飛ばされた。


 位階レベルの上昇に伴い身体能力も大幅に引き上げられている現在の俺には、体重の軽い小鬼ゴブリン程度の小型魔物なら、今のように曲芸じみた動きで、蹴り飛ばすのも難しく無い。


 上空を突き進でいった先には、度肝を抜かれ立ち尽くしたグレン。

 このままでは激突すると思った矢先、空中で小鬼ゴブリンの体が急停止した。見れば、その胴体の中央には、微風を纏った洋刀サーベルが生えている。



『ガァァ――……ッッ!』



 貫かれた白刃の根元から鮮血が飛散し、堪らず断末魔の悲鳴が上がる。

 間一髪、グレンは洋刀サーベルに風属性の付与魔術を行使し、貫通力を高めることで迫りくる小鬼ゴブリンの体を穿ち衝撃を削いだのだ。


 しばしの間、もがき苦しむように、両手両足をジタバタと動かしていた小鬼ゴブリン。だがしかし、抵抗虚しく次第にその体が脱力していき、最後には首を折って永遠に沈黙する。


 それを確認してから、グレンは死骸から洋刀サーベルを引き抜く。安堵したかのように、長く大きなため息。

 そして、張り詰めていた空気が緩むと、今度は鋭い視線を此方に向けた。



「危ないだろ、クリス! やるならせめてそう言えよ……」

「だが、駆けつける手間が省けて良かった。そうだろう?」



 懲りない様子でそう返すと、グレンはヤレヤレと首を横に振ってから、傍に落ちていた槍を拾い上げ、此方に投げ渡した。




 不運な不意打ちから始まった遭遇戦を顧みて、一層気を引き締めた俺達は、周辺の警戒を怠らずに地下迷宮ダンジョン探索を再開させた。

 今までの階層と比べると、道幅の狭さや物陰の多さなどが影響して、どうしても遭遇戦が多くなる。

 それを軽くあしらうように、グレン達は襲い来る魔物モンスターを返り討ちにしていく。


 俺を例外とした他のチームメンバーからすれば、すでに出没する魔物モンスターの平均位階レベルと殆ど変わりないか、若干格上のはずだが、位階レベルの数値だけでは推し量れない並外れた身体能力と戦闘センスを遺憾なく発揮する彼らにとっては、瞬殺できる程度の敵でしかない。


 とりわけ特筆すべきは、グレンの獅子奮迅の戦いぶりだろう。

 魔力温存の方針と射線が通らず開けた場所も少ない悪条件から、後衛の二人が大した支援サポートも出来ない中で、体格も身体能力も然程離れていない魔物ゴブリンの襲撃の数々を、冴えた剣技と駆け引きを駆使しながら、危なげなく露払いの役割を果たして見せた。


 それでも、途切れることのない魔物の襲撃に、流石のグレンにも疲労の影が見え隠れし始める。


 無理もない。本来なら幼年学校に五年間通い続けた最上級生の分隊スカッドが卒業までに地下迷宮ダンジョンを完全に攻略できれば優等生扱いなのだ。


 一方、グレンたちは入学して一年余りの四人編成。現時点で地下迷宮ダンジョンの最奥まで探索を完了し、更には迷宮主ダンジョンボスにまで挑もうとしている事実は、破格の才能を物語っていると同時に、隠し切れない経験不足という現実も浮き彫りにする。

 地下迷宮ダンジョン特有の薄暗く湿度の高い地下空間では、余程通い慣れていなければ、必要以上に精神や体力を疲弊するのは当然の成り行きだ。


 なお、それに追い打ちをかけるのが、何を隠そう俺の存在だ。本来の実力を秘めながら、それなりに活躍しているが、逆に言えばそれなり以上ではない。グレンと同じ位階レベルの前衛として可もなく不可もなくといったところ。

 そうなると、その負担は、もう一人の前衛担当であるグレンに集中していくことになる。


 勿論、注意深く観察し、いざとなれば手助けするつもりだが、グレンの悲劇的な未来を案じ、原作に勝る成長を望んでいる立場としては、そう簡単に手を貸す意思も無かった。


 そんな愛の鞭と言うには独り善がりが過ぎる環境下でも、後衛の護衛から遊撃まで過不足なく務めて、順調に地下迷宮ダンジョン攻略を進められている辺り、グレンの活躍には目を見張るものがある。



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