第25話 美の守り

 早朝。


ヨナタンが、館の庭の花壇に水をやっていた。


「ふーん、ふーん、ふーん、ふーん……」

朝から天気もよく上機嫌で鼻歌まじり。

「たんたらたん、たらたららららららら……」

すると、

「おやおや、もうそんな季節ですか……」

いつの間にやら、すぐ近くに花壇を眺める者。

「お、おはようございます……」

近所の住人だろうか、男性がヨナタンを見てにっこりと微笑んだ。


太い胴体に短い手足、うしろに撫でつけた髪にぱっちりとした大きな二重の男性。しかし、ヨナタンが気になったのは、何よりもその恰好だ。

テイルコートと呼ばれる、背面が長くなった正装のような衣装だが、その上下、そして靴までが金ぴかに輝いている。これほど派手な外見のひとをあまり見たことがない。

「貴族の方かな……」

とヨナタンが思っていると、話しかけてきた。

「この力強い黄色と白のコントラスト。この花の名は……」

手のひらでその花を指し示し、

「ノースポール!」

「そ、そのとおりです」

ヨナタンが答えた。


「そして、この可憐な、いつも下を向いた花。雪の雫とも呼ばれる……」

また男性がびしっとその花を指し示した。

「スノードロップ!」

意外と花に詳しいようだ。

「そして……」

だが、今度はヨナタンが反撃した。

「まるで、妖精に差し出す白い小さな花束……」

ヨナタンがその花に両手を向ける。

「スイートアリッサム!」

男性も、頷きつつ片目をつぶって両手の親指を立てた。

「あなたも美しいものがお好きなようで……」

男性が丁重にお辞儀をして、ヨナタンもそれに答える。


「いえいえ、それほどでもございません……」

二人でへりくだって交互にお辞儀をしているところに、マルーシャがやってきた。

「あら、あなたたち、男二人で何をやっているのかしら」

男性のほうが、マルーシャ姫だと気付いたようだ。

「これはこれは、マルーシャ妃殿下とお見受け致します……」

と金色の男性はいったん丁重にお辞儀をしたのち、

「わたしは美の守護者、ゴシュと申します」

と手を差し出した。

「わたしはマルーシャ姫、こちらは従者のヨナタンよ」

その手を握り返すマルーシャ。


「あなた方のような美しい方たちとお会いできて光栄です……」

とゴシュの言葉だが、その日は朝から人が訪ねてくるということで、マルーシャもヨナタンも少しきれいな恰好をしていたのだ。ふだんだったら、この時間帯は寝ぐせに寝間着か平民服だ。

「ところで……」

そろそろ人が訪ねてきそうだし、今日も忙しくなりそうなので、そろそろこの人に帰ってもらおうかな、とヨナタンに視線を向けたマルーシャ。

「え、えっと……」

どうやって帰ってもらおうかと悩みどころのヨナタンだったが、そこに養育係のマリーがやってきた。

「あら……」

マリーは、なぜか派手なピンク色のドレスにダンスパーティにでも参加するかのような派手な化粧。

「防衛ギルドの方ね」

「防衛ギルド!?」

マルーシャとヨナタンが同時に聞き返した。


「そうです、防衛ギルド、美の守護者、ゴシュがやってまいりました」

「こ、このひとが!?」

マルーシャとヨナタンの二人とも、近所の変なひとがただ迷い込んだと思っていたのだ。

「中に入ってもらって……、一緒に今後について打ち合わせしましょう」

ということで、さっそく玄関ホールに集まって会議が始まった。すでにギルバートとヒスイもいる。

「でもこの方、見た目が何とかならないかしら……」

そういうマルーシャの思いが伝わったのか、そのゴシュがマルーシャに言った。

「妃殿下、これはわたしの普段着なので、ご心配は無用。任務に使用する装備は別途こちらへ運ばせておりますので……」

その言葉が終わらぬうちに、玄関に複数の馬がいななく声。そして、装備品が入った大きな箱などが玄関に運び込まれた。


「では、さっそく打合せを……」

少数精鋭の六人がそろったので、会議が始まった。


 さて、ここはアイヒホルン城。

少し日が高くなって、工夫たちが休憩していた。

「ええ天気だなあ」

アイヒホルンは長大な外壁を備えた城塞都市。それを見渡せる城外の場所だ。

「ほんまに、ええ天気だ」

三人の工夫が大きな長い丸太に座っている。三人とも、赤い鼻に赤い頬。

「じゃけん、治水工事っつうに、堀やら城壁も工事したっとるやろ? なんでやけんのう」

二人が会話して、一人はうつらうつらしている。

「そら主任が説明しとったじゃろ、今年の夏は雨が多いと学者がいうとるけん、堀に水引き入れるようにしとくちゅうて」

赤い鼻のほうが首にかけた手ぬぐいで額をぬぐった。


「ほやけど、もうレナ川から水引き入れるちゅうてるっちゃ。まあだ雨も降っとらんのに」

赤い頬も同じように額の汗を手ぬぐいで拭った。手ぬぐいに泥がついていたようで、額に泥がついた。

「あほ、そんなもん、テストせんとあかんっちゃろ。なんでもテストが肝心やけん」

「はあん、そういうもんやろか」

今度は赤い鼻が手の甲で額をぬぐうと、手の甲に泥がついていたのか、額にも泥がついた。

「しかし、城壁も直しとるのはなんでかいな。なんや、たくらんどるんちゃうか?」

赤い鼻が疑いの目をぎろりとどこかに向けた。


「あほ、そんなもん、あれや」

「なんや?」

「年度予算ちゅうやつや。おまえ、そんなんも知らんのか?」

赤い頬が手ぬぐいで頬を拭うと、こんどは頬に泥がついた。

「粘土予算? そんなもん知っとるわ。常識っちゃ」

「なんや、言うてみい」

「城壁を組むときに使う粘土を、その年のうちに使い切る、ゆうことやろ」

赤い鼻が鼻をぬぐうと、そこが泥だらけになった。座っている丸太に付いた泥を指ですくって、さらに口の周りに塗り込む。もう顔中泥だらけだ。

「うん……、まあ、そうやけども」

赤い頬が悔しそうな顔をする。そこへ主任がやってきた。

「作業を再開するぞ!」

そして、立ち上がった三人の前でふと立ち止まる主任。


「おまえたち……。顔を泥だらけにして頑張っておるな。工賃を上げてやる。これからもしっかり励め!」

「へえ、ありがとうごぜえますだ」

三人ははしごを使って空堀へ降りていき、堀をさらに深く掘る作業を再開した。


 いっぽう、こちらは首都ビヨルリンシティ。

堕落将軍、アブラーモ・ボッコリーニ大将は、首都中心部にある、軍施設内の自分の執務室にいた。


いつものように、執務デスクのうえに並べられた小物類を順に手に取って眺めていると、副官がノックして入ってきた。

「なんだ?」

「大将閣下……」

「どうした?」

副官が、手に持っているものを見て、少し嫌な予感がした。

「アイヒホルンの将印と宝剣ですが……」

「どうしたのじゃ?」

「少し違う気がするのですが……」

「何が違うというのじゃ?」

イライラとしてくるボッコリーニ。副官が、紙と朱肉を用意し、印を押してみた。

「見た目は将印ぽいですが、明らかに印影が、ビヨルリンシティから配布している将印とは異なります」

「むむむ……」

受け取ったときに、そこまでは確認しなかった。

「なぜ受け取ったときに確認しないのだ!?」


「はっ……、有頂天になっておりまして、申し訳ございません!」

副官も慌ててすぐさま理由を説明して謝る。

「宝剣はどうだ?」

「は、はい……。この下げ緒の色ですが、既定の色に良く似ていますが、しかしよく見ると違います。つまり、これも一見宝剣ぽいですが、ビヨルリンシティから配布しているものではありません……」

「下げ緒の色など見たらわかるであろう! 受け取ったときになぜ確認せん!?」

「はっ……、その時はすでに心そこにあらずで、首都に帰ったあとのことを妄想しておりました!」

「ぐぬう……」

ボッコリーニは印を押した紙を悔しそうに丸めたあと、

「すぐに急使をアイヒホルンに送れ!」

ボッコリーニの頭に、アイヒホルンの善良な議員三人の顔が思い浮かんだ。


「あいつらめ……、間違ったものを寄越しおって……」

しかし数日後、

「急使がアイヒホルンより戻りました……」

副官が執務室に入ってきて伝えた。

「それで?」

「アイヒホルンの軍統括者、ユリアン・リーゼンフェルト中将は、たいへん申し訳ない、すぐに再送すると……」

「急使が貰ってきたのか?」

「いえ、すぐに別の者を向かわせると……」

そこに、衛兵が報告に来た。

「申し上げます!」

「トム・マーレイ少尉が、大将閣下にこれを渡してほしいと」

衛兵が箱と剣を持ってくる。


「こ、これは……」

副官が、箱の中と宝剣をすぐに確認し、ボッコリーニにそのしかめっ面を向けた。

「これもほんものではありません!」

「その、トム・マーレイとやらをすぐに捕まえろ!」

ボッコリーニが衛兵に命じ、衛兵が部屋から走り去る。

しかし衛兵が戻ってきて、

「トム・マーレイ少尉は急用があるとのことで、すでに帰還済みであります!」

「は!? なぜ帰したのだ!?」

怒るボッコリーニ。

「すぐに指名手配しろ!」

衛兵に命じたあと、副官に向き直った。

「これはつまりどういうことだ?」


「こ、これは……、アイヒホルンはそもそも軍権を渡すつもりがないと……」

「すぐに二万の騎馬隊を再編成しろ! もう一度アイヒホルンへ急行する!」

怒髪天を突いたボッコリーニ。地団太踏んで悔しがる。

「大臣にも報告しなければならないではないか……」

そう言いながら、せこせこと執務室を行ったり来たりした。

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