第12話 歌唱

 舞台そで。


アグリッピナ・アグリコラの演技がスタートしていた。


「わっ」

まず、自分たちのすぐそば、ステージの奥に設置されていた、巨大なパイプオルガンが鳴り始めた。マルーシャとヨナタンとヒスイは、すでに自分たちの公演用の貸し衣装に着替えて、ステージのそでから眺めている。

「踊る狂気、という曲だわ」

ヒスイが説明するまでもなく、オーケストラなどによく演奏される有名な曲だ。

ステージと観客席の間が半円形の窪地になっていて、そこに様々な楽器の演奏者たちが座り、指揮者の振る腕に合わせつつパイプオルガンの音に自分の楽器の音色を重ねていく。


「すごいね……」

思わずつぶやくマルーシャ。

どこかでスモークが炊かれているのか、ホール内が白く煙っていく。

「いた」

ヨナタンがホールの、観客席の奥のほうを指さした。

ステージからは細い道が観客席の奥まで続いており、そこに一人の人物が立った。そこへ光が照らされる。

ゆったりとしたステップでその小道を歩いてくるその人物。


「あ、あいつじゃないの? 隠れ宿でヒスイと戦闘になった……」

背は高くないが、全体的に丸い体の人物。ステージ上でカラフルな、ピエロのような衣装に緑の髪。

「ああ、確かに……。アグリッピナ・アグリコラって、こいつだったのか……」

ダンスも下手ではない。むしろ、

曲調が激しくなるとともに、ダンスも激しくなり、そして、あきらかに体の動きがキレている。

「う、うまい……」

思わずつぶやくマルーシャ。


その時、天井から四本のポールが伸びてきて、ステージの床にジョイントされた。各ポールに四人ずつ、ひとがするすると降りてきて、そのポールを使ってくるくると回りだす。

ステージ上ではアグリッピナが歌い始めた。どこからともなくコーラスも加わる。

「歌い始めから、その腕前がわかる。ただものじゃないね……」

ヒスイが歌い手を褒めるのは珍しい。

全体的に煙っていたホール内に、赤や緑の指向性の光の筋がたくさん現れ、そして天井からは瞬間的な光が、曲のリズムに合わせて何度も煌めく。


「クリスタルを素材にした、魔法アーティファクトだわ」

知っているのヒスイ? とヨナタンが尋ねる。

「このホール自体が、そもそも演奏を助けるための巨大なマジックアーティファクトとして建造されたと聞いたことがある」

ホールには二階席や三階席もあり、その聴衆たちも息を飲まれている。アグリッピナの歌とダンスが続く。

そのうち、ステージや小道の各所から、ダンサーたちの間を縫うように木が生えてきて、黄色い花を一瞬に咲かせた。その花はすぐに枯れ落ち、緑の実ができて、それがすぐに赤く熟す。


それがポンポンとやさしく破裂して、何か甘く酸っぱいような香りも漂ってきた。

「魔法かな?」

その様子をうっとりと眺めるヨナタン。

「視覚的効果に目を奪われがちだけど、そのパフォーマンスはしっかりした歌唱技術に裏打ちされている……」

そうなのヒスイ? とヨナタン。

ヒスイの目が、くわっと開いた。


「たしか、アショフ国国使とか言っていたわね……。ダンサーたちだけでなく、オーケストラも国元から連れてきている!」

な、なんだと!? とヨナタン。

マルーシャも彼らのパフォーマンスに完全に目を奪われて呼吸するのも忘れている。

曲が変わった。


「こ、これは、ゴンドワナ大陸鎮魂歌」

と呟くマルーシャに、知っているのかマルーシャ!? とヒスイ。

いつの間にか、ステージ上はアグリッピナだけになっており、しかもいつ着替えたのか、赤い衣装に変わっている。隠れ宿の玄関での時のように、緑にひかる髪の彼女は野菜のようにも見えたが、しかしその分厚い姿はステージのうえで圧倒的存在感だった。

「透き通るような声ね……」

見た目に似合わず、と付け足すマルーシャ。ヒスイやヨナタン、そして観客も聴き入っている。

そしてさらに曲が変わる。


今度は、キュートな衣装に身を包んだダンサーがたくさんステージに駆け込んできて、かわいいダンスを踊り始めた。

アグリッピナも、フリルの付いたピンクのコミカルな衣装に変わって、軽快に踊り始める。

「か、かわいい……」

思わず口から漏らして、その口を慌てて自分の手でふさぐヨナタン。男性の観客のテンションが一気にあがっているようだ。

「どの子を見て言っているの?」

マルーシャが睨みつけた。


そのあとさらに曲が変わり、妖艶な衣装をつけたダンサーたちとともに、ゆったりとしたセクシーな曲、さらにまた激しいダンスの曲、と緩急をつけたパフォーマンスが続く。

しかし時間にして三十分ほどだろうか、あっという間にアグリッピナの公演が終わった。

「すごいや……」

スタンディングオベーションに沸くホールを見て思わずつぶやくヨナタン。

マルーシャの顔から少しづつ血の気が引いていく。

「このあとがわたしの番なの?」


 拍手の音が止むと、

ステージ上で、黒服の担当者が忙しく動いて、次の演技の準備が進む。

「マルーシャ様、準備お願いします!」

係りのひとりが告げてきた。マルーシャ、ヨナタン、ヒスイの三人が、慌てて所定の位置へ動く。

ステージ下では、オーケストラが楽器を片付けて席を立ち、ホール扉の向こうでは別の演奏者たちが入れ替わりで中に入ろうとしていた。ステージに突き刺さっていた四本のポールも、するすると天井に吸い込まれていく。


「え? え? もうわたしの番?」

あたふたしながら、ヨナタンについていくマルーシャ。

「こ、心の準備が……」

黒い服の者たちが手際よく動き、あっという間にステージの衣替えが完了した。

ヒスイのピアノの演奏が始まり、

「脱いで!」

まだ銀色のマントを着たままだった。手伝ってもらいながらそれを脱ぎ、誰かに渡す。

「乗って!」

いつの間にか白馬に跨ったヨナタンが、マルーシャに手を伸ばす。


「ほいな!」

掛け声とともにヨナタンのうしろに跨り、馬がステージの中央へ歩む。

「降りて!」

ステージの中央近くで立ち止まった馬から飛び降りるマルーシャ。そのまま中央まで歩いて、観客席のほうを見た。

光が眩しい。

とても多くのひとが、こっちを見ている。

天井からは銀色の紙吹雪が舞い、しかしどのような仕組みになっているのか、それが観客の手に落ちると、すっと消えた。


「えっと……」

前奏がまだ続いている。ヨナタンの馬がステージわきの幕の向こうに消えていく。

「そうだわ、ローレシア鎮魂歌だったわね……」

最初の曲だ。

「えっと……」

いける、大丈夫だ。強く言い聞かせる。が、

「ええっと……」

前奏が終わりかけている。


「……!?」

そのときになって、マルーシャは、頭の中に歌詞がまったく浮かんでい来ないことに気づいた。

「ちょ、ちょっと待って……」

頭の中が真っ白だ。こんなことがあるのだろうか……、心臓の鼓動が急に激しくなる。顔が火照ってきた。

「まずいよまずいよ……」

スローモーションのように、前奏の終わりが近づいてくる。

光がさらに眩しさを増し、頭の中がボーっとして、どんどん白さが増していく。


歌い始めがじわりじわりと近づいて、そのたびに気が遠くなる……。


 次にマルーシャが気づくと、

そこは最初の控室だった。

「あれ、わたし……、いったい……」

まだ頭に霞がかかっている。

「あ、そうだ! わたし、気を失って……、本当にごめん……」

「何言ってるのマルーシャ」

とヨナタン。

「とても良かったよ、おつかれさん」

とヒスイ。


「え? 良かった?」

ステージで、前奏が始まってからあとの記憶がまるで無い。

「みんな感動してたよ。たしかに、アグリッピナのパフォーマンスもすごかったけど、やっぱりマルーシャ姫だな、って喜ぶ声も観客席から聞こえたし」

「わたし、歌ったんだ……」

自分の両方の手のひらを見て、現実感をつかもうとするマルーシャ。

「でもなんか、いつもとちょっと違ってたんだよ」

と、マルーシャを覗き込むヨナタン。


「え、何が?」

「本当に、ふだん聞いているより良かったというか、神がかっていたというか……、何かが乗り移っていたような」

そんなことってあるのかな? とヨナタンが今度はヒスイに顔を向けた。

「あるさ、ステージ上で、いつも以上のパフォーマンスが出ることがあるんだよ。そこが、ライブの面白ささ!」

そう、そうだよね! とヨナタンもにっこり頷いた。

「不思議なことがあるものね……」

とマルーシャが自分の手のひらを眺めがら心の中で呟いたとき、


控室のドアが急に開いた。

「すみません! 不審者が紛れ込んだようです! はあはあ……、みなさんも気をつけてください!」

公演をサポートしてくれていた黒服のひとりが、慌てた様子で駆け込んできた。

「不審者ぁ!?」

「はい、ホールのほうも……、公演も一時中断しています!」

肩で息をしつつ、その担当者はそう言い切った。

ヒスイが厳しい表情で二人に目くばせする。


「ついに来たかもね……」

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