第11話 舞台裏

 ついに当日が来てしまった。


宿にある楽器を使って歌の練習はしていたものの、ヤースケライネン教国首都ビヨルリンシティに潜伏して状況を確認する、という目的はまったく果たせていない。


マルーシャは、ちょっぴり憂鬱な気持ちでその日公演を行うホールに到着した。

「けっきょく刺客も現れなかったし、このまま出演しちゃって大丈夫なんじゃないかな」

というヒスイの言葉に励まされてここまで来たが、公演は夜なのにまだ正午過ぎだ。

「本番も緊張するけど、その前の挨拶回りがね……」

楽屋に入る前にホールの裏門で厳しいチェックがあったが、招待状を見せることで、マルーシャ、ヒスイ、そしてヨナタンの三人ともなんなく通ることができた。


「なんで挨拶回りなんてしないといけないのかしら……」

狭い楽屋に、テーブルと三人分の椅子。テーブルの上に紙が置いてあった。

「挨拶回りの順が書いてある!」

「どれどれ……」

何人かの名前と、部屋の位置が書いてある。

「シモン・シモニーク?」

「たしか、最近流行りだしたコメディアンだね」

「アグリッピナ・アグリコラ?」

「えーと、誰だろう?」

「あとは王族の名前だね。タマヒト、カガミヒト、ツルギヒト、ナメコ姫、カズノコ姫」


「わたしも姫なのに……、なんで私のほうから挨拶に行かないといけないの」

椅子にもたれて不貞腐れるマルーシャ。

「なんでだろうね。地方の王族と首都の王族で優先順位でもあるのかしら」

「わたし、王族と話すの苦手なんだよね……」

しゃべるのが遅いし、表現が遠まわし過ぎて何言ってるかわからないし、と独り言のマルーシャ。

「ぼちぼち時間じゃない?」

文句を言いつつ立ち上がったマルーシャ。


「しかたない、行くか……。最初のコメディアン? どれぐらい話すのかな」

「一時間って書いてあるけど……」

「はあ!? 一時間も知らないコメディアンと、いったい何話すの!?」

さらに機嫌が悪くなっていくマルーシャだった。


 一方、こちらは別の楽屋で待つコメディアン。


「素早いよ素早いよ!」

というセリフとともに、両手の手刀を素早くシュッシュッと動かす刹那芸で一世を風靡した、シモン・シモニークだ。

広い楽屋にひとり、椅子に座ってふたつめの弁当を食べつつ、シモンは感慨にふけっていた。

「ついにおれも、ここまで来たか……」

という思いが強かった。

コメディアンになって苦節十年。最初の七年は、まったく売れなかった。


「あのころは辛かったなあ」

首都でいろいろな副業を点々としながら、芸を磨いた。夜の川岸で、手刀の角度や動かす回数を変えて何度も練習した。声の調子や大きさも変えてみた。

「ドンデルスに拾ってもらって良かったなあ……」

としみじみと思う。大御所コメディアンコンビ、ドンデルスにバックアップしてもらったのだ。必死に媚びを売ったあのころ。

「しかし、同じ芸なのになあ……」

彼の刹那芸自体はまったく変わらない。しかし、ドンデルスに太鼓判を押されてからは、人々の見る目が変わった。


「人々は権威に弱い」

と痛感したものだ。権威付けさえしてあげれば、なんでも面白いのだ。

「コメディは、実力だけじゃない」

それ以来の口癖だ。後輩たちにいつも言っている。

「実際、ドンデルスだってそうだもんなあ」

自分よりは多少面白いかもしれない。しかし、所属しているコメディギルドが、ある大臣にバックアップしてもらっているのだ。そして、たくさんの実力のあるコメディアンを蹴落としてのし上がった、と聞く。

「ドンデルスについていくのは大変だったなあ……」

何度土下座したかわからない。


「しかあし!」

ついに大きな声が出てしまった。

「ついについに……」

この国の姫を楽屋に挨拶に来させるまでになったのだ。ゾクゾクしてきた。

「マルーシャ姫と言えば……」

王族の姫のなかでも上ものだ。必ず堕としたい。

「そして、あんなことやこんなことを……」

そこでシモンは首を横にふった。


「いや、まずいまずい」

まずは、ドンデルスのお二人に献上しなければ。そして、いつかそのおこぼれに預かる日がくるかもしれない。

「ぐふう、ぐっぐふう……」

鼻息が荒くなる。

想像するだけで興奮してきた。


ドアをノックする音。

「来た!」

慌てて椅子から飛び上がり、そして座りなおす。

「どうぞ、入りたまえ!」

思わず声が裏返った。


 楽屋の扉を開けたマルーシャ。

広い楽屋の奥にテーブル、椅子に腰掛けた人物。

「入りたまえ」

その人物がもう一度言った。

三人が入ろうとすると、

「お連れは外で待っててくれるかな?」

しかたなく、ヒスイとヨナタンが扉の外で待つ。

「どうも、シモン・シモニークだ」

テーブルに両肘をついて手を組み、脂ぎった額と目をギラつかせる男、そのテーブルの前に不機嫌そうに腕組みして立つマルーシャ。


「わたしはマルーシャ姫よ」

椅子さえ出ない。

「ようこそ姫。今日は同じ舞台に立ててとても光栄だよ」

「そうね」

ぶっきらぼうに答える。シモンはその態度をまるで気にしていないようだ。

「ところで姫……、とてもいい話があるんだが」

「興味深いわね」

気だるそうに体重を掛けていた足を入れ替えるマルーシャ。


「とても権力のある人たちが、あなたに興味を持っている。今日、夜の公演のあとにでも会ってあげると言っているのだが……」

「はあ!?」

「もちろん宿も取ってある。その意味が……、わかるよね?」

ぐつぐつとにやけるシモン。意味がわからないマルーシャ。

「はあ!? 誰が言ってるのそれ?」

「ドンデルス……」

人差し指で鼻をゆっくりこすりながら、片方の眉をあげるシモン。しかし、


「はあ? 誰それ?」

その言葉に、驚きの表情のシモン。

「マルーシャ姫、あなたの悪い噂は知っているでしょう? でも、ドンデルスならその権力で、助けてくれるかもしれないよ?」

「はあ? 別に助けとかいらないし」

マルーシャは、けんもほろろだ。


 まさかの展開にシモンは驚いた。

どんなに不機嫌な態度の少女でも、今まではその名前を出せばすぐに態度を変え、堕ちてきたものだ。

「まさか……、ドンデルスの名前を出して通用しないなど……」

どうするどうする? 瞬間に自問するシモン。

「コメディアンコンビの大御所、ドンデルスだよ? マットとハマーのコンビ」

「はあ? だから誰だよそれ?」

念のためにもう一度聞いたが、やはり知らないようだ。

「しかたない……」

シモンは立ち上がった。


「ドンデルスが通用しないなら……」

自分のものにするまでだ。マルーシャ姫の斜めうしろに立つ。

「ぼくちゃんと……、どうだい?」

勘の鈍いマルーシャも、やっとわかってきたようだ。

「悪くはしないよ」

自分だって、田舎出身の娘を何人も堕としてきたのだ。姫にだって、通用するはず。だって、ドンデルスを知らないなんて、ぜったい田舎者だ。

マルーシャはにっこりと笑った。


「いける!」

斜めうしろから腕をつかむ。もう片方の手で、下から……、

「ひぇっ!」

その腕が氷のように冷たい。気が付くと、冷気が部屋中に充満し、ドアの隙間から外にも漏れだしている。

「いや、いける!」

今度は突き出た下腹を近づけた。

「冷えーっ!」

顔だけ振り返ったマルーシャの目が、完全に凍てついていた。

「ふふっ。あなたの大事なモノが、凍傷で黒く焦げ落ちるかもよ?」


「た、助けて!」

急に全身が寒くなってのけ反り、思わずしりもちをついて後ずさるシモン。手をついた床も凍り付いている。

「おい、大丈夫か?」

ヒスイとヨナタンも異常を感じて部屋に飛び込んできた。

「ええ、大丈夫よ、なんともない」

じゃ、次行きましょう、と出て行った。


 楽屋の扉がバタンと閉まる。

放心状態のシモン。しかし、はっと頭をあげた。自分が堕とせなかったのもショックだが……。

「まずいぞこれは」

ドンデルスになんと説明しようか。

「これはまずい……」

こんな失態は初めてだ。立ち上がり、頭を抱えてウロウロする。

「何か言い訳はないか?」

ドンデルスの二人は厳しい。今まで何人が消えていったか。


「自分の代わりなんていくらでもいる! まずいよこれは!」

そのとき、シモンはふと思いついた。

「まずいよまずいよ」

そう言いつつ、両手の手刀をシュシュっと動かしてみる。

おお、いいかもしれない。

「まずいよまずいよ!」

もう一度やってみる。おお、本当にいいかもしれない。


新しい刹那芸が、ここに生まれた。

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