第32話 冥府の神殿

 食料を持ってくるのを忘れた。


アイヒホルンを出る際に慌てていたため、なにひとつ食料を持ってこなかったのだ。それでも必死に二人で馬を走らせ、途中で小川などを見つけては水分を補給しつつ二晩野宿し、なんとかマリーからもらった地図上の西方までやってきた。


「もう二日も何も食べていない……」

マルヴィナは、もう馬にも乗っていられなくなると思っていた。

「あの丘の上にある神殿がそうじゃないかな?」

砂ぼこりまみれの顔のヨエルが、遠くを指さした。

「やっと……」

朦朧とする頭でその方角を見たとき、

「あれ?」

何かに気づいた。

「うん、なんか、ぼくも見覚えがある……」

そう、見覚えがあるのだ。

はやる気持ちで馬を走らせる。馬たちも、飼葉を与えなくともひとことも文句を言わずに、ここまで走ってくれた。


「行こう!」

馬たちも目的地が見えたのがわかったのか、力強く駆ける。坂道でまただいぶ疲れたが、見覚えのある、神殿とその隣の修道院らしき建物の前に来た。

「やっぱりそうだ。だけど……」

何か少しだけ雰囲気が違う。

修道院の前に掃除をする女性がいた。馬を降りるマルヴィナとヨエル。

「あら?」

女性も気づいて、持っていたほうきをその場に放棄して走り寄ってきた。

「まあ! マルガリータ!」

「マ……、マルヴィナよ」

「そう! マルヴィナ! それにヨエルさん!」

「サネルマさん、お久しぶり……おわっ」

相変わらず豊満な修道女サネルマが、マルヴィナ、ヨエルの順に抱きつく。


だが、

「あら、お二人ともふらふらして、大丈夫かしら」

「二日三日何も食べてないんだ……」

そう話すヨエルと、すでに足が修道院のダイニングに向かっているマルヴィナ。

「何か胃に優しいものがほしいわね……」

ぶつぶつ言いながらふらつく足取りで入っていく。

「まあたいへん、すぐに用意しますわ。ヘンリク様ー! 馬に餌をあげていただけるかしら!」

サネルマはすぐさま食事の準備をはじめるとともに、神官のヘンリクを呼んで疲れた馬たちに餌をあげるように指示した。


 マルヴィナとヨエルが修道院のダイニングできのこのスープをスプーンですくいつつ、穀物パンを大豆のミルクに漬けて食べていると、神官のヘンリクが入ってきた。

「神官のヘンリクです。このたびは誠にご愁傷さまで……」

「あれ?」

マルヴィナとヨエルの二人とも、その姿に違和感を覚える。ヘンリクは、黒い法衣を着ていた。

「ああ、以前に髭の将軍を覚醒させたお二人ですね。あれから、将軍は元気でしょうか」

「たぶん元気よ、最近会ってないけど……」

サネルマとヘンリクにここまで来た経緯を話す。

「なるほど、それはたいへんでした。ぜひしばらく休んでいっていただければ……」


「ところであなた、なぜ黒い法衣を着ているのかしら」

そのマルヴィナの言葉に、ヘンリクがギクッとした。

「いえ、これには特に意味がありません」

そう言いつつ、ヘンリクがキョロキョロと挙動不審になり、誰とも目を合わせない。そのヘンリクをさらにじっと見つめるマルーシャ。

ヘンリクの頭頂部から、どんどん汗が染みだしてくる。

「ここって確か、以前は……、精霊神バシュタの神殿だった気がする」

今度はヨエルが何か思い出そうとしている。

「い、いえ、けしてそんなことは」

ヘンリクが、そのヨエルの思いをかき消そうとするかのように両手をふるが、

「ヘンリク様……」

今度はサネルマが怒ったような顔でヘンリクを上目遣いに見た。


 サネルマに怒られたヘンリクが、ついに説明を始めた。

「へ!? 宗旨替えをした!?」

「い、いえ、けしてそのようなことはありません。ただ……」

「ただ?」

「最近遠方で冥界神ニュンケが流行っていると聞き……、ここを訪れるひともとても少なくなっていたので、つい……」

「まあ、そういう事情ならしかたないわねえ」

マルヴィナは、少しお腹も膨れて、興味なさそうに言った。

「それで、人は増えたのですか?」

とヨエルが尋ねる。

「ニンジャの衣装の夫婦が訪れた以来、とくに……」

そう言いながら、ヘンリクが頭をかいた。


「ヘンリク様は、そのことに思い悩んで、白髪が一本生えてきたとか……」

ほんとうにかわいそうに、とサネルマ。

どうでもいいや、という顔で立ち上がったマルヴィナ。足元がふらつく。

「あら、マルヴィナ様、大丈夫かしら」

「まだ足元がふらつくわ……」

そのとき、ゾクッと寒気もした。

「あら、熱もありますわ。ささ、向こうで休みましょう」

サネルマの肩を借りながら、寝室へ向かうマルヴィナ。

「食べたら安心して熱が出たのかな……」

我ながら、こういうときにすぐ熱が出て情けない気持ちになる。


「長旅で疲れているだけですよ」

サネルマがすぐに清潔な寝間着を持ってきてマルヴィナを着替えさせ、そしてベッドに横にならせた。

「少しお休みになって、すぐによくなりますから」

たしかに、この二日は野宿で仮眠をとったとはいえ、ほとんど寝た気がしなかった。空腹と睡眠不足もあるかもしれない。

しばらく見守っていたサネルマ。問題ないと家事をしに出ていくと、またヘンリクがやってきて、宗旨替えの言い訳を始めた。

だが、今のマルヴィナにとって誰がどの神さまを信仰しようとどうでもよかった。精霊神バシュタを信仰しようが、冥界神ニュンケを信仰しようが、創造神ヤーを信仰しようが、道端神イシコロでも、なにかご利益があるなら本当になんでもよかったのだ。


 道端神イシコロがどんな神さまか想像しているうちに、マルヴィナは夢の中にいた。

そこは、巨大な溶鉱炉がいくつも並ぶ、とても暑い場所だった。それぞれの炉は、人間の背丈の何倍もある、巨大な耐火煉瓦のツボだった。

その前に、汗だくになりながら祈りを捧げる人物。

「どうぞ」

マルヴィナが、その人物に水の入ったコップを差し出す。

「ありがとう」

その人物がコップの水をぐいと飲み干し、コップをマルヴィナに返してまた祈りに戻った。

「え? あれ?」

マルーシャは、そのコップを受け取る自分の手が金色の金属であることに気づいて驚いた。


「わたし、アイアンゴーレムになったのかしら?」

その驚きをよそに、溶鉱炉の前の人物は、祈りを続ける。

「すべての物質よ、黄金に変じよ。金剛錬金!」

その人物が叫ぶと、巨大な溶鉱炉のツボが傾き、中からどろどろした熱い液体が流れ出す。

「何だろう?」

その熱い液体は、じゅわじゅわと音をたてながらその下にある巨大な池に流れ込んでいく。

「黄金だ」

さきほどの人物が、隣で教えてくれた。


「このあと、徐々に冷ましつつ、金塊を生成するための型に流されていく」

マルヴィナはその人物にタオルをわたし、その人物が汗を拭いた。

「ふふふ。黄金というものは、このように何の努力もなく無限に沸いてくるものなのだ」

人物が巨大な溶鉱炉の建物を歩いて出ていく。それについてヒョコヒョコと歩いていくマルヴィナ。

暑くむさくるしい溶鉱炉施設の外に出ると、そこはまるでリゾート地だった。

スタイルのよい美男美女たちが、プールで泳いだり、プールサイドに並んだチェアベッドに寝そべったりして楽しんでいる。


「おーい、……! こっちへおいでよ!」

マルヴィナとその人物が出てきたことに気づいて、呼びかけてきた。

「やっほーい!」

溶鉱炉施設の中で汗だくになっていたその人物は、いつの間にか水着になっており、プールサイドに走っていってそのまま水に飛び込んだ。

「まるで、大富豪のパーティーね……」

プールサイドには長テーブルが置かれ、ブッフェ形式の食べ物が並び、高そうなお酒の瓶がたくさん並んでいる。その横には金塊が無造作に積まれていて、誰でも持っていけそうだ。

「好きなだけ持って行ってください?」

張り紙が貼ってあった。


羨ましい限りね、と思っているうちに、目が覚めた。

周囲はすでに夜。

寝汗を大量にかいているのに気づき、起き上がる。サネルマが置いてくれたのだろうか、ベッドの横のサイドテーブルに、タオルと着替え。

すぐに着替えて、布団に戻る。かけ布団にもべったりと汗がついており、裏返す。敷き布団も汗でべったりだったので、別の大きなバスタオルを敷いてその上に寝転がる。

気分はだいぶスッキリした。


 あっという間に夢の中にいた。

そこは、ここだった。修道院の中だ。あたりは暗い。窓から気持ちの良い夜風が吹き込んでくる。

何かに呼ばれている気持ちになって、建物の外に出た。月明かりの下に、誰かが立っている。黒いドレスを着ている。

その女性はマルーシャに背を向けて月を見ており、そして低く小さく歌っていた。

「……鎮魂歌?」

しばらく聴き入っていると、女性が振り返った。とても美しい人物。透き通るような青白い肌、全てのものを射通すような鋭い瞳。

「わらわは、マルーシャ姫」

その女性が、凍り付くような吐息でいった。


「マルーシャ姫? それはわたし……」

いや、もう自分はマルーシャ姫ではない。もうただのマルヴィナ・メイヤーだ。

とすると?

「本当のマルーシャ姫?」

「そう、わらわは真のマルーシャ姫じゃ」

そういうと、その女性は神殿のほうを指さした。

「すぐにわらわを起こすのじゃ、遠慮はいらんぞ」

「え? 起こす?」

「ふふふ、ついに、反撃の時が来たのじゃ。首都の者ども、待っておれ!」

女性が氷の微笑を浮かべると、空に一気に雲が沸き起こり、あたりに冷たい風が吹きすさんで雪が舞って氷の花が咲き、全てのものが凍てつき始めた。


「見よ、わが力、ははは、はー!」

冷え切った空気の中で、その女性の高笑いが永遠と響いた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る