第31話 真の死

 豪華な一室。


宿の最上階に設けられたその部屋には、フルオーケストラも可能な天井まで届く木製の自動演奏器、そしてそこから流れる異国の音楽。微かなお香の匂い。


「過ごしやすい季節になりました」

「ええ」

マッサージテーブルにうつ伏せで横たわるマルーシャ姫。

「さあ、始めます」

足元からマッサージが始まった。

「痛くはないですか?」

「ええ」

マルーシャはあまりそういったマッサージを受けたことがなかったが、とても気持ちがよくて気を抜くと眠りに落ちそうな気分。


「だいぶ疲れが溜まっていらっしゃるでしょう」

「ええ」

その手が、ふくらはぎから太もも、そして腰へ上がってくる。

「姫という立場は、さぞかし大変でしょう」

「ええ」

天国、というのはこういうことかもしれない。

背中、肩と揉まれていくうちに、右手のひらを持ち上げて、その女性がふと気づいた。

「あら、かわいい指輪……」

その女性が、マルーシャの右手の人差し指に付けられた指輪に触れた。


「これは、まるであなたのよう。あなたもきっと、この指輪のように、磨けばきっと光り輝きますよ……」

首のうしろあたりが一瞬ちくっとした。だが、気持ちよくて気だるい感じで手で確認するのも面倒だ。

「わたし……」

手のひらを揉まれて気持ち良すぎて朦朧としてきた。

「どうぞ、言ってごらんなさい……」

「わたし……」

「ほうら……」

もう全身がじわじわと熱く気持ちよくなってきた。

「わたし、実はマルーシャ姫ではないの。本当は、グラネロ砦の防衛ギルド長のマルヴィナ・メイヤーよ。ある人から頼まれて、しかたなく姫をやっているの……」

あれ、自分は何を喋っているのだろう。


「まあ、それは大変ね。でも、じゃあ、そのマルーシャ姫はいったいどうなったのかしら」

後頭部付近を揉まれるのがこんなに気持ちいいいものなのか。

「本当のマルーシャ姫は、亡くなったと聞いたわ」

「ふふふ……」

「え? なに?」

「ふふふ、本当のマルーシャ姫は、こうしてマッサージ中に眠らされて……」

「え!? なに!? 体が……」

体が動かない、うつ伏せで何が起きているのかわからない。眠気が襲ってくる。

「そして殺されたのよ!」

どこか遠くのほうから声が聞こえる。


「眠ったらだめだ、眠ったら終わりだ……」

しかし、それはもう夢の中だった。

「さあ、やってしまいましょう……」

そう言ってその中年女性は自分のバッグから麻縄を取り出した。天井の出っ張った部分にひっかけて、と。

「可愛そうに、マルーシャ姫を演じていた女性が、その重圧に耐えられなくなって自殺した、と……」

麻縄を首にかけようとうつ伏せで動かなくなったマルーシャ姫の肩に触れた。

「ひっ、冷たい!」

触れた手をすぐに引っ込めた女性。

「ふふふふふ……」

うつ伏せの姫から笑い声。


「な、眠らせたはずなのに」

中年の女性は直感的に一歩下がった。

「二度も同じ手は食わん……」

その女性が、ゆっくり体を起こし始めた。

「お、おまえは何者……」

さらにあとずさる中年女性。

「わらわは……、真のマルーシャ姫……」

その言葉を聞き終える前に、大声で叫びつつ中年女性が部屋から飛び出した。

「逃がさん!」

一瞬の差で、部屋中が氷結する。姫も中年女性を追って部屋を飛び出すが、手下と思われる数人の覆面たちが立ちはだかった。

「おのれえ!」

宿全体を氷結させる勢いで怒りを現わす姫。


 それから数時間後、

「あれ……?」

マルーシャは目を覚ました。

「気づいた?」

「ここはどこ?」

「ここはアイヒホルン城の本丸よ……」

ベッドに横たわり、マリーがベッドの横から自分を見ている。

「大丈夫? あなた、本丸の前で裸で倒れていたのよ」

「痛い……」

なんだか頭痛がする。

「そうだわ、戦勝祝いの人が来て……」

少しづつ思い出してきた。

「近くの高級宿に行って……」

マリーが心配そうに見ている。


「殺されかけて……」

「殺されかけた?」

それで逃げてきたの? とマリー。

そこでマルーシャはハッと思い出した。

「マリー、わたし、よく知らないひとにとんでもないことを話してしまった! どうしよう……」

「とんでもないことを? きっと大丈夫よ、気を確かにもって」

マリーが肩をつかんで励ますが、

「とんでもない真実を、話してしまったかもしれない。どうしよう……」

右手をもちあげ、人差し指にはめた蝶の翅のかたちをした指輪に触れた。

「大丈夫、あなたはきっと大丈夫だから」


 しかし、その三日後、

引きこもっていたマルーシャ姫の部屋に、ばたばたとマリーとギルバート、ヨナタンの三人が入ってきた。

「大変なことになった」

とギルバート。

「まあ落ち着きなさい」

とマリー。ギルバートに、話してと促した。


「首都ビヨルリンシティに潜入していた知人が急ぎで連絡をくれたんだ……」

そこで息を整えるギルバート。

「ビヨルリンシティの新聞に、マルーシャ姫の死が公表された。そして、今アイヒホルンにいる姫は偽物でグラネロ砦の防衛ギルド長のマルヴィナだ、という記事が出たんだっけほん」

一気にしゃべってせき込むギルバートと、

「本当に!?」

驚くマルーシャとヨナタン。

「どうしよう……、本当にごめんなさい、わたしがうっかり喋ったばかりに……」

と泣きそうな顔のマルーシャ。


「いえ、まあ、いいでしょう、もうしょうがないわ」

吹っ切れたようなマリー、過去を回想しはじめた。

「あれは、もう一年も前かしら、わたしとギルバートがあなたたちのいた、どこだっけ?」

「グラネロ砦ね」

「そう、グラネロ砦を訪れて、マルヴィナ、あなたにマルーシャ姫を演じるように頼んだわ」

マリーが懐かしむ。

「その少し前、マルーシャ姫が刺客に殺されて、それを救えなかった私は、なんとか姫の死体だけ持ち出すことができた……」

その時にできた傷よ、とマリーが二の腕をまくってみせたが、とくに何もない。もう治ったようだ。


「そのころ色んな計画が動いていて、マルーシャ姫に死なれては困るわたしたち、なんとか方法を考えたわ。そして、マルーシャ姫に似ている人間がいるという情報を得た」

「それからすぐにすがる気持ちでグラネロ砦を訪れたね」

とギルバート。

「そう、あなたは、散々迷った挙句、最後は快く引き受けてくれた」

本当に今までありがとう、とマルーシャの手を取るマリー。

「あのとき、姫の暮らしをしてみたい、ってマルヴィナ言ってたもんね」

というヨナタンを、余計なことを言わないでと睨みつけるマルーシャ、いやマルヴィナ。


「じゃあ、もうわたしたちはもとのマルヴィナとヨエルに戻っていいのかしら?」

「そうか、ぼくも従者ヨナタンからヨエルに戻るんだね?」

という二人の問いに、マリーがうなずいた。

ついに、マルーシャはマルヴィナ・メイヤー、ヨナタンはヨエル・ヨナークに戻った。

「ここをすぐに逃げ出したほうがいいわ、アイヒホルンでもすぐに噂が広がるでしょう」

そういって準備を促すマリー。

「で、でも、どこに逃げたらいい?」

「そうね……」

いったんマリーも考え込む。


「グラネロ砦の周辺はすでに固められてて危険だわ。だから、北回りで西方にあるわたしの知り合いのところに行ったらどうかしら」

そう言って、すぐに紙にえんぴつで地図をメモり始めた。

「軍使に変装すればおそらく大丈夫よ、二頭早掛けしてても別に怪しくないわ。ギルバート、制服を貰ってきて」

わかった、とギルバート。ヨエルから身長と服のサイズ、そしてマルヴィナから体重とスリーサイズを聞いて部屋を出ていく。

「二人で大丈夫かな?」

と心配するマルヴィナ。


「ヒスイとゴシュは家に帰したのよ。それに、あまり多いとかえって目立つし」

「あなたたちはどうするの?」

「わたしはあなたに変装して時間を稼ぐわ」

「え? わたしに?」

「いいえ、あなたにというより、マルーシャ姫になったあなたに変装してあなたのふりをするのよ。そうしたら、住民たちはわたしがマルーシャ姫に化けたあなただと勘違いするから……」

「つまり、マリー、今度はあなたがマルーシャ姫になるということ? いえ、マルーシャ姫になったけどそれがばれたわたしを演じてくれるということ? え? え?」

二人が認識合わせしているうちに、ギルバートが制服を持って戻ってきた。


「さあ、これに着替えて……」

マルヴィナとヨエルが急いで着替える。

「将軍が各種令状も作ってくれた。これがアイヒホルン、これが首都のやつ、途中で何かあったら見せればいい」

と手のほらほどのサイズの赤いハンコが押された令状を二人に手渡す。

「よし、じゃあ、出発だ! 馬も二頭用意してある!」

マリーが変装のために自室へ戻り、ギルバートと三人で軍施設の出口へ向かう。

たくさんの住人も訪れていたが、なるべく顔を見られないように、軍使の深緑の帽子を深くかぶる。

「またな! 気をつけて!」

軍使っぽく敬礼し、用意された馬に乗る。あわただしく駆けだした。城の北門は開いており、ヨエルがにこやかに笑いながら衛兵に令状を見せる。


城門を出て方角を確認する二人。

その翌日、アイヒホルンの新聞に驚くべき記事が掲載され、軍施設にも問い合わせの住人が押し寄せた。

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