第8話 イグナーツ洞窟

 微かに光る無数の目のようなものは、

自分たちの前方というより、左右や後方にも広がっていた。


「走ろう!」

ヒスイの声で前方、洞窟の奥へ走り出す三人。

「これ、なんなの!?」

走りながらヒスイに尋ねるマルーシャ。

「おそらく、粘菌が巨大化して意識を持ってしまっている。人が通ると、時間差で粘糸を張って閉じ込めてしまうのさ」

「倒せないの!?」

「倒せなくもないけれど……。無駄なマナを使いたくないのと、もし追手が来ていても、防げると思ってね」

「なるほど」


自分たちの後方、暗くてわかりづらいが、どんどん白い粘糸で埋まっていく。しかし、それがそれほど速いスピードで埋まっているわけではないことがわかってきた。

やや走るスピードを落とす三人。ヒスイはもはや走るというより早歩きだ。

「あの粘糸に捕まるとどうなるの?」

「魔力を帯びた刃物で切るか、炎で焼くかしないといけない。捕まると動けなくなるからね。一般のひとにはそれなりに危険だよ」

それを聞いて、あまり捕まりたくないと思うマルーシャとヨナタン。

「出口まであとどれぐらいの距離があるんだろう?」

「この洞窟は、たしか全長九キロ弱だったわ」

とヒスイ。まだ一キロ進んだかどうかだろう。


「ヒスイは毎日十キロ走っているんでしょ?」

「そうね、片道十キロだから往復二十キロね」

早歩きでほとんど呼吸を乱していないヒスイ。

「ヨナタンは?」

「ぼくはぜんぶ走るわけじゃないけど、毎日十キロは移動してるかもね」

「そうなんだ」

マルーシャは走るトレーニングはするが、毎日ではないし、走っても調子のよいときでせいぜい五キロほどだ。いや、せいぜい四キロかもしれない。

「戦場では、走れなくなるときが死ぬ時だ、っておばあちゃんも言ってたからね」

ヒスイの言葉に、もう少しふだんから走っておけばよかったと後悔するマルーシャ。


「もう他にモンスターはいないの?」

とヨナタン。

「粘菌の意識を統率している親玉がいるはずだけど、もうそろそろ……」

「なにあれ!?」

マルーシャが前方に何か見つけてしまったようだ。

「ほら、あれ、よっつの目玉!」

たしかに、白く光る四個の目が並んでいる。そして、姿を現した。

「え!? 蜘蛛!?」

巨大な、四つの白く光る目を持った、黒い蜘蛛だ。しかも、人よりも大きい。

その出現に合わせて、後方の粘糸が迫るスピードも増したようだ。

「うわあ、どうすんの!」

前と後ろから挟まれたかたちになって、叫び声をあげるヨナタン。


「このまま進む!」

黒い蜘蛛へ正面から突っ込んでいくヒスイ。ついていくしかないマルーシャとヨナタン。

「いくよ!」

走りながら両手で印を組むヒスイ。

「アーウームー、豊穣神ココペリに感謝の祈りを捧げる。黒と赤の鋼……、金剛質実!」

ヒスイの体全体が黒く光る。巨大蜘蛛に走り込みながら、腕を振り下ろした。

「うぬあ!」

なんと、振り下ろしたヒスイの腕から巨大な刃物が一瞬具現化し、蜘蛛を真っ二つに切り裂いた。


「とぅりゃあとぅりゃあ!」

包丁で野菜を斬るかのように、あっというまに細切れになっていく蜘蛛のモンスター。


そして、

それを見下ろしたヒスイ。数秒後には、鬼のような形相から、いつもの優しい顔に戻っていた。

「うわあ、なんだこれ?」

ヨナタンのすぐ横に転がってきた、輪切りになった蜘蛛の足。その筒のようなかたちの内部から、白いものがとろりと溢れ出す。

「え? なんだこれ……。あ、でもなにこれ、美味しそう……」

その白いものを摘んで、なぜか口に運ぼうとするヨナタン。

「ちょ、ちょっとあなた、何やってんの!?」

慌ててヨナタンに近寄ろうとするマルーシャ、その上から腕が伸びてきて、ヨナタンの首元をむんずと掴んで引っ張った。


「気をつけな、この粘菌は幻覚作用もあるからね、あんまり近くで息を吸わないほうがいい」

「はっ!? ぼくはいったい何を……」

手についた白い粘るものを慌てて裾で拭い去る。

「この蜘蛛は死んだの?」

「いや、これは蜘蛛のかたちをしているだけで、粘菌だから簡単には死なない。意外ともろいけど、完全に殺すのは難しいのさ」

たしかに、見ていると輪切りにされた蜘蛛の体から湧いてくる白い粘糸のようなものが、お互いくっつきあって体をずりずりと引き寄せだした。

「行こう! 復活する前に!」

その蜘蛛をあとにして、再び走り出す三人。


しばらく走って、追ってくる様子もないので、少し歩速が落ちる。

「五年ほど前だったかね、少し大きめの地震がこの地域で起きてね」

歩きながら、この洞窟がこのようになった経緯を語り始めたヒスイ。

「それからしばらくして、洞窟の一部から水が湧き出してね、通行できなくなった後のころから、粘菌に襲われるひとがで始めた……」

洞窟内部は、徐々に広さを増しているようで、道幅が進むごとに広く、天井も高くなっていく。

「何か対策は取られなかったの?」

「やったさ。教国も魔法使いで構成された対策班を送ってね。何度か送って、最終的には火属性魔法で全て焼き払ったのさ」


「それで、どうなったの?」

「いったん粘菌が死滅したかに見えたけれど、半年ほどしたら完全に元に戻っていた」

さらにヒスイは続ける。

「最近の教国はおかしい。各地でモンスター出現の報告。それに限らず、各地で増える盗賊、山賊、海賊、不法なギルド。そして地震、山火事、落雷、豪雨なんかの異常気象。天変地異が各地で起こっている……」

「なぜなんだろうね」

「単に偶然が重なっている、とも考えられるし、そうでもないとも言われている。時代が大きく変化するときに、そういった天変地異が重なるのでは、というひともいる」


「そういう時代なのかしら」

「問題はそこだよ。実はね、教国は何か重要な情報、例えば、暦占いに関する何か重要な情報を、数千年の間隠してきたんじゃないか、という噂がある」

「暦占い?」

「そう。そういった時代の変化は、実は法則性があるのだけど、そういった情報、たとえばそういったことが書かれた本なんかをすべて発行禁止にして、教国の中枢部だけが持つようにした……」

「そういえばヨナタン、惑星の法則ってそういう話じゃないの?」


「え? うん、たしかにそうだね」

「なんだい、その惑星の法則って?」

今度はヒスイがマルーシャたちの話に興味を持ったようだ。

「ギルバートが持っていた本で、ヨナタンに内容を教えてくれてたの。ヨナタン、ギルバートはどこからその本を手に入れたの?」

「ぼくそれ覚えているよ。ある日、大富豪がギルバートの家を訪ねてきて、何か本を渡してたんだ。知人から貰って読んだけど、難しいうえにあまり興味がないからギルバートにあげるって」

「その本では時代がいつ変わるのか書いてあったのかい?」


「うん、確か、八百年単位で変わっていて、もう五年ほど前には次の時代に入ったって……」

というヨナタンの言葉に、

「ふうむ」

歩きながら顎に手をあてるヒスイ。

「そうすると、その本の持ち主は気をつけないといけないね」

「やっぱり?」

「教国がその本の存在を知ったら、何か画策してくるかもしれない」

そのとき、何かふつうでない物音にマルーシャが気づいた。


「何かカサカサいってない?」

「え、そうかな?」

耳をそばだてるヨナタン。

「ついに追いついてきたかもね」

と再び般若のような厳しい表情になるヒスイ。

「さっきのやつ?」

「そう」

と答えながら歩速をあげていくヒスイと、それに合わせるマルーシャとヨナタン。

「なんか、カサカサする音がひとつじゃないんだけど……」

ほんとだ、とヨナタンの耳にも聞こえてきたようだ。

「この洞窟は天然のものだから、側道もたくさんあるんだよね……」


「あの蜘蛛もたくさんいるってこと?」

ヒスイがうなずくと同時に、三人の走る速度もあがった。

「目がいっぱいある!」

ヨナタンが一瞬振り返って確認したようだ。

「急ごう!」

洞窟はどんどん広さを増し、ついに巨大なホールのようなところに出た。周囲は粘菌なのかヒカリ苔なのか、うすら明るい。

「行き止まりなの!?」

ホールの先に道が見えない。

「いや、大丈夫だ、池がある!」

叫ぶヒスイ。ホール行き止まりの手前、大きな水たまりの水面が光って見えた。


「え? 池!?」

浅い部分の水はきれいに澄んでいるが、その先、深い場所の奥底は暗くて見えない。

「え? え? 飛び込むの!?」

躊躇しつつも、スピードは落とせないマルーシャ。

「っしゃあ!」

気合とともに大きくジャンプして、イルカのようにしなやかに飛び込んでいくヒスイ。

それに続いて、ジャンプして足から深みに飛び込んでいくマルーシャとヨナタン。


もちろん、何の心の準備もできていないまま。

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