第7話 翡翠色

 アイヒホルンから戻ってきた夜のこと。


「さっそく明日から首都に移動して潜入してみない?」

マリーが夕食の手を止めて言った。マルーシャ、ヨナタン、ギルバートの計四人で夕食を摂っている最中だった。


「え? 明日?」

マルーシャは、スープの最後の一口を飲みながら、もう決断しなければいけない時が来たのかと、気持ちがこわばった。

「どうしよう……」

マルーシャはしかしまだ迷っていた。

「宮廷音楽会に出るかどうかはいったん潜入してみて、その時の状況で決めればいいんじゃない?」


「うん、そうなんだけど……」

多くの人の前で歌わないといけない、それだけでかなり緊張が強いられることだし、それに加えて命まで狙われる可能性がある。

「ぼくたち二人で行くの?」

さすがに他人事では済まないヨナタンも口を開いた。

「いえ、控室に二人まで入れるし、実はもう、もう一人選んであるの。それに、わたしとギルバートも、当日会場に入るつもりよ」

「いったいだれなのかしら?」

「ふふ、明日のお楽しみ……、というわけにはいかないわね、教えてあげる。ヒスイよ」


「ヒスイ? 彼女で大丈夫なの?」

「ええ。魔法も使えるし」

実際、マルーシャは歌の練習の後、魔法のアドバイスもヒスイから受けていた。しかし、ふだんはそうやって教えてもらうだけで、実際に戦っているイメージが沸かない。

「知ってるかもしれないけれど、彼女は魔法の腕も身体能力もかなりのものよ。少し気持ちが優しすぎる面があるけど、逆に今回のことが彼女にとってもいい修行になると思うの」

「そうね、確かにそう考えると心強いかも」

と、ヒスイの大きくて強そうな骨格や、優しいけど力強い顔立ちを思い出すマルーシャ。


「それにあなたたち、もしもの場合はあなたたち二人ともすごい必殺技があるんでしょう?」

「それもそうね」

マルーシャの顔が徐々にやる気になってきた。

「マルーシャはどんな状況でも逃げられる特殊な技、ぼくは気を失うと急に強くなるという特技。ぼくは正直あんまり使いたい技ではないんだけど……」

「ほらギルバート、あなたも何か言ってあげたら?」

静かに目をつぶっていたギルバート。マリーの言葉にかっと目を見開いて、

「うむ、男たるもの、いつでも命を落として犬死にする覚悟はできている!」

「男のひとはなぜいつもこういう時に明るく前向きにとらえられないのかしら……」

マリーはため息をついた。


 けっきょく翌日の朝から、いけるところまで行ってみようということになった。


早朝、黒い館の玄関でマルーシャとヨナタンが待っていると、ヒスイもやってきた。

「おはようマルーシャ、それにヨナタン!」

ヒスイはふだんの家庭教師の恰好ではなく黒くて丈の長いコートに編み上げの草色のブーツで、なぜかふだんより血気盛んで元気そうだ。


しかし、マルーシャはヒスイがコートの下に派手なうすい緑色の服を着ていることに気づいた。そのマルーシャの視線に気づいたヒスイ、

「あ、これね、昨日の夜遅く、マリーがこの任務のためにと家まで届けてくれたんだけど……」

コートの前を開けてみせたヒスイ。

「なんかクノイチの独特の衣装をわたしの体格に合わせて作ってくれたらしいんだけど、そしてわたしの好きな色にもしてくれたんだけど、なんか目立つのよね」

たしかに、フードもついて頭も含めて体全体すっぽり覆えるようなその衣装は、その色からしてとても派手で目立ちそうだった。


「だからその上からコートを着てきたんだけど……」

念のためにお互いの装備チェックがはじまった。

「途中で難所があるからね」

「難所?」

「そう、洞窟を通っていくから……、聞いてないかしら?」

前日はあのあとけっきょく気持ちの面の話ばかりになって、マリーがギルバートを長々と説教しはじめたので、具体的なことが何も話し合えなかったのだ。

「ほんらいはビヨルリンシティまでにハバロフ峠を超えないとダメでしょ? でも、そこはおそらく待ち伏せされている……」

「たしかに、わたしが通ると予想がつく場所は危ないわ」

でも、とマルーシャ。


「その洞窟の難所って、わたしたちでも通れるの?」

という不安が当然あった。

「洞窟の中で水場があって、そこに入っていく必要があるんだけど……」

「え、水場?」

なにかとても恐そうなところを想像してしまうマルーシャだが、

「大丈夫よ、わたしがついているし。でも、濡れるのを想定した装備が必要ね」

ということで、いったん館に入って濡れても大丈夫なように装備を整える。音楽会の招待状も、丈夫な羊の皮の袋に厳重に入れて、ヒスイの体にくくりつけることにした。


マリーもやってきて、最小限の食料品を水に浸かっても濡れないように工夫するのを手伝った。

そのうち、御者があやつる六頭立ての大きな高速馬車がやってきた。

「やあみなさんこんにちわ」

馬車から出てきたのは、いつかの大富豪のゴッシー氏だ。

「あれ? 先日のゴッシーさんだ」

「洞窟の入口まで乗せていってくれるのよ」

とマリー。

「じゃあ、行ってらっしゃい! 私たちはあとから行くからねー!」

とマリーに見送られて、馬車が出発した。


その馬車のなか。

「でもゴッシーさん、なんでわたしたちにこんなに親切にしてくれるの?」

四人乗りの客車は大きかったが、それでもヒスイにとっては少し窮屈そうだった。

「わたしも君たちに何か協力したいというのもあるんだが、実は君たちを降ろしたあとに、遠くに住む娘に会いにそのまま馬車を走らせるんだよ、はっはっは」

「なるほど」

「娘はいろいろなものを欲しがるんでね、この前なんかは、どんなものよりもまぶしく輝く、黄金のティアラがほしいと。あれは見つけるのに苦労したよ」

と笑うゴッシー氏。

「へえ、お金持ちも苦労があるんだねえ」

と足の置き場所に少し困りながらヒスイ。


「しかしだ、娘の要望に応えていると、意外と商売のネタに出会ったりするんだよ。その黄金のティアラの時も、それがきっかけで知り合ったひとからいろいろと高価なものを貰えてね。それも無償で。わたしのような大富豪でもそれにはびっくりしたよ」

「へえ、すごいな」

無償で高価なものが貰えると聞いて、ヨナタンも興味深げだった。

そうしてゴッシー氏の娘の話を聞きながら数時間。馬車はかなりのスピードで石で舗装された街道を進み、洞窟の入口近くに到着。


「ここから三十分も歩けば、君たちのめざすイグナーツ洞窟にたどり着くだろう。では、諸君、頑張ってきたまえ、はーっはっはっは」

たくさん話したからだろうか、大富豪は気分よく行ってしまった。


 街道からのびた道を歩きだす三人。

「もう少し近くまで送ってほしかったな」

と言うマルーシャに、

「洞窟までのこの道は狭いし舗装されてないし、それに、ここまで快適な旅ができたからいいんじゃない?」

ヒスイは広い場所にやっと出られてすこし気分がよくなったようだ。

歩いていくうちに、洞窟の入り口らしきところに到着した。

「え? 封鎖されているの?」

比較的大きな入り口があるのだが、全面を木の板で覆われている。


「そうよ、以前は観光地としてもにぎわっていたのだけどね」

そう言って、入り口の端に進んでいくヒスイ。

「見て、ここよ」

入り口周囲の木や草で遠目にはわかりづらかったが、左の端にぽっかりと穴が開いていた。それはヒスイも通れる大きさで、三人で中に入っていく。

だが、そこからは奥へ行くほど暗い。

「ちょっと待ってね」

ヒスイが両手で独特の印を組んだ。


「アーウームー、豊穣神ココペリに感謝の祈りを捧げる、われに光を……チリチリライト」

差し出した掌のうえで、チリチリと火花が出始めた。それは小さな火花だったが、周囲をほのかに照らし出す。

「少量のナトリウムを具現化して水と反応させているのよ。さあ、行きましょう」

洞窟の中は、多少の起伏があってなだらかに下っているものの、砂利で舗装されていて歩きやすかった。

「以前は観光地だったからね。距離はけっこうあるから、急ぎましょう」

「ヒスイはここに来た事あるの?」

ヒスイがこの場所に慣れた感じなのでマルーシャが聞いてみた。


「ええ、観光地だったころも来た事あるし、そのあともね」

「そのあとも?」

「ええ、修行のために」

「修行のためって……、もしかして、何か出るとか?」

と今度は一番うしろを歩くヨナタン。

「そうね、いるとしたらそろそろ……」

「え? なにあれ?」

マルーシャがさっそく何かに気づいてしまった。


洞窟の奥で光る、無数の目。


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