第15話 指導者
早朝から、トレーニングが始まった。
マルーシャは、与えられたアイボリー色の練習技に着替え、練習場に向かう。
「ワン、トゥー、スリー、フォー! ワン、トゥー、スリー、フォー!」
すでに練習が始まっていた。
「ワン、トゥー、スリーエァンド、フォー、エァンドワン! もっと呼吸を意識して!」
ヒスイが、薄い緑色の練習着でカウントをとりながらアドバイスしている。
横では、眠そうな顔のヨナタンがやってきてマルーシャと同じように準備運動を始めた。
「もっとこう! 強い手よ、強い手!」
ヒスイのアドバイスを受けて、イスハークが引き手を高く吊り上げつつ足を素早く跳ね上げると、相手が弧を描いて飛ぶ。
「そう! ストロングハンド! ストロングフレーム!」
床に足を伸ばしてストレッチしながら、思わずその光景に見とれてしまうマルーシャ。この時間帯は、上級者が乱取りと呼ばれる試合形式の練習を行っていた。
「よし、インターバル!」
イスハークとリュドミーラ、そしてその相手をする男女ペアの計四人が、練習場の端に下がり、肩で息をする。
「よし、ラスト!」
短いインターバルのあと、四人が再び練習場に立った。
「トゥー、スリー、フォー……、ロック、ロック、シェイプ、ウォーク! バテてからがダンスよ、しっかり!」
四人がソロパートから入り、そして味方ペアでコンタクトする。
「ン、トゥー、スリー、フォー、さあ、間合い測ってー」
不意に、それぞれの男女ペアが別れ、イスハークが相手ペアの女性、リュドミーラが相手ペアの男性に仕掛ける。
「やあ!」
「どぅりゃー!」
同時に相手ペアの男女が背中を床に叩きつけられ、
「ダブル一本!」
ヒスイが、両手を高々と真上にあげた。
「それまで!」
四人が練習場のはしに下がり、タオルを手にとって汗でキラキラ光る額を拭う。
「すごい……」
練習場の端で脱力ジャンプを繰り返していたマルーシャも、思わず呟いた。イスハークとリュドミーラの相手をしている選手も、おそらくかなりの腕前だ。体つきや動作のキレが違う。
「よーし、マルーシャとヨナタン、始めようか」
ヒスイに呼ばれた。
まずは基礎練習から始まった。
「ダンスの基本は礼。礼に始まり礼に終わる。忘れないでね」
試合場に入るときの礼のしかた、足の踏み出し方、立ち方を確認する。
「他の格闘技と基本は同じだから……」
自然体、右自然体、左自然体どれも、マルーシャもヨナタンもある程度できていた。
「次は、受け身よ」
ヒスイがまず見本をやってみせた。
バーンと大きな音がして、練習場全体が少し揺れた。
「はい、やってみて」
マルーシャとヨナタンも同じようにやってみる。
「いたーい!」
マルーシャが悲鳴をあげ、ヨナタンも肘と肩を痛そうに押さえた。
「木の板だからかな……」
ふだんは、護身術を習うときにレスリングマットで受け身の練習をしていたのだが、木の板で受け身をするのは初めてだった。
「うん、すぐ慣れるよ」
そうヒスイに言われ、前後左右、各種の受け身の練習を続けた。
次の練習に移った。
「よし、じゃあ投げ込みよ、ペアになって!」
イスハークとマルーシャ、リュドミーラとヨナタンがペアになって投げ込み練習が始まった。
「きゃあ!」
いきなり投げられて悲鳴をあげるマルーシャ。
しかし、何度か投げられて慣れてくると、意外とそうでもない。イスハークの投げのかたちがきれいで全く崩れないので、投げられる際の恐怖感がほとんど無いのだ。
「よーし、いったん休憩!」
端に下がって自分が持ってきたタオルで汗を拭くマルーシャとヨナタン。
「あ?」
肘のあたりを擦りむいているのに気づいたマルーシャ。すると、
「え?」
イスハークが寄ってきて、物も言わずに傷口にガーゼを当て、テーピングを巻いていく。
「あ、ありがとう……」
そのマルーシャに二本の指を立てて、イスハークはそのまま休憩のために練習場を出て行った。
その後、
マルーシャとヨナタンが休憩で座っていると、空いた練習場に入ってくる二人の女性。
全裸に近い細い練習着に、妖艶な化粧、大きな瞳。マルーシャとヨナタンににっこり微笑みかけた。
「だ、誰だろうね……」
ヨナタンも、ドギマギしている。
軽く準備運動をしたあとに、練習場にポールを立てて、二人でくるくると回り出した。回りながら、様々なポーズをとる。一人で行う技、二人でバランスをとりながら繰り出す技。
「きれいだね……」
ヨナタンがじっくりとみとれている。
「ここの練習生には、いろいろタイプのダンスのトップ選手がいるみたいだね」
ヒスイもやってきて、見ながら感心していた。
すると、
その二人がひととおりの練習を終えて、にこにこしながらマルーシャたちのところにやってきた。
「おつかれさま!」
フレンドリーに話しかけてくる。
「おつかれさまでした!」
ヨナタンも、目のやり場に困りつつもうれしそうだ。
「ここの練習はどうですか?」
二人のよく似た化粧姿の女性が、マルーシャの肩や背を触った。
「ええ、初日だから少したいへんですけど……」
マルーシャが答える。
「ヨナタンさんもたいへんね」
今度はヨナタンの肩を左右から揉んで、ヨナタンも訳がわからずデレデレしている。
そこへ、
練習後のシャワーを終えたリュドミーラがやってきたようだ。
「リッリとサッリ!」
リュドミーラが、その二人の女性とハグで挨拶する。
「リッリとサッリ!?」
そこでやっとマルーシャが気づいた。目の前でダンスを練習していたのは、昨日泊めてもらった双子の姉妹だった。
「マルーシャが泊めてもらってるひとたち?」
「そうだけど……、ぜんぜん気づかなかった」
また二人がそばにやってきた。
「ヨナタンさんも、ぜひうちにいらして。四人でいっしょにベッドに入って、宇宙の話をしましょう!」
「はい、ぜひ!」
ヨナタンもハグしてほしそうな姿勢で言った。
「ちょ、ちょっと、ダメよ」
いろいろとまずいし、それに、ヨナタンの幻想が打ち砕かれる可能性もあるのだ。
そして、次の練習が始まった。
「じゃあ、もう少し具体的な練習に入っていくからね」
ヒスイも、もう何年も前からここで教えているかのようだ。
「武闘会のダンス種目はたくさんあるんだけど、今回はラテーンダンスの二種に絞って対策するから……」
そういって、ヒスイが練習場の真ん中あたりに立った。
「とりあえず、それぞれのソロパートをやってみせるから、見ててくれるかしら」
練習場の片面は、全面ガラス張りになっている。そこに向かって、ポーズをとって構えるヒスイ。ふーっと息を吐く。
「まずは、ルンーバの男性ソロ!」
と叫んで、自らカウントして力強く踊り出す。
「そして女性ソロ!」
今度は情熱的な踊りだ。
「そして、チョチョチョの男性ソロ!」
少し変則的な動き、
「チョチョロック、シェイプシェイプ、チョチョウォーク! ショルダーリードでおへそを横に向けて……」
説明も加えてくる。
「そしてチョチョチョ女性!」
扇情的な動きと目つきに変わり、
「スライディングドアから……、コネクション、円をイメージして……、そして腰を切って、切って、切って!」
説明が高度過ぎてあまりよくわからなかったが、雰囲気は伝わった。
圧倒されて口が空いているマルーシャとヨナタン。
「え……、っと、ヒスイが出場したらだめなの?」
「え?」
さっと顔が曇るヒスイ。
「衣装が無い……。というのはごめん、言い訳ね」
意を決したように、
「わたし、体重が九十キロあって、ペアになれる男性がいないの」
返す言葉もないマルーシャとヨナタン。
「たしかに……、ヒスイってたしか百九十センチあるよね、けして太ってはいないんだけど……」
マルーシャがいうとおり、むしろ体のほうは引き締まって、筋肉質で頬なども痩せて見える。
「そ、それに、試合に勝つためには優秀なコーチが必要だよね!」
ヨナタンのフォローに、ヒスイが顔をあげて笑った。
「そうでしょ!?」
「え、ところでヨナタンは何キロあるの?」
マルーシャが聞いた。
「え、ぼくは百七十五センチで体重は七十キロを切ってるけど……」
そうか、とマルーシャ、さっきからずっと口の端が笑っている。まるで勝者の微笑みだ。
「で、でも、生き物は基本的に体重が重いほうが強いからね!」
ヒスイの顔が再び曇ったのを見て、なんとかしようと頑張るヨナタンだった。
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