第4話 首都からの招待状
マルーシャが夕方前にヒルトラウトの館に着くと、
まだギルバートは館のダイニングにいて暇そうにしていた。
「どうしたんだい、質問がある?」
マリーは厨房で忙しく食事の準備をしている。
「ああ、今日は古い友人が訪ねてくるんだ」
ぼくもさっきまでじゃがいもの皮を剥いていたよ、とギルバート。
「惑星の法則の、ビヨルリンシティからどこに切り替わるのかと、いつ切り替わるのかを知りたいんだけど」
マルーシャは、どうしてもそのことが気になっていた。
「ああそのことか」
ちょっと待っててくれ、とギルバートはダイニングを出て行った。
「あったあった」
と戻ってきて一冊の本を広げた。
「この本によるとだな……」
ページをめくって、世界地図のようなものが描いてあるページに来た。
「地図上でいうと、惑星をぐるっと一周、三百六十度を十六分割した、二十二度三十分ずつずれて行くんだ……、それも、西回りと東回りの交互にね」
だが、
「ここには……、つい最近のものしか書いてないな。といっても、数千年分にはなるのだが……」
ギルバートがいう通り、過去のすべての文明の中心が書いてあるわけではないようだ。
「ビヨルリンシティの一つ前が、暗黒大陸パンゲアの西端、シグリッド。その前が、ローレシア大陸の西、ファティマ。その前がパンゲアのほぼ中央部、アネシュカ。その前がゴンドワナ大陸の東端、ゴンド。書いているのはここまでか」
「で、次はどうなのよ」
「この本にはビヨルリンシティまでしか書いてないが、このパンゲアのシグリッドからだいたい二十二度三十分ずらすと……」
「海しかないじゃない」
マルーシャがいうとおり、地図上でその緯度は北半球から南半球まで、海しかない。
「つまり……」
ギルバートが何か言おうとして頑張っているが、
「この法則ほんとに合ってるの?」
「ちなみに、そのあとはどこになるの?」
「どれどれ……」
「み、見て!」
ビヨルリンシティから二十二度三十分ずらしたところが、ローレシア大陸南東沖にある小さな島、小国カロッサを指していたのだ。
「あんなところが?」
腕を組んであごを触るマルーシャ。
「あ、そうだ。それで、いつ代わるの?」
肝心なことを思い出した。ギルバートがまた記載を調べだす。
「ビヨルリンシティに代わったのが、教国暦の一九四年だから……、そこから約八〇〇年で代わるとすると、九九四年か」
「今年はもう教国暦九九九年だよ?」
「え? たしかに……」
ギルバート自身も驚いている。
「ふうむ。この本によると、もう五年前にすでに切り替わっていた……」
マルーシャもヨナタンも腕を組んで考え込みだした。
「だから教国が滅ぼうとしてるのかな……?」
そのとき、ギルバートが懐から何かを取り出した。子どもが遊ぶ駒のようだ。
「ちなみに、その惑星の法則の大周期である、二万六千年、これには惑星の歳差運動というのが関係していてだな……」
その駒は小さなもので、ギルバートがそれをテーブルの上で指で弾くと、高速で回転しだした。
「惑星というのは自転している。昼と夜があるのでわかるよね。しかし、歳差運動というのは、この駒を見てくれ」
駒は最初まっすぐに立って回転していたが、徐々に軸が傾いて、その回転軸自体がゆっくりまわりだした。
「この斜めになった回転軸自体が回ることを歳差運動というのだよ。そして、惑星の歳差運動の周期が約二万六千年。その半分の一万三千年で、惑星のマテリアル性とマジック性が入れ替わるのだ、ということがこの本に書かれてある」
だが、マルーシャとヨナタンはまったく聞いていなかった。
「文明の中心が移り変わった、まさにその時代」
「ぼくたち、わたしたちはとんでもない時代に生まれたのかもしれない……」
「君たち、つまり、歳差運動をわかりやすく理解するのにこの駒が」
ちょうどそこで訪問者がやってきたようだ。
ダイニングに入ってきた人物は、雰囲気も背格好もギルバートに似ていた。
「やあ、こんにちは」
その男性はアリスターと名乗った。背が低くて小太りでお腹が出ていて、ギルバートと同じようなかたちの口ひげを生やしている。
仕事でビヨルリンシティからアイヒホルンに来たついでに、少し離れているがこの館にも寄ったようだ。
ギルバートの隣に座ったアリスター。
「二人は兄弟なの?」
思わず聞いてしまうマルーシャ。
しかし、ギルバートとアリスターの二人ともが慌てて手をふって違う違うと否定した。
確かに、並んだ二人をようく見ると、目や頬骨のかたちや耳のかたちがなんとなく違う。口ひげのかたちが似ているだけでこうも似てくるものか。
「あれ?」
マルーシャは何か違和感を覚えた。このアリスターという人物、どこかで見た気がする。
どこだったか?
口ひげも怪しいが、その、頭にちょこんと載っただけ、という頭髪。これも怪しい。アリスターのほうは頬の赤みが増して、額の左右がやや汗ばんできた。
そしてついに、
「あなた、ニンジャなの?」
マルーシャの鋭いまなざし。
「な、なんだと……」
アリスターがとても驚いている。
「こんな簡単に見破られるようでは……」
隣でギルバートも厳しい表情だ。そこに、
「お待たせー」
エプロンを付けたマリーが、料理を載せたトレーをもって入ってきた。
「あら、そうだわ」
マリーが玄関ホールへ行き、また戻ってきた。手に何か持っている。
「マルーシャ、あなたにこれが届いていたわ」
そういって、何か豪華な封筒とペーパーナイフをマルーシャに手渡した。
「何かしら……」
ナイフで封筒を開け、中から豪華な用紙を取り出すマルーシャ。
「招待状……? ビヨルリンシティからだわ!」
ヨナタンも覗き込む。
「へえ、宮廷音楽会だって? すごいじゃないか!」
さらに読み進めていくと、どうやら歌手として招待されているようで、実際の出演時間や控室に入る時間なども書いてある。
「まあ、わたしぐらいになると当然なんだけど」
「いつ開催されるの?」
「うん。そうね、ちょうど一週間後の夜だ」
「ぼくたちも一緒に行っていいのかな?」
「警護は何人連れてきてもいいけど、控室に入れるのは二人、そして会場に入れるのも二人までのようね」
「ひさしぶりのビヨルリンシティか、楽しみだなあ」
ヨナタンもうれしそうだ。
その後、五人で夕食が進んでいたとき、
「ねえアリスター。あなた、何かだいじなことがあるって、こないだの手紙に書いてなかった?」
メインディッシュを終えたマリーがアリスターに尋ねた。
「だいじなこと? はて、何かあったかな……」
カップに入った乳白色のデザートを口に運びつつ考えるアリスター。
「たしか、姫に関することと書いてた気がするんだけど」
それを食べ終えるあたりで、思い出したようだ。
「おお、そうだ!」
「マルーシャ姫、あなたはビヨルリンシティに来てはいけません!」
「はあ?」
アリスターの言葉に驚くマルーシャ。
「さっき招待状を受け取ったばかりなんだけど」
「なんと、それはさっそく破り捨てましょう!」
とテーブルに置いてあった招待状に手を伸ばす勢いだったので、マルーシャがその招待状をかっさらって膝の上に置いた。
「どういうことなの?」
少し落ち着いて、とマリー。
アリスターは少し息を荒げながらも、
「マルーシャ姫が、教皇位を狙っている、という噂がビヨルリンシティで流れているのです。その噂に反応して、最近巷に出現している過激な連中が、何かことを起こそうと画策しているらしくて……」
いったん一呼吸おいたアリスター、
「姫を殺すと息巻いているらしいのです!」
「うそ!」
その言葉に、頭を抱えてひどく驚くヨナタン。マルーシャも内心おどろいているが、いつも先にヨナタンが過剰な反応をするのでかき消されてしまう。
「ううん、わかったわ」
マルーシャ姫も覚悟を決めたのか。
「いえ、まだ覚悟を決めたわけではないけど、腐ってもわたしは姫、簡単に逃げるわけには行かないわ」
そうね、とうなずくマリー。
「女は度胸と昔から言われているし。むしろ首都に出向いて疑いを晴らす、という手もあるわけだし……」
うんうん、とうなずくマリー。
「ヨナタン。あなた、付いてくるわね?」
やっぱそうなるよね、というあきらめ顔で中空を見つめながらうなずくヨナタン。マルーシャが命を狙われているとなると、従者である彼もタダでは済まない。
「ギルバート、何かと手伝ってくれるかしら?」
わかりました、と同様にあきらめ顔のギルバート。アリスターは、自分は関係ないと言わんばかりに咄嗟に目を逸らした。
マリーのほうは血の気が多いのか、元よりやる気満々だ。
「ようし、じゃあ、元気を出して、検討しましょう!」
まだ完全に決めたわけではないようだった。
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